圓楽師匠が亡くなって、これから色々な動きが出て来るのでしょうが、早速どこかの新聞に、「圓楽師匠は、七代目三遊亭圓生の名跡を鳳楽さんに継がせる意向だった」という記事が載っていました。
内容は、特に目新しいものではなく、以前から言われていたものですが、一体どうなるのでしょう。
言うまでもなく「三遊亭圓生」という名跡は、「三遊亭の"止め名"」です。
三遊派の本流中の本流。現在でも多くの落語家が「三遊亭」の亭号を名乗っているが、その元祖はこの三遊亭圓生であり、六代目の死後、現在に至るまで断絶しているのです。とにかく、あの「三遊亭圓朝」師匠も、二代目(三遊亭圓生)の弟子だったのですから。
30年前に六代目圓生師匠が急逝した時、六代目のおかみさん(はな夫人)が、醜い跡目争いが起こるのを心配して、「圓生を"止め名"にする」と決めたのだそうです。
ややこしいのは、この「止め名」という言葉の意味です。二つ意味があるようです。
①留め名。一門の最高位の名跡。(隠居名への改名以外では)それ以降他の名を襲名することはない。
②以後名前を継承しない(二度と使われないことになっている)名跡。「永久欠番」のようなもの?
六代目をもって圓生という名前は襲名しない(させない)ということを確認するために、おかみさんと、圓生師匠と親しかった稲葉修元法務大臣、圓生全集の編者の山本進さん、圓生百席のプロデューサーの京須偕充さん、そして総領弟子の圓楽師匠の5人が連名で確認書を作り、署名捺印したんだそうです。
その書面が有効であるならば、圓楽師匠が(一存で)鳳楽師匠を襲名させるというのは、この5人の確認に反する、ということになります。
ただ、この5人のうち、圓楽師匠が亡くなって、3人が鬼籍に入り、どちらかというと第三者的な立場の2人が残った訳ですが、一体どうなるのでしょう。
山本先生は、昨年の「学士会落語会」で、「色々な問題があり、絶対に話せない。黙って墓場に持って行く。」というようなトーンで仰っていました。
名跡が大きいだけに、色々悩ましい問題や柵(しがらみ)があるのかもしれません。
でも、落語好きから言わせてもらえば、歌舞伎の世界と異なり、「圓生」という名跡は、個人に付くものであって、家族(遺族)のものではないと思うのです。
ですから、そもそも遺族が「止め名」にするなんていうのは、無理があると思うのです。
百歩譲って、子や孫が噺家になっているのならともかく。(これも違和感はありますが。)
六代目圓生が名人だったことは誰もが認めるところだと思います。
でも、その名前が襲名出来ないなんて、とても残念に思います。
新しい時代の、新しい圓生が出て来て欲しいのです。
そういう意味で、圓生の名前が復活するというのは、むしろあるべき方向だと思います。鳳楽師匠は、その有力な候補者の一人だと思うのです。
タブーなのでしょうか・・・・。
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■六代目 三遊亭圓生● |
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五代目 三遊亭圓楽●-三遊亭鳳楽
三遊亭楽太郎(六代目 三遊亭圓楽) |
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六代目 三遊亭圓窓(八代目柳枝没後圓生門下へ) |
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三遊亭圓彌●(八代目柳枝没後圓生門下へ) |
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川柳川柳(圓生門下では、三遊亭さん生 ・ 五代目小さん一門へ) |
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春風亭一柳●(圓生門下では、三遊亭好生 ・ 八代目正蔵一門へ) |
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三遊亭圓丈 |
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三遊亭圓龍 |
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七代目 三遊亭圓好●(初め五代目圓楽門下すぐに圓生門下へ) |
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