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2009年11月

2009年11月30日 (月)

霜月の落語徘徊

3d3fiso2022jp3fb3fgyrctw44bcrdo1jpi今月は・・・何と言っても「落研50周年記念OB落語会」に尽きます。

とにかく、大きなイベントが大盛況のうちにお開きになったことは、思い出に残るものでした。

192 寄席落語会徘徊も、まだまだ元のペースには戻りませんが、何とか今年通算96回まで来ましたので、年間100回は達成できそうです。

それから、先月終わりの圓楽師匠のご逝去により、図らずも「浜野矩随」に注目が集まったのも、何か因縁のようなものを感じました。

圓窓師匠とも、この「浜野矩随」を通じて、さらに新しい接点が出来た気がしました。

200911281228000_3◆  1日(日)  竹扇松戸落語会
            ・・・雷門花助さんの独演会

◇ 8日(日)  落研創部50周年記念OB落語会

◆ 13日(金)  東京落語会

◆ 15日(日)  馬津郷寄席
            ・・・春風亭一之輔さんの独演会

◇ 21日(土)  東京苦楽亭迷人会
            ・・・北大落研OB落語会

◆ 23日(月・祝) 国立名人会

◆ 28日(土)  圓楽一門落語会   

今年も残すところ1ヶ月となりました。

再び「浜野矩随」を

次回の発表会が近づいて来て、自身で宣言した「片棒」の稽古をしなければいけないのですが、なかなか着手出来ずにいました。
今月の稽古では、「『浜野矩随』で燃え尽きて・・・。」などと見え透いた言い訳をしていました。

Img_0003 私の「浜野矩随」のMDを持参して、師匠にお渡しした後、師匠から「流三さん。『浜野矩随』を20分ぐらいに縮められないかい?」というお尋ね。
「せっかく頑張ったんだから、仙台だけじゃぁ勿体ない。東京でも演ったらいい。落語っ子連の発表会を2グループに分けるから、少し余裕が出来るはずだから、やってみたら?」
・・・・という、思ってもみなかった、しかし、とてもとても有り難いお話でした。

ただし、「35分の噺を20分に短縮して演ること。」という、これまた大変難しい条件が付けられました。

「分かりました。オチを師匠にいただいた形にすれば、マクラを2~3分削れますし、若狭屋の台詞で、圓楽師匠色をカットすれば5分ぐらいは縮められるかもしれません。やってみます。」

Img_0004次回の落語っ子連の発表会は、「浜野矩随・短縮バージョン」でチャレンジさせていただくことになりました。

ということは、左の写真の、小僧(定吉)が掃除をしているシーンは、恐らくカットせざるをえないでしょう。
次回は、この所作・シーンはなくなることでしょう・・・。

・・・そうか、こうやって噺を作り上げ、語り上げて行くんだ。
またひとつ、貴重な勉強をさせていただきました。

さぁ、果たして、噺のリストラは成功するでしょうか・・・? 
あの
「浜野矩随」が、どんどん色々な方向に動いて行きます。
・・・面白い。

東京かわら版

Img_0001東京かわら版」でも、先日相次いでご逝去された、立川文都さん、三遊亭円楽師匠の記事で見開きを割いています。

表紙は、三遊亭白鳥さんのサンタクロースで、年末の雰囲気が漂います。

このブログでもチェックしていますが、落語もブームでなく定着した感じで、書籍やCD・DVDなどの発売も相変わらず盛んで、いろいろ工夫の凝らされたものが発売されているようです。

寄席・落語会への出没が減っているので、もう一度真心に立ち返って、「かわら版」を片手に徘徊してみようと思います。・・・寒いけど・・・。

チラシとプログラム

3d3fiso2022jp3fb3fqtqbjei9ue5pgyhcl Img_0016 私は、先日のOB会総会で、「広報」を担当することになったのですが、それに伴い、OB落語会のチラシとプログラムを駄馬師匠に送っていただきました。

もう終わったイベントですが、我々の活動の集大成であり、分かりやすい物ですから、何かに使えると思います。

それにしても立派なものです。

・・・と、いつまでも余韻に浸っているのです。

大江戸散歩MAP

Img_0002 最近の江戸ブーム、ウォーキングブームなどから、様々な地域の散歩・グルメ・地図などをまとめた本が多く出版されています。

落語でも、"落語散歩"の類の本がたくさんあります。

落語を演る立場から、是非実感しておきたいのは、当時の街の様子や風俗、噺の舞台になる場所や位置関係などです。

この本が面白いと思ったのは、地図の新旧比較とCGを使った当時の様子がビジュアルになっていることです。

またまた「浜野矩随」を引き合いに出しますが、若狭屋が芝神明、矩随の家が露月町ということになっています。
現在で言えば、JR浜松町駅の西側で大門に向かって右側の芝大神宮あたりに若狭屋が店を構えていて、そこから少し北へ向かう新橋の手前が矩随の自宅です。
だから、「水盃だ!」と驚き、一目散に走って帰ることが出来たのでしょう。
増上寺の山門の前の松の木も、若狭屋からはほど近いことが分かります。

2009年11月29日 (日)

稽古の後で

落語っ子連の稽古の後で、まど音さんとまど深さんと私の三人で、師匠を囲んで雑談・歓談。

Fumi 実は、今日は師匠が驚きの"資料"を見せてくださいました。
その内容についての公開は、ここでは控えさせていただきますが、この"資料"を始点にして、落語界の色々な慣行や多くの裏話をお聞きすることができました。

そして、この驚きの"資料"は、師匠にお許しいただいて、コピーさせていただきました。
落語っ子連のメンバーも、コピーして持ち帰りました。
コピーではありますが、ある意味で私の宝物になるかもしれません。

浜野矩随のMD

200911232034000 師匠からリクエストされた「浜野矩随」の録音MDを、恐る恐る持参しました。

師匠から、「浜野矩随について、インターネットで調べてみると・・・」という訳で、矩随代々のこと、腰元彫りのこと、圓楽師匠をはじめこの噺のことなど、色々話題になりました。
「あたしもこの噺をやってみようと思うから、これ(私の録音)を参考にさせてもらうよ。」
・・・てなことで、近いうちに「浜野矩随 by 圓窓」を聴くことが出来そうです。
これまた楽しみですねぇ。
きっと、「浜野矩随 by 乱志」は原型を留めないものになっていることでしょうが・・・。

プロの噺家さんの噺づくりの"ing"に関わらせていただくなんていうのは、とてつもなく幸せなことだと思います。

落語っ子連「ん組」稽古

偶然、門前仲町駅のトイレで、前回から参加している「Yさん」とぱったり。
TOTOの便器に立ち並びました。が、二人は決して"臭い仲"ではありません。
いよいよ本気で仲間入りしてくださるそうです。名前も考えているようです。

今日は、「へ組」のまど舞さんが久しぶりに参加してくれました。
彼女はお芝居をやっているのですが、とても忙しいようです。
ご本人は、なかなか良い役はもらえないとか言っていましたが、忙しいというのは、大変結構なことだと思います。
まど舞さん、まだ次回の発表会の噺が決まっていなかったんだそうで、若いおかみさん(女性)が出る噺を希望しています。
う〜ん、鮑のし・錦の袈裟・紙入れ・厩火事・・? 何かないかなぁ・・・。

トップバッターは、商人さんの「小言念仏」。
若いから迫力があるので、年寄りを表現するのに苦労している様子です。
汗をかきながらの熱演で、本当に上手くなりましたよ。本番がとても楽しみです。

200911291205000 ルーキーの「Yさん」の名前は、某市役所にお勤めなのでと、びす太さんが気軽(というより無責任)に言った「窓口(まどぐち)」という名前に決定してしまいました。
ご本人は、「勝太郎」か何かの案でいたようですが、電光石火「三流亭窓口」が誕生してしまいました
ご本人には、交通事故みたいなものですな。全く。
師匠から、大変うるさ・・、いや、とてもお元気そうな奥様の名前も考えるようにとのご指示がありました。窓口さんの宿題です。
その窓口さんは「代書屋」。
前回は見学に来ただけのはずなのに、ネタ本を持参していたことから、師匠に座布団に座らされる羽目になりましたが、今回からは本格的な稽古です。
驚いたのは、今日はネタ本を一切見ずに最後まで通したことです。
師匠からは、基本的な点も含めて、色々ご指導がありました。我が身を振り返り、参考になることばかりです。
権太楼師匠のネタでやっているので、権太楼色をなくすのがポイントになりそうです。

まど音さんは「がまの油」の口上を"読み"ました。
発表会では「半分垢」の予定ですが、口上だけ覚えたいんだとか。

200911291210000 びす太さんは「松竹梅」。
お世辞抜きに、びす太さんは物凄く上達したと思います。
表情や喋り口調が様になって来て、独特の可笑しさがあります。
なったぁ〜、なったぁ〜、ぃやんなったぁ・・・

さて、問題の流三さん。今回は「浜野矩随」のバーンアウト・シンドロームのためパス・・
"それじゃ駄目じゃん"ですね。

いやいや、今日も賑やかで楽しい稽古会でした。

圓窓師匠ご出演の落語会

News10 先日師匠と会食させていただいた時、朝大師匠や頓平師匠からも、圓窓師匠の腰の具合を心配しながらも、是非多くの高座を拝見させていただきたいという、素朴なリクエストがありました。

だからという訳ではありませんが、来月から新年にかけて、大小いろいろな会があり、楽しみになって来ました。
師匠は、ご自身から「いつ・こんな落語会がある」と仰らないので、時々お伺いしたり、チェックをしておかないと、見落としてしまったりしますので・・・。

『よむ・はなす・えんずる』前売3000円
  12月18日(金)14時/19時 豊島区立南大塚ホール

 「みんな違って」詩金子みすゞ コラボ 噺圓窓/ピアノ竹葉子

◆『圓窓人情噺を聴く』 会費2000円

  12月19日(土)18時 千一亭

 「垂乳根」「芝浜」/ 落語歌謡「芝浜の唄・神様みたいに見える人」

◆『国立演芸場・中席』 2000円

  12月11日(金)・12日(土)・14日(月)・15日(火)13時

 「水神」原作菊田一夫

◆『新春国立名人会』 3500円

  1月5日(火)13時 国立演芸場

  中トリ

2009050816052200001 ◆『三遊亭窓輝真打昇進記念落語会』 3000円

  1月7日(木)18時45分 あうるすぽっと

  吉窓 小金馬 小勝 圓蔵 圓窓 トリ 窓輝

◆『シーハイル寄席』

 1月10日(日)16時 北トピア

  「風流蝶花形」原作泉鏡花 語り 阿部寿美子

  萬窓・圓窓・シーハイル有志

  落語とピアノのコラボ「水神」 圓窓/竹葉子

◆『紀伊國屋寄席』 3000円

  1月25日(月)18時30分 紀伊國屋ホール

  圓窓 トリ「小間物屋政談」

「水神」をはじめ、たっぷりと聴くことができそうです。

督促状?

「国税資金支払命令官」からの葉書が届きました。

えっ 何これ・・・

支払命令官? 何か税金の滞納でもしていたかなぁ・・・

恐る恐る葉書のシールを剥がしてみると・・・、「国税還付金振込通知書」だって。

200907201519000 要するに、この夏に車を買い換えた時の、前車の自動車重量税の還付なのです。

・・おいおい、脅かさないでよ。それから、なんだよ今頃・・・。

こういうのが典型的な「お役所仕事」なのですよ。

あぁぁぁぁ、びっくりしたなぁ、もう

2009年11月28日 (土)

圓楽一門落語会

200911281213000 圓楽師匠亡き後の"三遊亭"の今後を見守るつもりで、国立演芸場に行きました。

結論から言うと、そんなに大上段に構えるほどのこともありませんでした。仲入り後の対談以外は、普通の落語会でした。時は決して止まらずに動いているんですね。
"今という 今なる時は なかりけり"ですね。

Img_0001 ◆ 狸 札      三遊亭楽大

◆ 代書屋      三遊亭きつつき

◆ 宗 論      三遊亭愛楽

200911281228001◆ たらちね         三遊亭円左衛門

◆ 壺  算           三遊亭兼好

◆ 薮入り           三遊亭好楽

仲入り後の対談の前、会場が暗転し、スクリーンに映し出されたのは、国立演芸場での「浜野矩随」のクライマックスから最後までの圓楽師匠の映像でした。
200911281233000思わずドキッとしてしまいました。
私も、圓楽師匠のをもとに演りましたが、台詞や言い回しは随分違っていました。
同じ師匠のものでも、年代や場所が違うと・・。やはり噺は生きているんですね。
昨日は「蒟蒻問答」を上映し、明日は引退を決意することになる「芝浜」の予定だとか。
今日聴きに来たということは、やはり「浜野矩随」に縁があるのですね。

兼好さんの「壺算」が一番印象に残りました。やはり上手い。

虎ノ門から三宅坂へ

200911281144000_2 圓楽一門落語会の前、ちょっと会社に立ち寄り、虎ノ門から歩いて国立演芸場のある三宅坂まで行くことにしました。

「あのぉ~すみません。ちょっとお尋ねしますが、"霞が関ビル"はどこでしょうか?何人かにお訊きしても知らない人ばかりで・・。」と、虎ノ門交差点で初老の女性に尋ねられました。
「正面の大きなビルですよ。」と答えたものの、「えっ?"霞が関ビル"を知らないの?」と、かえって驚いてしまいました。
・・・"霞が関ビル"というのは、超高層ビルの代名詞で、量や高さをイメージするのに、「霞が関ビル何杯分、何倍の高さ」なんて言っていたのに・・・。
もはや、霞が関・虎ノ門界隈のランドマークですらなくなってしまったのですねぇ・・。

200911281143000 霞が関ビルの向かいの"商船三井ビル"の近くに、「新聞創刊の地」という碑を見つけました。
知りませんでしたねぇ。


JTビルと特許庁を左右に見て西へ向かいます。

200911281153000 個人的に思い出深い溜池交差点を過ぎると首相官邸。
紅葉が美しくなっていましたが、ご邸主の鳩山さんは、お金のことでいろいろ疑義があるようで・・・。

このあたりも随分変わりました。新しいビルの建設工事も何ヶ所かで行われています。

200911281155000 溜池交差点と赤坂見附の交差点の間にあるのが山王日枝神社です。
時の幕府にも護られた由緒ある神社です。
外堀通りからはエスカレータで境内まで行くことが出来ます。真っ白な鳥居も印象的。

200911281157000

赤坂見附近くの鳥居。こっちが正門なのかなぁ・・・。

プルデンシャルタワーの威容が見えます。
ここは、かつて"ホテルニュージャパン"が建っていたところです。あの大火災の夜は、とても寒い日だった記憶があります。

200911281204000 江戸城赤坂門、赤坂見附跡も僅かに残ります。
この下は首都高速のトンネルになっています。

昔、東京の絵葉書には、ここの立体交差の写真が必ず入っていました。
近代都市東京の象徴的な景色だったのでしょう。

右側は平河町越しに国会議事堂が見えます。
自由民主党の本部がありますが、昔の光今いずこ・・・。

200911281218000 やっと最高裁判所が見えて来ます。
お堀に面した方に、国立劇場の大劇場・小劇場があります。

そしてその裏が、演芸場です。
200911281221000_3 大劇場では、ここを"納屋"と呼んでいるとか・・・。
楽屋口は立派ですよ。

…という訳で、良い天気にも恵まれて、大変気分の良い散歩をすることができました。

さぁ、圓楽一門落語会です。

DVD落語百選≪30≫

Img_0001

市馬さんの「蒟蒻問答」が収録されています。
それから、何かと"話題"の春風亭正朝さんの「巌流島」というのも珍しいかもしれません。

◇ 蒟蒻問答      柳亭市馬

◇ 巌流島    春風亭正朝

"噺家列伝"は、桂文枝師匠。
個人的には、「上方落語四天王」では、最も好きな師匠でした。
何と言っても、張りのある明るい声と清潔感のある色気が魅力の師匠でした。
「小糸ぉ〜」・・、「立ち切れ線香」は、文枝師匠のためにある噺だと思います。
もっと、お元気で長生きしていただきたかった・・。

頓平師匠の「吉原用語集」

31860237私がただいま読んでいる 「円朝の女」の作者である直木賞作家の松井今朝子著「吉原手引草」に感服された頓平師匠が、この本を読んでピックアップした「吉原用語集」を作っていて、それを送ってくださいました。
さすが、「研究第一主義」の某駅弁大学の卒業生だけのことはありますね。

難しい言葉や漢字もありますが、何かこう含みと言うか重厚な感じがするのは、見たこともないものへの畏敬や憧憬なのでしょうか・・・。

ちょいと盗み見してみることにします。いろいろありますよ。

◇太夫職

最上位の遊女。太夫の地位にある遊女。

◇呼出し

吉原で、太夫・格子の位がなくなって以後、散茶の中から

出た最上位の遊女の称。

見世をせず、仲の町で客に会ったのでいう。

細見(さいけん)では入山形に星をつけて示す。

深川の遊里では、子供屋に抱えらいて、呼び出されて茶

で客に接する遊女をいう。

◇細見【さいけん】

妓楼や遊女の名などを明細に記した吉原の案内書。

享保(1718-1736)間に初めて作られ、毎年刊行された。

◇張見世【はりみせ】                  

遊郭で娼妓が店先に居並んで客を待つこと。⇔陰見世       

格子女郎【こうしじょろう】

もと表通りに面した格子の中に控えていたからいう。

太夫につぎ、局(つぼね)女の上に位した女郎)の略。

◇局女郎【つぼねじょろう】

遊郭での下級の女郎。表に長押(なげし)を付け、内に

3尺小庭を設け、広さ9尺、奥行2間または6尺の局に

いたことからいう。橋女郎とも。

◇つるかめつるかめ

縁起を祝い、または縁起直しに言う言葉。

◇大籬【おおまがき】

吉原の遊郭で、格式の最も高い遊女屋。

総籬(そうまがき)とも。

師匠のブログ

先日の師匠を囲んでの会食のことが、師匠のブログに載っていました。
以下のような内容です。名前や( )内や下線など一部勝手に補足させていただいています。

落研のOBの面々と池袋のライオンで会食。
Oさん(朝大師匠)が紙芝居を注文してくれた。
孫が二人いて、取りっこをしてしかたないから、もう一部を買うとか。
ありがたい。
今までOB会は仙台にあったが、新しい会長、副会長が東京在住の者になったので、東京に移したとか。(東京でも落語会をやろうとか。)
落語界のために力を発揮してもらおう。

「落語界のために」・・・・。そんな・・・。

2009年11月27日 (金)

落研のちびっ子ファン

落研のホームページの掲示板に、以下のような投稿がありました。

◆茄子縫亭ぴーまんさんに会いたいのですが…
はじめまして。
10月に榴ヶ岡公園内にある歴史民族館で茄子縫亭ぴーまんさんの平林の落語を見てから、息子が茄子縫亭ぴーまんさんのファンになったと同時に落語に興味を持ち始めました。大学祭に21日と23日に行きましたが茄子縫亭ぴーまんさんに会う事は出来ませんでした。(たしか21日の黒板には23日に出席だと思ったのですが…)次に茄子縫亭ぴーまんさんに会えるのは、いつ、どこででしょうか?           
                    
(ゆーごの母)さんという方から

嬉しいですねぇ。将来の落語ファンづくりに貢献していますねぇ・・。頼もしい限りです。
長くご贔屓いただくためには、「茄子がママ・パパがピーマン」では駄目ですからね。
頑張らなくては・・・。

落語を観るならこのDVD

32332701 演芸評論家の滝口雅仁さん著「落語を観るならこのDVD」。

こんな紹介文がありました。
古今亭志ん生、桂文楽、桂枝雀、柳家小三治、三遊亭圓楽、立川志の輔……。
今は寄席で観ることができない名人芸、旬の落語家の名演DVDの演目の背景から「観」どころまでを1本ごとにじっくり解説。
寄席に行く前に予習したい駆け出しファンやなかなか生で観る機会がない人へのガイドとしてはもちろん、DVDごとに解説しているので、ベテランファンが手元に置きたい1本を検討するのにも役立つ一冊です。

かなりの数の落語DVDが出回っていますから、良いチャートになるでしょう。
定価は税込1,680円です。

新春国立名人会

Img_0001 次は年末でなく年始の話。

寄席定席の初席は、どこも大混雑するでしょうし、そもそも三が日は東京にいないので、いつも落語始めは4日・5日頃になります。

ところが、来年は、3日が日曜日ですから、カレンダーの巡り合わせが非常に悪くて。

今年の落語徘徊のスタートは、1月4日、池袋の東京芸術劇場中ホールで「林家正蔵柳家三三二人会」。そして、翌日5日の国立演芸場の初席「新春国立名人会」。
確か、国立演芸場は、圓窓師匠がご出演ということなので、午後休みを取って行った記憶があります。
師匠は、今回も5日の中トリでご出演のようですが、さすがに休めそうにありません。

落語CD昭和の名人≪24≫

Img_0002十代目桂文治師匠は、リアルタイムで聴いた人気の師匠ですし、落語っ子連のまど音さんが、師匠の追っかけだったそうなので、色々話を聞く機会がありますが、柳橋師匠は晩年にラジオで、金語楼師匠は、"ジェスチャーのキャプテン"という幼い頃の記憶しかありません。

◇ 粗忽の釘   春風亭柳橋

◇ きゃいのう  柳家金語楼

◇ 源平盛衰記  桂文治

柳橋師匠の、「お笑いを一席申し上げますでな・・」という、何ともいえないゆったり感は、頭にこびりついています。明治の香りが漂って来ます。
マクラで、外国で生活している日本人の家に、氷屋さんが冷蔵庫に入れる氷を持って来て、ドアを何度も叩くので、「ウルサイ!」と言ったら、氷屋さんが、「相いすまん(アイスマン)」・・・。
楽しそうに話しているんです。嬉しくなってしまいました。

金語楼師匠は、”有崎勉”のペンネームで書かれた、古今亭今輔師匠の「ラーメン屋」や「アドバルーン」等に泣き笑いしたものです。
「きゃいのう」という噺も珍しいですが、物凄いと思うのは、一言一言に観客が笑っているのです。名前と顔で笑わせるというのは、兵隊落語で一世を風靡した爆笑王の知名度なのでしょう。
アロハシャツを着たおじいちゃんというイメージではありませんでした。
そう言えば”ジェスチャー”の女性チームキャプテンだったターキーこと水の江滝子さんも、先日天寿を全うされました・・・。

このシリーズの前半は、志ん朝・志ん生・小さん・円生・正蔵・馬生師匠など、人気の高い師匠たちが登場し、それはそれなりに楽しみましたが、最近の柳枝・助六・今輔・小南師匠と今回の3人の師匠は、他の落語CDにない、とても良い企画だと思います。

2009年11月26日 (木)

邦人拉致事件

中近東で邦人が拉致され、8日ぶりに無事解放されました。
拉致された方は、一時帰国して静養した後、再び彼の地に向かい、現地で学校建設にあたるご意向だとか。
様々な権益に群がる輩ばかりではなく、多くは、こういう善意の方々なのだと思います。

それにしても、解放されたMさんという方は、普通の初老の紳士でした。
そうか、「イケメン邦人・拉致事件」ではなく、「イエメン・邦人拉致事件」だったんだ・・。

談志最後の"三部作"

Goto3_1_200 先日購入した「談志最後の落語論」という新刊。
これは、談志師匠の書き下ろし三部作の第一弾なんだそうです。

① 談志最後の落語論   発売中

② 談志最後の根多帳   来春発売予定

③ 談志最後の狂気     来秋以降発売予定

Img_0003 ・・・・題名だけでは分かりませんが、第一弾で十分な気もします。

最近の新刊本は、字が大きくて行が広く、質・量ともに物足りないものが多い気がします。

噺家さんも多く本を出していますが、昔なら本に出来ないぐらいのボリュームと内容しかない本ばかりです。

正直なところ、第一弾も随分字が大きいです。
談志師匠も年を取って、小さな字が読みづらくなったなんてことはないでしょうが、「現代落語論」は新書版でしたが、かなりボリュームがあり、読み応えもありました。
この三部作、昔なら1冊になるぐらいでは・・・、と思ってしまいます。

ところで、紀伊國屋書店では、この本の購入者を対象に「購入者限定立川流落語会」を開催するようで。
本に挟んである応募はがきで応募し、当選者にチケット購入用はがきが返信され、4,500円で買ってもらうという・・・。

「あぁ、そうですか。お盛んですねぇ。」という感じです。私は。

新版落語手帖

Img 矢野誠一著「(新版)落語手帖」。
1988年に発刊、その後文庫本で出ていた同名の著書を新書に改訂したもの のようです。
今までもあるパターンの本ですが、著者と本のサイズは売りかもしれません。
収録されている噺274席という落語事典です。

・・ただし、例の「浜野矩随」は、索引に題名はあるものの、本文には採り上げられていません。

師匠が・・

この間、兄弟子の圓楽師匠のお別れの会に参列した後、圓窓師匠がしみじみと仰っていました。

M541 献花をした時、バックに圓楽さんの高座のテープが流れていた。
圓楽さんの噺を聴いて、「あれぇ圓楽さんの声はこんなにいい声だったんだ。」と思った。
一見野太い感じがするが、とても優しい声なんだだと初めて知った。
圓楽さんも、"あれ(分裂騒動)"さえなければ、こんなに神経をすり減らし、満身創痍になることもなかったはずだ。
"あれ"がなければ、圓楽さんは文字通り「名人」と呼ばれるようになったと思う。


厳しい圓生師匠のもとで、お互いに切磋琢磨されたであろうお二人だからこそ、その後袂を分かつことにはなりましたが、我々のような門外漢が知る由もない、何か感じるものがあるのだと思います。

師匠のブログに、ご逝去直後にご自宅へ弔問して亡骸を拝んだ時に、あの大きな体格の圓楽師匠が、信じられないくらい小さくなって横たわっていた、とありました

2009年11月25日 (水)

円朝の女

32339826 落語そのものの本ではありませんが、名人三遊亭円朝が登場する小説。
「吉原手引草」で直木賞を受賞した松井今朝子という人の作品です。(文藝春秋・1429円+税。 )
確か、頓平師匠が、「吉原・・」を絶賛しておられた気がします。

江戸から明治へ。時代の節目に、男が変わる、女が変わる…。
「牡丹燈籠」や「真景累ヶ淵」などの怪談噺をはじめ、「文七元結」「塩原多助」など数々の創作落語を残し、近代落語の祖と言われる落語界のスーパースター、三遊亭円朝。
江戸から明治へ、幕府の崩壊によりすべての価値観が揺らいだ歴史の転換期に生きた大名人と、彼を愛した五人の女たちの物語。
・・・という紹介文がありました。

買おうかどうしようか・・・。
最近、どうも本を読むペース・数が少なくなっている気がしていますので、ちょいとこんなジャンルを読んでみても罰は当たらないだろうということで、手にしてみ
ました。

事業仕分け

250pxgakushikaikan_1 旧帝大の7学長と、早稲田大と慶応大の学長が、東京都内(学士会館)で記者会見し、事業仕分けを批判する共同声明を発表したそうです。

この中で、仕分け結果に基づく予算削減について「科学技術立国の基礎の崩壊、学術文化の喪失に至る」と指摘。科学技術で世界一を目指すことに疑問符をつけられた点に関しても、「世界の知の頂点を目指すことを抛擲(ほうてき)する(放り出す)ならば、日本の発展はありえない」と強調し、政府に再考を強く促したそうです。

220pxnational_engei_hall_of_japan 政権が変わり、良くも悪くもいろいろに変化して行くのでしょう。

事業仕分けの様子を見ていて、もし30年前にこれが行われていたら、「国立演芸場」などは、「廃止」にされていたかもしれませんね。

くわばら、くわばら・・・・。

浜野矩随のテープ

師匠から、「この間の仙台での"浜野矩随"の録音を聴かせてよ。」と言われました。

200911232033000 師匠の言葉を真に受けて、「はい、これ先日の"浜野矩随"です。」という訳にもいかないような、そんなに興奮・緊張することもないような・・・。

と思いつつ、駄馬師匠から送っていただいたカセットテープの音源をMDにダビングしました。
今度の稽古日に、とりあえず持って行って、話の状況で「持ってきました。」と言うことにしました。

200911232034000 ちょうど35分。噺としては、もう少し削ぐ部分を削いで、ゆっくり・じっくりする部分のメリハリをつけ、登場人物一人ひとりの特長を出せば、もう少しマシになるかもしれません。
不思議なもので、最初聴いた時には、とても聴ける代物ではないと思い、愕然としましたが、繰り返し聴いてみると、いくらか聴ける部分があるかな、という感じになって来ました。
いかに自分に甘いかという証左かもしれません。
ダビングしたMDのプラスチックケースに、写真を切り抜いて入れる所なんぞは、いやな奴ですねぇ・・。全く。

東西名人揃いぶみ

275 1979年3月に開場した国立演芸場の30周年を記念し、これまで商品化されたことのなかった、国立演芸場での第1回特別企画公演『東西名人揃いぶみ』の模様を初のCD化。

1979年3月、東京都千代田区隼町に落語・講談を中心とする国立演芸場が開場。
同年3月23日~29日にかけて、国立演芸場・第1回特別企画公演として国立劇場演芸場開場記念『日本の寄席芸 東西名人揃いぶみ』が開かれました。
Img_0002まさに“東西名人揃いぶみ”といえる豪華出演者が揃ったこの歴史的かつ貴重な記録をCD 10枚に再編集。
すでに故人となった名人たちや、現在も活躍するベテランたちの若き日の姿がそこにあります。
7日間の公演のタイムカプセルであり、新しい演芸場の開幕にあたって期待や祝福の気持ちが感じられる、いずれも熱のこもった名演の記録です。

1979年3月といえば、私の落研卒業と時を同じくします。
ということは、当時当たり前のように聴いていた噺家さんや色物さんが、勢揃いしている訳ですね。
同じ時を横一線にしたCDボックスなど、あまりないと思いますし、青春のリアルタイムの音源ですから、是非ボーナスで買おうと思います。
確か、わが社もいくらか賞与が支給されるはずですから・・・。

ちなみに、我が圓窓師匠も「武助馬」で、このシリーズに入っています、
三球・照代、桂子・好江、千代若・千代菊、てんや・わんや、いとし・こいし、Wけんじ・・・・。
落語以上に聴いてみたい漫才も入っているのです。

2009年11月24日 (火)

圓窓人情噺を聴く

落語っ子連のまど深さんから、師匠の落語会の詳細の案内がありました。

90l8fee98b82f095b782ad89ef5  ≪圓窓人情噺を聴く・No1≫

 日 時   12月19日(土)午後6時~


 場 所   千一亭


 会 費   2000円


千一亭が会場ですから、こじんまりとした落語会
になることでしょう。

真打昇進が決まっている窓輝さんが「権兵衛狸」、師匠が「たらちね」と「芝浜」。
おまけで、落語歌謡「芝浜の唄」。師匠の作詞、落語っ子連の窓蕗さんが作曲だそうで。

朝日名人会

Top_img01 プラチナチケット化している「朝日名人会」の年間(半年)予約席の案内が来ました。

Top_img01a 駄目でもともと、今回もエントリーしようと思います。

170席しかないそうです・・・。
後の席はどうなっているのでしょうか・・・?

どうせ駄目でしょうが・・・。ね。
でも、宝くじも買わなけりゃ当たりませんから。

圓生師匠のベスト10

Ensho またまた例の「落語界」(昭和55年刊)の中に、「読者が選ぶ圓生ベスト10」
という読者アンケートの結果も載っていました。

   ①子別れ    ②死神     ③一人酒盛
   ④百年目    ⑤三十石    ⑥文七元結
    ⑦ねずみ穴    ⑧百川        ⑨包丁  
       ⑩鰍沢    ・・・・というランキングです。

約1100人からの回答で、子別れを挙げた読者は、約半数だったそうです。
また、挙げられた演目数は151もあったそうですから、物凄い数ですね。

20091122k0000m040029000p_size5 因みに、ベスト11以降もご紹介しますと、
    ⑪双蝶々   ⑫梅若禮三郎     ⑬寝床  ⑭豊竹屋
  ⑮江戸の夢  ⑯掛け取り万歳  ⑰火事息子  ⑱品川心中
  ⑲妾馬      ⑳御神酒徳利  ・・・・と続きます。

我が落研創部20周年(昭和53年)の時の「三遊亭圓生独演会」では、「文七元結」と「妾馬」を演っていただきました。

私は・・・、百年目・文七元結・妾馬・火事息子・ちきり伊勢屋・髪結新三あたりかなぁ・・。
でも、双蝶々・乳房榎・真景累ヶ淵なんていう長講などは、独壇場でしょうねぇ・・・。

2009年11月23日 (月)

国立名人会

Img 知人の「Tさん」から、「23日の国立名人会のチケットが手に入ったのでとう?」というありがたいお誘い。
勿論、お断りしようはずがありません。

新宿に出て、紀伊國屋寄席のチケットを買ってから三宅坂に向かい、国立劇場チケットセンターで、「圓楽一門落語会」のチケットを発券してから演芸場へ。
この平和な佇まいがいいですね。

「Tさん」とは、2階のモギリの入口で待ち合わせ。チケット待ちです。

200911231247000◆ 金明竹          柳亭市也

◆  佐々木政談      五明楼玉の輔

◆ 禁酒番屋         春風亭柳橋

◆ 富久                三笑亭可楽

◆  転宅                柳亭市馬

◆  明るい選挙   林家木久扇

市也さんも大分噺家に慣れて来ましたよ。金明竹は3度目ぐらいでしょうか?上手くなって欲しいものです。お客さんに好かれるキャラクターだと思います。

玉の輔さんのマクラは相変わらず同じですが、今日は受けていましたね。
若手から中堅の域に入ろうとしている時、もっともっと活躍して欲しい噺家さんです。もう「寝ぐせですベンツ」はいいでしょう。

柳橋さんは、やっと名前と顔が合って来たあたりでしょうか。私と同年輩ですから、頑張ってほしいものです。
しっかりした噺家さんですが、やや地味なところがありますから、「柳橋!」というオーラが出るようになるといいですね。

久しぶりに可楽師匠のお元気な姿を拝見しました。
今日の番組は、前半が重たい噺が多いので、やや疲れ気味でしたが、軽妙な雰囲気は、客席の高齢者の方々には、大変良い刺激になったことと思います。

市馬さんはさすがです。
「転宅」はCDでも出しているぐらいですから、得意な噺なのでしょうが、いいですね。
明るいし、面白いし・・。落語界の欠くべからざる存在になりつつありますね。

名人会で木久扇師匠がトリというのは・・、という素朴な疑問もなんのその、それを意識しなければ、会場を笑いの渦にして、お客さんは満足したと思います。
・・だから、噺を聴かなくても存在感のある師匠がいてもいいんですよ。「鮑のし」なんて中途半端に聴くよりもずっと面白い。
改めて、木久扇師匠の存在を認めざるをえませんでした。      

紀伊國屋寄席

Img_0005 もう年末の話題になりますが、今年の最後の落語は何にしようか・・・。
と言いつつ、実は心に決めています。「紀伊國屋寄席」です。

2007年は「柳田格之進」、2008年は「文七元結」で納めましたが、今年は「妾馬」です。
勿論、演者(トリ)は、「柳家さん喬」師匠です。

200911231151000「柳田・・」も「文七・・」も、それぞれ年の愁眉を飾る(こんな言葉ありましたか?)に相応しい長講・そして至芸でした。そして今年もその日がやって来ます。

今日、紀伊國屋書店の「キノチケットカウンター」へ行って、チケットを確保して来ました。
200911231140000少し後ろの席ですが、通路に面したところにしました。
3000円也。

あぁ、今年も終わるのですねぇ・・・。

七代目圓生への道

以下のような報道がされています。

Gnf0911020502000n1 肺がんで亡くなった落語家・三遊亭円楽さん(享年76)のお別れの会が21日、都内で開かれ、円楽さんの一番弟子、三遊亭鳳楽(62)は、円楽さんの意向だったという「七代目三遊亭円生」襲名について「11年9月が(六代目円生の)三十三回忌なので、法事を兼ねてそのころにやれればいい」と語り、大名跡を継ぐ決意を表明した。来年早々にも六代目の遺族と会い、襲名に向けた話し合いを進めるという。鳳楽は「円生は誰かが継がないといけない。六代目と違う円生ができてもいいのではないか」などと話した。

六代目の孫が襲名に賛成しているという。

特別の進展があったとは思えませんが、六代目の三十三回忌という、具体的な時期が明示されたのが、一歩前進ということでしょうか・・・。

仮に、その時に七代目襲名が出来たとして、鳳楽師匠は64歳ぐらいですね。

圓楽一門落語会へ行こう・・

Img 今年は行くのはやめようと思いました。その後に圓楽師匠のご逝去。やはりチケットを買わなくてよかったかなと思ったのですが・・・。

28日のチケットがまだ席があったので、行くことにしました。
27日からの国立演芸場「圓楽一門落語会」では、圓楽師匠のビデオを流し、弟子たちが師匠の十八番を披露し、しのぶ意向とのことです。

この一門のこれからのことを思ってみたいと考えました。
「三遊亭」の本流の行く方を、しっかり見ておきたいと思うのです。

何でも、今後は「五代目円楽一門会」(鳳楽会長)として活動するそうです。
そうですよね。今までのように「圓楽一門会」だと、六代目を継ぐ楽太郎さんが会長のような感じになってしまいますから。

個人的には、団体の名前を変えるか、別の団体と合流するなど、圓楽色・孤立色を消した方が良いと思います。

鳳楽師匠の「七代目」襲名も、やはり寄席に出られるような状態でお祝いしたいものです。

古本「落語界」②

Img_0005 もう一つは、昭和58年11月刊「11月晩秋号~創刊10周年記念号」。
当時の数少ない落語専門誌の10周年記念号です。

この号の内容での興味は、立川談志師匠の落語協会脱退の動静と、「東西落語界・激動の10年」という特集です。
談志師匠のこともさることながら、昭和49年から58年の10年といえば、私の学生(落研)現役時代が丸ごと入った10年ですから、初めて落語に出会った頃の出来事が分かります。
ここでも、三遊協会設立(落語協会分裂騒動)、談志師匠の落語協会脱退(立川流旗揚げ)は、大きな出来事ですね。
それから、真打試験制度の導入と昭和の長老や名人たちの死のニュースも。
今輔(51年)・文治(53年)・柳橋と圓生(54年)・三平と小円遊(55年)・彦六と馬生(57年)といった大師匠ばかり。

2009年11月22日 (日)

「ラジオ寄席」スペシャル

Yose_mainimg_2 秋田の酒「美酒爛漫」提供、TBS「らんまんラジオ寄席」。今夜はそのスペシャル番組。

  ◇ 芋俵       三遊亭遊喜

  ◇ 蛙茶番      桂小文治

  ◇ トンビの夫婦  春風亭百栄

  ◇ 死神       五街道雲助

それにしても、この番組も長寿番組で、プロ野球中継のないオフシーズンに放送されています。
私の学生時代から放送していたし、公開録音に行ったこともあります。
あの頃から「美酒爛漫」の提供でした。

三遊亭鳳楽独演会

Rakugodl00163s 既に旧聞に属する話になりますが、先週の水曜日は、国立演芸場で「三遊亭鳳楽独演会」がありました。
チケットを買っておいたのですが、直前で都合が悪くなり、先々週の東京落語会でご一緒した頓平師匠にお譲りすることにしました。

「のめる」「梅若禮三郎」は聴きたかったです。

頓平師匠のコメントは以下のような内容でした。

「のめる」のまくらでは師匠の圓楽、志ん朝、談志、柳朝等の思い出を語り、三人は癌などの病気で惜しまれながら鬼籍に入ってしまったが、残る談志は病気でなく他殺で逝くだろうと笑わせていた。
「梅若禮三郎」は(速記本でも見たことがない)初めて聴く噺で、80分ほどみっちり語った。
「梅若禮三郎」の噺(ストーリー)自身はさほど良いものとは思えないが、じっくり聞かせてもらった。
鳳楽の噺は暫く前の東京落語会での「蒟蒻問答」を聴いたが、実に上手い。
圓楽師匠が亡くなり、文字通り「三遊亭」のリーダーになり、また「七代目」襲名も具体化して来ることでしょう。

三遊亭窓輝さんの落語会

0127souki02 来春真打に昇進する、圓窓師匠のご子息の「三遊亭窓輝」さんの真打昇進記念落語会が開催されます。

圓窓師匠によれば、ご本人の意向で、派手な昇進披露パーティは行わず、独演会でご贔屓にご挨拶をするとのことです。
また、名前は、前座時代から名乗っている現名そのままで行くそうです。

    ≪三遊亭窓輝真打昇進記念落語会≫

 (日 時)  平成22年1月7日(木) 午後6時45分~
 (場 所)  あうるすぽっと
        ~豊島区東池袋4-5-6(地下鉄有楽町線東池袋駅)
 (木 戸)  全席指定 前売 3,000円
               当日  3,500円

噺家さんの出身地

2909934 「東京かわら版」の寄席演芸年鑑から、落語協会所属の真打の出身地を調べました。
2006年版ですから、リアルタイムではありませんが、話のタネということで・・。

   東京都    73
   神奈川県   13
   千葉県     9
   埼玉県     9
   新潟県     6
   静岡県     5
   長野県     5
   広島県     5
   北海道     4
   群馬県     4
   福岡県     4
   鹿児島県    4
   宮城県     2
   山梨県     2
   茨城県     2
   岐阜県     2
   大阪府     2
   長崎県     2
   以下13県   1
    愛知県・秋田県・佐賀県・宮崎県・愛媛県・山形県
    山口県・福井県・富山県・大分県・青森県・石川県
    兵庫県
  ※落語協会の真打のいない16府県
    岩手県・福島県・栃木県・滋賀県・京都府・三重県
    和歌山県・奈良県・鳥取県・岡山県・島根県・
    徳島県・高知県・香川県・熊本県・沖縄県

最近は、地方出身の噺家が多いとはいえ、やはり東京都とその周辺の出身が多いですね。

私の出身山梨県の二人は・・・、林家正雀師匠と、もう一人は誰だったっけ?

OB会長からのお礼状

Img_0001 初代多趣味亭こり生OB会会長から、50周年イベントの報告とお礼状が届きました。

Img_0012 当日の落語会には、OBに加えて、約160名の市民の方々にご来場いただき、席を増やしても立ち見となってしまうなど、本当に大盛況でした。

あれから、もう2週間経とうとしていますが、まだ「燃え尽き」症状が続いています。

2009年11月21日 (土)

大学祭の様子

200910101212000 駄馬師匠が、大学祭に行って、「川内寄席」の陣中見舞いをしてくださったようです。

本日ボジョレヌーボを携えて大学祭川内寄席に行ってきました。
OB会の余波か珍しく立ち席が
出るほどの入りでした。
三日間、午前と午後各3~4席行います。
私の頃は芝生でマージャンをして手の空いた人が楽屋帳に書き込んで高座にあがりました。

確かに、一日中代わる替わる、講義室に拵えた高座に上り、通りすがりに覗いて行く人たちのご機嫌を伺っていました。
かなりいい加減な部分もありましたが、高座の回数を経験できるという面では、なくてはならないイベントだったと思います。

東大落語会は、毎年学内でOBが一日中高座に上がるそうです。

圓窓師匠を囲んで

北大落研OBの落語会が終わった後、頓平師匠と池袋へ。

タイ在住で、一時帰国されている落研二代目部長の愛誌亭朝大師匠が、久しぶりに旧知の圓窓師匠と食事をされるのに同席させていただけるということで。
こちらは朝大師匠と頓平師匠・寝坊師匠と私の四人。

師匠は、先月お亡くなりになった三遊亭圓楽師匠の「お別れの会」があったため、5時半頃にご到着。

Photo朝大師匠と師匠は、落研草創期に度々仙台に来ていただいた頃からのお付き合いだそうで、「パンツが結ぶ友情」は、朝大師匠の結婚式では師匠が、朝大師匠のお嬢さんの結婚式には師匠の息子さんの窓輝さんが司会をやってくださったとか・・・。

思い出話や落研OB会のことなど、楽しい話題で時間が経つのを忘れました。

師匠から、「この間の"浜野矩随"の録音があったら聴かせてよ」と言われました。
「えっ?あるにはありますが・・・。」ということで、今度の稽古会の時に、先日駄馬師匠が送ってくださったテープをMDにダビングして持って行くことにしました・・・。
ダメだしされるところばかりで、「あたしの言ったことが出来ていない」なんて言われてしまいそうです。トホホ・・。

師匠とは、最低毎月1回はお会いできるのですが、こういうシチュエーションで話すことは少ないので、本当に楽しいひとときでした。
これも、故駄楽師匠や朝大師匠たちからいただいたご縁で、有り難く思います。

苦楽亭迷人会

Img_0002 北海道大学落研OBの「苦楽亭迷人会」。
200911211311000 いつもの「お江戸両国亭」。

両国亭に着くと、まだ客席には誰もいませんでした。
聞けば、「東京かわら版」では13時開演でしたが、30分遅くなったとのこと。
以前から面識のある中原さんに、わが落研の「仙都に笑いを・50周年記念号」、二代目部長の朝大師匠著「落研50周年に寄せて」、先日のOB落語会のチラシとプログラムを贈呈し、我々の活動の報告をしました。

200911211313000時間があったので、近くの本所松坂吉良邸跡に行ったりしていると、頓平師匠にぱったり。
頓平師匠も、時間つぶしに吉良邸を見に来たそうで、考えることは同じようです。

北大の落研OB会は、毎年7月に札幌、11月に東京でOB落語会「苦楽亭迷人会」を開催しているそうです。
東京での落語会も16回目を迎え、今日の両国亭は、満席に近い盛況でした。
200911211346000 ただし、演じ手は高齢化・固定化傾向にあるようで、今日の落語会でも、初めて聴く人は二人だけでした。

◇ 狸賽    いろは亭軽太
   関西弁での狸賽は初めて聴きました。
   いかにも落語好きなサラリーマンという感じで、一生懸命さが出ていました。

200911211416000 ◇ くしゃみ講釈  赤坂亭見附
   講釈台を使っての長講。2年前は、確か「ガマの油」を途中でやめてしまった人です。
   落語だけでも大変なのに、講釈の場面で張り扇を使うのは難しいと思います。
すみません。爆睡してしまいました。

200911211447000◇ 佐野山    山笑亭小粒
   北大落研OBのボスのような方です。
   北海道から駆け付けての高座は、衣装の派手さも含めて、手慣れたものです。
   わが落研の芸風とは違います。

200911211457000_2 ◇ お見立て   北国亭裸狂
   北大の落研は、北国亭○狂という名前が多いそうです。
   北国亭雀狂・北国亭酔狂など・・。なるほど、我々の「杜の家」みたいなものですね。
   お見立ては難しい噺です。

200911211531000 ◇ 湯屋番   寂々亭落葉
   16年ぶりの高座ということで、ややプランクを感じた部分もありました。
   私の持ちネタのひとつでもあり、興味深く聴かせていただきました。
白足袋でなく、黒足袋での熱演でした。噺とは関係ありませんが・・・。

200911211546000 ◇ 厩火事   寝床家恋志
  ある意味で、一番落ち着いて聴かせていたただきました。
  トリというのは、気分が良い半面、プレッシャーも大きいのですが、落語会全体を締めることが出来た感じです。

200911211417000 今日の落語会で大変新鮮だったのは、高座めくりのお嬢さんでした。
何でも、今日の演者の会社の方なのだそうで、恐る恐るめくる仕草が初々しいものでした。

改めて、「OB落語会 in 東京」への闘志を新たにすることが出来ました。 
   

本所松坂吉良邸公園

Img_0003 200911211250000北大落研OB「苦楽亭迷人会」の開演を待つ間、近くの吉良邸跡へ・・。

都の指定旧跡、本所松坂町公園という名前で、かつての吉良上野之介の屋敷の86分の1の広さなのだとか。

なまこ壁に囲まれていて、中に入ると、首洗い井戸があり、「松坂稲荷」というお稲荷さんがあります。

何人か、散歩に来ている人も見られます。

200911211252000 赤穂義士討ち入りが12月14日。
歌舞伎座でも、「忠臣蔵」を通しでやっているようですし、また季節になりました。

いつまでたっても、吉良上野之介は、日本人の多くにとっては、憎っくき敵なのでしょう。

200911211306000 近くにある大相撲の「時津風部屋」を横目に、両国亭に向かいました。

別名「双葉山相撲道場」。
この由緒正しき道場が、あの忌まわしい暴行事件の舞台になってしまったんですね・・・。

謝罪とお詫び(落語協会)

落語協会のホームページに、今回の噺家さんの不祥事に関するコメントが掲載されていました。

謝罪とお詫び

幣協会会員の春風亭正朝が去る9月11日都迷惑防止条例違反で現行犯逮捕されました。世間をお騒がせ致しましたこと深くお詫び申し上げます。
落語協会理事会としては正朝に対して厳正なる処分を下すことに致しました。
今後二度とこのようなことを起こさないよう肝に銘じ、寄席・演芸の普及に全力を挙げる所存でございます。重ねてお詫び申し上げますとともに今後とも何卒よろしくお願い致します。

平成21年11月20日
社団法人落語協会

大学祭

後輩たちが大学祭で「川内寄席」を開催します。

Img ◆川内寄席◆

  開演日  11月21日(土)~23日(月)

  場 所   川内キャンパス C棟-202

  木戸銭  無料

今年はまだ行って来たばかりですが、来年は着物を持って演って来ようかとも思います。

2009年11月20日 (金)

古本「落語界」①

Img_0004 手元に雑誌「落語界」が何冊かあります。

その中で、昭和55年2月刊の「2月新春号~三遊亭圓生追悼特大号」。

前年の9月に急逝した圓生師匠を特集したもので、圓生師匠の死をめぐり、当時の様々な事や人がリアルタイムで書かれています。
内容や初めて知った事実についてなど、追い追い話題にして行こうと思います。
圓楽師匠と袂を分かち、圓窓師匠たちが落語協会に戻るに当たり、圓窓師匠の香盤が1枚落とされたことなどまで・・。
最近また圓生師匠のことが気になり始めたこともあり、急逝直後のことは貴重な"情報"と"知恵"になりますよ。

談志最後の落語論

Goto3_1_200

体調不良のため、年内の芸能活動を自粛している立川談志師匠の近著。
「談志最後の落語論」(梧桐書院)。
税込価格1,890円。

20代で著した『現代落語論』、そして40代の『あなたも落語家になれる』に続く、家元73歳の落語論。
完全書下ろしの「談志 最後の三部作」第一弾。


思わず買ってしまいました。

「現代落語論」は、談志師匠が弱冠30歳の頃の名著です。
「あなたも落語家になれる」で、「落語は人間の業の肯定である」という名言。

・・・そして、今度の著作は・・・・・?

浜野矩随のテープ

Img_0004 駄馬師匠が、写真とともに録音テープを同封してくださいました。
恐る恐る、当日の"出来"を聴くことにしました。

が・・・・・、ある程度予想していたことですが、全然ダメでした・・・。トホホ・・・。

時間を気にしたこともあってか、かなり早口で゛「間」もなく、メリハリもない・・・。こんな"代物"を、お客さまは30分以上聴いてくださっていたのですね・・・・。

これが今の実力ですね・・・。

信頼回復?

 女性盗撮で逮捕されたSS師匠の公式ホームページが再開されているようです。
野次馬之助になった私は、初めて覗いてみましたが、なかなか立派な構成です。
トッブにお詫び文が掲載されています。

 逮捕されたものの起訴猶予になり釈放されたようですから、法的な手続きは終わっているようですから、再起を期するということでしょう。

  お詫び文、犯した行為と、その事実を隠していたことについて、ひたすら謝っていましたが、どちらかというと、軽妙で爽やか系の芸風ですから、イメージ回復には、暫くは必死の努力が必要ですね。

  蔑視になったりしてはいけませんが、例の"ミラーマン"の元大学教授みたいになりませんように。温かく見守ってくれている多くのファンのためにも。

2009年11月19日 (木)

お馴染みさん?

毎朝、オフィスに入る前に、近くのカフェでアメリカンコーヒーを飲むのが日課になっています。
似たような店はいくつかありますが、行くところは何となく決まって来るものです。
一番頻度の高いのが「V」という店です。
(o^-^o) 応対してくれるのは、毎日同じメンバーではありませんが、「Fさん」というお嬢さん(だと思う)が、いつもニコニコしていてなかなか感じが良いのです。

「ミルクだけでしたね。」
・・通うこと半年。砂糖を使わずミルクだけをリクエストする私を覚えてくれたようです。
やっとお馴染みの客として認知されたのでしょうか。
コーヒーの味は、安かろう・○○かろうですが、気分はいいものですね。

そう言えば、数年前、西武池袋線入間市駅前のラーメン屋さんで、味噌ラーメンを注文すると、味付け玉子をおまけしてもらえるようになるまでも、半年かかりましたっけ。

特選落語名演集三遊亭圓楽

Img_0001NHKの音源による、三遊亭圓楽師匠のCD8枚のシリーズ。

紺屋高尾、厩火事、薮入り、芝浜、中村仲蔵、そして浜野矩随・・・と、約20席のものです。

圓楽師匠(の芸)に対する評価はいろいろあるようです。

落語を広めたという功績は認められるでしょうが、私にとっては、素人落語で落語を演る者として、また落研が大変お世話になったという点から、大変存在感のある師匠でしたが、芸が名人・上手として評価され、長く後世に残る噺家さんだとは言われない気がします。

志の輔らくごin PARCO予告

Img_0002 新年の恒例になった「志の輔らくごin PARCO」の前売りの案内DMが、志の輔さんの事務所「ほたるいか」から。
Img_0003
いつも凝ったデザインのポスターで、来春は6,000円です。
これは、きっと「落語会」ではたい気がします。
確かに演じているのは志の輔さん一人ですが、そうじゃない。

後ろに、見えないところに、人が大勢いる・・・。

Img_0001 チケットは、瞬間風速で完売になってしまうのでしょうね。

「志の輔卒業」を宣言していますから、・・・高いし・・・・。

・・・どうしよう。

落語主人公非庶民論?

2a767c69 落語は、庶民の味方、庶民が主役(主人公)と言われることがあると思いますが、あえて言えば、私はその否定論者です。

なるほど落語の舞台は庶民の生活にあり、登場人物も庶民そのものですが、果たして主人公は、純粋の庶民でしょうか?

例えば、芝浜の魚屋勝五郎、文七元結の左官長兵衛、子別れの大工熊五郎、横丁のご隠居、長屋の大家さん、厩火事のおさきさん・・・・。

この人たちは、確かに純粋の庶民の中にいますが、実は稀代の「スペシャリスト」です。
Maiku 前の三人は、酒や博打や女に溺れてはいても、腕は超一流の職人なのです。
腕が超一流だからこそ、金も借りられるし、ちょっと本気で頑張れば借金も返せる。
横丁のご隠居も若い頃には身を粉にして働き、今は悠々自適の身分。
やや小ぶりにはなりますが、大家さんやおさきさんも、プチスペシャリスト程度ではあるものの、普通の平凡な人よりも裕福だし、稼ぎも多い。
単にそこいらにいる人ではなく、平均的な人たちよりも、ずっと秀でている部分がある。

Column0502140101 一般に話や小説などは、ヒーローの存在が不可欠(ヒーローを待望)ですが、話芸のひとつの落語においても、当然こういう浮世離れした(普通の人とは違う)人の存在を求め、彼らが活躍してこそ成立するものなのだと思うのです。

ただの飲んだくれの魚屋なら、ただの博打狂いの左官なら、ただの女たらしの大工なら、痛快なドラマが生まれるはずもなく、やはり道楽で身を持ち崩しましたとさ(やはり駄目でしたね)、というだけで終わるはずです。

・・・ということで、平凡の中にも夢(ヒーロー)を求めた落語の中の主人公は
ただの庶民じゃぁないのです。「スペシャリスト庶民」なのです。

2009年11月18日 (水)

産経新聞記事

≪盗撮容疑で落語家逮捕≫という産経新聞記事です。

女性を盗撮したとして、新宿署が都迷惑防止条例違反の現行犯で、落語家の春風亭正朝さん(56)=本名・藤原義和=を逮捕していたことが17日、捜査関係者への取材で分かった。
 捜査関係者によると、正朝さんは9月11日、新宿区のJR新宿駅近くのエスカレーターで女性を盗撮したとして、現行犯逮捕された。東京地検に送検後、起訴猶予となった。すでに釈放されているという。
 公式ホームページによると、正朝さんは昭和50年に5代目春風亭柳朝に入門し、60年に真打ち昇進。テレビやラジオなどでも活躍している。

本日発売の「週刊新潮」の記事は本当だったようです。

スキャンダル?

 真打の「SS」師匠が、女性盗撮で逮捕され、芸能活動を自粛しているそうです。

SS師匠と言えば、中堅どころの噺家さんで、最近は落語に関する本も何冊か出版していますし、様々な落語会などへの露出も多くなっていた矢先でした。
この1・2ヶ月は、対外的には急病ということで、各寄席・落語会を休んでいたそうです。知りませんでした。

昔ならば、芸人さんのシャレぐらいのつもりだったのでしょうが、今は環境も意識も地位も変わっていますから・・・。

聞けば、今秋、お弟子さんが晴れて二つ目に昇進したのに、師匠がいないという状態のようで・・・。

あの馬風師匠(会長)も、厳しい態度で臨むそうです。
事実なら仕方ありませんね。残念ですが
。(週刊誌情報です。)

圓楽師匠のお別れの会

Owakarenokai 圓楽師匠の事務所「星企画」のホームページに、今週の土曜日に予定されている「三遊亭圓楽お別れの会」の内容がアップされていました。

日時   11月21日(土)午後4時30分~

場所   東京會館 9階 ローズルーム

会費   10,000円

落研を代表して、OB会長の蕪生師匠がご参列の予定です。

OB落語会の感想のブログ

志ん志師匠が、仙台在住の落語好きの方のブログを、落研OB会のホームページで紹介してくださいました。
友楽師匠や落研とも接点のある方のようです。
「落語見聞録」というブログから、先日のOB落語会の感想を、そのまま拝借させていただきます。
   http://blog.goo.ne.jp/yukiyakonko

東北大学落語研究部50周年記念ということだけあり、OBはもとより現役部員も裏方で大活躍!
開口一番は、先日の「芸人発見伝」にも出ていただいた ぽんぽこさん。蒼々たるOBを前にして緊張している様子。噺に入ると落ち着いてきたようで、アドリブまで入れて、客席をわかせました!
「横浜から来ました!」とOGの くるみさん。
子育て奮闘の経験が生きたのか、子供の様子が、ありありと・・・! 昔風なんだけど、今もいるよね~こんな子供。
中トリは乱志さん。
大トリでもいいくらいの熱演に客席が引き込まれ、静まり返りました。
骨董屋の主人には愛情を感じました。
あまり聞いたことない話でした。「おとし噺」。
仇の首の張りぼてをつくる職人の話。久しぶりの高座とのことでしたが、楽しい高座でした。
志ん志さん自体が「権助」に見えてきた『一分茶番』。
いちいち真面目な権助の可笑しさに客席が引き込まれました。
大トリは実行委員長の友楽さん。
日ごろから大変お世話になっている方なので、高座も何度か拝見していますが、今日の高座、友楽さんらしさが、もっとも出ていたように感じました。正直な屑屋さんが、個人的には好きでした。
熱演に終演後、ちょっとした握手会みたいになってました。

さすがに、皆さん、違いますねぇ。風格が・・・!
東北大のOBじゃないのに、
東北大関係者気分に浸ってしまいました

実は、自分勝手にやっているようなところもあるのですが、様々な方にご覧いただいているということですね。
ありがとうございます。

私は、今度OB会の会長になった蕪生師匠から、暗に(というか明に)「噺が長過ぎる(た)」と"喝ッ"を入れられ、大いに反省をしていたところで・・・ (ノд・。)

大学卒の噺家さん

220pxtohoku_university28katahira_no 去年の今頃、暇にまかせて、「東京かわら版」で、落語協会の大学卒の噺家さんを調べました。

≪出身大学別噺家リスト≫ 
(敬称略・△中退)
【明治大学】   △三遊亭圓丈  柳家三寿 △五街道雲助
【明治学院大】  柳家権太楼  春風亭正朝  △橘家仲蔵
【法政大学】   金原亭伯楽  柳亭金車  初音家左橋
【中央大学】   柳家小団治
【日本大学】   林家正雀 古今亭菊寿 柳家さん生 柳家喬太郎
          三遊亭白鳥  春風亭柳朝
【東洋大学】   林家時蔵  △三遊亭萬窓
【武蔵工大】   △柳家小ゑん
【立正大学】   △古今亭菊龍
【拓殖大学】   古今亭志ん弥
【早稲田大学】  夢月亭清麿 柳亭燕路 桃月庵白酒 林家久蔵
           柳家甚語楼 △古今亭菊太楼
【東海大学】   △林家錦平  柳家一九  三遊亭金時
【広島修道大】  古今亭菊丸  柳家福治
【國學院大学】  △三遊亭歌る多  柳家はん治  入船亭扇辰
【名古屋大学】  三遊亭円王
【札幌大学】   橘家富蔵  金原亭馬遊
【成蹊大学】   △いなせ家半七
【中京大学】   橘家蔵之助
【明海大学】   柳家喬之助
【愛媛大学】   古今亭菊志ん
【城西大学】   古今亭志ん丸
【玉川大学】   林家木久蔵
【亜細亜大学】  入船亭扇好
【武蔵野美大】  林家たい平
【桜美林大学】  △古今亭菊千代
【学習院大学】  柳家喜多八
【上智大学】   入船亭扇治
【中央大学】   林家いっ平

・・・残念ながら、わが母校出身の噺家さんはいません。

2009年11月17日 (火)

またまた「浜野矩随」の話題

先日のNHKテレビの「三遊亭圓楽さんをしのんで」で「浜野矩随」を視聴された方の感想を見つけました。

Cd_314tocf55131ps 番組後半で放送された人情話「浜野矩随」がもう本当に素晴らしく感動しきりでした。
 落語「浜野矩随」とは、家の前に道具屋が列をなしたと言う腰元彫りの名人を父に持つが、自身は誰からも相手にされなくなった矩随と、その母、そしてそんな彼らを先代に世話になったからと応援する若狭屋甚兵衛を描いた作品で、物をつくる仕事をしているぼくには、深く響くものがあり勇気づけられました。
 それにしても、三遊亭円楽師匠の話は本当に聴きやすく分かりやすいと感じました。
そのせいか師匠が話した言葉そのものが響くというより、その言葉で心の中の何かが引き出されそれがエフェクトされた言葉が響いたような気がしました。

母親が自害する必然性への疑問、その悲劇性をもって嫌う方がいる一方で、この噺を、それぞれの人生や仕事などと重ね合わせる人も多いようです。

現代では、母親の死に合理性が感じられないということになるのでしょうが、あの時代、家業を守る・継承するためには、あらゆる方法、場合によっては犠牲が求められた。
また、そのためには命さえも捧げられたということもあったのでしょう。

落語CD昭和の名人≪23≫

Img_0002このシリーズも22巻目。全26巻ということでしたから、大詰めになって来ました。

桂小南師匠・・・・。本当に優しい師匠でした。

Img_0013 昭和52年の秋、この写真の中に、小南師匠と私が写っているのです。
左上の帽子を被って笑っているのが小南師匠、右下で笑うメガネ顔が乱志です。

師匠しかお演りにならない「菜刀(ながたん)息子」に感動したのも、この日の落研主催の「古典落語観賞会」でした。
この「菜刀息子」について、本書でも触れていました。

謡曲「弱法師」をもとにした長い噺で、父親の頼みを間違えて菜刀(菜切り包丁)を誂えてしまった息子が、家を追い出される。サゲで、乞食になった息子が父親から施しを受けて「菜刀誂えまして難渋をいたしております」と言うが、これは「長々患いまして難渋をいたしております」の駄洒落な過ぎない。拙劣なサゲと見なされていた。ところが小南は、これを息子の父親への抵抗ととらえ、どんでん返しに仕立てた。

私は、これを読むまで、「長々患い」と「菜刀誂え」の地口だとは気がつきませんでした。
親の心を知らない息子の間抜けな台詞がオチそのものだと思っていました。(やっぱりこの息子は分かっていないんだという・・。)
また、本書の解説のような息子の抵抗だという解釈もうなづけます。

CDに収められている「いかけ屋」も懐かしいし、「蜆(しじみ)売り」なんて、最近、立川志の輔さんのを聴きましたが、舞台背景が違うので、まったく別の噺のようです。

名人・上手といえば、志ん生だ、文楽だ、小さんだ・・。
全く否定するものではありませんが、小南師匠のような、派手ではありませんが、しっかりした地位を築いていた師匠たちに、もっともっとスポットがあたるといいですね。

いちのすけえん

Img_0001 春風亭一之輔さんからDM。

先日の「馬津郷寄席」もそうでしたが、相変わらず、多忙な活動をしているようです。

やはり人気も実力もあるんですね。最近太って来た感じがします。

Img_0003 Img_0002 来月の独演会のチラシが入っていました。

12月16日(水)と12月31日(木)。
大晦日に行ってみようかな・・。

2009年11月16日 (月)

落語百選≪29≫

Img_0001_2 本当は1週間ぐらい前に配本されていたのですが、それどころではなく・・。

「東京落語史蹟めぐり」という特集に目が止まりました。

見たことのあるもの、知ってはいるが見たことはないもの、知らなかったものがあります。
三遊塚、柳塚、三笑亭可楽の墓あたりは、近々散歩がてら訪ねてみようと思いました。

ところで、「三笑亭夢楽」という師匠がいましたが、その襲名の顛末が「芸能かわら版」にありました。
やはり「朝寝坊むらく」から来ているんですねぇ。
当時、古今亭今夫と名乗っていた夢楽師匠が、今輔門から可楽門に移るにあたり、「朝寝坊むらく」を希望したそうです。
ところが、この「むらく」というのは、大変大きな名跡であることから、可楽師匠が、当時のドン柳亭左楽師匠に相談し、「三笑亭夢楽」に落ち着いたという・・・。

この「むらく」もそうですが、烏亭焉馬だとか、談洲楼燕枝だとか、江戸時代の名前が復活しても良いと思います。

また「浜野矩随」の話題

ある方のプログでの話題。
圓楽師匠ご逝去の翌日、ご自身がプロデュースする落語会のために福岡にいて、師匠の最期を看とることが出来なかった三遊亭楽太郎師匠は、「浜野矩随」をお演りになったそうです。

その方は、「浜野矩随」が後味が悪いので嫌いなのだそうですが、楽太郎師匠がこの演題を選んだ理由を、以下のように分析していました。

09783a1_1 そんな複雑な大ネタを、楽太郎はあえて選んだ。それはこの噺が師匠の十八番だったから、という理由だけではないだろう。「息子を名人にと願った矩随の母親の死」と「自分が父親として慕う大師匠の死」、そして「後に名人になる矩随」と「これからの落語界を背負っていかなければならない自分自身」を、それぞれ重ね合わせているように思えてならない。
 来年2月、「六代目三遊亭円楽」襲名予定。かつてのプリンス・楽太郎の悲壮な決意が感じ取れる。

いずれにしても、圓楽師匠が亡くなったことにより、図らずも、「浜野矩随」というあまりポピュラーではない、その悲劇性ゆえに嫌う人も多い噺にスポットが当たったことは確かです。

師匠の会

千駄ヶ谷の「千一亭」で、師匠が『圓窓人情噺を聴く』という落語会を開くそうです。

 ◆『圓窓人情噺を聴く』◆

020701_2 日時  平成21年12月19日(土)18時~

場所  千一亭(渋谷区千駄ヶ谷1-7-14)

P1000519会費  2000円

演題  [垂乳根][芝浜]
/ 落語歌謡「芝浜の唄・神様みたいに見える人」

師匠の「芝浜」は聴いたことがありませんから、大変楽しみです。

落語大看板列伝

486191566x 落語ファン倶楽部編「落語大看板列伝」。税込2200円

桂枝雀・桂文治・春風亭柳昇・金原亭馬生(先代)・柳家小さん(先代)の5人のことを、色々語っているようです。

組み合わせが面白かったので、買って読んでみることにしました。

2009年11月15日 (日)

馬津郷寄席

Img_0003友人の「Iさん」と、お馴染みになった春風亭一之輔さんの独演会「馬津郷(まつど)寄席」へ。

今回でもう第12回目。
数ある市民寄席の中でも、よく続いている方だと思います。

これは、ひとえに席亭の菊地さんの努力の賜物だと思います。

今日も約50席は満員です。

二人で、最前列の座椅子に腰をおろしました。

Img_0002_2◆ 一目上がり 春風亭朝呂久

◆ 目黒のさんま  春風亭一之輔

◆ 巷談       三遊亭きん歌

◆ 薮入り      春風亭一之輔

朝呂久さんは、この会に4回目ぐらいの出演だそうですが、いつも浴衣のような、安そうな縞模様の着物です。いくら前座さんとはいえ、何とかならないものかと思います。
何となく、清潔感が感じられません。
この清潔感というのは、噺家さんでは重要なポイントのひとつだと思います。

Img_0001_3 ゲストの三遊亭きん歌さんは、初めてかもしれません。
先日発表された、来秋の真打昇進の5人のうちの一人です。
こういう芸風だとしたら、まぁそんなところでしょう。

一之輔さんの「目黒のさんま」は、お殿様を雲州のお殿様と特定し、他の大名にさんまを食べさせ・・、というストーリーで、初めて聴くものでした。

「薮入り」では、マクラで「這えば立て 立てば歩めの 親心」というのを、「立てば這え・・・・」とやっていました。
私のかつての持ちネタのひとつなので、真剣に聴きました。
彼のテンポのなさは、特長なのでしょうが、今ひとつ「山」の感じられない運びでした。
もう、「薮入り」という仕組などは理解されづらいでしょうから、難しいですね。

終演後の抽選会で、本日の出演者のミニ色紙が当たりました。
友人の「Iさん」は、一之輔さんが載っている、今月の「東京かわら版」が当たりました。
ちょうど、我々落研のOB落語会も載せてもらっていたので、タイミングばっちりでした。

後輩からのメール

現役の後輩「世間亭節介」くんからメールが届きました。

288 OB落語会では、十分な貫禄とその熱演に、現役も皆圧倒されていたようでした。
私個人としても、浜野矩随でのくだりでは
ありませんが、「OBにくらべて現役はなっていない」などと言われぬ様、精進していかねばと改めて感じました。

この大学に落研があると知ってすぐ入部を固めましたが、それまで数多のOBがこの部を支えてこられたこと、そして50周年の記念すべき節目に川内部長としていられたことに感慨を禁じえません。
これから100年、150年とこの部が続いていける
ように、微力ながらも最善を尽くしたいと思います。

OB落語会、誠にお疲れ様でした。

自分の息子と同年輩の学生さんを、後輩・同輩として見られることも、また格別の喜びですね。
これが「伝統」という訳ですね。

創部100周年記念の準備を、そろそろ始めないと・・・・

「浜野矩随」デジアナ論

落研きっての論客である古狂師匠の、デジタル・アナログ論。

197 まず、志ん生師匠の「名工矩随」と圓楽師匠の「浜野矩随」を比べます。
乱志さんの出し物「浜野矩随」いい噺です。先日CDで約35年前の円楽師匠のを聞きました。若狭屋、矩随、母親の切れの良いテンポに改めて芸の深さに感心しました。
同時に志ん生の「名工矩随」と聞き比べしましたが、これは長屋、骨董屋、時代の臭い、という風が見事に蘇ります。一言で言えば前者はデジタル流で後者はアナログ調です。

さて、乱志師匠の演技から何が蘇るか楽しみです。

そして、先日の私の噺を聴いてくださり、乱志は、母親、矩随、若狭屋をデジ・アナ調を駆使した見事な味付芸だったというコメントを頂戴しました。

要は、ストーリーとリズム・テンポで進める圓楽師匠はデジタル。
下町の風情と人情を際立たせる志ん生師匠はアナログであると・・。
そして、乱志はデジ・アナ調子だ
ったということでしょうか・・・?

195

「浜野矩随」を何人かの噺家さんで聴きましたが、私には、若き日に最初に聴いたというインパクトもあり、圓楽師匠の運び方が一番良いと思いました。
志ん朝師匠も、志ん生バージョンで演っていますが、あの志ん朝師匠には珍しく、非常にテンポが緩い感じがします。
また、一門の弟子である楽太郎、竜楽さんは、恐らく圓楽師匠のものでしょうが、イメージが違う・・・。
あの時、鈴本演芸場で聴いた、圓楽師匠の「浜野矩随」がベストなのです。
ただし、その後は、聴き比べると、圓楽師匠のも、切れ味という面では、かなり鈍くなったと思います。

圓窓師匠からご指導いただいた、地の部分を極力カットして会話のみでストーリーを進めて行くという面からも、往年の圓楽師匠がベストです。

東京落語会名演集

Img_0002 600回、50年近い歴史を誇る「東京落語会」。

この落語会の音源から、CD14枚組の「東京落語会名演集」というのが発売されたようです。

約30名の師匠方34題が収録されている、まあ豪華と言えば豪華なシリーズだと思います。

・・・が、古今亭志ん生、林家正蔵、桂三木助、柳家小さん・・・と並ぶ中で、三遊亭圓生と古今亭志ん朝の名前がありません。

二人の名人が、この落語会に出演していない訳がありません。
現に、圓生師匠の「ねずみ穴」は、ラジオ放送ではありましたが、リアルタイムで聴いています。

どういう訳でしょう・・・・・。

国立演芸場の景品

Img国立演芸場の興行でアンケートに答えると、引き換えに景品としてウェットティッシュがもらえます。

小さな品物ですが、演芸場らしいフレーズが書かれています。

笑いのあるところに、国立演芸場。健康・長寿・幸福がある。

2009年11月14日 (土)

OB落語会の客席

169 OB落語会の客席は、椅子を追加しても満席になるという、大変嬉しい大入りでした。

その満員の客席の最前列に、我が落研の創始者「初代麻雀亭駄楽」師匠が、嬉しそうな笑顔で座っていました。

213・・と言っても、残念ながら、その笑いは動くものでなく、写真の中の笑顔でした。  

3年前、まさに今日のこの日を楽しみにしていた駄楽師匠が急逝されました。
残された我々は、自分たちの思い出作りのためだけでなく、駄楽師匠の遺志に応えるために、今まで準備をして来たのです。

この盛況、きっと大変喜んでくださっていることでしょう。

OB落語会の写真

198 先日のOB落語会の写真を、当日カメラを持って走り回って撮影してくださった新生師匠が送ってくださいました。

やはり、使い捨てカメラのとは違い、一眼レフの本格的なカメラの映像は、臨場感もあり、大変良く映っています。

今までは、あまり高座の写真がありませんでしたが、これで年賀状にも使わせてもらえるかもしれません。

新生師匠といえば、大先輩の部長で、大学の先生です。
そんな大先輩が、カメラを手に会場を走り回りながら撮影してくださったのですから、心から感謝しています。

六代目円楽襲名披露

Yakei昨日、末廣亭に行かれたという渋珍師匠が、来春、楽太郎改め六代目円楽の襲名披露を末廣亭でもやると、プログラムの中に書いてあったと仰っていました。

早速確認してみると、以下のように告知されています。
笑点でお馴染みの三遊亭楽太郎が来年3月に六代目三遊亭円楽を襲名する。
寄席での真打、或いは襲名の興行は、落語協会か落語芸術協会の所属芸人にかぎられるので、円楽一門会所属の楽太郎が行うのは、異例中の異例の慶事。
09783a1_1 「円楽一門会」は、昭和53年の落語協会分裂騒動により、前身の「落語三遊協会」が寄席の定席に出られなくなって以降、ずっと続いていますので、例外中の例外ということでしょう。

どういう事情かは知りませんが、先日お亡くなりになった圓楽師匠が、末廣亭に出演したことがあった気がします。
また、最近、談志師匠が末廣亭の楽屋に現れて、洋服のまま高座に上がったなどという噂を聞いたことがありますから、意外に「現場」では大らかになっているのかもしれません。

あるいは、落語芸術協会の桂歌丸会長の後押しもあったかもしれません。
円楽一門会と落語芸術協会の合流などという風評もあるようですし・・・・。

そういう点から考えると、鈴本演芸場での披露は、落語芸術協会も出演していませんから、難しいでしょう。

渋珍師匠によると、末廣亭の高座で、落語協会の会長の鈴々舎馬風師匠が、円楽一門会の真打昇進までの期間が短いことに触れていたそうです。

窓輝さんのコメント

2006_10_221 11月中席落語協会のメルマガに、末廣亭に出演している三遊亭窓輝さんが、コメントを寄せていました。

来年3月の真打昇進を決めていただきました。
二ツ目としての高座も残りわずか、より貴重に思えます。
「大きな声で明るい調子で」は師匠から最初に教わった事です。もういちど意識して勉強させていただきます。

いよいよ真打が間近になっています。
昇進記念の独演会を企画しているようですから、「窓門」の一人として、応援して行きたいと思います。

師匠は、我々にも「大きな声で明るい調子で」と常々仰います。
基本中の基本なのですね。

定本 落語三百題

51ht2wcn8kl__sl160_aa115_ 落語の演題の解説本。

なかなか重厚な本ですが、いかんせん高価です。
確か税込で9000円近かったと思います。

東大落語会の「落語事典」の方が安く、情報量も豊富ですから・・。

もっとも、単行本と事典の違いはありますが・・・。

2009年11月13日 (金)

東京落語会

3ヶ月ぶりの東京落語会です。
今月は、落語三昧をしているようですが、プロの落語会や寄席は今日が2度目。
いかに、自分のことで精一杯だったかということですね。
外は、冷たい雨が降っていました。

Img_0003◆ 豊竹屋       古今亭菊六

◆ 殺生禁断     春風亭柳好

◆ 動物園       林家しん平

◆ 二番煎じ      柳家権太楼

◆ 短命        立川志らく

◆ お若伊之助   三遊亭遊三

菊六さんは、先日「NHK新人演芸大賞」を受賞して、今乗りに乗っています。今日は、受賞した時とおなじ演題。会場が大阪だったため、それをしっかり読んでのネタ作りをしていたようです。雰囲気を持った噺家さんです。

柳好さんも、落語芸術協会期待の噺家さんでしょう。自分の立ち位置を知った芸人さんだと思います。が、ごめんなさい。噺の途中は爆睡していました。

しん平さんは、天才肌の噺家さんで、とにかく声が高くてでかい。この噺家さんは、林家門下でなければ、もっと本道で活躍できるポテンシャルのあるのにと思います。じっくりと真面目に人情噺をしたら、とても上手いと思うのですが・・・。

権太楼師匠、今日の出来はあまり良いとはいえないのでは・・・? と言いつつも、会場は爆笑の連続でした。「火の用心・・・」の場面は、しつこいほどの演出でした。

今日、圓楽師匠のことに触れたのは、志らくさんだけでした。内容は既にどこかで聞いたことのあるものでしたが、落語界での存在感を再認識させていただきました。
「短命」は良かったと思いますが、やや早死にの理由の種明かしに品がなかったと思います。"やりすぎ"という言葉は使わずにやるべきだと思います。

トリの遊三師匠。声の張りは古希を過ぎた年齢を感じさせません。マクラもほとんどないままに本題に入りましたが、ストーリーを追うことが目立った感じです。

マニュアル?

  「ありがとうございます。ちょうどいただきました。」と、いつもの駅の売店で新聞を買った時の店員さんの言葉。 (*^-^)
キオスクには珍しく若くて元気なのは結構ですが、私は"スイカ"を使ったのですよ。"スイカ"でお釣りが要るように払う人がいるの?そんなことできるの? 
┐(´-`)┌

これってマニュアルの影響ですか? それとも単なる言い間違いでしょうか?

ハンバーガーショップで、「(会社の仲間にと)ハンバーガー20個ください。」
180pxhamburger_sandwich「ありがとうございます。店内でお召し上がりですか?」 ・・・・。 
ε-( ̄ヘ ̄)┌

・・・・まぁ、よくありそうな話ですね。

セミプロ桂友楽師匠

Img_0015 八代目桂文楽師匠からいただいた名前「桂友楽」。

とにかく「落語」を引っ提げて、ご多忙な毎日を送っていらっしゃるようです。

落語に対する情熱は未だ冷めることなく、否、さらに燃え盛っているようです。

文楽師匠の出囃子「野崎」で高座に向かわれますが、我々が袖でオタオタしているのとは違い、「ちょっとごめん」という雰囲気で出て行かれました。

友楽師匠にはファンも多く、ネットワークも堅固で、出た途端に「待ってました!」の声、オチの後に高座に近づいて来るお客さまも・・・・。
ずっと地元で活動されていることには、本当に羨ましい限りでした。

「井戸の茶碗」も、既に様々なお座敷で演っておられるので、慣れたもの。
ところどころにアドリブも入り、ストーリーが展開して行きます。

楽屋で、寝蔵師匠と二人、時には正座をしながら聴かせていただきました。

~プログラム「演者よりひとこと」より
大好きな「井戸の茶碗」をこれまでの50年と新しい第一歩への思いをこめて演じます。出前寄席のほか「笑いと健康」をテーマにした講演、新作「仙台藩士玉虫左太夫」芝居化、子供対象のワークショップ、街おこし等々活動範囲もどんどん広がっています。今や落語は私の一分です。

浜野矩随のオチ

先輩方から「オチはどうするの?」という質問も随分頂戴しました。

09783a1_1 圓楽師匠は、「"怠らで 行かば千里の 果ても見ん 牛の歩みの よし遅くとも"、寛政の年度に親子二代にわたって名人と言われた、浜野の一席でございます。」
また、立川
志の輔さんは、「”名人に二代あり”・・・。浜野矩随の一席でございます。」
という具合に、
講談から来た噺ですから、決まったオチはないようです。

圓窓師匠から最初に言われたのが、「オチを創る」ということでした。
また、師匠からも案をいただくことができました。


師匠からいただいた案は以下のようなものでした。

020701  ( ある日矩随は若狭屋と一緒に母の墓参。そして・・・・ )
若:「矩随さん。こないだ、所望のあった品を伊達藩の殿様へお渡ししましたよ」
矩:「そうですか。ありがたいことです」
若:「嬉しかったね。遠くの仙台からの注文だし。矩随さんの腕の良さは遠くまで伝わっているんだ」

矩:「そう言えば、石巻、それから気仙沼の方々から問合せがありましたよ」
若:「やっぱり矩随さんは先代(仙台)を超えたんだよ


一方、私は、マクラで「名人は上手の坂を一登り」というフレーズを"仕込み"ました。そしてそれをオチに繋げようとしました。
Img_0010  ( 背景は師匠の案と同じです。)
若:「矩随さん。おっ母さんが亡くなって、もう3年になるね。今頃は、あの世で、お父っつぁんと二人、矩随さんのことを見守ってくださっているんだろうなぁ。
『名人は上手の坂を一登り』なんて言うが、あの時の矩随さんは、本当に見事に『上手の坂を一登り』したね。」
 矩:「若狭屋さん。とてもそんな立派なものではございません。私のは『丈夫な母を思う一彫り』でございました。」


実は、当日まで、どちらで行こうかと迷っていたのですが、ひょんなことから、私が創作したバージョンを使うことにしました。(せざるをえませんでした。)

というのは、理由はOB落語会のプログラムの中にあったのです。
この中の「演者よりひとこと」という場所で、出演者の井の線亭ぽんぽこさんのコメントで、「・・・・休まず、怠けず、50年。これはせんだいの偉業です。東北だけに。」とありました。
師匠からいただいた案でやると、この部分と完全についてしまうではありませんか。
それで、師匠には申し訳ありませんでしたが、自分バージョンを使うことにしたのです。

≪名人は 上手の坂を 一登り≫・・・・から。
 「上手の坂を」→「丈夫な母(気丈夫なという意味)を」と 
 「一登り」→「思う一彫り」    ・・・・というパターンで地口でまとめてみたのです。

≪矩随は 丈夫な母(を)想う 一彫り≫・・・ということでしょうか。

師匠とも、「上手の坂、上手の坂・・・・」、「一登り、一登り・・・・」、と繰り返しながら、何か上手くはめられないかと考えたのです。

気丈夫な母親を悼み、感謝する矩随の気持ちを汲んで、「(気)丈夫な母」と「一彫り」は、浮かんだのですが、なかなか間に言葉がつなげませんでした。
そこで、苦肉の策で、字余りになりますが、「思う(想う)」を入れてみたのですが、
「分かりづらいかもしれないなぁ・・・・」と師匠。・・・そうかもしれませんね。

まだまだ改良・改訂の余地ありです。

来年秋の真打

Ichiban 「来年のことを言うと鬼が笑う」と言いますが、落語界は、もう来年の秋の話題で持ちきりです。

落語協会の来秋の真打昇進メンバーが発表されました。
まだ発表されて数日の、ホットな情報です。

  □ 入船亭扇里
  □ 林家きく麿
  □ 三遊亭きん歌
  □ 五街道弥助
  □ 鈴々舎わか馬  の5名。

香盤どおりの昇進です。

2009年11月12日 (木)

燃え尽き症候群?

運動の後の筋肉痛と同じように、懸念していた"あいつ"が少々の時差を経てやって来そうです。
あの「燃え尽き症候群」というやつですよ。バーンアウト・シンドローム。

と思い、調べてみると・・・・、「燃え尽き症候群」とは・・・、

一定の生き方や関心に対して献身的に努力した人が期待した報酬が得られなかった結果感じる徒労感または欲求不満。慢性的で絶え間ないストレスが持続すると、意欲を無くし、社会的に機能しなくなってしまう症状。

おいおい、違うぞ
私のは、とりあえず相応の達成感と、プレッシャーからの解放感から来る脱力感ですから、「燃え尽き症候群」ではなさそうです。

そんなことはともかく、次の土日(休日)が待ち遠しい日々が続きます。

蛇足ですが、例によって、日本特有の使われ方があるようです。
日本においては、大きなスポーツ大会(オリンピック、甲子園、全国高校サッカー選手権など)の後のスポーツ選手の心理状態について使われることも多い。上記にあるような「深刻な精神状態」というよりも、部活動を引退する高校3年生、オリンピックや世界大会を終えた日本代表選手などが「それまでの人生最大の目標を終え、打ち込む物が何もなくなった」という虚脱感に襲われることを「燃え尽き症候群」と称するもある
私のは、"たかが"素人落語ですから、さすがに人生最大の目標ではありませんが、とりあえずこれに近いですね。
これらは選手たちが新たな目標や課題を見つけることで克服できるケースも少なくない。
さぁ、乱志の次なる目標は・・・

扇子と手拭い

200911112329000 着物と手拭いとのコーディネートなんていうと偉そうですが、着物が黄緑色系で黒い羽織だったので、赤色系統の手拭いを使うことにしました。
前回のOB会の「ねずみ」では、一昨年の新宿(十二社)の熊野神社のお祭りの時の新宿西口の氏子中の手拭いを使いましたが、今回この手拭いは、ぽんぽこさんが湯呑みの下に敷いてくれました。
手拭いは、風神雷神の絵柄のエンジのものにしました。

一方、扇子は、生成りでなく、燻し竹の黒い(焦げ茶色)ものにしました。
三遊亭鳳楽師匠の独演会で求めた白扇です。

達人談亭志ん志師匠

Img_0014 "幻の"とか"伝説の"という冠が付いて、我々後輩たちは、この会ったことのない先輩のことを耳にしていました。

私は、昨年のOB落語会で、35年ぶりに抜かれた伝家の宝刀の切れ味を目の当たりにしました。
それも、志ん志師匠と言えばという「野ざらし」で。

今年の「一分茶番」も圧巻でした。
志ん志師匠は、あの体躯や風貌(すみません)からは想像できない、とても優しくて繊細な語りが魅力です。
何と言っても、「落語は楽しいぞ!」というオーラを発散させて、ご自身も本当に楽しそうに演じるところが、観客を虜にするのでしょう。
次の出番を待つ友楽師匠が、「一分茶番って、こんなに受ける噺だったかい?」と驚いていました。
仙台駅東口ぺデストリアンデッキのベンチに座りながら、「一分茶番」をさらっていた姿も印象に残ります。

私は、仲入り後の先輩の高座を、楽屋で聴かせていただきましたが、高座と客席との絶妙なコミュニケーションが、快適な空間を作り上げていた感じがします。

~プログラム「演者よりひとこと」より
人様より余計に学生をやっていたために「談亭志ん志を継ぐと留年する」という誤った迷信の結果、後にも先にも談亭志ん志といえば私一人だけですので、落研の創部100周年の際にも宜しくお願い申し上げます。

浜野矩随の母親

「矩随の母親は殺しちゃうの?」
・・・・高座に上がる前に何名かの先輩方から質問を受けました。

Img_2 すみません、おっ母さんには死んでもらいました。
 母親の自害寸前に間に合って、親子で抱き合うという演出や、この矩随親子に若狭屋が家を用意して住まわせるなんていうストーリーもあるようです。
例えば、志の輔師匠などはハッピーエンドの演出で演っています。
 心情的には理解できますが、生前の志ん朝師匠が仰っていたように、嫌だけれども噺としての整合性やインパクトの面から、痛ましくも母親には亡くなってもらうことにしました。

 落語は、基本的には死なない・殺さないというのがベースですが、この噺はもともと講談から翻案されたものでもあり、致し方なくお許しいただくということで・・・。

 でも、例えば、「唐茄子屋政談」や米朝師匠の「一文笛」などは、首を吊ったのに助かるという演出になっていることが多いようです。
これにはやや不自然さを感じるのですが、私だけでしょうか?
 この噺とは関係ありませんから、これぐらいにしておきましょう。

名人喰亭寝蔵師匠

Img_0013 私が初めて生の落語を聴いたのは、落研の2年先輩の風流亭喜楽師匠の「壺算」でした。
初めて感動したのが、当時4年生だった喰亭寝蔵(くうてい・ねるぞう)師匠の「子別れ」でした。
金原亭小駒さん(現金原亭馬生師匠)を唸らせたのも、寝蔵師匠の「つる」でした。

憧れの畏敬の先輩が"食い付き"で、不肖の後輩が"中トリ"というのも暴挙ではありますが、35年近く経って初めて、やっと寝蔵師匠と同じ土俵で噺ができる嬉しさと緊張は、筆舌に尽くし難いものがありました。

あの名人が、カラオケボックスに通いつめ、この日に備えたそうで、私には実に大きなプレッシャーになりました。

寝蔵ワールドは、長いブランクなど全く感じられず、往年の高座が甦って来ました。
寝蔵師匠の語りは、落ち着いた、少し引き気味のトーンながら、それでいて暗さのないのが魅力で、その穏やかな口調が、いつの間にか観客を引き込んでしまうのです。
私には到底真似の出来ない領域です。
「かたきの首」の地の部分にも、この魅力がふんだんにちりばめられていました。

~プログラム「演者よりひとこと」より
本当に久しぶりの落語で緊張しています。最近は「落語ブーム」とかで、CD・DVD、落語書籍もたくさんありますね。すばらしいことですね。さて、今日は「さび付いた頭」が落語を覚えてくれたでしょうか?「私が愉しむ」・・・で演りたいと思います。よろしく。

2009年11月11日 (水)

口上

お仲入りの後、50周年のご挨拶と御礼の口上です。

Img_0011 上座から、愉し家弁痴・南亭蕪生・桂友楽・但馬家渋珍・多趣味亭こり生・走れ家駄馬の各師匠が並んでのご挨拶です。

そして、観客席最前列中央の席には、落研の創始者「麻雀亭駄楽」師匠の遺影が笑っています。駄楽師匠への報告の場でもありました。

Img_0012高座で落語は演らなくても、そこは昔取った杵柄で、洒脱な話や草創期にお世話になった「四天王」とのつながりなどには、お客さまから笑いや歓声が上がります。

圓窓師匠に報告

P1000006 当然のことですが、圓窓師匠にOB落語会のご報告とお礼のメールを送りました。

落研の50周年記念誌にも快く寄稿してくださったり、何と言っても、私の拙い「浜野矩随」の稽古をつけてくださいました。
結局、落語っ子連の稽古会で、師匠の前で4度も通しで演らせていただき、語り・ストーリー・仕草・オチなど、あらゆる角度からコメントやご指摘を受けることができました。
そして、オチの創作にもお知恵を拝借するなど、思えば、「浜野矩随」を作り上げる過程も、至福の時間だった気がします。

「師匠、何とか無事に務めることが出来ました。ありがとうございました。」とのお礼のメールに、師匠から、涙が出そうなコメントが返って来ました。

「真剣そのものだったもの、、、出来は当然さ。」

圓楽師匠への弔意

Img_0008 「代わる代わる色々な顔をご覧に入れまして、さぞお力落としもございましょうが、私の後はお仲入りでございまして、おあと伝説のOBたちをお楽しみに、私の方は暫くの間のご辛抱をお願いいたしますが・・・。」
というのが、私の冒頭の文句です。

実は、この後に、「この一席を、先日お亡くなりになった五代目三遊亭円楽師匠に奉納させていただきます。」と入れようと思いました。

が、不器用な素人の悲しさで、なかなか気持ちが伝えられる言葉が見つかりません。
そこで、
何の根拠もありませんが、せめてもの弔意を表すために、今日のこの高座の「浜野矩随」は、黒い紋付の羽織を着たままで通すことにしました。
「30年以上も昔、素晴らしい噺を聴かせていただいて本当にありがとうございました。」と伝えようと思いました。

聞けば、この直前に圓楽師匠の「浜野矩随」が全国放映されていたそうですから、一番早い「浜野矩随」の奉納になったかもしれませんね。

そして金願亭乱志

Img_0007いつか「浜野矩随」を完成させようと思いつつ、当日・本番を迎えてしまいました。
ところが、なぜか心は落ち着いていた気がします。

思えば、高座にかけない時でも、前半の部分を口ずさんだりしていて、知らず知らずのうちに、口にはなじんでいたのでしょう。

Img_0006_3 出来の良し悪しはともかく、予想以上に台詞が澱みなく出て来たのは、やはり「歩き稽古」の成果と「観音様」の御利益だったかもしれません。
先輩のどなただったか、「随分語りこんでいるな」と言ってくださいました。

弁痴師匠から、Img_0009 ”矩随が母親に旅へ出ると嘘をつくくだり”の演出が物足りなかったという批評を受けました。・・・う~ん難しい・・・。
この場面は、重く・思わせぶりにやるか、視線を合わせず慌ただしい演出にするのか・・・、悩んだところでしたから、ご指摘は鋭利な刃物に刺された気がしました。

浜野矩随に正面からチャレンジできて、圓窓師匠から直接色々ご指導いただいて、物凄く大きなものを掴むことが出来たことは確かなようです。

それが、聴いてくださったお客さまにも伝えられていたら良いのですが・・・。

それにしても、楽しい40分でした。予想通り長くなってごめんなさい。

~プログラム「演者よりひとこと」より
ある噺家の師匠から「アマチュア(プロにならない)なら、大きな噺にチャレンジしなさい」とアドバイスされた直後、偶然鈴本演芸場で出会い、身も心も釘付けになった名も知らぬ噺。あれから30年間、じっくり温めて来た人の情と親子の愛を是非聴いてください。

【業務連絡】市川の「Yさん」へ

200906211241000 市川の「Yさん」。早速のコメントありがとうございました。
ということで、今月の「落語っ子連・ん組」の稽古は、29日(日)の10時30分からですから、よろしくお願いします。
「代書屋」を聴かせていただくのを楽しみにしています。

名前を考えませんか?
「落語っ子連」のメンバーは、三流亭○○という名前をいただきますので、ご自分で「これは!」という案(ご希望)があれば、師匠にお諮りするとよいと思います。
これまた楽しみですね。

湯呑み

Zr8406_2 "祥瑞"柄の湯呑みを持参して高座で使うことにしました。

友楽師匠は、楽屋で、「俺たちの頃は高座で白湯を飲むなんてタブーだった。」「生意気だ。10年早いと言われた。」と・・・・。

確かに、多くのプロの噺家さんもそう言っています。

でも、私には、柳亭左楽(当時は桂文平)師匠から言われた、「乱志くん、アマチュアならば、大きな噺にチャレンジしなさい。」というアドバイスがありますから、素直に"ヤワラカク"拡大解釈。

自分の出番の後、高座返しをやってくれているぽんぽこさんに、湯呑みにペットボトルのお茶を入れて、手拭いと一緒にを渡し、手拭いを茶碗の下に敷くように持って行き、座布団の右側に置いてもらうようにお願い。
するとぽんぽこさんから、「去年と同じようにやればいいんですね。」という心強い言葉。
「・・・そういえば、去年のOB会の「ねずみ」の時も、ぽんぽこさんに"暴挙"をお願いしたんだった。」という訳で、細かな説明はせずに、「それじゃあよろしく!」とお任せすることに・・・。

ところが高座に上がってびっくり。
Img_0006_2 確かに右側に湯呑みが置いてあるのですが、何と手拭いが下に敷いてある!
「しまった!茶碗だけ置いて手拭いは持ち帰ってと言わなかった!」・・・・。が、後の祭り。
手拭いの上に乗っているお茶の入った湯呑み・・、想像してください。不安定な状態だと思いませんか?

名前どおりの「近眼で乱視」の私が、下手に手を出すと、ひっくり返してしまうかもしれません。そこで予定を変更。湯呑みを使うのは一度だけ、満を持して使うことにしました。
予定では、まずマクラのところでと思っていたのですが。

・・そこで、母親が水を飲む場面で、仕草の中に入れるようにして使い、無事に"湯呑みプロジェクト"は成功?したのであります。

ところが、敷いてあった手拭いがまだそのままに・・。 後の場面で、さりげなく後ろに下げげました・・。冷や汗ものでした。 
w(゚o゚)w

落語会後の懇親会の時に、ある先輩から、「湯呑みをいつ使ったか気がつかなかった。こういう時は揃いの瀬戸物の蓋ではなく、木の蓋がいい。」とのご託宣。
Zr8406a 「○○なお○話です。」と思いつつも、「ありがとうございます。仰るとおりでございます。」と答えたあたりは、乱志も成長したものです。
瀬戸物の蓋だと、かちゃかちゃ音がするからということでしょう。でも、適度に音を立てるのも、それはそれで、寄席らしくて趣があるというものだと思うのです。

さらに加えて、「この噺は面白くない噺だね・・」と。 (ノ_-。) 
きっとくすぐりや笑いが少ない噺だという意味で仰ったのだろうと思い、「そうですね。」と答えておきました。
が、演者が自分のネタを面白くないと思いながら演るはずもありませんし、ましてや私にとっては長年温めていた噺ですから、噺の拙さは致し方なしとして、ネタには愛情・愛着がありますよ。

先輩からの大変貴重なご意見でもあり、そのコメントに感謝し、謙虚に受け止めました。

・・という訳で、あの湯呑みを巡っては、こんな珍ドラマがあったのです。

杜の家くるみさん

Img_0005 杜の家くるみさんは、落研では最も「お座敷」が多いと思います。
また、ご主人とは落研で知り合ったということですから、落研そのものの人生を歩んでいる気もします。

横浜市に住んでいて、横浜市の職員の方々の天狗連のレギュラーメンバーで、「横浜にぎわい座」での出演も多く、くるみファンも多いと聞きます。
落研OBの寝坊師匠なども、くるみちゃん大好きなのだそうです。

とにかく場慣れ・客慣れしているのと、しっかり通る声が魅力で、噺の後は踊りや南京玉すだれなどもご披露するそうです。

「初天神」は、子どもも出て来るので、まさにくるみさんにぴったりの演題だと思います。
今回は、団子の蜜のところまででしたが、凧揚げまで聴きたかったですね。

ぽんぽこさんといい、くるみさんといい、我が落研はレベルが高いことを、お客さまも実感してくださったことでしょう。

~プログラム「演者よりひとこと」より
10年前、育児ノイローゼ気味の私を救ってくれたのは落語でした。出前落語は年に40回ほど。毎年のおなじみやご指名も出るようになり、多くの方に笑いを届ける楽しさが、今の私の一番の支えです。

2009年11月10日 (火)

杜の家愛狂さんのひとこと

200908091339000 私の1年先輩に、「杜の家愛狂」さんという女性の先輩がいます。
現役時代には、先輩方から「はったり姉ちゃん」と呼ばれていた、○にしておくのは勿体ないような太っ腹な?お姉さんです。

「浜野矩随」についてコメントしてくれたのですが、「私、乱志くんの噺は、もっと低い声だったイメージがある。今日は、随分キーが高かった気がする。」と仰るのです。

愛狂姉さんといえば、毎週月曜日の部会では、後半になるとほとんど座りながら居眠りをしていたはずなのに・・。私の噺もちゃんと聴くところは聴いていてくれたのですね。

まさにお言葉どおりで、以前このブログで、「落語の絶対音階」などと言ったことがありますが、絶対的な高さを持てない素人ですから、喋り易くて聴き易いキーを模索していて、最近は意図的に高めにしていたのです。
今回も、演っていて、少し高いかな、と思いながら演っていたのです。

こういう正鵠を得たコメントは、驚くと同時に、物凄く嬉しいものです。

本当は、私がもっと上手かったら、もうちょっと落ち着いたトーン・もう少し低めのキーで演ったことでしょう。

※写真と愛狂さんとは全く関係ありません。

ネタがつく?

200911081619000 主任(トリ)の桂友楽師匠が、楽屋で、「浜野矩随で"50両"、かたきの首で"首が落ちる"、かたきの首・一分茶番で"侍"と、どうも井戸の茶碗とついてしまうなぁ。」と・・・。

考えてみると、演題を決めるときは、各自の得意な、あるいは演りたい噺が優先されますから、プロの寄席や落語会のように、「噺がつく」か否かなどのチェックはほとんどしていません。
従ってこういうことも起こるのでしょう。

まぁ、このあたりは、ご愛敬ということで、ご容赦いただくことにして・・・。

それでも、トリの友楽師匠にしてみれば、気になる様子で、「井戸の茶碗」で50両が出る場面では、「さっきの浜野矩随でも50両というのが出て来ましたが・・」などと繋いで、そこはそれなりに受けていましたが。
実は、浜野矩随では、もともと30両だったのですが、勝手に20両足して50両にするストーリーにしたのは私なのです。まさか、つくとは思いもよりませんでした。

そういう風に考えると、「狸札」の狸と、「浜野矩随」の河童狸もついてしまいますか・・・?


今月の「ん組」の稽古

この間見学に来てくださった、市川市の「Yさん」に、このプログをご覧いただいているだろうと期待して「業務連絡」です。

落語っ子連「ん組」の皆さまに大切なお知らせです。今月の稽古会は、11月29日(日)に変更ですから、お間違えなきように・・・。

200910251309000 ← この間、ぶっつけ本番で「代書屋」をおやりになった、貴方ですよ。

※本ページのみ、コメントを受付していますので、お読みいただけたら、コメントをご投稿ください。

高座の広さ

200911081307001 会場がホテルの宴会場でもあり、高座は高く出来ず、後方のお客さまには見づらかったかもしれません。

それから、演者にとっても、高座の奥行きがなかったので、手拭を使う仕草が多いこの噺は、かなり苦労を強いられました。

200911081609000 志ん志師匠は仲入り後だったので、少し座布団の位置を下げてもらい、さほど不自由はなかったようですが、もう少し事前にチェックしておくべきだったと反省です。

仕方がないので、座布団の後ろ半分に座り、脛から下は座布団からはずれるぐらいにして、手拭を前で使うことにしました。

お客さまのコメント

落研のHPの「掲示板」に、大学のOBだと仰るOさんという方がコメントを投稿してくださいました。そのまま転載させていただきます。

Img_0006 69年卒OBです。6人の演者の皆さん、なかなかのものでした。
中でも圧巻は、金願亭乱志さんの「浜野矩随」。
ご本人の「...30年間じっくり温めてきた・・・」の言に違わぬ、実に見事な芸、彼の先代円生師匠を思わせる程、ほとほと感じ入りました。
会社を退社後、仙台に戻って10年、鈴本、末広、浅草の様な場もなく、好きな落語に接する機会がありませんでした。
今後折に触れ、皆様のイベントがあれば是非伺いたいと思っております。

本当にありがたいことです。嬉しいことです。

早速お礼のコメントを投稿しました。

めくり

200911081252000_3落語会になくてはならないのが「めくり」です。

我々の200911081253000_2めくりを書いてくださったのは 、渋珍師匠のお知り合いのHさんという方で、寄席文字の橘左近師匠の孫弟子筋にあたる方なのだそうです。

落語会がお開きになった後、自分のめくりが頂戴できるということだったので、ありがたく持ち帰りました。

部屋に飾っておくか、これからの「他流試合」に持って行くか・・・。

自分で書くことができたら、さぞや楽しいでしょうねぇ・・。

現役時代には書いていたのですよ。

2009010723540001 たとえば、私が書いた「志」という字は・・。

全然違いますね

2009年11月 9日 (月)

駄馬師匠から

今回のOB落語会の総合プロデューサーともいえる駄馬師匠から、メールを頂戴しました。
一部をご披露させていただきます。

Img_0010 熱演ありがとうございました。
後ろに立っていた女性が感極まって目をぬぐっていました。
 出演の皆さんの練習の成果がでた噺、口上の洒脱なご挨拶、遠方から大勢来て頂いた懇親会の楽しさと夢のようなひと時でした。落研を多くの市民の方に楽しんでいただいたと思います。

そうなんです。立ち見でご覧になるお客さまもいたくらい、おかげさまで大盛会だったのです。長時間にわたって耐えてくださったお客さまに、こころから感謝です。

そして、同窓(部活動の)というだけで、年齢も、仕事も、住まいも、生き方も違う人々が、短期間のうちにこれだけまとまることが出来る物凄さ、すばらしさを実感して、私こそ涙を拭う思いがしました。
落語を演ずるのは一人ですが、決して個人プレイではなく、会を支え、気持ちを支え、人情を支えているのは、多くのステークホルダーなのですね。

「三遊亭圓楽さんをしのんで」

昨日の13:35 ~ 14:20 に、NHK総合テレビで放映された「三遊亭圓楽さんをしのんで」の内容は、以下のとおりだったようです。

◆放映された「三遊亭圓楽さんをしのんで」の番組内容

09783a1_1 ▽「目黒のさんま」(抜粋:昭和60年(1985年)8月24日放送「NHK寄席」より)
▽三遊亭楽太郎(2010年六代目圓楽襲名予定)の談話
▽落語協会分裂当時の圓楽さん(インタビュー映像:昭和53年(1978年)6月)
▽橘家圓蔵の談話
▽神津友好(演芸作家)の談話
▽圓楽さんの引退記者会見(平成19年(2007年)2月25日・国立演芸場)
▽桂歌丸の談話

▽「浜野矩随(はまの・のりゆき)」(全編:平成11年(1999年))

Img_0007 私は、全く知らなかったのですが、落語会の後の懇親会で、弁痴師匠から「ちょうど乱志くんが高座に上がる直前に、圓楽師匠の『浜野矩随』が放映されたようだよ。私の家族からメールが来たよ。これもご縁だね。しっかり奉納することができたね。」と仰ってくださいました。

その話を聞いて、背筋がぞくぞくっとして、目頭が熱くなる気がしました。

・・・ついでに、弁痴師匠から、ある場面の私の演出に"ダメ出し"を言われました。
げに芸の深さよ・・・。

井の線亭ぽんぽこさん

Img_0004井の線亭ぽんぽこ(いのせんていぽんぽこ)」って、一体どういう意味なのか、おじさんたちの感性では、やや追いついて行けない部分もあります。

ぽんぽこさんは、大学院生なのだそうですから、まだ現役みたいなもので、飄々とした雰囲気で高座に上がって行きました。

若い人たちは、オリジナルなマクラを長く喋る傾向があるようで、融通の利かない年寄りには、羨ましいやら、ちょっと鬱陶しいやら・・。

さすがに今日は、後に控える親より年上のおっさんたちに圧倒されたか、比較的短くマクラをまとめて、「狸札」に入りました。

噺の構成の仕方、落語ワールドリアリティなどは、我々とは別次元にある気がしますが、今風のエンターテインメントの本流なのでしょう。
いわゆる「芸」という範疇のものでないことは確かなようです。

彼がお客さんを掴んでくれたので、後の出番の我々はホッと胸をなで下しました。

~プログラム「演者よりひとこと」より
我が部が50年という歴史を積み上げることができたのは、先輩方が落語を愛していたからだと思います。休まず、怠けず、50年。これはせんだいの偉業です。東北だけに。

OB落語会②

Img_0017 落語を聴きに来てくださっているお客さまばかりですから、掴みも笑いも、タイミングが良く、演る方にとっては大変ありがたいものです。

トップバッターの井の線亭ぽんぽこさんも、例の"策伝大賞"に出場経験があるそうですから、飛ぶ鳥落とす人なのでしょうが、親よりも年上のおじさんたちの前では大変緊張していました。

200911081520000

とにかく、会場は満席ですから、熱気も溢れて、本当に最高の気分です。

くるみさんが、開演直前に楽屋に現れました。
駄馬師匠が、すこし心配していましたが、これで出演者は全員スタンバイです。

仲入り後の口上では、多趣味亭こり生会長ほか、愉し家弁痴・但馬家渋珍師匠・南亭蕪生・桂友楽と走れ家駄馬の各師匠が並んでご挨拶。
落語はやらなくても、みんな口達者ばかりですから、会場は笑ったり・うなづいたり・声が上がったり・ため息がもれたり・・・、とても楽しい雰囲気が続きます。

それでは、プログラムの順番にご紹介して行くことにしましょう。

OB落語会①

Img_0002 開演まで2時間近く前に、お客さまがご来場されました。
まだ、こちらの準備ができていない時で、嬉しい悲鳴になりました。
ロビーの椅子に掛けていただき、開場までお待ちいただきました。

受付を、私の1年先輩の酩亭千鳥師匠や、1年下の杜の家小雪姉さんたちにやっていただき、大変恐縮してしまいました。

Img_0016 開演の10分ぐらい前に、用意していた椅子が満席になりました。
これまた申し訳ないことに、落研OBは立って見るという状態になってしまいました。

友楽師匠・駄馬師匠や、現役の節介さんなどの広宣活動の成果ですね。

仙台という街は、昔から学生に優しく寛容な街でした。
仙台の人たちは、学生を大切にしてくださいました。

そんな素晴らしい街・温かい人々に、わが落研は生み育てられたのだと、心から感じました。

Img_0003 「ますます無様な噺はできないぞ。」出演者たちの緊張感が高まります。

午後2時ちょうど、出囃子が流れ始め、開演しました。

2009年11月 8日 (日)

創部50周年記念OB落語会

3d3fiso2022jp3fb3fqtqbjei9ue5pgyhcl 

このブログでも、右往左往・支離滅裂の無様な遠吠えを繰り返して来ましたが、仙台ガーデンパレスの"鳳凰の間"は、立ち見も出る大盛況のうちに、「落研創部50周年記念OB落語会」を開くことができました。

今、帰りの新幹線の車中です。
とりあえず、大きな目標をやり終えたという、快適な疲労感に包まれているところです。

今のところ、大きなミスはなかったと思っていますが・・。
200911081252000 愛する落研の大きな節目でもある50周年に、私自身の永年の思いとともに関わることが出来たことは、本当に感慨無量です。

聞けば、同じ頃、テレビでは、三遊亭圓楽師匠の追悼番組で「浜野矩随」が放映されていたそうで、これも縁なのでしょう。
圓楽師匠への奉納にもなったかもしれません。

このブログも、暫くOB落語会の話題ばかりが続くかもしれません。

午後9時15分。
東北新幹線「やまびこ」は、今、福島あたりを走っているのでしょうか。

さて、乱志の次なる目標は・・?

会場

200911081209000 会場は既に高座が作られていました。

いよいよ演るんだなぁという気持ちと、実感が湧いて来ない部分とが錯綜します。

さぁ、お客さまはおおぜい来てくださるでしょうか・・?

最後の歩き稽古

200911081042001仙台に着いて、東口を出て歩き出すと、ペデストリアンデッキのベンチに座っているロマンスグレーの男性がいました。
誰あろう"談亭志ん志"師匠ではありませんか!
見れば、ネタ帳をご覧になりながら、稽古の真っ最中です。

200911081031000 何だかとても嬉しくなりました。

挨拶をさせていただいて、私も予定?していたとおり、荷物をクロークに預けて、宮城野通りをKスタ宮城球場に向かって歩き稽古を始めました。

200911081042000思えば3週間ほど前、この球場で、「小言幸兵衛」のような野村監督がぼやいていたのですねぇ。

街路樹も色づき始め、宮城野は清々しい朝でした。

Kスタを往復するとちょうどオチになりました。

もうこれでよしとしましょう。後は天命を待つのみです。

本番の朝

200911080810000 上野駅のコンコースに、「仙台・宮城 伊達な旅」というノボリが立っています。

いよいよ今日が"本番"です。
この落ち着きは、何なのでしょう・・?
こんな穏やかな気持ちで良いのでしょうか?

仙台に着いたら、少し時間に余裕があるので、宮城野通りを歩きながら、最後の稽古をやろうと決めました。

最後の悪あがきです。

師匠から励ましのコメント

Kuzuimei OB落語会を前にした圓窓師匠と私とのメールのやりとりです。
圓窓師匠から励ましの一言コメントを頂戴して感激しています。

 

【私】

師匠から何度も稽古をつけていただいた「浜野矩随」の本番で、仙台に行ってまいります。

【師匠】

頑張って、、、、。
 感動させることでしょう、、、。

・・頑張らなくっちゃぁ・・

駄楽と乱志の持ちネタ

大変僭越ですが、名人の初代「麻雀亭駄楽」師匠と不肖二代目「金願亭乱志」の主な持ちネタを比べてみようという暴挙です。駄楽師匠は、「仙都にわらいを・草創記」から、私は記憶ベースで、主なものを並べてみました。

   ◆麻雀亭駄楽◆         ◆金願亭乱志◆
     子ほめ               あたま山
     穴どろ                千早ふる

     湯屋番               花色木綿
     道具屋               花筏

     厩火事               水道のゴム屋
     悋気の火の玉           三方一両損

     粗忽の使者            湯屋番
     こんにゃく問答           甲府ぃ
     明烏                                    ねずみ
     あくび指南             猫怪談
       ・                 子ほめ
       ・                 浜野矩随
              ・                                    薮入り

二人の共通のネタが2題あります。「子ほめ」と「湯屋番」です。
それ以外は重なっているものはありません。

駄楽師匠は、仕草が多く、色気のある噺が多い気がします。
一方で私は・・・、支離滅裂です・・。

02_s_o 演題を見ていると、その時々のことを思い出します。
「花色木綿」は、「全日本学生落語名人位決定戦」に出場した時のネタでもあり、「子ほめ」は「三遊亭圓生独演会」の前座で演ったもの。
「花筏」と「ねずみ」と「薮入り」と「浜野矩随」
は、三遊亭圓楽師匠のテープを参考にさせていただいたもの。
「水道のゴム屋」は、六代目三升家小勝師匠創作の噺で、衝動的に演ってみたもの。
「猫怪談」は、入船亭扇橋師匠の与太郎がおかしくて、「お父っつぁん、なんで死んじまったんだよう。あたいが寂しいじゃぁないか。」という台詞が言いたくて・・・。

駄楽師匠は、「親子酒」が演りたいと仰っていました。
「親父さんが、酒を飲みながら、段々酩酊して行くところを、じっくりやりたい。」ということでした。

腰元彫り?

Image20腰元彫り」と「根付け」というものを整理しておきます。
「腰元」という言葉は身のまわり、特に腰の回りというような意味。腰元彫りは刀剣装飾品を彫刻すること、刀剣の付属用品を製作することをいう。鉄・真鋳・銅などを加工するため、彫金術に長けていなければならなかった。
M_mithioimg600x4501239775776goxe0q5 「根付け」というのは、煙草入れなどの紐の先に付ける抜け留めのアクセサリー。それが根付け。動物、人間、花等々有りとあらゆる物がある。現代流に言えば、携帯電話のストラップ。

噺の中で、腰元彫りの観音様のリアリティをどう出していくか・・・。
200911071911000 コンビニで清涼飲料水を買ったら、携帯のストラップがついていました。
ちょうどこれぐらいの大きさの観音様なのでしょう・・・・。
こんな小さなものを、どうやって大きく見せることができるか・・・。

「矩随さん、よく持ってきてくだすったなぁ」
「俺みたいな大の大人が、こんなちっぽけなものに『観音様、助けてください』って、すがりたくなるだろう」なんてね。

2009年11月 7日 (土)

圓楽師匠の手形

200911071657000 浅草公会堂の前の役者さんや芸人さんたちの手形の中に、三遊亭圓楽師匠のもありました。

師匠の手形の場所には、先日のご逝去を悼んで、白い菊の花が供えられていました。

通る人々が、口々に、「あっ、圓楽さんの手形だ。この間亡くなったから・・・。」

ところで、圓楽師匠の手形は、"丁鐡"は付いていませんでしたよ。 (o^-^o)

河童と狸

200911071712000 200911071714000 浅草から上野に歩きながらの稽古の途中、合羽橋商店街を通り過ぎると・・。

赤い河童と緑の河童・・・。頭に皿が乗っています。

Kaiun6 Utuwayaissin_kr181 そして狸。腹が出っ張っています。

矩随さんの河童狸・・・。

浅草夕景

200911071638000 最後の悪あがき。

浅草の観音様に最後のお願いに・・・。

200911071641000 もう11月。酉の市も近くなって、秋の日は釣瓶落としです。

「南無観世音菩薩・・・、どうぞ明日の噺が上手く出来ますように・・・。」

酉の市

200911041859000_2 上野駅の中央改札口の天井から、「浅草酉の市」という大きな幕がぶら下がっています。

今年のお酉さまは、壱の酉が11月12日、弐の酉が24日なのだそうです。

いよいよ冬が到来という気がします。

Img_03 酉の市は、11月の酉の日(十二支)を祭日として、浅草の酉の寺(鷲在山長國寺)や各地の鷲神社、大鳥神社で行われる、開運招福・商売繁盛を願う祭りで、江戸時代から続く代表的な年中行事だそうです。
江戸時代には「春を待つ 事のはじめや 酉の市」と芭蕉の弟子其角が詠んだように、正月を迎える最初の祭りとされていたようです。
当時“酉の町”“酉の祭”(とりのまち) ともいわれ、11月の最初に巡ってくる酉の日(一の酉)が一般的に重んじられたようです。
Img_04酉の日の祭日が12日おきに巡ってくるため、祭りが2回の年と3回の年があり、現在でも「三の酉」まである年は、火事が多いといわれています。

乱志の落語徘徊・四

◆ブログ
 生来のずぼらな性格から、記録や整理が苦手なのですが、今年の元旦から一念発起して、ブログを始めました。
名づけて「乱志&流三の落語徘徊」。このブログです。
落研出身で落語に戻って来た乱志と天狗連の仲間入りをした流三の二人が、落語に関わる(関わりそうな)出来事や思いなどを、徒然なるままに綴ってみようと。
 どこまで続けられるか、いつネタが尽きるか分かりませんが、不特定多数の方々からのコメントも意識しつつ、落語「道」を徘徊し彷徨する記録を残していくことが出来ればと思っています。

落語は、その広さも深さも果てるところがありません。そして、聴けば聴くほど、知れば知るほど、もっともっと広く深く進んで行きたくなりました。

200910072328000 ある大学の落研では、落語を学問的に研究したり資料や音源や映像を収集する人を「学究派」、天狗連として高座に上がり落語を演る人を「武闘派」、ひたすら聴き役に徹する人を「無精派」と名づけているそうですが、欲の深い私は、浅学非才やセンスを棚に上げて、落語に関してはこの全ての派に属して、極めてみたいという野望を持っています。

くれぐれも、二兎三兎を追って一兎も得られない「中途半派」になりませぬように。
お後がよろしいようで・・・・・。

「仙都に笑いを〜創部50周年記念号」より

衿止め

200911021943000 アメ横の着物屋さんで買いました。着物の衿止めです。

この間の「竹扇松戸落語会」の時に、前座の春風亭昇也さんが話題にしていたので、試しに使ってみることにしました。

普段着物を着慣れていませんから、こういう補助具というか、ヅル具はありがたいものですよ。

若手の噺を聴いて

P1000310生意気な言い方ですが、大変僭越ながら、落語界の重鎮である圓窓師匠に稽古をつけていただいて感じるのは、言い古されたことかもしれませんが「基本の大切さ」です。

師匠から細かくご指摘を受けて、私の噺の欠点やイントネーションの違いなど、初めて分かったことも多いのです。
そして、別のメンバーを指導する時のコメントも、大変参考になるものです。
・・・悩んでいます。なかなか上手くなれないなぁって。

先日、若手の噺家さんの高座を聴いて、全体的に雑な感じを受けました。
声も雰囲気も良いし、決してその場その場で手を抜いているとか、投げやりになっている訳ではないのですが、なんとなく聴いていて落ち着きません。
Encho3_sその最大の原因は、ストーリーの仕立て方、台詞の構成にあるのだと思います。
古典落語の筋に従ってはいるものの、何か肝心な部分に力が入っていなかったり、喋りがおろそかになっているような気がして、聴いた後で空虚な感じ、はしょられた感じがしたのです。
せっかくのくすぐりも、面白いストーリーも、ストレートにスムーズに観客に伝わらないから、受け方・反応も中途半端になってしまっています。(落語を聴き慣れない人が多かったのも確かですが。)

これは、所属協会や師匠の影響もあるのでしょうか。もっと正面から噺に向かって作り上げれば、センスは悪くないのにな・・、と、やや残念に思います。
そういえば、小学校などに行って落語を演る機会が多いと言っていたのも気になります。
恐らく、芸づくりという面では良い環境とは思えませんし、むしろ芸が荒れる素になるかもしれません。
であればなおさら、丁寧に、基本に忠実に、そして客観的に自分の芸を見直す時間を作って欲しいと思います。

・・と、ご本人には言いたかったのですが、通りすがりのオヤジの独断・偏見ですから、ここだけの話にしておきます。

自分のことは棚に上げて・・・。ごめんなさい。

2009年11月 6日 (金)

乱志の落語徘徊・参

◆素人落語連
 落語を聴くようになると、自分でも演りたくなるのも人情で、「やりたがり屋」の芽が出て来るのは当然の成り行きでした。
 「『駄楽・乱志二人会』をやろうよ」と約束した直後に急逝された、落研草創期の大先輩の故岡田晴彦(初代麻雀亭駄楽)さんが残してくださったのが、三遊亭圓窓師匠とのご縁だと思います。
 三遊亭圓窓師匠とわが落研とは、草創期からお付き合いを続けていただいています。
200906271645000 また偶然にも、師匠も今年で芸歴50周年になりますから、落研とは同級生ということになります。

草創期の大先輩のおかげで、圓窓師匠から直接稽古をつけていただけることになり、「落語っ子連」という素人落語グループの仲間入りをし、毎月ご指導いただいています。

入門にあたり師匠から「三流亭流三(さんりゅうてい・りゅうざ)」という名前を頂戴し、私は学生時代の「金願亭乱志」と「三流亭流三」のふたつの名前を名乗るハイブリッド素人落語家になりました。

3ennsousisyou0308  師匠との会話や稽古には、落研時代の独りよがりや自己流では到底気がつくことのなかった大切なことや、落語の「料簡」がどっさり盛り込まれていて、いつも多くのことを学ばせていただいています。

 また、「紀伊國屋寄席のトリで演る予定の『火事息子』の新しいオチを考えてみよう」だとか「『三方一両損』のオチを作り直してみよう」など、師匠から直球が投げられることもあり、稽古に加えて、メールやブログを通じた触れ合いも、本当に楽しいものです。

 落語界の大看板の息吹を間近に感じることのできる幸せを大切にし、そして、もっともっと落語が上手くなりたいと思っています。

東京スカイツリー

Imgp3376「ALWAYS三丁目の夕日」では東京タワー建てられている途中の映像が印象的でしたが、新東京タワーとでもいうべき「東京スカイツリー」も、3分の1ぐらいまでの高さまで積み上げられているようです。
遠くからでも目立つようになって来ました。

2009_10310033完成すると634メートル。勿論世界一の高さになるそうです。 

都心は、超高層ビルが林立して、おかげで東京タワーが目立たなくなりました。

東京タワーっていえば、小学校の修学旅行の時の楽しみな場所ナンバーワンだった気がします。

0910070sそれから、今から10年ぐらい前だったでしょうか。
ゴールデンウィークに家族で、「たまには東京タワーでも」と出かけ、エレベータではなく、階段を昇って展望台まで行った記憶があります。

東京スカイツリーは、東京タワーよりも約300メートル高いのですから・・・、高所恐怖症としては、昇りたくありませんねぇ。

同窓会

Shiratoriyamakouen_0 先日、何年ぶりかで、小中学校の同級生から電話。

来年のお正月に同窓会を開くとの案内の電話でした。

「勿論、最優先で出席」と回答。

1月3日の午後2時から・・・。

2009年11月 5日 (木)

朝の歩き稽古?

200911050658000 ♪どぉこかに故郷の香りを乗せてぇ♪・・の碑を横目に見ながら、今日も今日とて、朝の"歩き稽古"です。

やればやるほど、未完成な部分が出て来てしまい、迷路にはまってしまった感じもしています。

やはり、練り上げが少ないために、オチがすっきりしません。

稽古はともかく、朝の上野から神田を歩くのも悪くありません。
少し冷え気味の秋の朝は、空気が澄んでいる気がして、なかなか爽やかです。

圓楽師匠の通夜・告別式

マスコミ報道を見聞きして、改めて故人の存在感のようなものが感じられます。

Gnj0910301509025n1 そして、六代目を襲名する楽太郎師匠の露出が突出しているのが、少し気になります。
"師匠の臨終に遠くの高座のため立ち会えなかった悲劇の弟子"という図が、何となく空々しく感じるのですが、私だけでしょうか・・・・。
こんな時に言うべきことでもないので、これ以上は慎むことにしますが、圓楽一門会の会長は、総領弟子の鳳楽師匠なのですから・・・・。

「光岳院情誉円楽寛海居士」(こうがくいんじょうよえんらくかんかいこじ)という、高座名と本名の両方が入れられた法名です。
・・・合掌・・・。

普段の稽古着・・?

「浜野矩随」という噺は、母親と息子のドラマなのですが、私にも一人母親がいます。

200911031123000 長く教職にあり、ついこの間まで町の教育委員会にいたのですが、俳句や仏画をやり、最近は詩吟をやっているという・・、だいたいご想像がつく○○婆さんなのであります。

先日、稽古着にということで、古い着物を仕立て直してくれて、袷を送って来てくれました。
という訳で、夜中の小声の秘密の稽古では、これを着てやることにしました。
普段着る機会が少ないので、洋服でやるのとは違い、少し気が引き締まる気がします。
まさに"普段の着物"ですね。

200911031123001 それから、稽古に使っている扇子と手拭が、これまた"年代物"で・・・。
現役時代に使っていたものなのです。
手拭などは、一度も洗っていませんし、扇子も広げると白扇のところどころにシミのようなものがあり、要も少し緩くなっているようです。
この間の稽古会の時、商人さんが「小言念仏」をやるのに貸してあげましたが、何とか酷使にも耐えていてくれるようです。
これも"普段の風(扇子)"と"普段の曼荼羅(手拭)"です。

東京OB落語会の場所

Img_0001 「生前の駄楽師匠が、『東京で落語をやる時の場所として、JR御徒町駅前の"吉池"の"池田屋"という店に、落語発表会が出来そうな場所がある』と言っていた。」と、蕪生師匠が言っていました。

そこで、下見に行ってみました。
と言っても、飲み食いはせず、パンフレットを取って来たのです。

確かに7階に大宴会場があり、パンフレットによれば、最高90名まで入れるようです。
趣味の集い、踊りの発表会等にもご利用ください。・・とありました。

店の人に聞いてみると、料理が付いて2時間半。それ以降はオーバー1時間毎に5000円追加されるそうです。

現場は見ませんでしたが、場所だけ借りるという訳には行かないようです。

どこか良い場所はないでしょうか・・・・。

乱志の落語徘徊・弐

◆寄席落語会通い
026_photo3 やはり落語に接するということは、落語を数多く聴くということです。
仕事も、ある程度融通の利く立場になり、狂ったように寄席や落語会を覗くようになりました。
狂気は年を追うごとに進行し、とうとう寄席落語会通いの回数は、平成19年には131回、翌年平成20年には183回を数えるまでになってしまいました。
どうやら、私の「どうらく」は、「道楽」でなく「道落」になってしまったようです。
183回といえは、ちょうど2日に一度の割合で生の落語を聴いたことになりますが、同じ噺家・同じネタを聴いても、決して飽きたりすることはなく、聴けば聴くほど、落語の深さや幅広さに魅了されることになりました。

 それでは、平成20年の「狂気の徘徊」の一端をご紹介しましょう。

◇多く聴いた噺家と回数(噺の数)

  1.  柳家三三      37

  2.  柳亭市馬      31

 二つ目 春風亭一之輔    26

  3.  古今亭志ん輔    24

  4.  柳家権太楼     23

  5.  三遊亭鳳楽     23

◇多く聴いた落語ネタと回数

  1.  初天神       13

  2.  金明竹       12

  3.  子ほめ       12

  4.  道具屋       12

  5.  道灌        11

6.  片棒・替り目ほか  10)     

◇多く行った寄席と回数

  1.  鈴本演芸場     14

  2.  国立演芸場      6

  3.  浅草演芸ホール        5

  4.  新宿末廣亭                  4

  5.  池袋演芸場             4

◇多く行った落語会と回数

  1.    ビクター落語会    15

  2.  東京落語会            11

  3.  三遊亭鳳楽独演会   10

  4.  紀伊國屋寄席             6

  5.  若手研精会                 6

2009年11月 4日 (水)

朝のアメ横

200911040702000 上野駅から歩きながらの稽古も3日目。

今朝は、アメ横を通り抜けてみました。
早朝のアメ横は、通行人などはほとんどいませんから、新鮮な感じがします。

朝は爽やかですが、噺の方は、なかなか清々しい出来にならずに、残された時間も僅かになったので、やや焦り気味です。

そう言えば、前回のOB落語会の時も、直前になって、喉が痛くなったとか、声が出なくなったとか、色んな弱音を言って、先輩方が辟易としていたのを思い出します。

今回は言うまいと思っていたのですが、駄目ですねぇ・・・。本番まであと4日です。

圓楽師匠を偲ぶコメント

圓楽師匠のご逝去は、良くも悪くもマスコミに乗った師匠だけあって、多方面から追悼の言葉が寄せられているようです。

Cd_314tocf55131ps 個人のプログからでも、圓楽師匠のことに触れたものもあるそうで、そんな中から、こんな内容のものを見つけました。要約してみます。

10年以上も前、仕事に行き詰まりふらっと立ち寄った寄席で円楽師匠の『浜野矩随』を聞いて、号泣しました。この人情噺の主人公のように「いまの自分の立ち位置で、精いっぱいのできることと、楽しみを見つけて生きた方がいい」と思えるようになった。「圓楽さん、もう一度、あなたの高座が聞きたかった。浜野矩随。いまなら、流す涙の後味が、あのころとは違う気がするのです。」

こういう出会いは、本当に図ったものでないだけに、感動も大きなものになりますね。

私と「浜野矩随」との出会いは、大学2年生の二十歳の頃でした。
聴いていても演っていても、流す涙も台詞も、常に違うのです。
「怠らで 行かば千里の 果ても見ん 牛の歩みの よし遅くとも
」・・・。

NHK新人演芸大賞

Main_image 話は旧聞に属するかもしれませんが、古今亭菊六さんが、今年度のNHK新人演芸大賞の落語部門の大賞を受賞しました。

菊六さんは4年連続の本選出場で、歌謡曲風の独自のアレンジを盛り込んだ「豊竹屋」を演じての受賞。「(今回が)最後のつもりでした。途中間違えましたけど、気持ちは入っていたと思います」と話していたそうです。

受賞したからと言うのではなく、私も注目している噺家さんです。
雰囲気もよし、声もよしで、古今亭圓菊師匠のお弟子さんには、逸材が多いですね。
菊之丞さんもいますし。

乱志の落語徘徊・壱

「らんしのしんら(乱志の森羅)」・・。右から読んでも左から読んでも「らんしのしんら」。

「森羅」とは、「数多く並びつらなること。また、そのもの。」・・・。
乱志が、もっと落語のいろいろなことを語ってみよう、森羅万象・神社仏閣。
・・・という訳で、乱志と落語との接点を回顧してみることにしましょう。

三番目のシリーズは、「乱志の落語徘徊」。
大学を卒業してから遠ざかっていた落語に戻って来て、どんなさまよいぶりをしているのか、纏めてみました。
これも、落研創部50周年記念「仙都に笑いを」に出稿した内容です。

■乱志の落語徘徊■

 落語のブームに刺激された訳でもなく、特に贔屓の噺家がいたのでもありません。

社会に出て(落研を追い出されて)から四半世紀が経って、様々な思いから、再び落語に熱中してみようと決めた時に、世は「落語ブーム」だと言われ始めました。

200906061303000 落研草創期の先輩方が「仙都に笑いを」を上梓されたのも、ちょうどこの頃でした。

私にとっては歴史上の存在だった大先輩の皆さんとの交流が、「落語徘徊」に決定的な火を点けてくれたようです。

「落語徘徊」というくらいですから、何か筋の通った理念や哲学がある訳もなく、ただ心の赴くままに落語に触れて行こうということなのですが、柱のようなものが3本あるようです。
それでは、この3本柱について、次回から説明して行きましょう。

2009年11月 3日 (火)

「OH!バンデス」で宣伝

Ad_16 あの「青葉城恋唄」のさとう宗幸さんが司会をしている、地元ミヤギテレビのオリジナル帯番組「OH!バンデス」の伝言コーナーに、友楽師匠・ぽんぽこさん・現役の節介さんほかが出演し、創部50周年とOB落語会の宣伝をしたそうです。
駄馬師匠からの情報です。

ミヤギテレビには、先輩の内気家てれ生師匠がいらっしゃいますし、私自身も、てれ生師匠のご縁で、学生時代アルバイトで通いましたので、とても懐かしく思います。

さぁ、いよいよ”カウント・ダウン”ですねぇ・・。

義母の命日

今から9年前の今日、義母が亡くなりました。享年72歳でした。

Img_2 朝から冷たい風が吹く寒い日でした。
長男が小学校6年生で、北千住で模擬テストがあったので連れて行き、待つ間に浅草の浅草寺に行き、入院している義母の回復を祈り、ご朱印をもらい、長男を迎えに立ち寄って帰宅する途中で、近所の床屋さんに二人で入ったと同時に携帯が鳴り、看病のため帰していた家内から、義母の逝去を告げられました。
今でも、床屋さんに行くと、「あの時お義母さんが亡くなって・・・」という話題になります。

何もできませんが、家に形ばかり作ってある仏壇に、仏花を買って飾りました。
日中、柴又の帝釈天に行ったのも、同じ宗旨なので、手を合わせようという気持ちもあったのです。

来年で、もう10年になります・・・。

圓楽師匠のお別れの会

先月29日にご逝去された、五代目三遊亭圓楽師匠のお別れの会の日程が発表されました。

 ≪日時≫   11月21日(土)午後4時30分
 ≪場所≫   「東京會館」
           ~東京都千代田区丸の内3-2-1
 ≪主催≫    円楽一門会 

落研創部時代から、大変お世話になった師匠ですから、何か弔意を表さないと。

蕪生師匠と頓平師匠と相談して、誰かにお別れの会に参列してもらおうと・・・。

稽古徘徊・・・

200911031336000 稽古は歩きながらするのが一番という訳で、自宅から柴又帝釈天まで歩くことにしました。

健康づくりと稽古の一石二鳥という趣向ですが、木枯らし一番が吹いた後で、まだまだ風が強く吹いていました。

200911031330000堤防を歩いて松戸側から新葛飾橋を渡り、江戸川の下流に向かい、金町浄水場あたりで、「浜野矩随」のオチになりました。

時計を見ると、31分ぐらい・・・。時間はこんなところでしょうか。

200911031329000 "矢切りの渡し"が見えたあたりでは、後半からオチにかけての、一番自信のない部分と、オチをさらうことができました。

帝釈天は、この間、テレビ東京の「アド街ック・・」でやったばかりなので、いつもの休日以上に賑わっていたようです。

仙台行きチケット

200910091718000 頓平師匠は、JRの「大人の休日倶楽部」のメンバーになっているので、今度の仙台行きの切符を、ずいぶん安く購入されたそうです。
新幹線で往復で約2万円のところが、12,000円でゲットしたそうです。

実は、昨年のOB落語会の時は、頓平師匠が往復の切符と仙台での牛タン定食付きで12,000円という、破格の限定チケットを見つけられ、複数購入が条件だったため、私もご相伴にあずかることができたのですが、残念ながら今回は、二匹目のドジョウはいませんでした。

仕方なく、仙台往復の切符を購入しました。

Hibari102でも、先月の仙台での打ち合わせの時は、出張のついでに行くことができましたので、2回合わせれば5割引きということで、納得することにしました。

現役時代には、「新幹線が開通する」と言われながら、結局間に合いませんでした。
Fh000015 当時は、上野から「L特急ひばり」で4時間15分の旅でした。
今の倍以上かかっていた訳です。
だから、仙台は遠くの街でした。

東北本線と言えば、「ひばり」「はつかり」なんていう特急が懐かしいですね。

特に「L特急ひばり」は、受験の時、ホームシックで帰郷した時、転勤で仙台を離れた時・・・、いつもその時の私の気持ちを包み込むように、「ひばり」が優しく運んでくれました。


Fh000003そういえば、黒磯駅を通過するときに、直流・交流の切り替えを行うため、一瞬電気が消えるなんていうのも、今では懐かしい思い出です。

♪ 上野はぁ おいらのぉ 心の駅ぃだぁ~ ♪
"都落ち"して行った私は、就職列車とは逆方向でしたが・・・。

立川文都さんの訃報

Bunto_r3_c32 いつもご声援、励ましありがとうございます!行けるところまで行きます。 本当にありがとうございます!

三遊亭圓楽師匠が亡くなったのと同じ日、落語界はもう一人、かけがえのない噺家さんを失ってしまいました。

立川 文都さん胃がんで死去、49歳。
大阪市生まれ。84年に立川談志に入門し、98年に真打ちに昇進した。今年夏に胃がんであることを公式ホームページで公表、大阪に戻って療養していた。9月26日に埼玉の「鴻巣寄席」で演じた「浮世根問」が最後の高座になった。

「日暮里特選落語会」で、聴いたことがありました。立川流にありながら、関西弁の落語を演っておられました。かつての桂小南師匠のようでした。

胃がんの闘病生活をホームページで綴っていて、冒頭のコメントは、トップページのものです。

Daini_r5_c19月上旬には、こんなコメントがありました。

腹水を抜いた、少し楽になったけれど、足が浮腫む、どうもでもいいような気もするが、やはり死ぬのは恐い、まともな神経じゃいられないから睡眠薬を飲んで微睡む…何の事は無い、師匠の真似、犯罪心理学では「モデリング」と言うらしい…

そして先月の10日頃には、こんなコメントが・・。 抗がん剤、私にはあまり副作用もなく、と言うことは効き目がない…と思っていましたが、抗がん剤治療三週目、みごと毛が抜け「トウモロコシの毛」のようで頭、剃っちゃいました。
近いうち「文都の癌・最前線」をお伝えします!!
いける所まで行きます
お元気で!では、
また。

さぞや無念だったことでしょう・・・。
心からご冥福を祈りたいと思います。

「浜野矩随」の仕草

200910252008000浜野矩随」は、それほど仕草の多い噺ではありませんが、「腰元彫り」の大きさと質感を出すのは必要だと思います。200910252029000

小さな観音様をどのように持つか。 200910252029001

水を飲むのは?

箒は?

200910252032000 200910252033000 200910252034000 200910252040000 とにかく、修正しなければいけない部分がかなりありますから。

なかなか上手く行かないもので。

一話3分 落語ネタ入門

41ked7abtjl__sl500_aa240_ 桂歌若著「一話3分 落語ネタ入門」(朝日選書)。

桂歌若さんという人自体を知りませんので・・・。

昔からよくあるパターンですが、こういうものこそ、その場の雰囲気で受けるものですから、読んでも「どこが面白い?」と思うものがよくあります。

もっとも、この本は読んでいませんが・・・。

2009年11月 2日 (月)

七代目三遊亭圓生?

Ensho 圓楽師匠が亡くなって、これから色々な動きが出て来るのでしょうが、早速どこかの新聞に、「圓楽師匠は、七代目三遊亭圓生の名跡を鳳楽さんに継がせる意向だった」という記事が載っていました。
内容は、特に目新しいものではなく、以前から言われていたものですが、一体どうなるのでしょう。

言うまでもなく「三遊亭圓生」という名跡は、「三遊亭の"止め名"」です。
三遊派の本流中の本流。現在でも多くの落語家が「三遊亭」の亭号を名乗っているが、その元祖はこの三遊亭圓生であり、六代目の死後、現在に至るまで断絶しているのです。
とにかく、あの「三遊亭圓朝」師匠も、二代目(三遊亭圓生)の弟子だったのですから。

30年前に六代目圓生師匠が急逝した時、六代目のおかみさん(はな夫人)が、醜い跡目争いが起こるのを心配して、「圓生を"止め名"にする」と決めたのだそうです。

ややこしいのは、この「止め名」という言葉の意味です。二つ意味があるようです。
①留め名。一門の最高位の名跡。
(隠居名への改名以外では)それ以降他の名を襲名することはない。
②以後名前を継承
しない(二度と使われないことになっている)名跡。「永久欠番」のようなもの?

六代目をもって圓生という名前は襲名しない(させない)ということを確認するために、おかみさんと、圓生師匠と親しかった稲葉修元法務大臣、圓生全集の編者の山本進さん、圓生百席のプロデューサーの京須偕充さん、そして総領弟子の圓楽師匠の5人が連名で確認書を作り、署名捺印したんだそうです。

Rakugodl00163s その書面が有効であるならば、圓楽師匠が(一存で)鳳楽師匠を襲名させるというのは、この5人の確認に反する、ということになります。

ただ、この5人のうち、圓楽師匠が亡くなって、3人が鬼籍に入り、どちらかというと第三者的な立場の2人が残った訳ですが、一体どうなるのでしょう。

山本先生は、昨年の「学士会落語会」で、「色々な問題があり、絶対に話せない。黙って墓場に持って行く。」というようなトーンで仰っていました。

名跡が大きいだけに、色々悩ましい問題や柵(しがらみ)があるのかもしれません。
でも、落語好きから言わせてもらえば、歌舞伎の世界と異なり、「圓生」という名跡は、個人に付くものであって、家族(遺族)のものではないと思うのです。
ですから、そもそも遺族が「止め名」にするなんていうのは、無理があると思うのです。
百歩譲って、子や孫が噺家になっているのならともかく。(これも違和感はありますが。)

六代目圓生が名人だったことは誰もが認めるところだと思います。
でも、その名前が襲名出来ないなんて、とても残念に思います。
新しい時代の、新しい圓生が出て来て欲しいのです。

そういう意味で、圓生の名前が復活するというのは、むしろあるべき方向だと思います。鳳楽師匠は、その有力な候補者の一人だと思うのです。

タブーなのでしょうか・・・・。

■六代目 三遊亭圓生●
五代目 三遊亭圓楽●三遊亭鳳楽
              三遊亭楽太郎(六代目 三遊亭圓楽)
六代目 三遊亭圓窓(八代目柳枝没後圓生門下へ)
三遊亭圓彌●(八代目柳枝没後圓生門下へ)
川柳川柳(圓生門下では、三遊亭さん生 ・ 五代目小さん一門へ)
春風亭一柳●(圓生門下では、三遊亭好生 ・ 八代目正蔵一門へ)
三遊亭圓丈
三遊亭圓龍
七代目 三遊亭圓好●(初め五代目圓楽門下すぐに圓生門下へ)

東京の落語界・弐

東京では、噺家の数も増え、定席だけでは到底受け止められないこと、前述したようなエンターテインメントの多様化、さらには社会貢献やボランティア意識の向上や定着という環境から、噺家自身や後援者や、ファンによる手作りの落語会が多く開かれるようになっていると思います。

0227houraku02 ひとつには、立川流や圓楽一門会など、寄席に出られない団体の、落語の場を作るための努力や試行錯誤の賜物ということもできるでしょう。

手作りの独演会を続けている噺家、ある若手を育てるために手弁当で落語会を主宰するご夫婦、趣味と営業を兼ねて店(飲食店)で落語会を開いている人、町おこしと趣味と若手育成のために場所を提供する人・・、それぞれ何人かの人と、接点やお付き合いがありますが、その情熱には、本当に頭の下がる思いです。

こういう草の根的な落語会が、今まで以上に落語界の基盤になることでしょう。

当然のことながら、寄席も古くから続いている落語会も、出版会社などのメジャーな企業が主催する新しい落語会も盛況で、「東京かわら版」には、毎月500以上にも及ぶ落語会の情報が掲載され、今日も明日も様々な企画の落語会が開かれているのです。

落語界はブームにも乗り、基本的には健全な流れになっており、この流れを噺家自身がしっかりと理解して、自浄力を発揮し続けることができれば、多くのファンに支持され、実力を備えて行けば、名人上手が大勢生まれて来ることでしょう。

今まさに、その胎動が始まり、名人上手を目指す中堅や若手が増えつつあるのは、本当に素晴らしいことだと思っています。

落語四天王

圓楽師匠のご逝去もあり、落研の大先輩方が上梓した「仙都に笑いを・草創記」を繰っていると、大変貴重な写真がありました。

昭和36年の「第二回古典落語鑑賞会」の時のものです。
この時に出演したのは、以下5人の新進の二つ目さんでした。

Img_2_2     ◇ 三遊亭全生    紺屋高尾
   ◇ 古今亭朝太    風呂敷
   ◇ 柳家小ゑん    ずっこけ
   ◇ 林家照蔵      麻のれん
   ◇ 柳家小団治    夏の医者

このメンバーがどれぐらい凄いかというと、真打昇進後の名前を見れば一目瞭然でしょう。
Img    ◇ 三遊亭圓楽
   ◇ 古今亭志ん朝
   ◇ 立川談志
   ◇ 春風亭柳朝
   ◇ 柳亭燕路(先代)     ・・・・どうです。

この中で、先代の燕路師匠は夭折でしたが、残りの4人こそ、後の「四天王」なのです。

Img_3 "栴檀は双葉より芳し"ということでしょうか、それとも我が落研の先輩方の慧眼なのでしょうか。
いずれにしても、今思えばプラチナペーパーということでしょう。
"類は友を呼ぶ"で、実力のある噺家さんは、誰言うとなく自然に集まって切磋琢磨していたからというのが正解のようです。
この時の窓口になってくださったのが、全生さん(圓楽師匠)なのです。

Img_3_2 この後、初代部長の麻雀亭駄楽師匠が、人形町末広の楽屋を訪ねて出演を依頼したのが三遊亭吉生さん(圓窓師匠)。その吉生さんが紹介してくれたのが同期の柳家さん治さん(小三治師匠)だったのです。

今ならば、市馬・談春・喬太郎・昇太さんがこの時の4人、その後に菊之丞・三三さんが来てくれた・・・、そんな感じなのでしょうか・・・。

200906061306000 若手の噺家さんの協力と芸がなければ、田舎の駅弁大学の落研など、きっと長く続かなかったことでしょう。
やはり、全生さん(圓楽師匠)が作ってくれたルートこそが、わが落研のルーツだったことは間違いありません。
改めて感謝です。

落語CD昭和の名人≪22≫

Img 八代目春風亭柳枝師匠。
「柳枝」という名跡は、柳派の止め名だそうです。

私が、「全日本学生落語名人位決定戦」というのに出場した時の噺が、前半は小さん師匠の「出来心」、後半が柳枝師匠の「花色木綿」でした。

勿論、ご存命の頃は知りませんが、声も調子も大好きな師匠でした。

それに、圓窓師匠の最初の師匠ですから、私にとっては、圓生師匠と柳枝師匠が、「大師匠」ということになります。(何という生意気・何というこじつけ!)

大きな噺ではなく、落語らしい噺を丁寧に磨き上げるタイプで、寄席に欠くべからざる存在の師匠だったそうです。

「ご機嫌よろしゅうございます。お笑いを一席お邪魔を申し上げます。」なんて、丁寧な言葉遣いも印象に残ります。

「花色木綿」は、私が落語を初めて楽しく演ることが出来た噺です。
「一体この裏を何だと思うんだ!」
「大家さん、この裏も花色木綿・・」

2009年11月 1日 (日)

竹扇松戸落語会

Img_4 松戸に住むHさん(会社の先輩)の行きつけの「竹扇」という店があり、この常連さんたちのお酒の上の話から、雷門花助さんという、松戸出身の二つ目さんの落語会をやろうということになったのだそうです。
Img_0001 名付けて「竹扇松戸落語会」。
Hさんに勧められて、ちょいと出かけてみようと思い、い
つも一緒に落語を聴きに行っているIさんも誘いました。

会場の松戸東口会館というのは、近くにいながら知りませんでした。
200911011335000民館みたいなものでしょうか。
でも、和室には小さな舞台もあり、なかなか良い雰囲気です。

200911011353001 ◆ 子ほめ     春風亭昇也

◆ 初天神     雷門花助

◆ 井戸の茶碗  雷門花助

落語芸術協会所属ということもあり、初めて聴く噺家さんですが、真面目な感じで好感の持てる二つ目さんでした。
地道に頑張っているようですから、この落語会も続いて行くと良いと思います。

朝大師匠のメール②

落研草創期、二代目部長の朝大師匠から、OB落語会を前にしていることもあり、頻繁にメールを頂戴しています。
朝大師匠は、仕事の関係で、長くタイにご在住。今回のOB会も、わざわざタイから帰国されてのご参加予定です。

圓楽師匠のご逝去のニュースを聞いて、圓楽師匠とのエピソードを紹介してくださいました。

026_photo3 大学の4年生の時、帰省の途中東京に寄り鈴本演芸場に行きました。
入口の前で「おやYさん(朝大師匠)ではないですか。これからお茶漬けでも食べようと思っているところです。一緒にどうですか?」というわけで、路地を入った茶漬け屋で、師匠にお茶漬けをご馳走になりました。
小一時間の間に師匠のマージャン談義、囲碁談議をいろいろ聞かせてくれました。ちょうど、小生がM社に入社するのが内定していた時で、「麻雀で大分稼いだので、(同じグループの)Mの車を買いました。
確かに当時師匠はMの車に乗っていたと聞いています。大卒の新入社員の月給が2万円の当時、Mの車は40万円ぐらいしていたと思います。

鈴本演芸場の入り口で、噺家さんから名指しで声をかけられ、さらに奢ってもらえるなんて・・・、羨ましい限りです。

東京の落語界・壱

Guide_ph_03 演芸情報誌「東京かわら版」の「寄席演芸年間2009年版」によれば、東京の落語4団体(落語協会・落語芸術協会・立川流・圓楽一門会)に所属する噺家は、合計465人です。

これを階層別にみると、前座52人・二つ目106人・真打307人で、極端な逆ピラミッド型になっているのが分かります。

 一方、1983(昭和58)年の雑誌「落語界」によれば、前座37人・二つ目82人・真打143人の合計262人。

  

  ◇噺家数の推移

          1983年  2009年  増減

   真 打    143    307   (+164)

   二つ目         82           106         (+ 24)

      前  座     37           52         (+ 15)
      合  計          262           465         (+203)

もともと前座5年・二つ目10年・真打は終身という仕組みですから、このような形は必然ではありますが、エンターテインメント化による噺家の地位向上から入門者が増加、それに長寿化が相俟って、25年前に比べて真打は倍増しています。

Img_2かつての落語協会分裂騒動の発端は、大量真打問題でしたが、当時よりもこれだけ噺家が増えているにも拘わらず、表立った騒動や論争になっていないのは、騒動からの学習効果による、実に日本人的な対応によるものなのだと思います。

このような中で、一部に個別の事情や問題こそあれ、表面的には粛々と真打昇進や襲名が行われているのは、まずもってよしとすべきでしょう。

国立演芸場開場30周年記念

Img_0002_2 三宅坂・最高裁の隣の国立演芸場も今年が開場30周年です。

この30年前のこけら落とし公演の音源がCD10枚・35演目で発売されるそうです。税込19,800円。

落語だけでなく、漫才や漫談も入っているようで、春日三球・照代、内海桂子・好江等々、かえってこれらが聴きたい気がします。

1979年3月、東京都千代田区隼町に落語・講談を中心とする国立演芸場が開場。
Intgzomeisxx_200900002099_001 3月23日~29日にかけて、国立演芸場 第1回特別企画公演 国立劇場演芸場開場記念『日本の寄席芸東西名人揃いぶみ』が開かれた。
まさに東西名人揃いぶみ、といえる豪華出演者が揃った歴史的な貴重な記録をCD10枚に再編集。
すでに故人となった名人たちや、現在も活躍するベテランたちの若き日の姿がそこにあります。
7日間の公演のタイムカプセルであり、新しい演芸場の開幕にあたって期待や祝福の気持ちが感じられる、いずれも熱のこもった名演の記録です。

ボーナスが出たら買いましょうか・・・。

私にとっては、ちょうど落研を卒業した年で、ということは、リアルタイムで聴いていた芸そのものですから。

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