« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

2009年10月31日 (土)

国立名人会

Img_0001 国立演芸場での国立名人会。
今日のお目当ては、林家正雀の芝居仕立て「双蝶々〜雪の子別れ」です。

◆ 元犬       古今亭志ん坊

◆ 宮戸川     春風亭柳好

◆ あくび指南   柳亭燕路

◆ 鉄の男     柳家小ゑん

◆ 双蝶々     林家正雀

疲れが出ていたものか、ウトウトしながら聴きました。
Img_0003 前座の志ん坊くんは、大変期待しているのですが、今日もきっちりとした高座を見ることができました。

小ゑんさんは、あまり聴く機会はないのですが、新作・創作落語の重鎮として、なかなか良い味です。

柳好さんも燕路さんも、派手ではないものの、フラのある噺家さんだと思います。

正雀師匠は、マクラで、圓楽師匠のことに触れていました。
圓楽師匠は、稲荷町の師匠(八代目正蔵)の骨太の芸が好きだったそうです。
双蝶々は熱演でした。
じっくり聴かせていただくことができました。

終演後、来場されていた、蕪生師匠と頓平師匠と三人で、来週のOB会の打ち合わせにかこつけ一献。

圓楽 芸談 しゃれ噺

7andy_31742421 急逝された三遊亭圓楽師匠が3年前に上梓された「圓楽 芸談 しゃれ噺」の中に、我が落研のことが書かれている部分があります。
(各大学の落研との交流の部分。我が落研は153~154ページです。文中[ ]内は私の注釈です。)

東北大学で落語会をやるっていうんで強ちゃん[古今亭志ん朝(当時は朝太)]と一緒に行ったことがありましたっけ。[昭和35年6月29日の「第1回 古典落語観賞会」のことでしょう。]
ところが講堂[東北大学中央講堂]に行ってみたらば、何にもない。
「高座を作らなきゃ駄目ですよ」って言ったんですが、肝心の畳がない。
それで柔道の床に使っていたのを三枚ばかり敷いたら、なかなかいいんで、それでやることにしたんです。
ところが、そのときあたしは「淀五郎」をやったんですが、大星由良之助が塩冶判官に駆け寄って「御前!」ってやる所で、ぱっと手をついたら、バアンって埃が舞い上がった。
長年柔道で使ってたんで、埃が蓄積してたんですね。
おかげで、埃がむせて大変でね。
「由良之助」って判官が言うときは、切腹してるわけだから、声がかすれてなくちゃいけない。
だからかすれた声で言えって教わってたんですが、かすれるどころか、埃でむせて咳が出るわ出るわ。
お客さんもワーッと笑っちゃって、アゲもサゲももうどうにもならない。

220pxtohoku_university28katahira_no そのあと、名前は忘れましたが、教授[勝浦捨造先生?]が出て来て、「いま、日本の主立った大学にはどこも落研があるのに、天下の東北大学にないのは恥です」って言い出した。
おかげで、落研も出来たし、落語会も盛んになったってんですが、まあ"埃高き"高座には難儀をしました。

この時の入場料は30円。
中央講堂というのは、片平キャンパスにあり、その後公孫樹食堂となり、平成6年に解体されたようです。

先輩方が上梓した「仙都に笑いを・草創期」に、当日の番組が紹介されています。
   ◆ 道具屋      麻雀亭駄楽(落研初代部長)
   ◆ お化け長屋   三遊亭全生(圓楽師匠)
   ◆ 宿屋の富    古今亭朝太(志ん朝師匠
)
            仲入り
   ◆ 厩火事      蛇豆亭万母(早大落研)
   ◆ 明烏       古今亭朝太
   ◆ 淀五郎      三遊亭全生

42_1_1 この"埃高き"畳は、大学の守衛詰所の部屋の隅っこに敷いてあったものを急遽借用したものなのだそうです。

写真は、昭和52年3月の入学試験合格者発表の時のものだそうですが、右側に「公孫樹(いちょう)食堂」が見えます。

神無月の落語徘徊

今月も寄席落語会徘徊は、今一歩でした。
ただ、今年前半の貯金もあり、下旬に今年通算90回を超えました。
何とか、年間100回は達成することはできそうです。

◆  4日  特撰落語会   扇遊・権太楼

◆ 11日  東京発・伝統WA感動 落語公演 権太楼・正雀

◆ 23日  三遊亭鳳楽独演会

◆ 24日  三田落語会    菊之丞・扇辰

◆ 27日  鈴本演芸場演芸場下席   三三・白酒ほか

◆ 31日  国立名人会   燕路・正雀

Cd_314tocf55131ps 今月は、来月の「落研創部50周年記念OB落語会」に向けた準備というか悪あがきというか、稽古も含めて一色になりました。

このプログも、落研のホームページも、かなり力が入っていた気がします。

それから、久しぶりに行った仙台での、大学のホームカミングデー。
駄馬師匠と見て回った、川内・片平両キャンパスは、ずいぶん様変わりはしていたものの、懐かしさが一杯詰まっていました。

Gnj0910301509025n1 そして、月末になって飛び込んで来た、三遊亭圓楽師匠の訃報。
心からご冥福を祈りたいと思います。
と同時に、今度のOB会での「浜野矩随」には、圓楽師匠に奉納するつもりで演らなければいけません。
私と「浜野矩随」を結びつけてくれた圓楽師匠には、改めて感謝する必要がありますから。

今月も色々ありました。
それでも、ますます乱志&流三の徘徊・彷徨・逍遥は続きます。

  

朝大師匠のメール①

P1000049_2 落研創始者の駄楽師匠の後の二代目部長で、創部間もない落研を、大学の正式な部として学友会メンバーにした朝大師匠からメールをいただきました。
朝大師匠と圓窓師匠は、同じパンツをはきあった仲なのだそうです。
駄楽師匠なき後、私が圓窓師匠にお世話になっていて、いわば保護者みたいな存在です。

「浜野矩随」の稽古のことは、圓窓師匠から直接お聞きになっているようで、メールで、「OB落語会は、"三流亭流三"で出ると思っていた。チラシには"金願亭乱志"とあったが。」と・・・・。

私は、金願亭乱志で三流亭流三です。
"ジキルとハイド"と言うより"与太郎と与太さん"みたいなものですが、こんな風に言っていただいて、大変嬉しく思いながらも、全く予期していないコメントに驚きました。
今回は、落研のOB落語会なので、何の迷いもなく私は「金願亭乱志」のつもりでしたから。
私にとっては、どちらも大切な名前ですが、今回は落研のメンバーとして「乱志」で演らせていただきたいと、返信しました。

2009年10月30日 (金)

三遊亭圓楽師匠の訃報

三遊亭圓楽師匠がお亡くなりになりました・・・。

09783a1_1 落研の草創期に大変お世話になり、折に触れて落研の話を、弟子や知人にされていたそうです。
そして、私自身も現役時代に、「ねずみ」「薮入り」「花筏」そして「浜野矩随」と、数少ない持ちネタのうち4題も、圓楽師匠音源などを参考にさせていただきました。

夜9時のNHKのニュースでもトップニュースで放送されました。

20090703020jd 落研には、宝物の写真があります。
昭和39年の創部5周年記念「三遊亭圓生一門会
」後の写真です。
圓生師匠と並んで、子供を膝に乗せた圓楽師匠と圓窓師匠(当時は吉生)が映っています。

心からお悔やみを申し上げたいと思います。

来週の「浜野矩随」は、図らずも、圓楽師匠に奉納させていただく場にもなってしまいました・・・・。

河北新報夕刊の記事

駄馬師匠から、本日の河北新報夕刊に、我々落研の50周年の記事が載っているとの情報。

ありました。ありました。
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/10/20091030t15034.htm

20091030015jd 東北大落語研究部の創部50周年を記念したOB落語会が11月8日、仙台市宮城野区の仙台ガーデンパレスで開かれる。「仙都に笑いを」を合言葉に活動を続ける落研にとって節目の寄席。高座に上がる出演者は「落研から始まった自分の落語の集大成を見せる」と意気込んでいる。
 在学中に八代目桂文楽に名前弟子を許され、桂友楽を襲名した大友健弘さん(66)=泉区=ら6人が出演する。1966年卒の大友さんから、今春卒業したばかりのOBもいて、出演者の年代は幅広い。現役部員17人は会場設営など、運営を裏方で支える。
 演目は古典落語が中心で、とりを務める大友さんは大ネタ「井戸の茶碗(わん)」を披露する。
 大友さんは年間50回近く、仙台市内の町内会などの招きで口演を重ねる。17日には南鍛冶町町内会集会所(若林区)の「落語を聞く会」で、約20人を前に「井戸の茶碗」を演じた。
 「観客を前にしてこそ腕が上がる。狙った所で笑いを取ったり、間を計ったり。積み重ねが大事」と大舞台に備える。
 OB会は6月に記念誌「仙都に笑いを 東北大学落語研究部創部50周年号」を発行するなど、創部半世紀を記念する活動を続けてきた。
 記念落語会の実行委員長でもある大友さんは「これまで2年に1回のペースで開いてきたOB落語会の集大成。100周年につながるよう、今後も活動を充実させたい」と話している。
 OB落語会は午後2時開演。入場無料。OBたちが舞台に上がり、50年を振り返る口上もある。連絡先は大友さん022(218)3636。

友楽師匠と駄馬師匠が頑張って、広宣活動をやっていただいています。
もう少し、他の出演者の話題にも触れて欲しい気もしますが・・・。

朝の御成街道

200910300649000 天気も良いし、時間もあるので、今朝は上野から三越前まで、通称「御成街道」を歩きながら、「浜野矩随」をさらうことにしました。もう、「普段の袴」に出て来る道具屋さんはありません。
200910291443001 とにかく、伝説の名人「談亭志ん志」・「喰亭寝蔵」両師匠ですら、古狂師匠をはじめ、様々なプレッシャーに耐え、これを克服すべく頑張っておられるようですから、いわんや乱志
をしてをや、でありますよ。
上野から三越前までで、ちょうどマクラからオチまで一通り入りました。
約35分ぐらい・・・

おかげさまで、今日一日のエネルギーを全て使い果たしました・・・。

OB落語会 in 東京

2_p 先日の落語っ子連の稽古の時、圓窓師匠に、「いよいよ我が落研のOB会も、東京で落語会を開くことが出来そうです。」と報告したところ、大変喜んでくださいました。
そして、師匠もご支援・ご協力を約束してくださいました。

Toh_e_m_p OB会の「話」ばかりが先行して、まだまだ「噺」が追い付い来ていない部分もありますが、周囲の期待も少なからずありますので、逡巡しているOBの皆さんのエントリーをお願いしたいものです。
きっと、あとちょっと背中を押してくれるも何かがあれば、雪崩をうつように「私も」「俺も」ということになるのだと思うのですが・・・。

是非とも「第一回 東京OB落語会」を実現させたいと思います。

「浜野矩随」の旬?

Kuzuimonokakudai 東京かわら版11月号の堀井憲一郎さんの特集「ホリイの落語狂時代」のテーマは、「秋によくきく落語」です。

落語を数多く聴く堀井さんが、秋に聴く落語や月別に聴いた回数をまとめたというもの。

その中に、何と「浜野矩随」もリストアップされているではありませんか。
堀井さんは、1年間で17回も「浜野・・」を聴いていて、うち2月に4回・11月に5回だそうです。
圓楽師匠の「浜野・・」では、舞台(季節)が"11月の下旬"だと言っていますから、11月が多いというのは納得できますね。
いずれにしても、寒い時期の方が良いでしょうが、12月は旬の噺も多いし、1月のようなおめでたい月には合わない内容ですから、次に多いのが2月になるのでしょう。

それよりも、「浜野・・」が、こんなに多く演じられているというのが驚きです。

小学五年生

11_cover 小学館の学習雑誌「小学五年生」「小学六年生」が、廃刊になるのだそうです。
昔は、付録の付いた月刊誌が欲しかったものでした。
週刊誌が30〜50円ぐらいで、月刊誌は200円ぐらいだった気がします。
学習研究社の「学習」「科学」や「○年コース」、旺文社の「○年時代」なんていうのもありました。
世はダイバーシティの時代で、学年別のセグメントでは、ニーズに応えられないのでしょうか?
それともマーケット(子どもの数)が減ったからでしょうか?
活字離れが進んだからでしょうか?

いずれにしても、また子どもの頃の細やかな夢だったものが、またひとつなくなる気がします。

ぴっかぴかの一年生は大丈夫なのでしょうか?

2009年10月29日 (木)

人形町・・

Bfcdb7c1bbd4 今日は仕事で、色々な場所を歩きましたが、人形町で面白いものを見つけました。

200910291443001 「リニューアルからくり櫓」完成という旗。

そして、除幕を待つだけのような櫓を発見しました。

よく見ると、噺家さんの名前が入っています。
圓太郎、圓生なんていうのがあった気がします。

200910291443000 人形町にはよく似合いますねぇ。

OB会の出席者

Banner OB会の出欠の締め切りが今日だったそうで、駄馬師匠が、途中経過を教えてくださいました。

OBが44名、現役が7名、合計51名になったそうです。

ゴルフのエージシュートではありませんが、「50」を超過しました。

これからまだ増えるかもしれませんね。

・・・ということは、その前の落語会も、最低50名の観客がいるということですね。

そして、駄馬師匠からお聞きした、OB会出席予定の名前を見て驚きました。
現役時代にお世話になった方々が大勢いらっしゃるではないですか。
駄楽・酔狂・寝蔵・遊狂・喜楽・から志・金魚・千鳥・愛狂の各師匠。
同期のこり生・狂楽さんなど・・・。
「お前も随分偉くなったねぇ〜」と、きっと言われるでしょうね。
また別のプレッシャーを感じ始めました。

落語「ブーム」考・五

Manekii 落語という芸能は、何千万人ものファンを擁する野球やサッカーなどプロスポーツや音楽などのメジャーな芸術と比べると、本当にミニマムな世界で愛好されています。

例えば鈴本演芸場が立ち見になっても約300人。

○○スタジアムや◇◇ドームに詰めかける観客やサポーターが何万人というのとは訳が違います。

この狭小な場所に通い、空間を埋めているのは、ごく少数の常連たちです。

200906082204000 その上に、落語が新鮮に映って入って来るわずかな人たちが加わり、落語のブームは今日も地味に続いているのです。

小さな井戸の中の出来事ですが、本当に好きな人が、好きなように楽しめる限り、

他のスポーツや芸能・芸術などの賑やかさに右顧左眄しなければ、決して井戸の水は涸れることなく、今まで以上に立派に維持され発展して行くと思います。

(落語「ブーム」考〜「仙都に笑いを」50周年記念号)

護衛艦「くらま」

海上自衛隊が、またやってしまいました。

300pxjmsdf_destroyer_kurama_28ddh14 「くらま」って、菅さんが観艦式で乗った艦ではありませんか?(違うか・・)
かんかんしきでかんに
のるかんさん・・。すもももももみたいですね。

どうやら、ぶつかった相手のコンテナ船よりも「くらま」の損傷の方が酷いようで、日本の防衛力が心配になって来ます。
軍艦も意外に柔なんですね。トホホ・・。
コンテナ船に"コン"てな訳でぶつかっただけで・・。

それでなくても、この海域は狭くて混雑するのですから、もっとコンテナい(混んでない)時に航行すればよかったのに。


♪コンテナ船々・・♪なんて・・・(権太楼師匠じゃぁありませんが。)

「くらま」は観艦式には出ない方がよかった。やはり「義経」にしておくべきでしたね。

特に夜はねぇ、何と言っても暗間(くらま)は危ないですから。

先輩からのコメント

Kuzuiup 「浜野矩随」について、先輩の古狂師匠から・・・、
乱志さんの出し物「浜野矩随」いい噺です。先日CDで約35年前の円楽師匠のを聞きました。若狭屋、矩随、母親の切れの良いテンポに改めて芸の深さに感心しました。
同時に志ん生の「名工矩随」と聞き比べしましたが、これは長屋、骨董屋、時代の臭い、という風が見事に蘇ります。一言で言えば前者はデジタル流で後者はアナログ調です。
さて、乱志師匠の演技から何が蘇るか楽しみです。まさか円窓師匠ではないでしょうね。

また、大先輩の団巣師匠からも・・・、
時間短縮のアドバイスがあるようですが、(「浜野矩随」は)フルコースで聴きたいですね。母親は殺しちゃうのかどうか、そして圓窓師匠直伝のオチは果たして・・・・。

・・・・というようなコメントを頂戴しました。

日一日と、プレッシャーが募ってまいります。w(゚o゚)w

さらに、越後の名人寝蔵師匠は、ビデオカメラをカラオケに持ち込んで、「かたきの首」の稽古をやっていると聴き、あの名人をして・・と思うと、先日の落語っ子連で、圓窓師匠の前での無様な稽古ぶりが、ますます情けなくなって来ます。 ゚゚(´O`)°゚

それはそれとして・・、古狂師匠には、「直前にプロの噺を聴かないでください。酸っぱいレモンを食べる直前に、砂糖を舐めるようなもので、ますます酸っぱくなって、食べられなくなりますよ。」と申し上げたいですねぇ・・。 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

・・・という訳で、先輩方には、事前にすっかりネタ・舞台裏がばれてしまっているようです。
まぁ、その方が気が楽かもしれませんが・・・。 

2009年10月28日 (水)

米朝師匠が文化勲章

223323_t80 上方の桂米朝師匠が、文化勲章を受勲するそうです。
新聞では、「古典落語の桂米朝氏」とありましたが、違和感がありますね。
「『落語』の桂米朝『師(師匠)』」でしょう。
「古典」と入れたのは、単に「落語」というよりも、箔が付くと思ったのでしょう。
理屈はともかく、人間国宝に加えての栄誉です。
大変喜ばしいことです。

米朝師匠には、いつまでもお元気でいて欲しいものです。

大相撲の元横綱大鵬さんも、文化功労者に選ばれたとのこと。
世間一般で、品格が失われつつある中で、昭和を代表する大横綱の栄誉は、リアルタイムで応援した世代には、これまた嬉しいものです。

落語「ブーム」考・四

その4◆現代日本のお国事情
026_photo3  高齢化社会の到来、団塊の世代の大量退職ということも無視できない要因です。今、どこの落語会に行っても、高齢の観客の多さが目立ちます。
若い人が少ないと嘆く向きもありますが、寿命が伸び、老人人口が絶対的に増える中、人生経験もあり、人の道や生きることの大切さを知る多くの人たちから支持を受けることができた落語は、短期的なブームでは終わらない力を備えることができたのです。
また、かつて企業戦士として激しい競争を生き抜いて来た世代のリタイアの時期とも重なり、趣味が少ないと言われる人たちにとって、落語は格好の受け皿になりえたはずです。

落語百選≪28≫

Img_0003 二代目桂小南師匠。
忘れられない噺家さんです。

小南師匠は、昭和40〜50年代の頃に、落研主催の落語鑑賞会にご出演くださいました。
外見通りの穏やかで優しい師匠でした。
「野崎」の出囃子に乗って、ニコニコしながら高座に向かう姿が、まだ脳裏に残っています。
昭和52年の秋でした。

あの時のことを、記念誌「仙都に笑いを」で、私は以下のように述べています。

桂小南も、東京で上方弁を使った独特の落語が「小南落語」として知られる大看板で、昭和47年の第12回古典落語鑑賞会に出演してもらっていた。
今回も、出演者の実力と知名度もあり、加えて落研のメンバーには、前年・前々年で培った自信もある。
意を汲んでくれた1・2年生も全員が一生懸命になって頑張り、チケットの販売はじめ、準備は順調に進められた。
12月1日、「第15回古典落語鑑賞会」の会場の仙台市民会館小ホールは、昼夜共に満席になった。木戸銭は500円。
(中略)
桂小南は、お囃子さんを連れて来て、寄席囃子の実演を見せるなど、落語だけでなく、ライフワークとしていた落語の布教活動の一端も披露してくれた。
落研からリクエストして番組に入れた、十八番の「菜刀息子(ながたんむすこ)」は、古典落語鑑賞会の中でも屈指の名演だったといえよう。

それにしても、あの身近になった師匠の在りし日々を読むというのも、嬉しいような、悲しいような・・。
それにしても、あの「菜刀息子」は素晴らしかったなぁ・・。
「菜刀を誂えて難渋いたしておりまぁす。」・・なんてねぇ。もう一度聴いてみたいものです。

志の輔らくご in PARCO

Img_0003 立川志の輔さんの事務所「オフィスほたるいか」から、来年の「志の輔らくご in PARCO」の予告DM。

・・・・そういえば、久しく志の輔さんを聴いていません。
とにかく、今最も取りづらいチケットの最右翼ですから。

談志・小三治・志の輔・談春・昇太の各師匠でしようか・・・。

渋谷パルコでの公演は、1ヶ月間の長期の芝居で、いつも即日完売のチケットです。
何年か続けて聴きに行っていたのですが、今年のお正月は行くことが出来ませんでした。
さあ、来年はどうしましょうか・・・・。

2009年10月27日 (火)

鈴本下席

200910271807001 鈴本演芸場11月下席。
下席は、柳家三三さんが主任の、名付けて「秋の夜長の長講十夜」という芝居。
この間送られて来た案内葉書を持って行ったので、木戸銭は2200円に割り引き。

◆ 松山鏡         柳家一琴
200910271928000◆ 権助医者       柳家さん生
◆  (意識混濁)       桂藤兵衛
◆ 替わり目          桃月庵白酒
◆ 目黒のさんま  入船亭扇辰
◆ 大山詣り       柳家三三

三三さんが座布団に座った時に、ちょっとしたアクシデント。
200910271807000 「ちょっとすみません」と立ち上がり、座布団を返しました。
前座さんが、座布団を縫い目のある辺を客席に向けて返したらしく、縫い目のない辺を前に向け直したのです。
これは前座さんの大しくじりです。

大山詣りも、相変わらずのリズムとテンポで、客席から拍手と笑いを取っていました。

フラッと行く寄席もいいものです。
残念なのは、藤兵衛師匠のマクラで、「饅頭こわい」かなと思いながら意識不明になり、噺が聴けませんでした。
ただ、「饅頭・・」ではなかったようです。
藤兵衛師匠ごめんなさい。

落語「ブーム」考・参

その3◆落語界の能動的な変化
Maiku  春風亭小朝が企画した21世紀の新しい落語イベント、寄席に出られずに育った立川志の輔の努力、自由奔放な芸をエンタテインメントに昇華した春風亭昇太の取組みは、それぞれ立ち位置は違え、あらゆる媒体を通じて、落語を知らない新しい層に認知され支持されるようになりました。
 その結果、やや時代に取り残されて沈滞気味だった落語界に、再び活気が戻って来ました。
 
その典型が、昨年までの5年間にわたって開催された「大銀座落語祭」で、これらの成功が落語の間口を広げ、今後の落語界の行くべき一方向を具体化することになりました。

東京かわら版

Img_0002東京かわら版11月号の特集は、来年噺家生活30周年になるという柳亭市馬さん。

軽薄になりがちな噺家さんが多い中で、骨太の芸風は、本当に安定感があります。

最近、ちょいと聴く機会が減っていますが、これからは人情噺にもチャレンジして行くそうですから、期待したいと思います。

・・・でも、個人的には、「昭和歌謡」は少々飽きました・・・。

来月の鳳楽独演会

Img_0002 先日の日暮里の独演会の会場で、来月の国立演芸場での独演会のチケットを買いました。
もう残り僅かです。最高列から2番目の右端の席にしました。

Img_0004 来月の楽しみは、何と言っても長講「梅若禮三郎」です。

三遊亭圓生師匠のテープで聴いたことがありますが、細かなストーリーは覚えていません。

11月18日(水)の午後6時30分より国立演芸場で開演です。

2009年10月26日 (月)

落語「ブーム」考・弐

その2◆江戸ブーム
Pic_gaikan_2  落語にとって次なる追い風は「江戸ブーム」だと思います。
時あたかも東京は「江戸開府400年」を迎え、江戸という時代や街が大ブームになりました。
鎖国によって独自の文化が花開いた時代、
究極のエコロジータウン江戸、様々な角度から「江戸」が注目されたのです。
 
そして、折からの雑学・蘊蓄・検定の波にも乗り、芝居・浮世絵・下町・町人・江戸弁・江戸しぐさなどにスポットが当たり、江戸の市井から生まれた落語もまた、ブームの有力なコンテンツになりました。

♪お祭りみたいに賑やかね♪

冗談抜きに、浅草は今日もお祭りみたいに賑やかでした。

200910251512000 ・・・ところが、地下鉄から地上に出ると、何となくいつもと違う雰囲気・・・。

「あれぇ?ここはどこだったかな?」と思って、良ぉ~く見ると、ここは確かに「新仲見世通り」です。・・・でも、何か変なのです。

そうだ!アーケードがない!・・・それでかぁ・・・。

どうするんでしょうねぇ・・・。

東京かわら版の告知

Img_0002 東京かわら版の11月号の41ページ「告知板ー天狗連の会ー」に、ありました。ありました。

我が落研の「創部50周年記念OB落語会」の告知が載っていました。

○8 日 無料
☆宮城県仙台市・仙台ガーデンパレス
▽桂友楽 談亭志ん志 杜の家くるみ 
  金願亭乱志 他

南無観世音菩薩

稽古が終ると、雨も上がっていました。

Img 200910251443000 稽古の出来が悪かったこともあり、「観音様」の罰が当たってはいけないということで、浅草の観音様にお参りすることにしました。
改修工事中の観音堂で手を合わせた後、観音様の「大御影」を求めました。

観音様の表参道でもある仲見世通りは相変わらず混雑していて、「南無観世音菩薩」と背に書いた衣を着けて歩いている人も何人かいました。
ここは「金龍山浅草寺」なのです。


200910251453000そうなんです。矩随の母親が唱えたのも「南無観世音菩薩、どうか倅の矩随に立派なものを・・」という祈り。
母親の祈る声にハッと目を覚まし、「かくてはならじ」と、また仕事。

私も、「どうか乱志Ⅱが、立派な噺ができますように。」と、とうとう他力本願になって来ましたよ・・・。

それにしても、本当に♪お祭りみたいに賑やかねぇ・・・♪

2009年10月25日 (日)

Yさんの初稽古?

さぁ、本日初参加(見学?)のYさん。

200910251309000 初めのうちは、遠慮していましたが、師匠に促されて座布団に座りました。
聞けば、権太楼師匠の「代書屋」のCDをノートに書き写していました。
本当に演りたいんですねぇ。暇つぶしにネタ本を作る人なんているはずありませんから・・。
・・ということで、初参加で稽古という、ラッキーな?デビューでした。
やっぱり落語が好きなんですね。
高校時代に落研にいたそうで、何とも"雰囲気"を持っています。
「饅頭こわい」や「たがや」などの持ちネタもあるそうで、是非仲間に入っていただきたいものです。

そうそう、名前を考えなくっちゃぁ・・。

落語っ子連「ん組」稽古

今朝は、冷たい雨が降っていました。

P1000507 今日は、先日の師匠の誕生日の合同稽古会に、私のこのブログ(乱志&流三の落語徘徊)を見て来てくれたYさんが、稽古に参加(見学)してくれる約束になっています。
いつもの和室ではなく、音楽教室に場所が変更されていました。
既にYさんは稽古場に来ていました。やる気満々?ですねぇ。

メンバーの稽古は、商人さんの「小言念仏」、まど音さんの「半分垢」の後、来月の本番前で今回が最後の稽古になる「浜野矩随」。
・・ところが、何とも気持ちの入らない、不様な出来になってしまいました。
ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…
声もリズムも仕草も、果てはストーリーを間違えたり、肝心なフレーズを飛ばしたり・・、もう散々・・トホホ。師匠、申し訳ありません・・。
やっているつもりでいても、やはり普段の稽古の足りなさが露呈してしまいました。
あと2週間。
やや、いや、かなりの不安が残ってしまいました。 (≧ヘ≦)
前回と同じ場所のストーリーを間違えるなんて・・・。

私の後は、まど深さんの「千早振る」でした。

私の出来はともかく、今日は、メンバー4人の稽古が聴けて、なかなか充実していました。
それに、あのYさんも・・・。

OB会の準備

Img_0001_new_2 来月のOB会は、落語会だけでなく、定例?の総会も開かれます。

頓平師匠が、様々な資料を作ってくださっています。
役員改選、会則の改正、そして活動実績と計画など盛りだくさん・・。

わが落研OB会の会則に「金科玉条」があります。
曰く、「すべからく"軟らかく"解釈する」というものです。

(*゚ー゚*) 「まぁ、(ほどほどで)いいじゃぁないの・・」ってなものです。

落語「ブーム」考・壱

「らんしのしんら(乱志の森羅)」・・。右から読んでも左から読んでも「らんしのしんら」。

「森羅」とは、「数多く並びつらなること。また、そのもの。」・・・。
乱志が、もっと落語のいろいろなことを語ってみよう、森羅万象・神社仏閣。
・・・という訳で、乱志と落語との接点を回顧してみることにしましょう。

二番目のシリーズは、名づけて「落語『ブーム』考」。
落研創部50周年記念「仙都に笑いを」に出稿した内容です。

Ooiri 落語がブームだと言われ始めてから数年が経ちます。
幸いにも、瞬間湯沸器のように一過性で終わることなく、現在もそれなりの“熱さ”が続いているのは、落語好きには何よりのことです。
 それではなぜ今、落語が見直されブームと言われるまでになったのでしょうか?
私は、以下の数々の要因が、実にタイミングよく交錯したからだと考えています。
簡単にコメントして行くことにします。

その1◆テレビドラマ 
 落語好きは忸怩たる面を禁じえないかもしれませんが、テレビドラマの影響を語らない訳にはいかないでしょう。
 あの時、落語を舞台にしたドラマがなぜ放映されたのかは定かではありませんが、予想外にも大ヒットしました。
しかし、あの時の多くの視聴者は、落語の魅力を熟知していた訳ではなく、移ろいやすく多様化する嗜好の中、とにかく珍しいものを求める大衆の目の前に、偶然落語が出て来て、着物を着て・座布団に座って・面白いことを喋る芸が、特に若者たちの琴線に触れたのだと思います。
 彼らにとっては、噺家も、後から後から出ては消えていくお笑い芸人でしかなく、裏返せば、予断や偏見や屈託など全くないままに、落語を受け入れたのでしょう。
 エンターテインメントの多様化が、落語にとって、とりあえずはフォローウインドになってくれたという訳です。

現役のHPへ落語会告知

Img_0001 現役の落研のホームページのトップに、我々の来月のOB落語会の告知がアップされました。

落研現役2年生の世間亭節介さんが、格別の配慮をしてくれ、アップしてくれたものです。
これから約2週間、落研ホームページにアクセスした方の目に、真っ先にこの告知が飛び込んで来ます。
とても嬉しいことです。現役の皆さんに"大感謝"です。

→ 
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/3519/

2009年10月24日 (土)

同期会

200910241316000 三田落語会を聴いて外に出ると、冷たい雨が降り出していました。
予報より半日早く、雨が落ちて来たようです。

その足で、神田駅近くでの「同期会」に向かいました。

200910241904001 ちょうど30年前に、同じ会社に入った同期のうち、東京近辺にいる同期が約50名集まりました。
一人1分の持ち時間で、近況報告をしましたが、ちょうど1時間かかりました。

今は、それぞれが別の道を歩んでいて、何か一仕事終えたような、ホッとした雰囲気が漂う、さりとて暗さの感じられない楽しい一時になりました。

私は、徒らに群れるのは好みませんが、たまにはこういう機会も良いものです。

三田落語会

Img_0001 去年一番多く通った落語会に「ビクター落語会」というのがありました。
これが、「三田落語会」に変わりました。
同じ会場、同じ雰囲気で続けられています。

三田の仏教伝道センターは久しぶりです。
いつも見かけていた人たちが何組かいました。
私がご無沙汰している間も、この人たちは"馴染み"を続けていたのですね。
今日は、入船亭扇辰さんと古今亭菊之丞さんの二人会です。

200910241501000◆ 出来心     春風亭朝呂久
◆ 浮世床     古今亭菊之丞
◆ 徂徠豆腐    入船亭扇辰
◆ 紋三郎稲荷  入船亭扇辰
◆ 二番煎じ    古今亭菊之丞

扇辰さんの2席は、とても珍しく渋い噺でした。
Img_0002 「夢の酒」を演ろうと、さらって来たのに、菊之丞が「浮世床」を演ってしまったので・・、と言いながら、袴姿で高座に上がって来たところを見ると、もともと侍の出て来る噺をしようとしていたんじゃないの・・?なんて勘繰りたくなります。
荻生徂徠の出世秘話のような噺、なかなか良い噺です。ちょっと「三味線栗毛(錦木検校)」にも似た内容です。
「紋三郎稲荷」は、水戸街道や松戸が舞台になる噺で、罪のない(あるいは罪な?)噺です。

菊之丞さんの着物、なかなか素敵でしたね。
噺は、2席ともに安定感のある上品な運びでした。

ひぐらし寄席の案内

Img_0003 隅田川馬石さんから「ひぐらし寄席」の案内葉書。

自筆で「御予約ありがとうございます。お待ちしております。馬石」と・・・。

そうだ、すっかり忘れていましたが、前回の同会の時に予約していたことを思い出しました。

大先輩との約束・弐

200906271630000 駄楽さんが急逝して3ヶ月後、駄楽さんの出身高校の有志の方々が、「駄楽さんを偲ぶ会」を開いてくださいました。

その中心に、同窓の三遊亭圓窓師匠がいらっしゃって、師匠と落研OBとで、駄楽さんに、落語を奉納しようということになり、私が落研を代表して、埃だらけで錆びついた引出しを開け、「子ほめ」を奉納させていただきました。

これを聴いた圓窓師匠が「落語をやらないか。」と声をかけてくださいました。
私は迷わずに「師匠、よろしくお願いします。」と答えました。
これが、「三流亭流三」誕生の瞬間だったのです。


きっと、駄楽さんが「俺がいなくてもサボらないように、圓窓師匠からしっかり落語を教われ!」と、天国から叱咤激励してくれたのだ思っています。

駄楽さんの急逝で、残念ながら「駄楽・乱志二人会」の夢は叶えられませんでしたが、「落語を演る」という言葉は、今も生きています。
芸も人も「仙都の名人・麻雀亭駄楽」の足許にもおよびませんが、駄楽さんの遺志の何分の一かでも、引き継いでいきたいと思っています。 

「同志の大先輩」との、固い固い約束ですから。

2009年10月23日 (金)

三遊亭鳳楽独演会

200910231902000_2 日暮里サニーホールの三遊亭鳳楽独演会。

真面目に仕事をしていて、開演に間に合わず、大楽さんの「粗忽長屋」の途中から聴くことができました。
今日も、ほぼ満員の快適な雰囲気です。

200910231957000_2 ◆ 粗忽長屋   三遊亭大楽

◆ もう半分    三遊亭鳳楽

◆ 真田小僧   三遊亭圓福

◆ 火焔太鼓   三遊亭鳳楽

「もう半分」は、かなり陰湿な噺ですが、鳳楽師匠は華麗に流れて行く感じです。
確か三遊亭圓朝の作品ですから、人が死ぬんです。そして怨念・祟りという筋立てです。

Img_0001_2 火焔太鼓は、古今亭の十八番ですが、これまた優雅な雰囲気で、展開していきます。
ゆっくりな語り口なのに、決してだれないのは、やはり鳳楽師匠が醸し出すオーラなのでしょう。

「武闘化」への胎動

落研OBの「武闘化プロジェクト」も、なかなか新しい演り手がなかったのですが、少しずつではありますが、"胎動"が感じられるようになりました。

古狂師匠には、あえなく玉砕しましたが、これとて古狂師匠の本心ではないと思います。
誰か一緒に始める仲間がいれば・・、あの古狂師匠だから、「ちょいと『湯屋番』なんぞを」なんてんで・・。

そして、仙台の駄馬師匠も、とうとう密かに研いでいた名刀を抜かれたようです。
「悋気の火の玉」をお演りになったそうです。
"抜けば玉散る氷の刃"ですよ。

そして、そして、御大の蕪生師匠。
「あたいもやってみようかな」と、MLでの嬉しいコメント

日本の夜明けは近いぞぉ

とにかく、赤信号もみんなで渡れば、決して怖くありませんから。

酔狂師匠の、あのテンポのある「百川」あたりも聴きとうございますなぁ。

さぁ、本気で会場を探さないと・・。

談志の落語・一

51ydi8ccchl__sl160_aa115_ 談志師匠の速記本が刊行されました。

既に、志ん朝師匠・小三治師匠あたりのが出版されていますが、どうもあまり欲しいとは思いません。

基本的には生で、叶わなければ映像や音声で視聴したいと思います。

落語を演る時のネタの参考にはなるかもしれませんが・・・。

大先輩との約束・壱

200706171344000_2

「らんしのしんら(乱志の森羅)」・・。右から読んでも左から読んでも「らんしのしんら」。

「森羅」とは、「数多く並びつらなること。また、そのもの。」・・・。
乱志が、もっと落語のいろいろなことを語ってみよう、森羅万象・神社仏閣。
・・・という訳で、乱志と落語との接点を回顧してみることにしましょう。

手始めに、落研創始者の「麻雀亭駄楽」師匠とのご縁から、語り始めることにしましょう。名づけて「大先輩との約束」です。

34年前、落語の「ら」の字も知らない私は、その落研の門を叩きました。
落研の部室にはOB・部員のプロフィールを書いたファイルが置いてありました。

最初が「麻雀亭駄楽」でした。

私は、遠い昔に落研を創った「歴史上の人物」に思いを馳せ、どんな人だったのだろうと想像したものでした。
 それから30余年経ちました。
草創期の先輩方が「仙都に笑いを」を上梓したことをきっかけに、私は、やっと駄楽さんに巡り逢うことができ、落語と落研を通じた駄楽さんとのお付き合いが始まりました。
この時駄楽さんは、私にとって「歴史上の人物」から「物凄い大先輩」に変わりました。
 3年前、北大の落研創部40周年を記念するOB落語会の会場に駄楽さんの姿がありました。
二人とも胸に期するものは同じでした。
「落語が演りたい!」
「落語を演ろう。『駄楽・乱志二人会』をやろう。」

「僕は早速『親子酒』の稽古を始めるよ。」と語る姿は、と
うに還暦を過ぎた人ではありませんでした。
この時
「物凄い大先輩」は「心強い同志」に変わりました。
・・そして10日後、駄楽さんは突然還らぬ人になってしまいました・・・。
「心強い同志」は、再び私の「手の届かない遠くの人」になってしまいました。

2009年10月22日 (木)

心が変われば・・・

先日のNHKテレビで、楽天の野村監督の特集をやっていて、「野村ノート」というのが映されていました。
監督から選手たちに配られている、かなり厚目のファイルのようなノートでしたが、その中に以下の言葉があったのが分かりました。


21    心が変われば、態度が変わる。
  態度が変われば、行動が変わる。
  行動が変われば、習慣が変わる。
  習慣が変われば、人格が変わる。
  人格が変われば、運命が変わる。
  運命が変われば、人生が変わる。

どこかで聞いたことのあるフレーズでした。

企業やスポーツのマネジメントをする際に、社長や監督・コーチなどが、よく引用する言葉かもしれません。

このフレーズは、もともとはヒンズー教典の教えなのだそうです。

ところがどっこい、江戸っ子にも素晴らしい言葉がありましたよ。

   風が吹けば、桶屋が儲かる。

  

馬津郷(まつど)寄席の案内

Img 馬津郷(まつど)寄席の席亭の菊地さんから、「第12回馬津郷寄席」の案内葉書を頂戴しました。
早速予約のメールを送信しました。

春風亭一之輔さんの独演会で、いつも市民会館の和室50席は満席です。

 ≪第12回 馬津郷寄席≫
   日時  11月15日(日) 18時~
   場所  松戸市民会館 ながいき室
   出演  春風亭一之輔・三遊亭きん歌(ゲスト)

落語けいこ場「八聖亭」

夕刊フジの記事。

A_02454777_3 落語家・月亭八方が生まれ育った大阪市福島区に落語のけいこ場「八聖亭(はっしょうてい)」を19日、オープンさせた。八方は「子どものころは、この辺が遊び場だった。還暦を過ぎて、大人が楽しめる場をまたここに作りたいと思ったんです」と充実の笑顔。「今はたくさん落語家がいますから、若い人らに使ってもらえたらうれしいですね。僕も、オーナーとして優先的にスケジュールをおさえて、ここでけいこしたいと思います」と話していた。

プロでもアマでも、落語を実演する場所が必要です。
「月亭」一門のベースキャンプにもなるのでしょうね。

2009年10月21日 (水)

負け犬の遠吠え?

JPのN社長が辞意を表明しました。

235728_c185 前政権時、鳴り物入りで行われた大改革に、三顧の礼をもって招かれた人が、です。
政権交代というのは、こういうことなのですね。
N社長は、メガバンクのトップを長く務められた、いわば大成功者の典型の一人だと思います。
恐らくその胸中は、煮えくり返らんばかりでしょう。

(ここから負け犬の勝手な遠吠えが始まります。)
大企業グループのトップを長く務めて71歳。
多くの人たちが一線を退き、ゆったりと暮らしている中で、Nさんは、まだ権謀術数にまみれながら、休むことなく闘いに明け暮れているのですね。
熱烈な阪神ファンだとは聞いていますが、スーパーマンには余計なお世話かもしれませんが、Nさんは、桜の花の本当の美しさをご存知なのでしょうか。
もう十分に功なり名を上げられたのですから、これからは、本当に人間らしい生活をしていただきたいと思います。
桜の花の美しさを知って欲しいと思います。
傍若無人なマスコミに、激高しても仕方がないじゃぁありませんか。

欲深き 人の心と降る雪は 積もるにつれて 道を失う・・・

北大落研OB「苦楽亭迷人会」

志ん志師匠が、Ryougoku1 東京のOB落語会では先輩格の北大落研OB会関東連から、「第16回東京苦楽亭迷人会」の案内状をいただいたそうです。
そういえば、昨年の同落語会には、わが落研を代表して志ん志師匠が行ってくださったので、今年も、ご招待・ご案内があったのでしょう。

     日時 : 11月21日(土) 13時~
     場所 : お江戸両国亭
     演目 :  狸賽       いろは亭軽太
           くしゃみ講釈  赤坂亭見附
           佐野山      山笑亭小粒
                中入り
           お見立て    北国亭裸狂
           湯屋番      寂々亭落葉
                        厩火事           寝床家恋志

わが落研の創始者である麻雀亭駄楽師匠との思い出のある落語会です。
学士会落語会の会員誌に出稿した「落語エッセイ」で、駄楽師匠を、私はこんなふうに綴っています。

3年前、北大の落研創部40周年を記念するOB落語会の会場に駄楽さんの姿がありました。
二人とも胸に期するものは同じでした。

「落語が演りたい!」
「落語を演ろう。『駄楽・乱志二人会』をやろう。」

駄楽師匠は、この2週間後に、突然還らぬ人になってしまいました・・・。
今年も聴きに行こうと思います。

人生に必要なことはすべて・・

412hwfbha1l__bo2204203200_pisitbsti 童門冬二さんのもう一つの落語本。

「人生に」必要なことはすべて落語から学んだ」という文庫本。

童門さんもかなりの落語好きと見ました。

「秋の正蔵」の案内

Img 正蔵さんの独演会の案内。

九代正蔵を襲名して、良くも悪くも落ち着いてきているようです。
落語以外でのテレビ出演もあり、多忙な毎日なのではと思います。

いろいろ考え方はあるでしょうが、個人的には、もっと落語だけに生きてもらいたいなぁ、と思います。林家の止め名である正蔵ですし。

ある時、月の家圓鏡で売れに売れた橘家圓蔵師匠が、「これからは落語に精進する」とマスコミに宣言しましたが、その後どうだったでしょうか・・・・。
柳朝師匠亡き後、圓楽・談志・志ん朝と「落語四天王」と奉られた師匠でさえ、私には中途半端だった気がします。

正蔵襲名当時は、即日完売だったチケットも、その勢いは最近では・・という気もします。

ところで、三平さんはどうなんでしょうか・・・。

2009年10月20日 (火)

マナー違反

産経新聞の記事。
20091018at32b_2 石川が激怒した。6番(パー5)の4打目。ピンまで約40ヤードのバンカーショットを打とうとした瞬間、観客の携帯電話からカメラのシャッター音が。すかさずその方向をにらむと、右手で太ももを2度もたたき、珍しく怒りをあらわにした。  
ゴルフのメジャー大会での一コマです。

ゴルフはマナーを重視するスポーツで、プレイヤーだけでなく、ギャラリーにも、高いレベルのマナーが求められるものでしょう。
随分昔のことになりますが、岡本綾子プロが外国人選手と優勝を争っていた時に、相手選手がパットを外した瞬間に拍手をした輩がいて、岡本選手が涙ながらに訴えていた記憶があります。
こんな輩は、今でも多くいるようで、本当に恥ずかしくなります。

あるゴルフ専門誌では、以前から同じようなマナー違反が横行していることに関して、以下のようなコメントがありました。

他のスポーツに比べゴルフは選手とギャラリーの距離が近い。
選手が最高のプレーを見せたときには間近で歓声をおくり、ギャラリーが選手を盛り上げてさらなるパフォーマンスを引き出すことが出来るのもゴルフならではだ。
だが、近いがゆえにギャラリーが選手に与える影響は大きい。
“これくらいなら、私1人くらいなら”極限まで集中力を高めてプレーに臨んでいるプロはちょっとした動きや物音にも敏感になっており、気にしていないようでもギャラリーの動きはしっかりと目に入っている。

「じこちゅー(自己中心)」時代には、マナーというものはなくなってしまうのでしょうか・・。

そういえば、大阪府職員で、橋下知事に対して大人とは思えない文面のメールを送った人がいたようです。立腹した知事に対して、別の職員は「そんなことを注意されたら、自由に物が言えない」と、庇った職員がいたとか・・。情けない・・・。
表現の自由にもマナーというのは存在するもの。大阪府の職員のレベルや民度が疑われます。恥というものも知らなくては・・。


マナー(態度・礼儀・礼儀作法)は、円滑で的確なコミュニケーションのための基本になるものなのに、こんな状態なら、かえって収まるものも収まらなくなってしまいます。

落語国の住人たちは、"小笠原流"など知る由もありませんが、「受け多摩川に参りますれば(うけたまわりますれば)」という口上や、言葉の最初と最後に「お(御)」と「奉る」ぐらいなことは知っています。"おったてまつる"なんてぇのは朝飯前です。
マナーやエチケットを守れないなんて、「なったぁ、なったぁ、やんなったぁ」・・・。

「OB落語会 in 東京」の企画

Ryougoku1_2 「来月の50周年記念OB落語会も済まないうちから何だ!」などと、お叱りを受けるかもしれませんが、弁痴師匠や蕪生師匠などの超OBの先輩方から、「次は『OB落語会 in 東京』だ。」という檄が飛んでいます。
「仙都に笑いを」から、「東都に笑いを」「帝都に笑いを」です。

メンバーの賛同を得た上で、東京でのOB落語会を具体的に企画して行きたいと思っています。

P1000310 東京でのOB落語会実現のための最大の課題は、「出演者の確保」です。
まことに勝手ながら、来月出演するくるみさん、志ん志師匠と不肖乱志めは、出演OKでしょう。
また、在仙の友楽師匠も、新潟の寝蔵師匠も、恐らく駆けつけてくださるでしょう。
とはいえ、来月の落語会出演者以外の人の参加が必要になります。
「我こそは!」と思う方を、自薦他薦を問わず探さないといけません。

次の課題は、「開催の時期」です。
時期は、とりあえず来年の4~5月頃を目標にしたいと思うのです。
これは、会場や稽古のことを考えると、今から準備をしてもこんな時期なるだろうということ。
それから、来年は、現役の方々が仙台で隔年開催してくれているOB落語会の年ですから、重ならないように、早めにやっておく必要があります。
また、弁痴師匠・蕪生師匠が役員を務めておられる「学士会落語会」で、9月に会員の実演落語会という企画もあり、これも意識してということです。

Map1001t2a そして最後に、「会場」です。
できるだけ安価な場所にしたいと思いますが、どこか良い場所をご存じの方はいないでしょうか・・・。
「落語っ子連の発表会をやる「千一亭」にも、お願いはできるかもしれません。

とにかく、ポスト50周年を展望して、OBの活動や交流を一層活性化させるためのトライアルにしたいと考えます。

CDボックス「志ん朝初出し」

Img_2 新宿の紀伊國屋書店の2階のCDショップ「ミュージック・テイト」から、新しい落語CDの案内DMが届きました。

ソニーの新レーベル「来福」から発売される、古今亭志ん朝「志ん朝初出し」という12枚組のCDボックスです。

このシリーズの肝(きも)は、TBSラジオの「ラジオ寄席」などでオンエアされた音源が多く、CDなどとしては初出しになる噺が多いことでしょうか。

12月9日発売予定。CD12枚組全25席で税込25,200円也・・・・。

2009年10月19日 (月)

"ゆりかもめ"に乗って

200910191111001 東京ビッグサイトで社外の研修があり、久しぶりに"ゆりかもめ"に乗りました。
Img 新橋駅から国際展示場正門まで370円。お台場周辺をぐるりと回る線路は、まどろっこしい限り・・・。

平日のお台場、ビッグサイトはガラガラ。
思えば、あの青島都知事が、ここで開催しようとしていたイベントを中止したことがありました・・・。
200910191118001 まだ、空地も多く、何の魅力もないコンクリートの塊の間を、これまたガラガラの"ゆりかもめ"が走っています。
このあたりは、江戸前の良好な漁場だったのでしょう。そして、日本橋か芝の魚河岸に、新鮮な魚が水揚げされていたのでしょうね。

レインボーブリッジを渡る手前あたりの浜で、魚屋の勝五郎が革財布を拾ったんですね。

1000件目の投稿

「乱志&流三の落語徘徊」と名付けたこのブログは、今年の1月1日から始めました。
2009010723540001_2
   ① 聴く(落語を聴く、読む)
  ② 演る(高座で落語を演じる)
  ③ 書く(落語について語る)

私(乱志・流三)の落語との接点の3本柱として、続けてみました。

文字通りの「徘徊」と「彷徨」を繰り返す内容ですが、本稿をもって、ちょうど1,000本目の投稿になるようです。

200706171359000 そろそろ、「乱志の独り言」のような、30年以上も前のことを回顧するシリーズを始めてみようかなとも思います。ネタも尽きてきますので。
創部50周年の記念誌≪仙都に笑いを≫へ寄稿したものをベースに、少し肉づけするという・・・。

日記など書いたこともないのに、なぜか1日も欠かさずに続けられたのは、何なのでしょうかねぇ・・・・。

代わる代わる、くだらないことばかりで、さぞお力落としもございましょうが・・・、アホな落語好きに免じて、今暫くの間、お付き合いのほどを、お願いいたしておきますが・・・。

鈴本「秋の夜長の長講十夜」

Img 鈴本演芸場10月下席は「秋の夜長の長講十夜」と題して、柳家三三さんがトリを務めます。

案内葉書の宛名は、ご本人の自筆のようです。

他の出演者も良いので、出かけてみようと思います。

2009年10月18日 (日)

所要時間と出囃子

Img_0001_new_2 来月のOB落語会の総合プロデューサーである駄馬師匠から、出演予定者に、所要時間と出囃子の確認がありました。

当日の開演時間(2時から4時30分)は、仲入りと口上を入れて約2時間30分です。
出演者は6人ですから、一人平均20~25分というところ?

さて・・私の「浜野矩随」・・・。
ただいまカット作業をしていますが、民主党の補正予算の見直しよろしく、目下大苦戦中。
どうしても30分+αといった感じで・・・。ご勘弁を・・。

出囃子は、昨年のOB落語会では、トリだったので「中の舞」をお願いしましたが、今回は中トリなので、別のものにしなくてはいけません。
(「中の舞」は、寄席でトリを取る時に、自分の出囃子とは別に使われます。これが流れると「今日の最後の出演者だ。」と観客がわかるのです。)
・・・そこで、友楽師匠は、桂文楽師匠の「野崎」で確定?していますから、また「浜野・・」は人情噺でもありますから、三遊亭圓生師匠の「正札附き」か三遊亭圓窓師匠の「新曲浦島」をリクエストすることにしました。

Ichiban 今は、出囃子というのは、噺家さんによって決まっているのですが、元は上方落語でしか用いられていなかったようです。
あの三味線の音が無ければ噺家さんは高座に上がれない(上がりづらい)ように思いますが、東京に限れば、意外にも、出囃子は上方から移されてたかだか85年ほどの歴史しかないという訳です。
それまでは、「片しゃぎり」いう太鼓の音だけで静々と高座にあがっていたんですね。

Encho2_s ・・・ということは、あの名人「三遊亭圓朝」には、出囃子はなかったということになりますね。
話は突然脱線しますが、まるで「長嶋茂雄」さんの立教大学時代の背番号みたいですね。
長嶋さんの背番号は、多くの人が「3番だ」とか、「3番だったっけ?」と思うでしょうが、あの頃は背番号を付けていなかったのだそうです。
だから、出囃子と同様「なし」が正解。

三遊亭圓生師匠の出囃子「正札附き」は、現在は孫弟子の三遊亭鳳楽師匠が使っているようですが、長唄の名曲で、正式には「正札附根元草摺」(しょうふだつきこんげんぐさずり)というそうです。
私には全くわかりませんが・・・。

生きてみよ、ツマラナイと・・

T02200314_0240034210251756547三代目桂三木助の娘・四代目の姉・現桂三木男の母である小林茂子さんの著者「生きてみろ、ツマラナイと思うけど」。

あまり買う気もなかったのですが、いつもの駅構内の本屋で見つけ、ちょいと立ち読みをすると、四代目桂三木助さんのことが、かなり詳しく書いてありそうな感じだったので、彼の晩年のことが知りたくて、読んでみることにしました。
四代目三木助さんとは同い年で、彼の死には驚かされたもので。

通勤の行き帰りで一気に読んでしまいました。
文章も内容もとても面白いものではありました。
しかし、それにしても我々とは異質な世界の出来事だと思います。

一番感じるのは、「桂三木助」という名前、そして「三代目桂三木助」という噺家に、身も心も捧げているというか、殉じている一家の姿を見て、とてつもない違和感を禁じえませんでした。
四代目三木助さんも、やはり一般的な世界では、もっと生きていけなかったでしょうね。
「それこそ芸人の生き方だ」とか言う部分も決して否定はしませんが、著者も含めて、自分で勝手に思い込んで、独り善がりに生きている人たちが、多く出て来ました。

26 「名人に二代なし」と言われます。偶然、私は今「浜野矩随」に取り組んでいますが、この噺のポイントも、まさにここにあります。
名人の家には、"悲劇"は付き物なのかもしれませんね。

著者の息子の三木男さんも、談志師匠が特別扱いしたり、小林家(三木助)の期待と因縁?を担いながら、二つ目として頑張っていますが、もっと普通の立ち位置で頑張ってもらいたい気がします。
それにつけても、金原亭馬生・古今亭志ん朝の兄弟の生き様は素晴らしかったと思いますね。

それから、噺家の名前というのは、誰のものなのでしょうか?
落語家では、「宗家」のようなものはほとんど存在しないと思いますから、「○○家」のものではなく、あくまでも個人(噺家本人)にのみ付いているものだと思うのです。
遺族が出て来るというのは、例えば著作権などの世界ではそうかもしれませんが、遺族が反対して、後輩が名前を継げないというのは・・、落語ファンにはちょっと悲しいところです。
まぁ、そんな簡単なものではないのでしょうが・・・。

浜野矩随の作品

Kuzuimonokakudai私がチャレンジしている「浜野矩随」は講釈から落語にされたもので、三遊亭圓楽師匠は一竜斉貞鳳先生から教わったのだそうです。

M_mithioimg600x4501239775776goxe0q5  「浜野矩随」という人は実在の人物だそうで、本当に噺のようなことがあったのかは知りませんが、歴史に名を残す人であったようです。

「腰元彫り」という言い方がポピュラーなのかも疑問ですが、そのM_mithioimg600x4501239775776xohxlo5 浜野の作品と言われるものの写真を見つけました。

噺は、やや悲しいストーリーですが、こんなドラマを経て、これらの品物が作られたんですね・・・。

南無観世音大菩薩・・・・。

2009年10月17日 (土)

楽天すごいぞ!

21 あの弱小球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」が、ソフトバンクから2連勝しました。
これで、「日本ハムファイターズ」と日本シリーズ出場をかけることになります。

両チームのフランチャイズが、仙台と札幌だというのが痛快じゃないですか。

392 気のある野村監督の去就をめぐって、ファンも選手も思うところがあって、まとまりとパワーが生まれたのでしょう。

以前も触れましたが、特に縁がある訳ではありませんが、仙台にペースを置く球団ですから、是非頑張ってもらいたいと、素朴に思うのです。

オーナーや球団社長は、大嫌いですが。

もし、もしも、楽天が「日本シリーズ出場」なんてことになったら、11月上旬あたりは、仙台中が大盛り上がりになるかもしれません。
OB落語会どころじゃなくなっていたりして・・・。

古狂師匠

200910011516000 先輩の古狂師匠が、15日の愛宕の真福寺での「やすらぎ寄席」をごらんになった感想を、熱く・熱く、落研OB会のホームページに投稿されていました。
http://homepage3.nifty.com/tohoku-rakugo/

拝見していると、伝説の名人「恋し家古狂」の高座へのマグマが、ムクムクと湧き上がりつつあると感じられ、とても嬉しく思いました。
そうです。「古狂 on 高座」の日も近い


「落研OB落語会 in 東京」実現のためには、やはり古狂師匠にもお出ましいただかないと・・・。ということは、この落語会も実現にまた一歩近づいたということですね。

・・・・真面目に、会場を探さないと・・・

後輩たちの発表会

Img_0001_new 今日は、落研の「古典落語発表会」の当日です。

残念ながら、仙台まで行くことはできませんが、大盛況を祈りたいと思います。
それに、我々のOB落語会のことも宣伝してもらえるといいのですが。

今回で第140回だそうです。
確か、私の現役時代には、40回程度だったと記憶していますから、脈々と続けて来てくれたわけですねぇ・・・。
有難いことです。

2009年10月16日 (金)

浜野・・のオチ~師匠のブログ

Img_0001_new_2 圓窓師匠のブログをみたら、私との「浜野矩随」のオチの工夫についてのやりとりのコメントが以下のように載っていました。

http://ensou-rakugo.at.webry.info/200910/article_28.html

流三さんと[浜野矩随]の落ちの工夫。
 流三さんは十一月に東北大落研のOB落語会で、この噺を出す。
 それについて、落語っ子連の稽古で汗を流している。
 そこで、工夫。
 矩随は、・・・・・・・・。

という訳で、この後に師匠が考えてくださったオチが載っています。
が、ここでは、もしかすると、来月の本番でこのオチを"いただき"ということになるかもしれませんので、今は隠しておきますが・・・。
お忙しい師匠の頭の片隅に、私とのやりとりが残っていて、こんなコメントをしていただいたのだと思うと、本当に嬉しくなります。

三遊亭鳳楽独演会の案内

Img 11月の「三遊亭鳳楽独演会」・国立演芸場バージョンの案内が届きました。

昭和40年代後半、二つ目[楽松]時代に、わが落研の「古典落語鑑賞会」に出演していただいた「三遊亭鳳楽」師匠の、恒例の国立演芸場での独演会です。
「圓生百席に挑戦」というテーマのもと、三遊亭の本格的な話芸が聴ける会だと思います。

予約の電話をすると、師匠本人が出てくれることもあります。

圓生師匠ゆずりの長講「梅若禮三郎」がネタ出しされています。聴きたい・・・。

地元の落語会

Img 突然、前の会社の先輩からメールが来て、「以前(私を)無理やり連れて行った飲み屋仲間で、ひょんなことから地元出身の二つ目さんの落語会を開いてやろうということになった。もし都合がつくなら聴きに来てくれ。」という・・・。

この二つ目さんというのは、雷門助六師匠門下の「雷門花助」さんだそうで。

といっても、基本的に落語協会専門の私は、聴いたことのない噺家さんです。

が、別に用事がある訳でもなく、 これも何かの縁ということで、ちょいと覗いてみることにしました。Up_ph_b51 

≪竹扇 松戸落語会≫

日時 11月1日(日)午後2時~

場所 松戸 東口会館

木戸 1,500円

2009年10月15日 (木)

人生の醍醐味を落語で味わう

4569699901

帰宅する途中の駅構内の本屋さんで、あの童門冬二さんの、落語関連の新刊本を見つけました。
PHP新書・税込735円です。
落語は思わずぐっとくる”ヒューマニズム”に溢れてます。
嫌な人間関係に困った時、落語の知恵が活かせます。
家族に感謝したくなった時、落語の名場面に共感できます。「こんな人いないよ」と、呆れ返る噺もあります。
童門流「落語的生き方のすすめ」、一席どうぞおつきあいを。
今日は、会社で、メンタル面でちょっと悩んでいる社員と1時間半話し合いました。
後で、「これでも聴いてごらん」とか「こんな本を読んでごらん」と言って、落語のCDや本を渡したいと思いました。歯痒いものです。
現実を受け容れて肯定し、前向きに・無邪気に・無欲に生きていく姿勢に溢れているからです。

私もなかなか出来るとは思えませんが、そんな気持ちを感じることも貴重だと思います。

鈴々舎馬桜師匠から

Img_0004Img_0003  鈴々舎馬桜師匠から、落語会の案内状が届きました。
恒例のお江戸日本橋亭での「馬桜独演会」と「圓朝座」。

そういえば、以前、この「圓朝座」で三遊亭圓丈師匠が演った「文七元結」について、馬桜師匠と議論したことがありました・・。
器の小さい私は、あれ以来、馬桜師匠も圓丈師匠も、あまり聴かなくなりました。
Img_0005 「落語原理主義者」の私にとっては、いろいろ思うところもあり・・・。
それでも、馬桜師匠の知識の豊富さには驚かされます。

10月の末廣亭下席では、トリで廓噺をネタ出ししているようです。

2009年10月14日 (水)

こんな落ちはどう?

仕事から帰り、日課となった?PCを開けてみてびっくり
圓窓師匠からメールが届いていました。

3ennsousisyou0308 ≪流三さんへ。こんな落ちはどう?≫

「おいおい、師匠も考えてくださっていたんだ!」と、師匠が考えてくださった落ちを拝見・・・。
「うぅ~ん、そうかぁ・・・。なるほどぉ・・・。」
場面設定は、私の考えたものと同じで、マクラの仕込みに拘らずに、"別の観点や演出"を入れて考えたもの・・・。う~ん。なるほど。
重たいテーマの人情噺ですから、あまりひねらず、分かりやすくした方が良いかもしれませんね。

「師匠、これ"いただき"でもいいですか?」と、早速返信。

たかが素人の戯言のようなものを、正面から受け止めて考えていただくだけでも感激ですが、形になって返って来るなんて・・・。

落語CD昭和の名人≪21≫

Img_0002不思議な師匠です。

正直なところ、「上手い」とは思えないのですが、地味ながら玄人受けする師匠なのだそうで。

音源も多く残っていて、かなり聴いていますが、個人的には「聴きたい」と思う噺家さんではありません。

とにかく噺が短すぎる。
確かに、噺を限界まで削ぎ落としたと賞賛する向きもあるようですが、長ければ良しとはしませんが、ある程度の長さは快適に聴く上からも必要でしょう。
「甲府ぃ」「三方一両損」など、私が演ったことのあるネタも十八番ですが、とても真似ができないし、演っていてつまらない気もするのです。

ただ、こういう存在の噺家さんというのは、絶対に必要な存在だと思います。

   ◇ らくだ      三笑亭可楽
   ◇ うどん屋     三笑亭可楽
 
  ◇ 二番煎じ    三笑亭可楽    
   ◇ 反魂香           三笑亭可楽

  

「同期会」の案内

P1000030 「同期会」の案内が届きました。

同期のほとんどが、所謂「第二の人生」に突入して初めてです。
今回は、東京近辺に在住・勤務の同期約50人が集まる予定だとのこと。

「万難を排して出席」と返信しました。

私は天邪鬼で、いたずらに群れるのは好きではありません。
それに、ゴルフや麻雀もやりませんが、久しぶりに同期の仲間たちと語り合えるのは、とても楽しみです。
10月24日(土)の夕方だそうです。

こういう類の集まりは、先頭に立ってやってくれる人がいてくれこそで、幹事たちには感謝・感謝です。

2009年10月13日 (火)

「浜野矩随」のオチ

Encho4_s「浜野矩随」のオチが難産で苦しんでいます。

もともと、講釈だったものですから、ベースにさせていただいた三遊亭圓楽師匠も、他の噺家さんのも、「・・・浜野の一席でございます。」で終わっています。

圓窓師匠からは、「講釈物だと言っても落語なんだから、何か考えよう。」とのコメントをいただきましたので、必死で考えているのです。
「子ほめ」「三方一両損」に続いてまたオチに苦しんでいるのです。

とりあえずマクラの部分で仕込み、それを最後に繋げる形で、地口オチを考えてやっていますが、まだしっくり行きません。

今日は、一案を考えて師匠にメールで伝えたところ、「○」にはなりませんでした。
自分たちは分かるが、お客さんが分かりづらいのでは・・と。

う〜ん、少し自信があったのですが・・。確かに分かりづらいかも。

長講だから、すっきりとコンパクトなオチにしたいのですが・・・。

一閑人祥瑞

Zr8406 昨年、OB落語会の高座で使うために、浅草の「田窯(でんかま)」という店で買った、蓋付きの湯呑みですが、これは有田焼で「一閑人祥瑞」とありました。

Zr8406a 川のようにうねった仕切りに目出度い柄を配した祥瑞(しょんずい)柄は様々な器で使われているそうです。この湯呑みでは、唐子がよじ登る様を付け加えています。

古狂師匠の慧眼で、「これはきっと有田焼だろう」というのは、ピンポーン♪です。

200910121201000ところで、「浅草田窯」という店。
時々覗いています。
浅草かっぱ橋道具街の入口にありますから、そんなに高いものはありません。
美濃、有田、信楽、九谷、益子など日本の伝統的な和食器、激安の掘り出し物まで、毎日の生活に潤いを与えてくれる使い勝手の良い器たちを集めた和食器の専門店なのだそうです。

今日は、特売日だったようで、大変混雑していました。
外国人もたくさん来ていました。

落語百選≪27≫

Img_0001 柳家三語楼といえば、確か五代目古今亭志ん生師匠が崇拝する師匠だったという記憶がありました。

大正から昭和初期にかけて活躍した噺家さんは、写真が残っていますので、「へぇぇ、こんな顔の人だったんだ。」ということになります。

◇ 風呂敷  三遊亭歌武蔵

◇ 船徳    桂ひな太郎

このDVDで、演目による噺家さんの選定は、どのように行われているのかは知りませんが、やや違和感がある場合があります。

「古典と新作」というテーマが採り上げられています。
例えば、私が「落語が趣味(落語を演っている)」なんていうと、ほとんどの人が「古典ですか?」と尋ねられます。
・・が、この場合はほとんど「古典落語」という言葉と、「古典」という、何とも響きの良い格上な雰囲気だけで、尋ねるだけです。
いつもうんざりしながら「・・えぇ、まぁ」ぐらいに答えているのです。

古典と新作は、鉄腕アトムとアトムの父親みたいな関係で、新作の方が先に使われ、古典は、やや違った観点から、後で作られた言葉です。

江戸を舞台にして語られていた頃は、新作といっても違和感なく受け入れられたのでしょうが、庶民の生活から江戸や明治が消え、生活基盤や文化が大きく変わって来ると、落語の舞台は「今」でなくなってしまい、必然的に時代に合わせた噺が出て来たのでしょう。

2009年10月12日 (月)

衣装と衣裳

「衣装」ではなく「衣裳」を作りました。
とはいえ、この歳になって初めて、自分の紋付きの着物です。

浅草のD衣裳店のご主人に、着物に合わせて帯を見立ててもらい、揃えることにしました。

「この間も、(圓楽一門の)○楽さんが来ましたよ。」と、帳面を見ながら教えてくれました。

以前、素人落語の人が「師匠と同じ紋(師匠の紋)を入れてもいいですか?」と、その師匠のお弟子さんと一緒に来て、そのお弟子さんに尋ねたそうです。
「・・・・・・」。結局、誂えたようですが・・・。

Hoshi_07 ところで、私の家紋は「丸に九曜星」です。
九曜星というのは、
日、月、火、水、木、金、土、の七星に羅喉(らご)、計都(けいと)の二星を加え九旺曼陀羅に基づくとされ、平安末期僧空海が唐からもたらしたものだそうで。 この九曜星を中心として二十八宿などをまつり、除災招福を祈る法会が星祭です。
角田、佐久間、遠藤、原、佐野、竹田、伊東、平沼、諸星、樋口の各家が使っているようです。残念ながら、この中に、私の苗字はありませんが。

120pxalex_k_hiroshima_takeda_28colo一方、家内の実家の家紋は「武田菱」。
山梨県の出身ですから、あの武田家と関係があるのかもしれませんが、なかなか格好良いですよね。

着物に負けない噺をしないと・・・。

稽古と本番

名古屋在住の落研の先輩「多趣味亭狂楽Ⅱ」師匠が、落研ホームページに投稿してくださいました。
大須演芸場などの名古屋演芸情報は、大変新鮮でした。
同時に、やっぱり好きなんだなぁ、と嬉しくなってしまいます。

200910111354000 その中で、10日に権太楼師匠が「宿屋の仇討」と「芝浜」を演ったとありました。
昨日、私の行った落語会でも「芝浜」を演りました。しかも昨日は、昼夜だったはずです。

・・ということは、権太楼師匠は、2日間で3度「芝浜」を高座にかけているということです。

プロの噺家さんにしてみれば、ましてや権太楼師匠なら、そんなこと特別なことでもなんでもないのでしょうが・・「芝浜」を、ですよ。
たかだか20分ぐらいの噺の稽古でぐったりしてしまう者としては、とにかく驚異です。

P1200284 昨日の稽古の時も圓窓師匠と話したのは、部屋の中などで何度稽古をしても、人前で、あるいは高座と同じ環境でやる稽古にはかなわないという・・・。臨場感と緊張感なのでしょう。
臨場感のある、人前で、高座と同じボリュームで喋らないと。
そういう点から、千一亭の環境というのはベストなのです。

そして、本番で演ることこそが究極の稽古ということなのでしょう。
権太楼師匠は「芝浜」を3度も稽古したんだから、きっとますます上手くなったことでしょう。

今日は・・・、天気も良いから、浅草に誂えた着物を取りにいった後、自宅近くの江戸川堤防で、ぶつぶつ・・、やってみましょうか・・。

欠点・癖・・・

師匠から指摘されている、私の落語の最大の欠点・癖は・・、『人物間の台詞の渡しのとき、語尾が地声になるところ』です。

Dscf0020 これは、恐らく、落研時代の"自己流"の名残りで、噺をトントンと進めようとするあまり、気持ちが先走ってしまい、台詞の語尾が切れたり、トーンが下がったり、地声になったりしてしまうのです。
師匠から指摘されて、かなり意識して直そうとしているのですが、時々緊張が途切れるのか、ふっと地声になってしまうことがあるのです。
師匠は、「この癖もだいぶ少なくなった。もう大丈夫の日も近い。」と仰ってくださっているのですが、もう一踏ん張り、"悪い癖を出さない癖"をつけようと思います。

とにかく、小細工などしないで、基本に忠実に噺を進めること、それに尽きるのだと思います。落研出身の噺家さんにも、同じような癖の人がいる気がします。

それから、以前から自身でも悩んでいる、「落語の絶対音階」のなさと、言い回しと言葉使いが優しすぎるという点。
前者は、高座に上がる回数を増やして、慣れるしかないでしょう。
後者は、発声と言葉の組合せの工夫で解決できるものだと思っています。
ただし、そのためには、腹式呼吸が出来なくてはいけません。
特に長講や登場人物の多い噺の場合には、最後までトーンや口調を維持する技術と工夫のベースに、パワーのある声と持久力が必要になると思います。

2009年10月11日 (日)

道具仕立て芝居ばなし

Img_0002東京発・伝統WA感動 落語公演~道具仕立て芝居ばなし~」という、東京都主催の公演。

◆ たらちめ      林家 彦丸

◆ 源平盛衰記    桂平治

◆ 相撲巷談      三遊亭歌武蔵

◆ 芝浜        柳家権太楼

Img_0001◆ 鰍沢        林家正雀

なかなか面白い番組で、平治さんと歌武蔵さんは相変わらずの得意の楽しい噺でした。
それよりも彦丸さんが上手くなりましたね。非常に丁寧な噺っぷりで、好感が持てました。

権太楼師匠がマクラで、「芝浜といえば、三代目桂三木助がお馴染みで、魚屋は"魚勝"だが、私は、三遊亭圓窓師匠から習った。圓窓師匠は先代の金原亭馬生師匠からということなので、私の芝浜は、三木助でなく馬生師を継承している。魚屋は"熊さん"。」と言っていました。
と言いつつ、馬生師匠も圓窓師匠も彷彿とさせない?「権太楼芝浜」でした。
Img_0003Img_0004  権太楼師匠の「芝浜」は、今回で3度目だと思いますが、個人的には、全体的にゆったり聴きたい噺なので、クライマックスの夫婦の会話は、もっとしみじみとしたものが良いと思っています。

それにしても、圓窓師匠から稽古をしていただいた後で、同じ圓窓師匠から習ったという権太楼師匠の噺を聴けるなんて・・・。
ということは、権太楼師匠と私は、"圓窓学校"の同窓生ということなる・・・?
[ならない、ならない・・。]

正雀師匠の「鰍沢」も3度目ぐらいだ思いますが、今日が一番落ち着いていた気がします。
芝居仕立てとはいうものの、初めての人には、ややがっかりなのではないでしょうか。
テレビや映画のない時代には、とても刺激的な演出だったかもしれませんが・・・。

「芝浜」「鰍沢」2席ともに、三遊亭圓朝作の三題噺の名作です。

落語っ子連「へ組」の稽古

2009101110220001 今日は「へ組」の稽古日です。
同窓っ子連合の他のグループの稽古会に比べ、我が落語っ子連の出席ぶりが悪く、師匠からも檄が入り、「喝」と言われないよう、「ん組」の私も参加することにしました。
それに、時間があるようならば「浜野矩随」の稽古をつけていただきたい気持ちもあり・・。

千一亭本当さんの、自宅兼仕事場兼稽古場の「千一亭」へ。
本当さんは、今日は別の趣味でもあるラグピーをやりにいったとか。

結局参加したのは、私とまど女さんとびす太さんの3人だけ。
考えてみると、3人だけで圓窓師匠を2時間以上もの間独占できるなんて・・・・、ですよ。

200910111118000 びす太さんが「松竹梅」を披露。
彼は、声と雰囲気が良く、私が見ていても、物凄く上達しました。
今日は肩が痛いから・・、などと寝ぼけた言い訳をしていましたが、なんのなんの、悩みながらも楽しそうにやっているので、"完成"
が待ち遠しく思います。

まど女さんは「首屋」の冒頭部分を。
研究熱心なまど女さんは、師匠のテープを聴いて「お窓下」がイメージできないと・・・。
そこから、大名屋敷の長屋門のことが話題になりました。「井戸の茶碗」でも細川邸のお窓下が出て来ます。

Dscf0025 そして、3度目の「浜野矩随」の通し稽古。
今日は、師匠から、途中で1・2点のご指摘はいただいたものの、ほとんど最初からオチまでを通しました。
千一亭の高座での稽古なので、かなり声も張り上げてやることが出来ました。
まだ、私の欠点が払拭できていませんが、概ね噺の流れを語れるぐらいにはなったと思っています。
落研の先輩の喰亭寝蔵師匠は、カラオケにビデオを持ち込んで稽古をしているそうです。
Dscf0022 私に欠けているのは、仕草ができていないところで、あの名人寝蔵師匠ですら努力しているのですから、ややあせってしまいます。
圓窓師匠からは「大丈夫」という言葉を頂戴しましたが、まだまだ練り上げていかないといけません。
それから、時間も約30分[かそれ以上]かかってしまいますので、もう少しスピードを上げるかカットするか・・・・。

写真はびす太さんが撮ってくれました。
稽古は着物を着ないでやっていますが、この私の視線の2メートル先に、圓窓師匠が座って聴いてくださっているのです・・・

東北新幹線の顔

200910091442001

東京駅や仙台駅のホームで見る、いろいろな新幹線の顔・・かお・・です。

ホームの表示が旅の興趣をそそります。

200910091445000東北新幹線「やまびこ」、山形新幹線「つばさ」、秋田新幹線「こまち」はじめ、同じホームからは長野新幹線も発着していて、バラエティに富んでいます。

200910091507000
昨日の「やまびこ」は、2階建のMAXタイプの1階席で、ホームから見ると、ホームの高さすれすれです。

200910091455000

200910091505000東北新幹線が開通した当時は、東海道新幹線の0系と同じようなタイプで、車体はグリーンのラインでしたが、今はカラフルにもなっています。

新幹線以前は、東京[上野]から仙台にはL特急「ひばり」で、4時間以上かかりました。

今は完全に日帰り圏になりました。

2009年10月10日 (土)

仙台グルメ?

[1泊2日の仙台行きで、無駄に多くのネタを投稿して来ましたが、もうそろそろ最後にしようか・・。]

200910092011000 私は、辛口ではありませんから、「一ノ蔵」や「浦霞」などいうことにはなりませんし、今回は一人での出張だったために、実に地味な仙台行きでした。

駅ビルの「エスパル」の中も、随分バラエティに富んだ店が増えました。
昨夜は、郷土料理「みやぎ乃」で、名づけて「仙台膳」を食べました。
牛タン、海鮮サラダ、鮭はらこ飯という、"地産地消"のもの?
ウインドのサンプルほど豪華ではなく、看板に偽りありという感もしますが、まぁこんなものでしょうか・・・。

200910101343000 一方、翌日帰り際に、新幹線の発車時刻が迫っていたので、慌てて駆け込んだ、駅の改札近くのレストラン。
これまた全て地元の食材を使ったカレー。
名づけて「仙台まるごとカレー」。
「ひとめぼれ」に「牛タン」のカレーに蔵王チーズがかけられ、カキフライのトッピング。

これもねぇ・・・。でも、レストランの店員さんの感じが良かったので「○」ということで。

200910101405000ところで、仙台のお土産といえば、「笹かまぼこ」「牛タン」と「萩の月」というあたりが人気だと思います。
地元の人に聞くと、最近人気の出て来たものがあるという・・・。
それは、「喜久福」という名前で、大福に抹茶生クリームなどが入っている、和洋折衷のスイート。
お茶の老舗「井ヶ田」さんが作っているそうで、物凄くうまかったです。思わずいくつも食べてしまいました。
生菓子で保存が利かないのが、ちょっと難点ですが、これはいい。
家へのお土産は、今回は「牛タン」でしたが、次回は必ずこれを買って帰ろうと思います。

200910101402001 実質丸1日の久しぶりの里帰りは、楽しい思い出を残すことができました。

Home coming day ②

220pxtohoku_university28katahira_no川内キャンパスから、青葉城隅櫓を右に見て、広瀬川を大橋で渡り、西公園を左手にみながら、青葉通りを右折して、南町通りへ。

途中、現在東京の有名なMトラストが建設中の仙台一の高層ピルの脇を通り、片平キャンパスへ入りました。

この高層ピルの場所は、以前は地元の私立大学の付属高校があったところで、その高校は郊外に移転しているそうです。

Img_0006在学中、片平キャンパスへは、毎週月曜日の落研の部会のために行くぐらいでしたが、昔のいかにも大学という雰囲気は好きでした。

片平キャンパスも、かなり変わっていて、伊達政宗の墓所「瑞鳳殿」を向く正門も、工事中でした。


Img_0005一連の「ホームカミングデー」のイベントとして「片平まつり」というのをやっていました。

部会が開かれていた和室のあった建物は、駄馬師匠と探しましたが、残念ながら、近くに新しい建物が建ったためからか、撤去されているようでした。

私は、あの宮城県沖地震を、この建物の中で経験しました。
和室の襖が全部敷居から外れて倒れて来たのを思い出します。

駄馬師匠が仙台駅前まで送ってくださり、お礼を言って別れ、家路につきました。
束の間の里帰りでしたが、とても懐かしく、豊かな時間を過ごすことができました。
またまた駄馬師匠に感謝です。

落研の部室

Img_0004_2駄馬師匠に案内されて、川内キャンパスにある落研の部室を訪問。 200910101151000 

在学中は、キャンパスの西北端のテニスコートの横の平屋の建物でしたが、この場所とは違い、東側の4階建ての立派なサークル棟の4階にありました。

200910101149000建物は、サークル棟ですから、壁も階段にも、ビラやポスターが無造作に貼られていて、ゴミや埃もふんだんという感じは、昔と同じですが、4階にあるというのは、部室というイメージではありませんでした。

休日なので、部室には鍵がかけられ、誰もいませんでしたが、それでも、ドアに書かれた寄席文字「落」を見ると、脈々と続いている喜びを感じました。

青葉もゆるこのみちのく

200910101200000大学の川内キャンパスにある、「萩ホール」。以前は「松下記念講堂」と言っていたのですが、創立100周年を記念して、大幅なリニューアルが施され、立派なホールに生まれ変わりました。
偶然、「ホームカミングデー」のイベントが行われていて、応援団とチアリーダーによる、学生歌が披露されていました。

観客席の人たちも、ほとんど全員が起立して口ずさんでいました。
理屈抜きにいいものです。
200910101202001一緒の駄馬師匠とも「頼んでも合わせられないようなタイミングでしたね。」と。

Score

♪青葉もゆるこのみちのく♪
やはりこの出だしでなくっちゃぁ。

♪萩のかおるこの宮城野♪
萩は市の花、大学のロゴです。

♪朝鳥なく広瀬の川♪
仙台と言えば、広瀬川ですよ。

Collage明日は、文化フェスティバルということで、この会場で落研も出演するそうです。
ああ、明日まで仙台にいたいなぁ・・・。

Home coming day ①

200910101213000落研OB会の正副会長と、50周年実行委員長との打ち合わせを終えた後、駄馬師匠が、仙台を案内してくださいました。 

勝手知ったる街とはいえ、なかなか行くことの出来ない場所もあり、また偶然にも、今日と明日で、大学で「ホームカミングデー」が開催されているとのことで、お言葉に甘えて、駄馬師匠の愛車に同乗させていただき、川内キャンパスと片平キャンパスを中心に、仙台の街を巡りました。

200910101212000川内キャンパスは、文科系学部の学生が4年間を過ごす場所で、伊達政宗の居城だった青葉城跡を背にする、環境抜群なキャンパスです。
私が在学していた頃とは、建物も随分変わりましたが、講義棟や生協や食堂などは、当時のまま残っていました。
残念ながら、当時の落研の部室(サークル棟)は残っておらず、新しい場所に移っています。

100周年記念の「萩ホール」では、大変素晴らしいものに出会いました。別稿でご報告します。


こり生・友楽・蕪生・駄馬師匠

200910101006000 あと1ヶ月に迫った「創部50周年記念OB落語会」。200910101006001 

仙台ガーデンパレスのレストランで、5人で打ち合わせ。

内容は、来月のこと、OB会総会のこと、これからのこと・・・。

年代は異なりこそすれ、落研・落語に対する飽くなき愛情がひしひしと感じられ、とても有意義な時間が流れます。

打ち合わせの前に、来月の会場の下見をさせてもらいました。
落語会の会場も、祝賀パーティの会場も、今日は結婚披露宴の予定があり、準備の真っ最中でした。

200910101007000 落語会の会場は2階の「鳳凰の間」ですよ。上の写真です。
こんな広い会場で・・? 
とりあえず
100席用意する予定とのこと・・・。
そんなに大勢来てくれるかしらん・・・?

パーティ会場は4階の「羽衣(だったかな?)の間」。

立派な会場で、まるで空を飛ぶような気分になりました。
鳳凰に羽衣ですからね・・。

駄馬師匠と

200910100957000 200910100957001 昨夜は、仙台ガーデンパレスに宿泊しました。
来月の「OB落語会」の会場でもあります。

ホテルの宴会場で落語会をやるなんて、随分ゴージャスなプロジェクトですよ。
お日柄が良いのか、結婚披露宴が何組も入っています。

Img_0001 このホテルは、仙台駅東口からすぐの場所で、立地は抜群です。

駄馬師匠と9時に待ち合わせ、近くの喫茶店で雑談・・・。
とにかく駄馬師匠がいなければ、記念誌も今回の落語会も、到底実現できませんでしたから、本当に感謝しなければいけません。

今までの苦労話や、これからのことなど、いろいろなことを語り合うことが出来ました。

ちなみに、左上の写真の後姿が駄馬師匠です。

200910100956000ところで、ホテルの前の宮城野通りを真っ直ぐ行くと「Kスタ宮城球場」があります。
広々した道路には、楽天を応援する旗が立てられています。

それにしても、今シーズンの楽天は、頑張りましたね。
本当に野村監督や雑草のような選手たちの努力の賜物です。

それなのに、あの馬鹿オーナーは、監督を替えようとしているようです。
それも、よりによって、私が一番嫌いなH氏が有力なのだとか・・。
ちょっと釈然としないので、こんなところで吠えてしまいました。

再び、在仙のOBの重鎮、多趣味亭こり生師匠と桂友楽師匠と、仙台ガーデンパレスで落ち合います。

2009年10月 9日 (金)

仙台出張・里帰り

200910101307000_2 普段なかなか行く機会がないだけに、行く度に胸がときめく気がします。
出張で第二の故郷、杜の都仙台へ。

仙台を離れてはや約30年。
ちょうど市電が廃止され、地震に揺れ、新幹線も地下鉄もなく、政令指定都市でもなかった頃でした・・・。
Img_0002 街の様子は随分変わりましたが、不思議なことに、景色は違っていても、道路(路線)はあまり変わっていないので、何の迷いもなく歩くことが出来るのです・・・。
これは、例えば東京の新宿や渋谷や、勝手知ったつもりの上野よりも、足が自然に動いてしまうのです。・・不思議ですねぇ・・・。
18歳から25歳までを過ごした街ですから。

200910091720000 新幹線を降りると、仙台らしく七夕飾りで迎えてくれました。
200910091949000楽天球団を応援するポスターもあり、偶然にも今日の試合で勝って、今シーズンのペナントレース2位が確定し、Kスタ宮城球場にCS(プレイオフ)がやって来ることになりました。

仕事はそこそこ。
明日は、駄馬師匠と会って来月の打ち合わせをし、その後OB会会長のこり生師匠、セミプロの友楽師匠にもお会いする予定です。

飲みしぐさ

200910072328000 落研のホームページで先輩の古狂師匠が、ジャズコンサートに行っての感想から、落語の「間」に話題がおよび、噺家さんが高座で湯呑を使う「間」についてコメントされています。
そして最後に、「11
月8日の落研創部50周年公演で、だれがお茶飲みにチャレンジするのか楽しみである。」と・・・。

そこで出しゃばり乱志の登場。
「またお前かよ」と言われそうですが、実は、乱志Ⅱめ、秘かに高座で湯呑の白湯をすすろうという魂胆でおりました。
前回の「OB落語会」のトリで演らせていただいた「ねずみ」でも、この白湯飲みにチャレンジしたという、とんでもない「前科」があります。
また、今回の「浜野矩随」には、幸いにも?水を飲むシーンがありますので、このタイミングに合わせてみようかという"野望"なのであります・・・・。
ということで、愛用の?湯呑を持参するつもりでいます。
でも、緊張で手が震えると、蓋を取る時、小刻みに"カチャカチャ
"と音を立ててしまうかもしれません・・・。
そんなことやっている余裕などないはずなのに。

花緑ごのみ

Img_0006 紀伊國屋ホールでの柳家花緑さんの独演会の案内。

そういえば最近、花緑さんを聴いていませんね。

おじいちゃんのことを言わなければ良いのですが・・・。

竜楽さんからの葉書

Img_0002 10月20日(火)の「三遊亭竜楽独演会」の案内葉書です。

三遊亭竜楽さんのこの会も毎月続いている会で、今回で162回になるようです。

ただし、11月は、竜楽さんが、フランス語・イタリア語による落語口演で訪欧するために、日本での独演会は休演となるそうです。

フランスでは、"ジュ トジュデニ ジュ、ア トジュデサ ンジュ・・・"なんて演って来るのでしょうかねぇ・・。
・・・おっと、これは三遊亭歌之介さんのネタでした。

ポニーキャニオン落語倶楽部

Img_0001 ポニーキャニオンから発売されている落語の音源紹介の小冊子をCDショップで見つけました。

とても充実したラインナップだと思います。

「この落語家を聴かずして誰を聴く」という謳い文句がいいですね。

2009年10月 8日 (木)

台風一過

091800_2 まだ、北海道あたりでは強風が残っているようですが、本当に日本列島を縦断しましたね。

東京でも、JRの電車が止まって大騒ぎになったようで、午後3時頃になって、やっと会社に着いた人もいました。

また、突風(竜巻)の被害も大きかったようです。

伊勢湾台風とコースが似ているので、実家を心配しましたが、良い意味で予報がはずれたようで、ホッとしました。

着物

488733 浅草のD衣裳店から、この間誂えた着物が出来上がったと連絡がありました。

随分早く出来上がりました。安いからなぁ・・・。

平日は行かれないので、今度の休日に取りに行こうと思います。

世間亭節介さん

Img_0001

落研の世間亭節介さんが、とても嬉しいメールを送ってくれました。
概ね以下のような内容です。

二代目 金願亭乱志師匠
現部員の節介です。

OB落語会の件に関しましては、駄馬師匠とも連絡を取りつつ、現役部員としても微力ながらお手伝いする予定となっております。
私共としても、五十年という節目を迎えることは大変喜
ばしく、また歴史を誇りに思えることですので、OBの皆様とも協力して、今回の落語会を成功させたいと思っております。

また、「○○大学落語会」のホームページについても、近いうちに、こちらのリンクに追加いたしますので、しばしお待ちくださいますよう、お願いいたします。
                  ○○大学落語研究部 世間亭節介

実力と伝統のある団体として、これからも脈々と歴史を繋いで行く上からも、今まであまり多くなかった、現役とOBの接点を、一層増やして行かないといけませんね。

それにしても、この節介さん、文章もしっかりしているし、ありがたいスタンスだし、なかなかいいですね。
現役にしておくのは勿体ないですよ。

錦の袈裟

Topk2 与太郎噺の傑作のひとつでしょう・・・。
個人的には、女郎買いと与太郎さんの組み合わせは好きではありません・・。

落語国の"良妻"・"賢妻"が活躍するのですが、おかみさんの頭の回転には感服します。
こういうテキパキした女性が、与太郎と夫婦になるというのですから、この与太郎さんには、傍からは計り知れない魅力があるのでしょう。

いずれにしても、「無欲の勝利」というか、みんなが善人で、平和でいいですよ。

2009年10月 7日 (水)

頓平師匠へチケット郵送

Img 先輩の杜の家頓平師匠宛に、先日代わって取っておいた「国立名人会」のチケットを郵送しました。
忘れずに投函できました。

林家正雀師匠が道具仕立てで、三遊亭圓朝作「双蝶々雪の子別れ」を演るということで、ご友人のKさんとお二人でお聴きになるそうです。

私もチケットをゲットしていて、楽しみにしている一人なのです。

頓平師匠とは、毎月「東京落語会」を聴いた後で、虎ノ門の串焼屋で一杯が恒例になっているのですが、先月と今月は、私の仕事の都合で、行くことが出来ません。

法学部同窓会

Toh_e_m_p大学の法学部の同窓会も50周年になるんだそうです。

Img_0003去年・一昨年とも、「出席」で返信したにも関わらず、一度も出席していませんので、今年こそは顔を出してみようとは思うのですが・・・・。

落研のOB会のような、くだけた雰囲気という訳にはいかないでしょうねぇ・・・・。
真面目で、固くて・・・。

11月6日(金)午後6時から学士会館で。

とにかく、法学部を卒業したという自覚のない人ですから・・・。

落研の発表会

P1我が後輩たちの発表会が開催されます。
心からエールを送りたいと思います。
仙台近郊にお住まいの方は、是非お出かけください。

  ≪第140回 古典落語発表会≫

Map 日時 : 10月17日(土) 13:00開演

場所 : 仙台市戦災復興記念館 和室

演目 : 御舎萬兵衛   「熊の皮」
       況家何々往夜  「時そば」
        一久楼写太   「千両みかん」
        夢遊亭迷々   「粗忽の釘」
             仲入り
       世間亭節介   「しわい屋」
       東南舎ペー   「試験監督」
       ぺなる亭きっく 「落語」

入場無料です! 盛会を祈りたいと思います。

堀の内

02 堀之内妙法寺は、日蓮宗の名刹。

粗忽者が、粗忽を治そうと、堀の内のお祖師様にお参りをするという噺。

この噺で好きなシーンは、神田の家から出掛けたのになかなか着かないので、近くの人に道を尋ねると、ここは千住だというところ。
江戸(東京)の地理を知っていると、本当に面白い場面です。
神田から千住に行って、また神田に戻ってから鍋屋横丁を通って堀の内までですから、いくら昔とはいえ、本当に良い運動になったことでしょう。
賽銭のつもりが財布ごと投げ入れてしまったり、弁当だと思って風呂敷包みを解いたら、腰巻で枕を包んでいたのを背負って来たのに気がついたり・・・。

粗忽者を扱った噺では、この「堀の内」と「粗忽の釘」が好きですね。
「粗忽の釘」の「仏壇(別段)変わったところはありません。」という台詞がいいですね。
「何です藪から棒に・・」「いえいえ、壁から釘です」・・・爆笑です。

真面目に粗忽をやっている人たちこそ、愛すべき人たちです。

落研のホームページへ

Fumi 落研のホームページで、OB落語会の広宣をお願いしてみました。

早速、部長の世間亭節介さんから返信がありました。

出演者の演目が決まらず更新できないでおりましたが、10月17日に戦災復興記念館和室にて発表会を行う予定でおります。

同会終了後にOB落語会の宣伝に切り替えますので、今しばらくお待ちください。

発表会が終わったら、我々のOB落語会をアップしてもらえそうです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/3519/

2009年10月 6日 (火)

台風接近中

今年はまだ台風の上陸がないのだそうで。
尤も、来てもらわない方が良いのですが・・。

Typha ところが、とうとう猛烈に強い台風18号が、週後半あたりに上陸しそうです。
台風進路の予報円を見ると、紀伊半島から伊勢湾あたりを通過するのではと・・。
昔は、"台風銀座"などと言われたコースで、さながら数寄屋橋から四丁目交差点というところでしょうか。

Tyhn0918f 夕焼けだんだん"谷中銀座"とは違いますからねぇ。
木曜日・金曜日あたりが危ないようで・・。

仙台に出張なんだけどなぁ・・。

出演者の一言

Rimg0008 来月のOB落語会は、時間がタイトなため、マクラはなるべくカットするように指示されています。
その代わり、プログラムに出演者の一言を載せるということで、100字コメントを求められました。

こんな感じでどうかと・・
『ある噺家の師匠から「アマチュア(プロにならない)なら、大きな噺にチャレンジしなさい」とアドバイスされた直後、偶然鈴本演芸場で出会い、身も心も釘付けになった名も知らぬ噺。
・・あれから30年間、じっくり温めて来た人の情と親子の愛を是非聴いてください。http://ranshi2.way-nifty.com/blog/cat21350810/index.html
 二代目金願亭乱志』

これは本当なんです。忘れもしません。
今の柳亭左楽師匠(当時桂文平)と古今亭志ん五師匠(古今亭志ん三)をアテンドするアルバイトをやった時、左楽師匠に以下のように言われたんです。
「(乱志クン)君は素人(アマ)なんだから、噺の大きさなど気にしないで、のびのびと大作にチャレンジしたらいいよ。プロじゃないんだから。」と、心温まる励ましのアドバイスをいただきました。
この言葉が、間違いなく、その後の「全日本学生落語名人位決定戦」への出場や、人情噺へのチャレンジに繋がっています。全てこの時の一言がトリガーになっています。
「浜野・・」は、確か、休みで帰省する途中に寄った鈴本演芸場で、その日の主任だった三遊亭圓楽師匠が演ったのを聴いて、「これだ!」と思い、「いつかは・・・」と思いました。
講釈ネタで、その時は初めて聴く名前も知らない噺でした。

商いの切っ先〜訂正

Img_0001 先日の日経新聞「春秋」での「明烏」にある「商いの切っ先」について、気になったので調べてみました。

手元の、昭和49年3月刊の「桂文楽全集 上」に収められている「明烏」(18ページ)に、こんな一節がありました。

・・・あたしが死んじまってお前がこの身代を引き受けて、旦那がたを招待してどこのお茶屋はどういう格やらだとか、どこの料理屋ァどういうものを食わせるぐらいのことを、覚えていてもらわないと、いざというときに商売(あきない)の切っ先が鈍っていけませんよ。   

参りました

改めて、己の浅学さ加減を思い知りました・・・。

もう一度、勉強し直してまいります・・・。(絶句)

長短

大好きな噺のひとつです。
Img 先代の雷門助六師匠のが、雰囲気もテンポも秀逸だと思います。
助六師匠の「長短」が楽しい訳は、以下2点にあると思います。
まず、気の長い「長さん」が上方弁で、気の短かい「短七さん」とのキャラクターの違いを引き立たせていること。
次に、(実物や映像を見た訳ではありませんが)劇団を主宰した経験があるので、噺の中の仕草や場(あるいは間)の持たせ方が、他の噺家さんとは違う。

以前から、やりたいけれども難しそうで、なかなか出来ない噺です。

落語っ子連の円ドルさんが、次の発表会でチャレンジするそうです。

「そうれ見ねぇ、だから演らぬぇ方が良かった・・」なんてなことにならないように。

2009年10月 5日 (月)

「同窓っ子連」合同稽古会③

落語っ子連のびす太さんが、先日の合同稽古会の写真を撮ってくれました。

Ensou_gamanoabura指導出演の圓窓師匠の噺「がまの油」を、客席のど真ん中で、偉そうにふんぞり返って聴いているのが私・流三です。

Ensou_birthdayメンバー手作りのバースディケーキを、一気に吹き消している圓窓師匠の後ろで、羨ましそうな顔で眺めているのが私・流三です。

師匠の嬉しそうな表情が印象的です。

Dousoukkoren師匠のバースディパーティが終わった後の全員で記念写真。

場違いなスーツ・ネクタイ姿が私・流三です。
私の左隣が、私のブログを見て、稽古会に来てくださったYさんご夫婦です。

野ざらし

Cd_123cocj35557rps

二代目三遊亭円歌師匠の後は、やはり三代目春風亭柳好師匠ということでしょう。
そして、柳好師匠といえば「野ざらし」です。

この柳好師匠に関して、以下のような評論がありました。

花が咲いたかのように艶やかかつ華のある高座で、「唄い調子」と言われる流麗な口調が独特。多くのファンを獲得した。今日でも落語愛好家の間で「柳好」と言えば決まって「三代目」の事を指すほどである。ただし人物描写や心理表現といったものは皆無で、批評家の評価は低く、人気のわりには高い評価を受けなかった。
・・・そういうものでしょうかねぇ・・。

二代目林家正蔵の作と言われ、当時は因縁話だったのだが、それを初代三遊亭圓遊が今のような滑稽な噺に改作したと言われています。
確か、二代目の正蔵というのは、僧籍にある人で「蒟蒻問答」などもこの人の作だと言われていたはずです。また、初代圓遊は、「鼻(ステテコ)の圓遊」と言われ、「船徳」をアレンジした人だったと記憶しています。

あまり自信はありませんが・・。

「三代目柳好師匠=野ざらし」と言われた逸話として、現立川談志師匠は、この柳好師匠に心酔するあまり、「野ざらし」を演じる時に「ここから柳好になるよ。」とことわって、柳好ばりの歌い調子でやっているそうですし、名人八代目桂文楽師匠も「野ざらし」を得意とした一人でしたが、柳好師匠の素晴らしさに脱帽し、「こんな素晴らしいのを聞いたら、あたしはもう演じられません。」と自ら封印してしまったそうです。

「♪鐘がぁ~ ゴンとなりゃぁ
 上げ潮ぉ、 南さ
  カラスがパッと出りゃ コラサノサ
   骨がある、サーイサイ
    そら、スチャラカチャンたらスチャラカチャン♪」

あたいの名前はヨタローさん

200909180618000 あたいの名前はヨタローさん。
あたいね、こないだ古狂おじさんが言ってた"ホームページ"ってのを覗いたぞぉ~。
あたいは来年は「ハタチイチ」になるけど、あたいの何人分も長く生きてるおじさんたちが、最近やけに元気みたいだなぁ・・・。
おじさんたち、あたいをお湯屋さんに連れて行ってくれるんだって。
「銭湯にあたいを(仙都に笑いを)」って言ってたもんなぁ・・。


落研の掲示板にこんな投稿がありましたが、誰の仕業でしょうかねぇ・・・
きっと、「牛ほめ」に出て来る二十歳の与太郎さんをイメージして、語っているのでしょう・・・。

エヘヘ・・・。

奇跡の寄席 天満天神繁盛亭

32311438 大阪の上方落語の殿堂とも言われるようになり、開業以来連日満員が続いているという「天満天神繁盛亭」の本。(堤成光・880円)

上方落語協会会長の桂三枝師匠が中心となって、一般からの寄付なども募り立ち上げた、落語定席。

大きなホールでの漫才や色物中心の上方演芸の中で、落語中心の寄席の存在は本当に貴重だと思います。

2009年10月 4日 (日)

特撰落語会

200910041724000 日が短くなりました。
水天宮の提灯も灯っています。
久しぶりに聴くホール落語です。

日本橋社会教育会館ホールでの「特撰落語会」。
天高く何かが肥ゆる秋~権太楼・扇遊・五九楽三人会です。

◆ 真田小僧    柳家小んぶ

Img 夢の酒     入船亭扇遊

◆ 火焔太鼓    三遊亭五九楽

◆ 化け物使い  柳家権太楼

日曜日の夜の落語会だったこともあってか、予想外に空席が目立ちました。

・・・という訳ではないのでしょうが、何となく噺家さんも客席も、乗りという点では今一歩だったかもしれません。

松戸まつり

200812071138000j 「松戸まつり」が、松戸駅前を中心に2日間にわたって開かれました。
今年で36回目になるそうです。
子どもが小学生の頃は、地元の小学校のブラスバンド行進があったりしたので、写真を撮ったり、露店を覗いたりしましたが、最近は、お祭りに気がつかず、駅に着いてから驚くというパターン
カラオケ(のど自慢)大会をやったり、太鼓や踊りを披露したり、楽しい人は楽しいのでしょう。
2008120711160001 地元の寺社や昔から伝わっているものではありませんから、単なる騒ぎのような気もしないではありません。(野暮を言いますが・・。)

この雑踏の中に、お父さんに連れられ、無理やりせがんで、飴や団子を買ってもらった金坊がいたのかなぁ・・。
金坊にやる団子の蜜を全部舐めちゃった熊さんが歩いていたかなぁ・・

OB会の案内状

Img_0005 3d3fiso2022jp3fb3fqtqbjei9ue5pgyhcl いよいよ来月に迫って来た「創部50周年記念OB会」。

談亭志ん志師匠から、案内状が届きました。

勿論、「出席」と書いて、返信用のハガキを投函しました。

何人ぐらい集まってくれるでしょうか・・・?

楽天バンザイ!

Bsh0910032125009p1  (パ・リーグ、楽天14-5西武、23回戦、楽天12勝11敗、3日、Kスタ宮城)クライマックBsh0910032125009p2スシリーズ(CS)進出マジックを「2」としていた2位楽天が、対象の4位西武に快勝し、3位以上が確定。球団創設5年目にして初のCS進出を決めた。野村監督は就任4年目でチームをAクラスに導いた。16日から始まるパ・リーグのCSには、日本ハム、楽天、ソフトバンクが出場する。

あの「東北楽天ゴールデンイーグルズ」が、予想だにしなかった、クライマックスシリーズ進出を決めました。

Bsh0910032201010s3 プロ野球球団が1チーム減りそうになったところを、いわば落ちこぼれた選手たちが集められてスタートしたチーム。
当然のように万年最下位から、ここまで這い上がって来たのは、理屈抜きに素晴らしいと思います。

調子の
いい発言ですが、いくらか縁のある、というより第二の故郷仙台をフランチャイズにするチームで、それだけで心情的に応援したくなりますから、とりあえずとはいえ、Aクラス入りが確定したということは、心から嬉しくなります。
野村監督も、なんだかんだ言ってもさすがだと思うし、今の枯れた(枯れていないか?)キャラクターは、非常に貴重な存在ですよ。

但し、МオーナーとS監督夫人は大嫌いですが・・・。

立川志ら乃真打ち昇進大作戦

「立川志ら乃 真打ち昇進大作戦~立川志らくを納得させる会」という落語会があります。

Img_0002 以前にもコメントしたのですが、「えっ?志ら乃さん、まだ真打になっていないの」という気持ちです。

2年ぐらい前に「真打トライアル」という公演をやり、その時に師匠の志らくさんから条件付きで認められたんじゃなかったのかと・・・。w(゚o゚)w

思わせぶりなやり方は、本人もかわいそうだと思うし、そもそもあの時「真打トライアル」を聴いた観客にも失礼ではないかと思います。
私も、あの会場の中の一人でしたから、どうも腑に落ちないのです。
 (`ε´)

以下のように紹介しているものを見つけました。
立川落語会家元、立川談志が「オレから伝わったものが志らくを通じて志ら乃にある」と云わしめた、立川流一門期待の逸材。
特に志らく譲りのリズム感を備えた、落語の基礎の確かさと構成力の巧さは、大きな将来性を予感させる。

これだけの逸材が、この2年間、「真打昇進」という、さほど高い目標とも思えないことに向かっている。大きな損失だと思います。
彼にはもっと高いレベルの目標に向かって欲しい。
芸が荒れてしまわないか・・・、心配です。

2009年10月 3日 (土)

中秋の名月

180pxtsuki 千駄ヶ谷の千一亭の上空にも、中秋の名月がくっきりと出ていました。

何と言っても日本人は「月」ですよ。
わび・さびは、太陽ではなく、月にこそあり。

  月月の月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月

一年に満月は何度もありますが、中秋の名月が一番美しいということでしょう。

そもそも中秋の名月とは、旧暦の8月15日の澄んだ空に昇る月のことで、その頃が空気が乾燥して月が鮮やかに見え、湿度も低く夜でもそれほど寒くないため、観月に最も良い時節とされていました。

Tsukimidanngo秋は収穫の時期でもあるため、その年の収穫物を月に供える風習が各地に残っています。

そうなんです。昔、「十五夜さん」と言って、子どもたちが各戸をまわり、縁側に供えた団子や野菜や菓子などをもらって歩いたものでした。

実は、私の本名(苗字)は、月に因んだもので、そんなこともあり、月に思う日本人の心も、「いとあはれ」だと思うのです。

月齢という言葉もありますが、数字で言わない呼び方がありますよ。


満月(=十五夜・望月)の翌晩の月が「十六夜(いざよい)」です。
さらにその翌晩、翌晩・・・の月にも、ちゃんと名前がつけられているのです。
17日:立待月(たちまちづき)~立って待っているうちに月が上る
18日:居待月(いまちづき)~座って待っていると月が上ってくる
19日:寝待月(ねまちづき)~月の出が遅いので寝て待っている
20日:更待月(ふけまちづき)~夜も更けてから月が上ってくる
・・・・といった具合ですよ。
月は、日ごとに出てくる時間が遅くなるため、翌晩は今夜よりも待たないと月が出てこないので、このように名づけられたものです。日本人は、月が好きなんですね。

季節は違いますが、師匠の落語歌謡に出ている西行の辞世が、
  願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

桜の花と月・・・。日本人の原点だと思います。

嬉しいサプライズ!!

Img_0001今日は仕事があったので、少し遅れて「合同稽古会」に行きました。

師匠の「がまの油」が終わり、休憩時間になった時、落語っ子連のびす太さんから、「流三のブログを見て、この会に来てくださった方がいらっしゃる」という、とても俄かには信じられない話を聞きました。

ええっ

びす太さんに紹介していただき、早速ご挨拶。
まるで「浮世床」の夢の場面で、半ちゃんが来たと聞いて、奥の部屋から泳ぐように出て来た年増のいい女の料簡ですよ。
(どんな料簡じゃい!)

お聞きすると、上(左)から読んでも下(右)から読んでも同じ、千葉県「市川市」にお住まいの「Yさん」ご夫婦。
ご主人が、高校時代に落研に入っていた落語好きで、パソコンで落語関係の情報[HPやブログ]を検索していて、不幸にしてこのブログを見つけてしまったという・・・。

驚くやら、嬉しいやら、恥ずかしいやら・・・。
独り善がりのとんでもないことばかりを書いているので、ひたすら赤面なのですが、とはいえ嬉しくて、早速ご夫婦を師匠に紹介しました。

・・・ということで、今月の「ん組」の稽古に、来ていただけることになりました。
以下は【業務連絡】です。

市川市のYさん(と明るい奥様)、日時と場所はお話したとおりです。
稽古場のクレス・ミュージックキューブ前でお待ちしていまぁ~す。

いやぁ・・・、こんなこともあるのですねぇ。
師匠の誕生日に、私にもこんな嬉しいことがありました。

「同窓っ子連」合同稽古会②

200910031659000 合同稽古会の第2部は、師匠の誕生日のお祝いパーティ。

女性メンバーお手製のケーキがいくつも並んで、偶然今日が中秋の名月なのでお月見団子も・・・。
200910031829000バースディケーキは、メンバーそれぞれ名前の入った、弟子たちのサイン入りです。


私も「Ryuza」と入れました。

本当さんのウクレレの伴奏で、♪ハッピーバースディ ツーユー♪でスタート。

200910031834000乾杯の後、師匠から「自分の誕生日を祝ってもらった(ケーキのローソクを吹き消す)のは初めて、ありがとう。」と一言。恥ずかしそうで、でもとても嬉しそうでした。

とにかく老若男女、気のおけないとても良い雰囲気のパーティです。

実は、私はこの場で、とても嬉しいサプライズに出会うのですが、これは別稿でご報告することにします。勿体ぶるほど嬉しいことでしたから・・。

200910031916000 師匠が自ら、「落語歌謡」を歌い、落語とは違う素晴らしい喉を披露してくださいました。
まず、「ゾロゾロ音頭」で小手調べ。そして、「西へ行く・鼓が滝の唄」。
師匠から、「落語歌謡が10曲になったら、落語歌謡のカラオケ大会をやろう。」。
「西へ行く・鼓が滝の唄」は、師匠がパソコン通信をやっていた頃に作ったものだそうで、「え~?そんな昔に!?」・・。
《ゾロゾロ音頭》

http://www.youtube.com/watch?v=sdPDBT2GG7E

《西へ行く・鼓が滝の唄》
 http://www.youtube.com/watch?v=GcV0DQBa_O8&annotation_id=annotation_135648&feature=iv

時間を忘れて楽しいひとときになりました。

席亭の本当さんは、「次回の合同稽古会は、忘年会か新年会にしよう。」と仰っていました。

「同窓っ子連」合同稽古会①

Img_0002 あるHPでは、我等が三遊亭圓窓師匠は以下のように紹介されています。
六代目三遊亭 圓窓1940年10月3日 - )は、東京都江東区出身の落語家。落語協会所属。本名、橋本八郎(はしもと はちろう)。出囃子は『新曲浦島』。
『釜泥』をはじめとする古典落語だけでなく、パソコンを利用した通信落語や、民話を題材とした創作落語を行うなど、活動の幅は非常に広い。最近では各地の小学校を訪問して、落語を実演している。2000年には、自ら口演した古典落語の『ぞろぞろ』が、小学4年生の教科書に掲載された。
・・・という訳で、今日が師匠の誕生日です。
(ご本人が今日だと仰っているのですから、わざわざ調べることもないのですが。)

師匠に師事する複数の素人落語連「同窓っ子連」で、師匠の69歳の誕生日をお祝いしようという趣向の合同稽古会です。

Img_0001◇ 雷月日    三流亭びす太・落語っ子連
◇ 釜泥      紅巣亭節々・語りっ子連
◇ 枯木屋    千一亭本当・落ちっ子連
◇ 真田小僧   有難亭龍宮・噺っ子連

◇ 時そば    N文亭良好・笑いっ子連
[指導出演]
◆ がまの油  三遊亭圓窓

200910031751000師匠が客席で聴いて、噺が終わるたびに演者の紹介も兼ねたコメントを、面白可笑しくしてくださいます。

こういう具合に、やや身内とはいえ、人前で落語ができる機会というのは非常に貴重です。
励みにもなるので、各メンバーの落語のレベルも上がっていくと思います。

何のご縁もない色々な人たちが、「落語」という接点だけで触れ合うことができるなんていうのは、本当に素晴らしいことですよ。
とにかく理屈抜きに楽しい・・・。

商いの切っ先

今日の日経新聞「春秋」欄に、以下の記述がありました。

「商いの切っ先がなまる。」
Smile そんなせりふが落語「明烏」にある。
大店の主が堅物の息子に向かって「どこのお茶屋はどういう格だぐらいなことを覚えてもらわないと、いざというとき商いの切っ先がなまっていけません」。
先代桂文楽の名調子で聞き覚えた。

・・、ちょっと待ってよ・・。
この台詞は有名な台詞ですが、これは「明烏」で主(お父っつぁん)が息子にではなく、「百年目」で旦那が番頭に言ったもののような気がするのですが・・・。
Ensho また、桂文楽師匠の「百年目」はあまり聴いたことがありませんから、文楽師匠ではなく、三遊亭圓生師匠ではないかとも思うのです。

筆者の勘違いだと思うのですが・・・・。でも、「明烏」のお父っつぁんも、言っていたかもしれないし・・。私の勘違いかもしれない・・。ちょいと調べることにします。

それにしても、「百年目」では、間違いなく、このような内容の台詞があります。また、このほかにも、ゾクゾクッとする台詞がたくさん出てきます。

オリンピック開催地

注目の2016年のオリンピック開催地が、ブラジルのリオデジャネイロに決まりました。
残念ながら、東京は2回目の投票で落選してしまいました。

また日本で行われるオリンピックが観てみたい。
こんな素朴な気持ちはありますが、全体としてはあまり盛り上がりませんでした・・・。
"飽食の国"らしい現象ですね。

個人的には、リオデジャネイロに決定というのが、一番良い落とし所だったと思います。
シカゴやマドリードなら、きっと
何か釈然としないものを感じたでしょうから。

2009年10月 2日 (金)

師匠との洒落問答?

こんなやりとりも面白いものです。

200906252104000 師匠(のブログ)
「落語歌謡・水神のレッスンをしてもらったが、(師匠が)歌うには、とても難しい"難曲"だ。」

そこで流三
「師匠、そんなに南極(難曲)なら、暫く北極(放っとく)という手もありますよ。でも、師匠の作った歌を聴く会を一赤道(一席どう)ですか?」

すかさず師匠から
「明日(アース)のことはなかなかわかりにくくてね。」

二つ目昇進

Ichiban 落語協会で、11月から3人の前座さんが二つ目に昇進します。

落語協会の発表によると・・・、

  ◎春風亭 正太郎 (正朝門下)
  
  ◎古今亭 だん五 (志ん五門下)
Manekii
  ◎三遊亭 玉々丈 (圓丈門下)。

三人とも、複数回聴いたことがあります。
少しでも知っている前座さんが昇進するというのは、何となくウキウキして来るものです。

時代は巡る

最近、何気なくテレビCMを見ていると、懐かしく思う音楽やシーンのCMに気がつきました。

日本酒「菊正宗」のCMソング「♪やっぱり、俺はぁ~あ~♪」というフレーズの曲。
昔は、西田佐知子が歌っていましたよね、確か。
何でも、蔵元が創業350周年を迎えたのを機に、外国人の演歌歌手ジェロで新しく収録されたそうです。

Photo_03 そして偶然、日本酒のコマーシャルでもう一本。
かつて、田宮二郎が演じた、清酒「大関」のCM。新しいのは、SMAPの稲垣吾朗が・・・「♪恋をするなら命がけぇ~♪」。
雨の中を小走りに駆けてきた和服姿の美しい女性に番傘を差しかけ、自分は濡れながら走り去るというやつ。
それにしても、田宮二郎と稲垣吾朗では・・・。

Photo_04 時代は巡って来るのか、良いものはやっぱり良いのか・・。
そして、日本人の感性をくすぐる部分もあるのでしょう。きっと。

「♪酒はぁ大関ぃ、心意気ぃ♪」・・・。

落研のホームページ

現役の学生さんたちが公開している落研のホームページに投稿しました。
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/3519/


3d3fiso2022jp3fb3fqtqbjei9ue5pgyhcl 勿論、来月のOB落語会の宣伝です。
ちょっとやりすぎでしょうか・・・?
いいですよね。
一人でも多くの人にきていただきたいので・・・。

東北大学落語研究部も今年創部50周年を迎えました。
そこでOBたちが一念発起、創部記念OB落語会を開催します。
関係者も無関係の方も是非お出かけください。

     《創部50周年記念OB落語会》

【日 時】   平成21年11月8日(日)午後2時開演
【場 所】   仙台ガーデンパレス
【木 戸】   入場無料
【番 組】   狸札         井の線亭ぽんぽこ
        初天神       杜の家くるみ
        浜野矩随     金願亭 乱志
              仲入り
               口上
         かたきの首    喰亭 寝蔵
         一分茶番     談亭 志ん志
         井戸の茶碗   桂 友楽

私め、ブログ「乱志&流三の落語徘徊」をやっています。
一度覗いてみてください。

http://ranshi2.way-nifty.com/blog/

"やすらぎ寄席"の予告

200910011516000 愛宕の真福寺で毎月開かれている「やすらぎ寄席」、今月は15日です。
今月の出演は、三遊亭鳳楽師匠と三遊亭楽之介師匠の番。

おつとめや写経などの案内と同じ掲示板に、堂々と「第153回 やすらぎ寄席」のポスターが・・・。

真福寺の前を通り過ぎて・・・。

2009年10月 1日 (木)

志ん朝忌

E8884b793ff5d192_2 2001年の今日、落語界の巨星が亡くなってしまいました。
三代目古今亭志ん朝師匠。享年63歳。没後8年になります。

亡くなる直前の9月6日に、テレビ朝日の「ニュースステーション」の特集「最後の晩餐」というのに、志ん朝師匠が出演されていたのを思い出します。
(録画でしたから、撮影はその3ヶ月ぐらい前だったかもしれません。)

二ツ目時代に身の回りに不運が続いたため、信心が足りないと母に言われて谷中の寺に守り本尊としている虚空蔵菩薩へのお参りに出向いたところ、その寺の住職に、虚空蔵菩薩の使いは鰻であるので、菩薩の命日である13日は鰻断ちするよう勧められた。しかし、13日だけなんて勝手な話は無いと、以来40年以上に渡り大好物であった鰻を断った。「鰻を死ぬほど食べてみたい」と語っている。癌による死を前に、食べたいものを聞かれたときも「鰻が食べたい」と語っていました。

9784480038715・・・・この番組の記憶も新しいうちに、志ん朝師匠は逝ってしまいました。
随分皮肉な、縁起の悪い番組だったなと思ったものです。

志ん朝師匠を惜しむ声は、多方面から寄せられていますから、ことさら付け加えるものはありませんが、志ん朝「後」の落語界は、これまた皮肉なことに「落語ブーム」が到来し、とりあえず一息ついている気はします。
しかし、いつの世にも「スーパースター」は必要ですし、また出て来るものだと思います。
その誰かが出現するのを楽しみに待つことにします。

蛇足ですが、素人落語の人たちの噺を聴いていると、志ん朝師匠の影響を大きく受けた人が多いのに気がつきます。
「・・・・。えっ?」という、志ん朝の癖をそのままコピーしている人の多いこと・・・。
確かに、「・・えぇ?」を入れることで、台詞に一息つけるのですが、聴く側にはとても気になることがあります。耳障りになるのです。

当時の日刊スポーツの記事の一部を読むことができました。

 「6代目志ん生」継がぬまま 古今亭志ん朝さん逝く

Seikyo011002_2 古典落語の名手として活躍した落語家の古今亭志ん朝さん(ここんてい・しんちょう、本名美濃部強次=みのべ・きょうじ)が1日午前10時50分、肝臓がんのため都内の自宅で死去した。63歳だった。今年8月に病院で検査を受け、末期の肝臓がんと診断された。
 名人として名高い5代目古今亭志ん生(享年83)の二男として生まれ、サラブレッドとして注目された。テレビやラジオでも活躍する一方、寄席の高座や独演会にこだわり続けた。30代からささやかれ続けた6代目志ん生の名跡襲名は、実現しなかった。
 志ん朝さんは聖子夫人(58)ら家族と5人の弟子に見守られながら、静かに息を引き取った。
 関係者によると、今年7月下旬の北海道巡業でかぜをひき、8月13日に都内の病院に入院。精密検査で、末期の肝臓がんと分かったが、同20日まで浅草演芸ホールでの高座があり、病院から通った。高座で顔色は悪く、本人も「声が出なくなってきたので、迷惑がかかるだろうか」と気にしたが、休まなかった。
 高座を終えた同23日、都内のがん研究会付属病院に転院する際、聖子夫人ががんであることを告げた。末期までとは言わなかったが「あっ、そうか」と淡々と受け止めたという。この時、弟子たちだけに事実が伝えられたが、周囲は持病の糖尿病の悪化かと思っていた。
 9月23日に、病院から帰宅を勧められ、自宅に戻った。点滴も外し体力は日に日に弱くなったが、大好きな日本酒は楽しんだ。この日午前8時に容体が悪化、最後は眠るようだった。

鉄人28号

Chara_necha001i 巨人・大鵬・卵焼き世代の私が、幼い頃に夢中になったのが、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」です。
いずれも、ある博士が自分の子どもを思い作ったロボットであることは共通していますが、その他は対象的なストーリーだったと思います。

印象に残っているのは、リモコンを盗られた鉄人が「悪魔の手先」になる場面と、敵のロボットと闘って片腕をもがれたまま飛ぶ鉄人の姿です。

Chara_necha01i 不思議なのは、金田正太郎という主人公の少年の存在と、警察の署長さんです。
正太郎くんは、2本しかないリモコンのレバーを巧みに使い?鉄人を動かしていました。
Chara_necha03iそしてこの署長さん、一介の署長さんなのに、防衛大臣のような権限を持っていましたよ。

神戸市は、原作者の横山光輝さんの出身地なんだそうで、街興しのために「KOBE鉄人プロジェクト」と称して、募金で実物大の鉄人28号を作り、公園に展示しているそうです。

Ktaxi716 考えてみると、鉄腕アトムにしてもこの鉄人28号にしても、オバQもドラえもんも、レオもジョーも、アッコちゃんも・・・・、そうそうウルトラマンも、未だに人気の衰えないキャラクターの大半を、私たちの世代はリアルタイムで見て育ったんですね。
色々ありますが、もしかすると、貧しかったけれども、物凄く良い時代だったのかもしれませんね。

呼び出し電話

Enka1 知らない噺家さん(昔の師匠)で、混同してしまうことがあります。

私が時々区別がつかなくなるのが、有名どころでは、二代目三遊亭円歌師匠と三代目春風亭柳好師匠です。

並べると全く違う師匠なのですが、本物を聴いたことがありませんから、「野ざらし」は・・・、ぇ・・と・・、円歌?柳好?・・なんという恥ずかしいことになります。

■ 二代目 三遊亭円歌(明治24年4月28日~昭和39年8月23日)
 新潟市生まれ本名・田中利助。
 大正4年二代目三遊亭小圓朝、三代目三遊亭金馬、五代目古今亭志ん生と知り合ったのが縁で、初代三遊亭圓歌に入門して、三遊亭歌寿美。
 大正6年三遊亭歌奴と改名。大正10年4月、同名で真打ちに昇進。
 昭和9年10月、二代目三遊亭円歌を襲名。昭和39年8月25日没。享年74歳。

Enka3 戦前から戦後にかけて活躍された師匠方は、音源はかなり残っていますが、あまりじっくり聴いたことがありません。
三代目三遊亭金馬・三代目春風亭柳好・八代目春風亭柳枝・六代目三升家小勝師匠あたりは、私が間に合っていない師匠です。
二代目の三遊亭円歌師匠もそうです。

「呼び出し電話」を、初めてじっくり聴きました。
新作落語の難しさを痛感します。
当時は、新しい風物光景が、今や陳腐化するどころか、なくなってしまっていますから、かえって古典(江戸・明治が舞台という意味で)の方が、始末におえる気がします。
正直なところ、寄席などでは受けたのでしょうが、やはり落語という感じがしません。
普遍的な背景やネタというのは、ずっと後世に残る噺というのは、なかなかないものです。

今の圓歌師匠(三代目)も、「中沢家の人々」など、随談というのか、巷談というのか、落語というのか、よくやっています。
でも、これも中沢さん(圓歌師匠)一代の噺でしょう。

芸協らくごまつり

Img_0001 落語芸術協会のファン感謝イベント「芸協らくごまつり」のチラシです。

西新宿の中央公園から十二壮通りに坂を下りたところに、旧淀橋第三小学校の校舎があります。

ここが「芸能花伝舎」になっていて、落語芸術協会もここに入居しています。

「芸協らくごまつり」は今年で第3回目。年々華やかになっているようです。
落語協会の「圓朝祭り」に対抗するものと言ってよいのでしょう。

今までも興味がない訳ではありませんでしたが、アクセスがあまり良くないので・・・・。

・・・今年は、そうか「落語っ子連」の稽古の日でした。

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »