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2009年8月17日 (月)

「ねずみ」つながり

このブログの最近の話題で、「ねずみ」が続きました。「ねずみ穴」・「ねずみ」・「薮入り」。

「ねずみ」という落語では、仙台が舞台になりますが、奥州街道第69宿目になるんだそうですが、左甚五郎が辿った道を、ちょいと調べて想像してみました。

【仙台宿】 奥州街道沿いと大町通沿いに町人町が形成された。職人・商人らの住む「町」は24あり、町方二十四ヵ町〔まちかたにじゅうよんかちょう〕と称された。その中で大町・立町・肴町・南町・柳町・荒町の6ケ町は、伊達政宗に従って米沢から岩出山、仙台と移ってきた町人町で、御譜代町と称した。「譜代」とは、代々主家に仕えることである。屋敷割りはすべて間口6間、奥行き25間という細長い地割で、今でもところどころに名残がある。町人町の周りには片平丁や名掛丁など武家の屋敷町の「丁」があり、さらに取り囲むように寺町や足軽町が配置されていた。

Sendai_ishibashiya 奥州街道は広瀬川北岸の河原町から仙台城下にはいり、南材木町、 穀町、南鍛冶町、荒町、 田町、上染師町、北目町、柳町、南町を経て中心地の 大町を過ぎ、国分町、二日町、北鍛冶町、通町を経て城下北端の 堤町に至る。

・・ということは、卯之吉くんが"宿はずれ"で客引きをしていた場所は・・・、長町から河原町に入るあたりでしょうか。その河原町あたりから伊達様62万石のお城下が広がっていたのでしょう。今の広瀬橋あたりなのかもしれませんね。

Sendai_hariu 仙台一大きな旅籠屋の"虎屋"はどのあたりだったのでしょうか? 恐らく大町を過ぎて国分町あたり。右側にあったはずですから、「芭蕉の辻」の近くの日本銀行の仙台支店のそばが「虎屋」だったりして。

でも、この噺は、元々は浪曲の演目で、二代目広沢菊春の得意ネタだった「左甚五郎」を、義兄弟の契りを結ぶ関係だったという三代目桂三木助師匠が「加賀の千代」と交換して演じたのが始まりとされていますから、落語としては新しいのです。

Hmv_74659 そう言えば、またまた三木助師匠の登場です。「芝浜」といい、この「ねずみ」といい、後世に残る名作をアレンジしてくれた功績は、昭和の名人の一人と言ってもよいのでしょう。

【歴史】 古来千体仏があったので千体城と呼ばれていたのを、後に「千代」と改められた。伊達政宗遷城と同時に「仙臺〔せんだい〕」と改めて城名と地名にした。当時、家臣8000戸、町民2100戸、寺戸250戸で総戸数は1万850戸、人口は5万2000人を越えていた。 仙台開府(1601年)

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