2001年の今日、落語界の巨星が亡くなってしまいました。
三代目古今亭志ん朝師匠。享年63歳。没後8年になります。
亡くなる直前の9月6日に、テレビ朝日の「ニュースステーション」の特集「最後の晩餐」というのに、志ん朝師匠が出演されていたのを思い出します。
(録画でしたから、撮影はその3ヶ月ぐらい前だったかもしれません。)
二ツ目時代に身の回りに不運が続いたため、信心が足りないと母に言われて谷中の寺に守り本尊としている虚空蔵菩薩へのお参りに出向いたところ、その寺の住職に、虚空蔵菩薩の使いは鰻であるので、菩薩の命日である13日は鰻断ちするよう勧められた。しかし、13日だけなんて勝手な話は無いと、以来40年以上に渡り大好物であった鰻を断った。「鰻を死ぬほど食べてみたい」と語っている。癌による死を前に、食べたいものを聞かれたときも「鰻が食べたい」と語っていました。
・・・・この番組の記憶も新しいうちに、志ん朝師匠は逝ってしまいました。
随分皮肉な、縁起の悪い番組だったなと思ったものです。
志ん朝師匠を惜しむ声は、多方面から寄せられていますから、ことさら付け加えるものはありませんが、志ん朝「後」の落語界は、これまた皮肉なことに「落語ブーム」が到来し、とりあえず一息ついている気はします。
しかし、いつの世にも「スーパースター」は必要ですし、また出て来るものだと思います。
その誰かが出現するのを楽しみに待つことにします。
蛇足ですが、素人落語の人たちの噺を聴いていると、志ん朝師匠の影響を大きく受けた人が多いのに気がつきます。
「・・・・。えっ?」という、志ん朝の癖をそのままコピーしている人の多いこと・・・。
確かに、「・・えぇ?」を入れることで、台詞に一息つけるのですが、聴く側にはとても気になることがあります。耳障りになるのです。
当時の日刊スポーツの記事の一部を読むことができました。
「6代目志ん生」継がぬまま 古今亭志ん朝さん逝く
古典落語の名手として活躍した落語家の古今亭志ん朝さん(ここんてい・しんちょう、本名美濃部強次=みのべ・きょうじ)が1日午前10時50分、肝臓がんのため都内の自宅で死去した。63歳だった。今年8月に病院で検査を受け、末期の肝臓がんと診断された。
名人として名高い5代目古今亭志ん生(享年83)の二男として生まれ、サラブレッドとして注目された。テレビやラジオでも活躍する一方、寄席の高座や独演会にこだわり続けた。30代からささやかれ続けた6代目志ん生の名跡襲名は、実現しなかった。
志ん朝さんは聖子夫人(58)ら家族と5人の弟子に見守られながら、静かに息を引き取った。
関係者によると、今年7月下旬の北海道巡業でかぜをひき、8月13日に都内の病院に入院。精密検査で、末期の肝臓がんと分かったが、同20日まで浅草演芸ホールでの高座があり、病院から通った。高座で顔色は悪く、本人も「声が出なくなってきたので、迷惑がかかるだろうか」と気にしたが、休まなかった。
高座を終えた同23日、都内のがん研究会付属病院に転院する際、聖子夫人ががんであることを告げた。末期までとは言わなかったが「あっ、そうか」と淡々と受け止めたという。この時、弟子たちだけに事実が伝えられたが、周囲は持病の糖尿病の悪化かと思っていた。
9月23日に、病院から帰宅を勧められ、自宅に戻った。点滴も外し体力は日に日に弱くなったが、大好きな日本酒は楽しんだ。この日午前8時に容体が悪化、最後は眠るようだった。