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2009年8月19日 (水)

一丁入り

昭和の名人のCDで金原亭馬生師匠を聴いてみると、「佐野山」と「初天神」の出囃子が、馬生師匠の「鞍馬」ではなく、志ん生師匠の「一丁入り」であることに気がつきました。

解説によれば、晩年の馬生師匠は、好んで「一丁入り」を使ったそうです。この2題は亡くなった年とその前年の録音でした。

「鞍馬」は、太鼓の音が入って、テンポのある男性的な感じです。一方、「一丁入り」は、ややスローテンポで静かな曲ですから、晩年の馬生師匠には、きっと良く似合ったことでしょう。

Bpavcoverimage そういえば、鳳楽師匠も独演会では、圓生師匠の「正札付き」を使っています。滑らかで優しい調べで、これまた良い曲です。

出囃子もいろいろあって面白いです。

学生時代は、文楽師匠の「野崎」が大好きでした。鐘が鳴り、三味線が高音でアップテンポのリズムで歌い出す感じ。思わず「黒門町ッ!」と声をかけたくなる調子です。

現役の師匠方では、小三治師匠の「二上がりかっこ」、扇橋師匠の「にわか獅子」、圓窓師匠の「新曲浦島」などは、渋いですね。さん喬師匠の「鞍馬獅子」と権太楼師匠は「金比羅」と明るい調子。志ん輔師匠の「越後獅子」はややけだるい感じがするのですが・・・。

特定の噺家さんでなく、トリの出囃子として使われる「中の舞」も好きです。そうそう、圓太郎さんの「圓太郎囃子」も、テケテケテケテケ・・・という所が洋楽風でいいですよ。

要するに、とりあえず、よく聴く噺家さんの出囃子が好きだという、いい加減なものです

でも、東京では、出囃子が使われるようになってから、それほど時間が経っていないのだそうです。あの圓朝師匠の時代は出囃子は使われていなかったようですから、雰囲気を想像すると、何となくピンと来ません。

出囃子について、以下のような説明文を見つけました。

Bpavcoverimagej  落語の出囃子は、おそらく、歌舞伎のスタイルから流用されたものだと思いますが・・・当初は、上方落語のみで使われていて、東京の落語では、大正6年に睦会(むつみかい)と云う落語団体が出囃子を使い出すまでは、シャギリと云う、三味線の引っ掛け弾きのみを使っていました。
 一般の方は、落語の出囃子は、三味線や太鼓の音がすればいいと云うくらいに思われていて、みんな同じか、適当にやっていると思われるかも知れませんが・・・噺家一人に付き出囃子は一つで、例外を除き、すべて別の曲が演奏されます。
 出囃子をお聴きになって、「あっ!志ん生だ!」と判るようになれば、ご通家(ごつうか)と云われます。
 つまり、志ん生の出囃子は、「一丁入り(いっちょういり)」と云われているもので、五代目 志ん生以外は使っていないからです。本来は、人形浄瑠璃や歌舞伎などで演奏される、「江戸のっと」と云われるものですが、これが、志ん生師匠の出囃子です。「一丁入り」と云うネーミングは、鼓(つづみ)が一丁入る事から来ているようですが・・・寄席の下座(楽屋)には、鼓を叩く人がいないので、三味線と太鼓のみで演奏されるのが普通です。
 「一丁入り」は、志ん生師匠しか使わない出囃子ではありますが・・・実子で、弟子の十代目 金原亭馬生が、ガンに侵され、六代目 志ん生は継がないよと宣言した晩年の三ヶ月ほど、馬生の出囃子の「鞍馬(くらま)」に替えて、志ん生の出囃子の「一丁入り」を使った音源が幾つか残っております。
 噺家さんは、個々の出囃子を持っていますが・・・代替わりした時には、師匠の出囃子を受け継ぐのが普通です。「野崎」と云う出囃子は、桂春團治の出囃子ですが、現在の三代目 桂春團治は、当然の事ながら、「野崎」を使っております。「桂派」と云うのは、本来は、上方起源の屋号ですが、東京で「桂派」を名乗った、八代目 桂文楽や十代目 桂文治も「野崎」を使ってました。
 六代目 三遊亭圓生の出囃子は「正札附(しょうふだつき)」ですが・・・圓生師匠は、当初、「筑摩祭り」だったのですが、別の落語団体の、三代目 桂三木助とバッテイングするので、「正札附」に変更した経緯があります。現在、「正札附」は、圓生師匠の孫弟子で、圓楽さんが引退した後、「圓楽一門会」の会長に就任した、三遊亭鳳楽が受け継いでいます。


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