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2009年9月 6日 (日)

圓生まみれ

休日の今日は、ひねもす噺を"浴び"ました。
・・と言っても、時には横になりながらですから、部分的には意識がなくなったこともあります。

200909032109000  ◇ 火事息子  三遊亭圓生
 ◇ 鼠穴     三遊亭圓生
 ◇ 百年目    三遊亭圓生

「火事息子」と「鼠穴」は、いずれも火事がテーマになっている噺。
それから、「百年目」も入れると全て"お店噺"ということになります。
ということは、これらの噺は「ついて」しまうので、寄席や落語会では同時に演ることはないということですね。

「火事息子」は、圓窓師匠と新しいオチを考えたりしました噺ですが、圓窓師匠の火事息子では、"臥煙"になった息子と会えた母親が、寂しさを紛らすために可愛がっている猫を膝から放り出すシーンで、圓生師匠とは違い、猫にも優しい気を遣いながら、膝からおろしています。

以前このブログでもコメントしましたが、学生時代にNHKラジオで、「東京落語会」の録音を放送していたのですが、圓生師匠の「鼠穴」を放送している最中に、山形県酒田市で大火が発生し、放送を中断して速報が入ったことがありました。

私が「百年目」を演るなら、あの長講の中で一番言いたい台詞は、「あたしは昨夜は一睡もできなかった・・。」です。
この台詞に、大旦那の心が凝縮されていて、どっと涙が出て来ます。

最近読んだ評論で、圓生師匠の噺は「無駄な部分が多い」というのがありました。
「圓生百席」などはその極致で、色々な物を残すという趣旨から、あえて関係のないマクラや、噺の途中でも脱線をしてい
ます。
「火事息子」では、当時の消防制度や刺青のことなどを、こと細かに説明していますし、一昨日聴いた「鰍沢」のマクラでも、日蓮宗の祖師である日蓮上人のことを延々と説明しています。
こういうところは、エンターテインメントとして受け取る方々には、無駄だし面白くないということなのでしょう。
個人的には、圓生師匠の話芸は、"おしゃべり"でなく"語り"として、その無駄と思える部分も、リズムや流れを形成する貴重なパーツになっていると思うのですが・・・。

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