"黄金餅"を逆さまに辿る?
どんなに世の中が変わっても、親が子を思う"情"というものは変わらないと言われます。
同時に、いくつになっても子供は子供、孫は孫なのでしょう。
両親を田舎から連れて来て、寄席に行く恒例のイベント。この数年、私の夏休みは、全てこのイベントに費やされているのでありますが、同時に、車で東京の街を案内するのも恒例化しつつあります。
今年は、夕方上野に行く必要がありましたので、中央高速・首都高から霞が関で出て、まずは"虎ノ門"を見せます。今、倅(私)が働いている街です。
それから、前の会社で働いていたことのある、溜池・赤坂・青山・六本木から、飯倉・麻布・芝公園を抜けて三田・田町、折り返して新橋・銀座・京橋・日本橋・室町、門前仲町から今川橋・神田、娘(両親には孫)が務める会社のある神田駿河台、神田明神から明神下、上野に向かって秋葉原・湯島・御徒町を経て上野中央通りの地下駐車場へ・・。
まるで「黄金餅」の反対のコースを、車で回ることになりました。
「こんな立派な場所で働けるなんて幸せだ。」と、神田駿河台の孫の働く場所を見ての感想です。
ところで、古今亭志ん生師匠の"黄金餅"の道順は・・・・、 下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日
本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私(志ん生)もくたびれた。
・・ふぅ・・・、私もくたびれた。
« 妾馬 | トップページ | 想い出のメロディ »