« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

2009年8月

2009年8月31日 (月)

葉月の落語徘徊

Rimg0008j 光陰矢のごとし・・・。
もう8月が終わってしまいます。

今月のハイライトは「同窓っ子連合稽古会」と、両親を連れて行った鈴本中席あたりでしょうか。

前半の貯金があるので、寄席落語会へ行った回数も、年初来80回を超え、なんとか?1ヶ月10回の徘徊ペースは維持できています。

◇   2日  柳家さん喬独演会 ~落語と忠臣蔵粋な道行き

◇   2日  春風亭一之輔独演会「馬津郷(まつど)寄席」

◇  6日    同窓っ子連合稽古会 三遊亭圓窓

◇  9日    圓朝まつり奉納落語会第二部「静の今松・動の南喬」

20098nakabk◇ 14日     東京落語会

◇ 15日  鈴本吉例夏夜噺 さん喬・権太楼

◇ 20日    鈴本吉例夏夜噺 さん喬・権太楼

◇ 24日  月例三三独演

◇ 26日  隅田川馬石独演会「ひぐらし寄席」

◇ 29日  三遊亭圓窓横濱落語会「落語の授業」

◇ 29日  三遊亭窓輝の会

仕事も忙しかったし、夏休みもあったし、高座にも上がったし・・、慌ただしい1ヶ月でした。

3d3fiso2022jp3fb3fqtqbjei9ue5pgyhclこのブログも、今年の元日からスタートしてから8ヶ月。ずぼらな私にしては、よく続いているものだと思います。

来月もまた、ワクワクする、刺激的な落語徘徊が出来たらいいなと思います。

そうそう、11月のOB落語会でご機嫌を伺う「浜野矩随」の稽古もやらないと・・・・。

浅草お茶の間寄席

台風が近づいているので、いつもより早く帰宅して、何気なくテレビのチャンネルを操作していたら、千葉テレビで「浅草お茶の間寄席」という番組をやっていました。
番組があるのは知っていましたが、今まで視たことはありません。

2009083 古今亭菊志んさんが「本膳」を演っていました。
続いて、三遊亭金馬師匠の「禁酒番屋」でした。
(菊志んさんの前に金馬師匠のご子息金時さんの「水屋の富
」だったようです。)

こういう番組が、テレビ各局で週一ぐらいにあればいいのに・・・・。

落語研究会三遊亭圓生全集

51ouxybrt2l__sl500_aa240_ またまた清水の舞台から飛び降りたつもりで、「落語研究会 六代目三遊亭圓生全集・上」を予約してしまいました・・・・。

今年になって、「古今亭志ん朝全集 上・下」・「八代目 桂文楽全集」と、落語研究会の映像(DVD)を買いました。
そして、待ちに待った「六代目 三遊亭圓生」です。

≪落語の真髄がここにある。映像で蘇る珠玉の芸!≫

インターネット落語会

Ph117_3 落語協会のホームページの「インターネット落語会」に、先日の圓朝まつりの奉納落語会で聴いた、桂南喬師匠の「へっつい幽霊」が、もうアップされています。

Ph117_top ライブとは違いますが、あの高座は印象に残るものでしたから、再度聴いてみました。

南喬師匠の、派手ではないのですが、この明るさ。
まるで落語の国から落語を売りに来たような、噺家を絵に描いたような雰囲気は、何度見てもいいですね。

2009年8月30日 (日)

衆議院議員選挙投票

衆議院議員選挙の投票日・・・。

200908300948000 野球大会の1回戦で、我が社が快勝したのを見届けてから、バイクで帰宅したのですが、上から下まで泥だらけ・・・。

仕方がないので、家の中に入らずに、泥だらけの格好で、そのまま投票に行くことにしました。

まだ午前10時前でしたが、いつもに比べて投票所(松戸市役所本庁舎)が混雑していた気がしました。
やはり今回の選挙は、国民の関心が高いのでしょう。

・・・さて結果は・・・

野球大会

会社の同業企業対抗野球大会があり、今日はその第一回戦です。

Pic_008 江戸川の対岸の三郷にあるサンケイグラウンドなので、息子の原付を借りて、朝7時半過ぎに家を出ました。
天気予報が外れ、朝のうちは風が強く、日は照ってはいないものの雨も降っていないので、ほとんど手ぶらです。
ところが、砂埃が物凄く、そのうち風に混じって雨も降り出して来ました。ドロドロ・・・。

200908300920000 ところが、我がチームは、実力を十分に?発揮して、何と10対2の5回コールドで快勝しました。バンザ~イ

ピッチャーのS君の好投で、あわや完封勝利かという試合でした。

200908300815000 風と雨、次の試合まで時間があるので、1試合応援しただけで失礼させてもらいました。

こういう時間も楽しいですね。

次の対戦相手は大変な強豪なのだそうで、勝てる可能性は「?」だとのこと。
でも、頑張って欲しいものです。

手応え

落語っ子連のまど深さんからメールがありました。

200908291428000 昨日の「三遊亭圓窓横濱落語会」主催のイベントをお手伝いしたお礼です。

イベント「三遊亭圓窓による落語の授業」がはねてすぐ、窓輝さんの落語会に向かったため、打ち上げに出席できなかったので。

本日はありがとうございました。楽しいイベントになりました。
アンケートも良かった。「またやってください」などの意見が多く、師匠も笑顔でお帰りになりました。・・・・。

それにしても、まど深さん・まど女さんたちは、それぞれ仕事を持ちながら、手弁当でのイベント企画です。
その熱意と企画力や行動力に敬服してしまいます。
落語と師匠が好きなんですね。嬉しいですね。

200908290931000師匠も早速ブログにコメントされていましたが、やはり手応えを感じたようです。
  http://ensou-rakugo.at.webry.info/200908/article_56.html


落語の普及・伝道という、膨大で地道な活動ですが、こういうことが続けられて行けば、落語も、日本の良き文化も、正しく継承されて行くことでしょう。

台風接近

台風が接近しているようです。
ただいま以下のような天気予報が発信されています。

Typha 2009年8月29日22時30分発表 台風11号は、29日21時には父島の東北東約410kmにあって、北北西へ毎時25kmで進んでいます。中心気圧は990hPa、中心付近の最大風速は23m/sです。この台風は、30日21時には八丈島の南東約150km、31日21時にはいわき市の東南東約110km、1日21時には北海道の東へ達する見込みです。台風周辺海域および進路にあたる海域は、シケ~大シケとなるため厳重な警戒が必要です。

月曜日(31日)は、ちょっと心配です。温暖化により、日本近海で台風が発生するようになり、発生から接近までの時間が短くなりつつある気がします。

師匠から電話

200908290931000 昨日、赤レンガ倉庫前の集合場所の近くの日影を探して座っていると、携帯に圓窓師匠から電話が入りました。

師匠の要件は、横濱落語会のことではなく、「わたし(師匠)が、"東京落語会"で『五月幟』を演っているかどうか調べて欲しいんだけど・・。」という。

200908292307000 さぁ、どうやって調べましょうか・・・・。

また、東京落語会にご出演の予定・話でもあるのでしょうか・・・?

2009年8月29日 (土)

三遊亭窓輝の会

192 圓窓師匠のご子息で、来春真打昇進が決まっている三遊亭窓輝さんの独演会。

横浜赤レンガ倉庫から、まど音さんの車に乗せていただいて、池袋演芸場へ。

概ね満席の客席の最後部のパイプ椅子に座ったのは、開口一番の柳家小んぶさんの「子ほめ」の時でした。

0127souki02 ◆ 子ほめ       柳家小んぶ

 ◆ (新作)       三遊亭天どん

  ◆ 質屋倉       三遊亭窓輝

 ◆ 小間物屋政談  三遊亭窓輝

池袋での会は、今回で5回目。
今回は真打決定後初めてでもあり、いつも以上に熱気があった気がします。

200908292022000窓輝さんの噺の方も、何となく自信と風格が出て来たような気がします。

それにしても、声や言い回しが圓窓師匠にそっくりで、驚くことがあります。
親子だから当たり前でしょうが・・・。

三遊亭圓窓横濱落語会

Ensou 笑いあり、涙あり、江戸時代から現代にかけて、庶民の日常が生き生きと表現された噺(はなし)。
伝統的な話芸であるとともに、「話す、聞く、思い描く」という表現力や想像力の育成にもなると注目を浴びています。
三遊亭圓窓師は、その口演による『ぞろぞろ』『寿限無』が、小学校4年生の国語教科書(教育出版)に掲載されている落語家としても知られ、自ら全国の学校に出向いて、子どもたちに授業を行い、各地で絶賛されています。
開国博では横浜を題材とした創作落語とともに、子どもから大人まで楽しめる「落語の授業」をご披露いたします。200908290932000

・・・・という訳で、落語っ子連のまど女さんやまど深さんが頑張って、横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」 ベイサイド市民共催イベントとして「三遊亭圓窓による『落語の授業』」。
私もお手伝いということで、横浜赤レンガ倉庫に向かいました。

200908292212000 久しぶりに高座作りや会場案内など、「圓窓横濱落語会STAFF」という札を首からかけた裏方さんです。会場は老若男女合わせて約120人ぐらいと、まずまずの入り。

200908291210000 第1部は、師匠が各地の小学校などでやっている「落語の授業」を、大きなホールで再現するという趣向。師匠は手慣れたもので、子どもたちのハートを、グッと掴みます。子どもたちも元気に、楽しそうに、手を挙げたり、「寿限無」を唱和したり、遠くから船の汽笛め聞こえて来る赤レンガ倉庫のホールに、平和な空気が満たされました。

第2部(お仲入り後)は、師匠の創作で、横浜の鶴見あたりを題材にした噺「とんでも杭」。師匠が「落語の授業」をライフワークにしている訳が、よぉく分かりました。「面白かったねぇ」と、家族で語り200908291431000 合いながら会場を出て行く多くの家族に、「ありがとうございます。」と 言いながら見送る流三でした。

そして、まど音さんと窓蕗さんと3人は、池袋演芸場の夜席「三遊亭窓輝の会」に向かいました。

あ〜忙しい。

心構え

2009082800001029yomspothum000small またまた世界柔道女子の話題ですが、63キロ級の上野順恵(よしえ)選手が初優勝しました。日本選手の同級での優勝は10年ぶりなのだとか。これで今大会での女子の金メダル獲得は、初日から3日連続で3個目になりました。

一人一人の実力の高さと日頃からの鍛錬の賜物だと思いますが、精神面での強さも大きな要因だと思います。
彼女たちの柔道への取り組みの姿勢、金メダルへの執念は、物凄いものがあります。

大変申し訳ありませんが、男子選手は、実力・メンタルともに足許にも及ばない感じです。

福見選手は常に谷選手の影に隠れてきた悔しさ、中村選手は北京で銅メダルに終わった悔しさ、そしてこの日の上野選手は金メダリストの姉の存在・・・。
フィジカル・メンタル両面で、超える・壊すべき、高く・厚い"壁"がありましたから、「心構え」が半端ではありません。
残念ながらメダルには手は
届きませんでしたが、昨日の松本選手もガッツのあるところを見せてくれました。不幸にして負傷してしまったのが残念ですが、彼女にはこれをリベンジのスタートにしてくれるでしょう。「心構え」が違いますから。

男子選手も、勝てなくてもいい(仕方ない)から、負けたらもっと悔しがって欲しいです。勿論、心の中では悔しがっているとは思いますが、外に出すことにより、リベンジを宣言することが重要だと思うのです。

稽古場の変更

200908061854000 圓窓師匠にご指導いただいている「落語っ子連」の稽古場が、先日連合稽古会を開催した「千一亭」に変わることになりました。


そして発表会もここで開催させてもらうことになりました。

高座が畳2畳分の広さがありますから、非常に素晴らしい環境です。

2009年8月28日 (金)

談志師匠が休養?

Danshi 立川談志師匠が、体調不良のため、年内に出演予定だった落語会などを全てキャンセルし休養・入院するそうです。
一時期、声が出ないのにご苦労されていましたが、最近はかなり良くなっていると聞いていたので、大変驚きました。
糖尿病による手足のつり・足元のふらつき、体力の低下で、入院・治療が必要なのだとか。
談志師匠も73歳になるそうで、でも同年輩の師匠でお元気な方も多いのですから、是非早く復活して欲しいものです。
古今亭志ん朝師匠と春風亭柳朝師匠は既になく、三遊亭圓楽師匠が引退した今、唯一残った"四天王"ですから。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090827-00000031-sanspo-ent

師匠のホームページでも以下のコメントがありました。

年内休養のお知らせ

この度、立川談志は体調不良の為、年内中の活動を休止させて頂く
こととなりました。
ファンの皆様、公演及び番組関係者、そして何より公演のチケットを
ご購入頂いたお客様には、ご心配ご迷惑をお掛けし深くお詫び申し
上げます。
詳しい経過としては、まず、8月14日に本人から「体調がすぐれない
ので暫く休みたい」との申し出がありました。
確かに、このところ体力の低下が著しく、8月下旬に医師の診察を受
けたところ、「糖尿病により約3ヶ月の外来治療、入院治療、および
自宅治療を要する」と診断されました。
協議の結果、現状では仕事の続行が不可能と判断し、9月から年内
の全てのお仕事をキャンセルさせて頂くこととなりました。
復帰の時期は、今のところ未定ですが、談志本人も体調が回復し
次第、仕事を再開したいと考えております。
一日も早く皆様の前でよいご報告が出来ますよう関係者一同最善の
努力をしていく所存でございます。
どうかご理解賜りますようお願い申し上げます。

世界柔道

20090827k0000m050166000p_size5 夏の甲子園・世界陸上・世界バレーなどが終わったと思ったら、世界柔道が始まりました。

早速、女子48キロ級の福見友子選手が悲願の金メダル。
今まで、谷亮子選手が君臨していたために、なかなかチャンスがなかったのですが、やりましたね。心からお祝いです。
政治もそうですが、やはり世代交代はして行くべきです。

そして今夜は、中村美里選手も金メダル!

2009082700000053jijpspothum000ssmal彼女たちのひたむきさがいいですよ。
今までの第一人者はペラペラしゃべりましたが、はにかみながらも闘志は物凄いという、フレッシュなところがいいですよ。

2009082700000052jijpspothum000ssmal それにしても、どのスポーツでも、勝者は美しいですね。
表彰台ではとてもいい笑顔でした。

二人ともリベンジと将来への展望が開けました。

ところで男子は・・・、どの階級も苦戦しそうですね。

選挙への関心

2009072500000028jijppolview000 今月30日に投開票が実施される衆議院議員総選挙の「期日前投票」の会場に、長い行列ができているようです。

総務省がまとめた衆院選、期日前投票の中間状況発表でも、23日までに期日前投票を済ませた人は4年前の1.5倍になったそうです。
すでに投票を済ませた人たちの、「(会場の)駐車場がいっぱい」「人の流れは途切れなかった」というコメントからも関心の高さがうかがえます。

そういえば、先日の「月例三三独演」の会場の日本橋劇場は、日本橋公会堂の施設で、ここが期日前投票の会場だったようで、午後7時前でしたが、かなり投票をしようという人が来ていた気がします。

大変結構なことです。
国民の権利でもあり、義務でもある訳ですから。

300pxkokkaigizidou ところで、選挙への関心が高まりつつある中で、投票日当日の投票時間を短縮するところが増えているそうです。
それぞれの選管あるいは地公体の関係者の「選挙に対応する職員の時間外勤務のコストダウンから。」という、とんでもない回答もあるようです。
本末転倒。本質の分からない。目的を見失っている。
自分たちが何のために働き、誰のために尽くし、その対価として自分が生活できているのかを全く理解していない輩たち。こんな役人たちばかりいる国なら、本当に滅んでしまいます。
森元総理大臣が、以前の選挙の時、投票率が低ければ自民党有利と言われていたこともあり、「なるべく投票に行かないように」と言ったこともありました。そんな人がまだ偉そうにしているのですから・・・。やれやれです。日本の夜明けは遠い・・・。

2009年8月27日 (木)

東京かわら版

200908262203000 今月の表紙は、春風亭小柳枝師匠。

芸術協会を聴く機会が少ないので、頻繁ではありませんが、非常に骨太の存在感のある師匠です。

複雑怪奇な経緯から、師匠筋の大名跡「春風亭柳枝」は落語協会にあるはずで、珍しいパターンだと思います。

例えば、三遊亭小遊三師匠は、師匠が遊三師匠ですから、この名跡を継ぐことは出来ますが、小柳枝師匠は難しいでしょう・・・。柳派の大名跡である「柳家小さん」より格の高い名前ですが、復活させることができるのでしょうか・・・。

最近、落語会にいく頻度が減ったせいか、「東京かわら版」を以前ほど穴のあくように読まなくなりましたが、落語会の動きや流れに乗り遅れていないかどうかをも確認できる、本当に貴重な情報源だと思います。

何でかねぇ・・

2009072400000099sanpolview000 まぁ、麻生さんという人は、無邪気なのか、アホなのか、世の中のからくりや人の気持ちというものの分からない、本当に懲りない人ですね。

麻生さんは23日夜、都内で行われた学生主催のイベントに出席し、学生が「結婚資金がないことが理由で結婚できない若者が増えているのではないか」という主旨の質問をぶつけると、「金がねぇで結婚はしねぇほうがいい。俺もそう思う」とコメントしたとのこと。

言うほどの意味もなく、その場限りの受けを狙うんだろうと思いますが、空気も読めず、センスもないこと甚だしいですね。

おじいちゃんの吉田茂元首相の「外套(街頭)演説」の逸話を見習ってほしいですよ全く。

※吉田茂の街頭演説伝説?
ある冬の高知県へ選挙運動に行ったときの話。路上でオーバーを着たまま演説を始めたら、観衆の中から「オーバーを脱げ!」と野次る声。吉田さんすかさず、「これが本当の外套(街頭)演説だ。」ときりかえしたという逸話。
落語をこよなく愛し、ユーモアを持ち合わせた御仁だったようです。大礒の自宅に、桂文楽師匠などを呼んで噺をさせたということですから、何とも贅沢ではありませんか。

不思議なデザインのチラシ

200908262316000 日暮里サニーホールのロビーに置いてあった、何のチラシかわからない不思議なサイケな模様のチラシ。

Ph2323 来春真打昇進予定の柳家三之助さんの独演会「三之助をみたかい」のチラシでした。

このところちょいとご無沙汰でしたから。
9月16日(水)午後7時30分。行ってみようかな。

2009年8月26日 (水)

ひぐらし寄席

200908261837000 日暮里サニーホール・コンサートサロンでの「第7回 ひぐらし寄席」。
隅田川馬石さんの独演会です。

200908261847000 この会は、長講「お富与三郎」を何度かに分けてという企画からスタートした独演会で、私は今日が3回目ぐらいだと思います。受付でチラシを配っていたのが、馬津郷寄席を主宰する菊地さんだったので、ちょっと驚きました。色々繋がりがあるのでしょう。

今日は「お初徳兵衛」がメインのようです。
馬石さんの「お初徳兵衛・浮名の桟橋」は、学士会落語会と圓朝まつりの奉納落語会で聴いたことがありますが、久しぶりです。

◆ 道灌        古今亭志ん坊
◆ 駒長        隅田川馬石
◆ 酢豆腐       古今亭志ん公
◆ お初徳兵衛     隅田川馬石

鼻の圓遊がくすぐりを入れたという「船徳」の原型の噺です。
やや出来過ぎた馴れ初めですが、当時の景色や様子が散りばめられた噺で、ゆったりした気分になります。

「駒長」もあまり聴きませんが、志ん朝師匠の音源で聴いたことがあります。ストーリーは圓生師匠の十八番の「包丁」に似ている部分があります。

Ad34f9ab8d3f8b8cb269m 馬石さんの扇子の置き方は、大変参考になります。座布団の正面に置いて"結界"を作り、丁寧にお辞儀をします。
話し口調も、いかにもプロという臭みのないもので、演劇をやっていた経験も活かし、長講も嫌味がありません。

大変失礼な言い方ではありますが、「私にも出来るのでは・・」と思わせてくれる分かりやすい芸風が、馬石さんの魅力なのかもしれません。

次回は11月1日(日)です。とりあえず予約しておきました。
「文七元結」だそうです。


※「結界」とは
聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。本来は仏教用語であるが、古神道や神道における神社なども、同様の概念があることから、言葉として用いられている。


ここまで来たか・・・

20090825sog00m010006000p_size5 「呆れてものが言えない」「怒るというより笑っちゃう」お馬鹿な警察官が、酒を飲んで道路を逆走した上、ひき逃げをし、さらに飲酒などの容疑を否認しているという・・・。言語道断です。
49歳なんだそうです。

なんでこんなことが分からないのでしょうか。本当に卑怯な男です。

人の道をはずれる輩には、やはり厳罰をもって臨むべきでしょう。

お家芸

柔道は、東京オリンピックで正式種目になって以降、良くも悪くも国際的なスポーツになりました。

一方、剣道にも世界選手権があるそうです。
当然、日本がダントツの強さを誇っているのだろうと思ったのですが、どうやら必ずしもそうでもないようです。

世界剣道選手権大会は、1970年に設立された国際剣道連盟によって1970年以来3年に1度世界各地で開催されている剣道の世界大会です。
300pxkendo_em_2005__taiatari_2_2 2003年のイギリス大会までは日本が男女共に団体・個人の4部門優勝を果していましたが、2006年の台湾大会の男子団体戦で日本がアメリカに準決勝で敗れ第三位に終わったため、開催以来続いてきた日本男子の連覇は12でストップしてしまったとのこと。

へぇ~ェ、初めて知りました。
そして、第14回大会が、今月の下旬にブラジルで開催されるそうです。
是非とも捲土重来、優勝して欲しいと思います。

いずれは、「柔道」が「JUDO」というスポーツに変わったの同様に、「剣道」も「KENDO」という、「剣道」とは似て非なるスポーツになるのかもしれません。
「柔道」が「レスリング」に似て来て魅力がなくなったように、「剣道」の面にセンサーが着いて、どちらが先に触れたかという「フェンシング」もどきにならないようにと思います。

2009年8月25日 (火)

狼少年になった気象庁

「狼だぁ〜!」・・・・。「地震だぁ〜!」。
今朝、通勤電車内でラジオを聴いていると、最近少し聞き慣れた?警報音。地震予知・地震警報の緊急放送です。

20090825202419391252019 ここのところの日本は、よく揺れていますので、思わず座席に座っている足に力を入れて踏ん張りました・・・。
・・・が、電車は何事もなく進んで行きます。
数分後のニュースによれば、千葉県沖での地震だったとのこと。
ところが、
地震警報というのは、震度5弱以上の強い地震が想定される場合に発報するようですが、震度1以上を記録した場所はなく、今日のは完全な誤報だったようです。

こういうことは、外れた方が良いとは言うものの、ややお粗末でした。

昨日も局地的な短時間の大雨もあり、今日も地震と、火事とオヤジが心配になります。

学士会落語会例会案内

学士会落語会の9月例会の案内が送られて来ました。

Syasinkakou11今回のメインゲストは、春風亭一朝師匠です。

~学士会落語会例会~

【日時】 9月21日(土) 午後2時~
【番組】 ① 春風亭一朝師匠の紹介
      ② 落語「片棒」    春風亭一朝
      ③ 落語「淀五郎」   春風亭一朝
            ④ 春風亭一朝師匠に質疑応答

250pxgakushikaikan_1渋い、楽しみな会になりそうです。
「片棒」を生で聴く
ことができます。

一朝師匠も"イッチョウ懸命"演ってくださるでしょう。

今、一朝一門は、柳朝さんや一之輔さんなどの有望なお弟子さんも揃い、充実しつつあります。
弟子は多ければ良し。現代っ子は、あまり干渉せずに、のびのびと育てた方が良いようです。
ただし、礼儀だけは厳しくしっかり叩き込んで欲しいと思います。

富士川・・・

200812061324000 (落語のネタに関係のなさそうなローカルな話題ばかりが続き、反省しつつ、でもネタがないのでつい・・・。)

小学校から高校まで、それぞれの校歌に必ず入っていたのが「富士山」と「富士川」でした。
富士山は言うまでもなく日本一の山。そして富士川は、遠くは源平の合戦場・日本三大急流、そして河口近くの新幹線の鉄橋から望む富士山の写真で有名だと思います。
そして、江戸時代に角倉了以が開いたのが富士川舟運。

京都の豪商、角倉了以(1554~1614)は慶長十二(1607)年と慶長Fune_bw 十九年の両度にわたり幕府からの富士川開きを命じられた。その水路は、岩淵河岸から鰍沢河岸(山梨県鰍沢町)の間、約十八り(71Km)で大変な難工事の末、完成した。富士川水運は、明治四十四年中央線が開通するまでの約300年間、甲信地方と東海道を結ぶ大動脈としての役割を果たした。富士川河岸は「下り米・上り塩」の中継地として繁栄した。

Dscf10671落語にも出て来る「身延参り」には、当時は大きく2つのルートがありました。ひとつは、甲州街道から富士川街道を南下し鰍沢を通るルート。落語「鰍沢」では、このルートで旅人が道に迷います。
そしてもうひとつが、東海道の岩淵から富士川街道を北上するルート。新作落語の「笠と赤い風車」では、年配の人たちの多い講中のため、道がなだらかな東海道から入ろうとします。

Photo325 以前、岩淵のあ たりを「静岡県庵原郡富士川町」と言っていました。ところが、平成の大合併の一環で、富士川を挟んでいる富士市と合併したことにより、この町名はなくなってしまいました。
ところが、今度は、もう一方の起点でもある「山梨県南巨摩郡鰍沢町」と「同増穂町」が、遅ればせながら合併することになり、何と「山梨県南巨摩郡富士川町」になるようなのです。・・ということは、落語でも有名な「鰍沢」という町の名前はなくなるということですか・・。
P1010041実家では、今までは南隣に富士川町がありましたが、来年には、あの身延町を挟んで北側に富士川町が誕生するという訳で、何ともややこしい話です。
それから、どうでも良いことですが、確か旧富士川町は中部電力で60ヘルツ、富士市は東京電力で50ヘルツだったはずです。合併して富士市になり、不都合はないのでしょうか・・・?


◆富士川町
  1.静岡県庵原(いはら)郡に2008年10月31日まで存在した町。富士市と合併し富士市。 
  2.山梨県南巨摩(みなみこま)郡増穂(ますほ)町・鰍沢町が2010年3月8日に合併して誕生する予定の町。

平成の大合併で、全国におかしな名前の市町村か出来ました。
私の郷里の近くで変だなと思うのは、「静岡県伊豆の国市」、「山梨県中央市」「同甲州市」あたりでしょう。何とも無理のある命名だと思います。
特に、伊豆の国市と中央市というのは、住民もあまり納得していないのではと思います。
町の名前というのは、それぞれこだわりがありますから、なかなか難しいものなのでしょう。

2009年8月24日 (月)

月例三三独演

落ち着いて三三さんを聴くのは久しぶりな気がします。日本橋劇場も久しぶり。

200908241858000◆ 船徳              柳家三三
◆ 牡丹燈籠・お露と新三郎  柳家三三
◆ 牡丹燈籠・お札はがし   柳家三三

Others001_ph02 ご本人も高座で言っていましたが、牡丹燈籠の前に体力を使う噺を演るなんて。
・・・正直なところ、今日の私は、完全に不完全燃焼でした。
申し訳ありませんが、アンケートにも、やや辛めのコメントを記名で書きました。
船徳にも牡丹燈籠にも、三三さんが何を語りたいのか、どんな語りを目指すのかが伝わって来ませんでした。

そして、それ故か、無駄な演出、邪魔なくすぐりが、さらに分かりにくくしていました。

黒門町の文楽師匠の、限界まで削ぎ落とした、リズムと明るさに満ちた「船徳」。
圓生師匠の形式美とリアリズムが融合した、正蔵師匠の迫力のある「牡丹燈籠」。

比較してだとか、同じようにとは言いませんが、三三さんの中でも、まだ一本筋というか幹の通っていない状態だった気がしました。
自分の会、独演会だからということで、ネタ下ろしだったかもしれませんが、時期尚早だと感じたのは、私だけだったでしょうか。
噺に入って行けませんでした。

今の三三さんの立ち位置を考えると、質も量もこなして、芸を溜め込む時期だと思いますから、バランスが難しいのでしょう。
次回のこの会では、牡丹燈籠の栗橋宿・関口屋ゆすりと続演して行くのでしょうが、聴きには行かないでしょう。
尤も、チケットは完売していますから、聴きたくても聴くことは出来ませんが・・。

三三さんには、もっと柳家の噺・滑稽噺を演って欲しいと思います。滑稽噺の方が難しいです。そこにチャレンジし練り上げてこそ、柳家のホープとしての存在感があるのだと、私は思うのですが・・・。

やっと面目?

(また落語以外の話題で恐縮です。)

20090824k0000m050106000p_size5 メダルなしかと思った世界陸上の男子に、最後の最後で待望の銅メダル
国際大会でのやり投げのメダルは初めてだとか。素晴らしい快挙です。

村上幸史選手は、本当に必死で"やり投げ"という種目にチャレンジして来たのでしょう。決して"なげやり"にならずに・・。

(これが言いたいために・・。ナハハ・・・。ψ(`∇´)ψ)

どちらが日本人?

実家に帰っている時、父宛に台湾時代の旧友のCさんから国際電話がありました。
父は、祖父の仕事の関係で、戦争中は台湾に住んでいて、青春時代を過ごしたそうですが、その時の友人の一人がCさんです。

なんでも、台湾の銀行で、そこそこの要人にまでなった方だそうで、時々電話や手紙のやり取りをしています。
3373369 私が社会人になった時に来日し、家族で銀座で食事に招待したり、実家に連れて行ったりしたことがあります。
先日亡くなった、韓国の金大中元大統領もそうでしたが、日本語の読み書き・会話も流暢で、コミュニケーションには全く苦労しませんでした。

「えっ? "靴墨"を送ってくれたって? えっ何?」という父の声・・・。どうやら何か品物を送ってくれたようですが、二人の間でトンチンカンなやりとりが続いているようです。
「彼ももう歳だから、何か訳の分からないことを言って・・、何を送ってくれたのか・・」と、電話を切ってからの、自分の歳を棚に上げた父の台詞。
私が、「”靴墨”じゃなくて、Cさんは"小包を送った"って言ったんじゃないの?」。
父は・・「・・・・。」

きっと、小包だと思います。それなら、台湾人のCさんの日本語の方が正しいではないですか・・・。

きっとそうです。・・・ぁぁ恥ずかしい。

女子マラソン

Spg0908232044019p1 本当に日本女性は強くなりました。

果たして、強い日本人女性は、"厩火事"のおさきさんか、"鮑のし"の
おみつさんか、それとも"町内の若い衆"のおかみさんか、もしかすると"紙入れ"のおかみさんかもしれない。くわばら・くわばら・・・。

Spg0908232044019p2世界陸上の女子マラソンの尾崎好美選手の銀メダルはお見事でした。
今までメダルなしだった日本で、唯一のメダルになりそうです。
彼女を指導している山下佐知子監督は、とても小柄なランナーで、印象に残っています。
最後に力尽きてしまい銀メダルでしたが、大変素晴らしいレースでした。
男子の自信なさそうな、おどおど走っている姿に比べると、参加した日本女子選手全員が、力強さを感じました。

ところで、あの野口みずき選手はどうしているのでしょう・・・。
"人の噂も75日"、去年の北京オリンピック無念の欠場以来、何となく忘れ去られた感があります。げに人の心の移ろい易さよ・・・。

2009年8月23日 (日)

格納・・

200908231407000両親を元の場所に"格納"?して、1000円になっている高速道路を帰って来ました。(批判は批判として・・。)

それでも、母は、今日は詩吟の発表会なのだとかで、朝早くから、自分の車で出掛けて行きました。相変わらず元気な婆さんです。

帰る200908230949000途中、今年の夏、元アイドルSのおかげで有名になった身延町のJR身延線身延駅前の饅頭屋さんで、昔からの名物"みのぶまんしゅう"を、会社へのお土産に買いました。

Map1 「君は太平洋を見たか、僕は日本海を見たい。」
この臭いキャッチフレーズは、中部横断道路建設のものです。
日本海側の新潟県から上信越道を通り、長野県(佐久)から、ちょうどフォッサマグナの上を太平洋側の静岡県に抜ける計画の「中部横断道路」。文字通り、日本列島の真ん中を輪切り200908230950000 にするようなコースで、地元では前世紀から悲願の道路です。
小泉内閣の頃、一時は黄色信号が灯ったのですが、今は工事が進められていて、中央高速から南アルプス市を抜けて増穂町というところまで、部分開通しています。

200908230949001 1000円料金を使って、今日は、中部横断道路から中央高速といういコースで帰って来ました。午前中で、上り線は空いていましたが、下り線はやはり大渋滞でした。

これで、今年の夏休みも終わります。

高速道路1000円

そりゃあ私だって、たまに利用する程度でも、高速道路料金が安い方が良いとは思いますよ。
200908190948000 だけど、これで本当に良いのでしょうか
安いからと、まんまと騙された、愚かな・さしたる用もない奴等が我が物顔に湧いて出てきて、徒らに渋滞を酷くさせてしまって・・。
エコが叫ばれる今、このやり方は絶対に逆行するものだし、高速道路の最大のミッションであるはずの物流の邪魔にもなるし。
どうせやるのなら、土日の乗用車だけでなく、一年中かつ全車両にすべきで、その財源は、道路族の隠し金を充てるのがよいのでは?

中央高速や東名高速が、連休でもない普通の土曜日に、30〜40キロの渋滞になるなんて・・。おかしい。

この国は、何か行く方向とプロセスを間違えている気がします。

マラソン

かつて、日本人が唯一メダルが取れる可能性の高かったのが"マラソン"でした。
200908224437451n が、最近は、世界のスピードに取り残されてしまった感じです。

アフリカ勢の精神的・肉体的な逞しさに比べると、日本人選手のひ弱なこと。
今回もやはりダメでした。

アフリカのある国で、国の内戦で家族が銃弾に倒れる中を走って逃げたという選手がいたそうですが、・・恵まれた環境の日本人選手が敵うはずがありませんね。

2009年8月22日 (土)

想い出のメロディ

NHKのこの番組も41回になるそうです。
懐かしいと思う反面、見る影もなく老いて醜くなり、声も出なくなった人たちをみるのは、かなりのブラックユーモアです。
最初の頃のK姉妹、後半の"ブルー・・ハマ"のIなんて、安いお化け屋敷よりも怖いぐらいでした。
全盛期を知れば知るほど、歌手側も"引き際"を自覚して欲しいもの。
図らずも、背筋も凍る"怪談"を見させていただきました。

Bk20090804100103716l1 噺家さんでも、定年のない業界?ですから、「大丈夫?」という師匠も出て来ます。
実は、落語協会では、入船亭扇橋師匠と古今亭圓菊師匠のお二人は、お元気な頃を知るだけに、最近の老い具合が心配です。
でも考えてみると、お二人の師匠は、この週末に"搬送"した両親と、ちょうど同い年ぐらいです。
それでも第一線で頑張っているのですから、「長生きも芸のうち」だと言うことですね。
いつまでも長生きして欲しいものです。

"黄金餅"を逆さまに辿る?

どんなに世の中が変わっても、親が子を思う"情"というものは変わらないと言われます。
同時に、いくつになっても子供は子供、孫は孫なのでしょう。

両親を田舎から連れて来て、寄席に行く恒例のイベント。この数年、私の夏休みは、全てこのイベントに費やされているのでありますが、同時に、車で東京の街を案内するのも恒例化しつつあります。
今年は、夕方上野に行く必要がありましたので、中央高速・首都高から霞が関で出て、まずは"虎ノ門"を見せます。今、倅(私)が働いている街です。

P1000235それから、前の会社で働いていたことのある、溜池・赤坂・青山・六本木から、飯倉・麻布・芝公園を抜けて三田・田町、折り返して新橋・銀座・京橋・日本橋・室町、門前仲町から今川橋・神田、娘(両親には孫)が務める会社のある神田駿河台、神田明神から明神下、上野に向かって秋葉原・湯島・御徒町を経て上野中央通りの地下駐車場へ・・。
まるで「黄金餅」の反対のコースを、車で回ることになりました。

「こんな立派な場所で働けるなんて幸せだ。」と、神田駿河台の孫の働く場所を見ての感想です。

ところで、古今亭志ん生師匠の"黄金餅"の道順は・・・・、
200908161328000 下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日200908161329000 本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私(志ん生)もくたびれた。
・・ふぅ・・・、私もくたびれた。 

妾馬

鈴本中席の芝居の千秋楽、さん喬師匠は、羽織袴姿で高座に上がり、「妾馬」を熱演しました。
隣の席に座っていた母が、「袴を着けている」と、さすがに気がついたようです。
とりあえず小声で、「殿様(侍)が出る噺を演るのと、楽日のトリだから正装したのと両方のはず。」と答えました。

Image_01 丁寧な仕立ての噺を演るさん喬師匠らしく、「妾馬」でも、妹のおつるさんが産んだお世継ぎの赤ん坊が登場します。ほのぼのした家族や身内の愛情を表現しているのです。
この手法は、「芝浜」にも見られます。夫婦の間に子供が出来て、大晦日にあやすシーンを設定して、夫婦の愛情に色を添えています。
そういえば、「ねずみ」でも、卯之吉との微笑ましいやりとりを入れています。
母親も感心していましたが、「落語の素晴らしさっていうのは、悪人がいないこと。みんな明るく前向きに生きていることだ。」と力説しておきました。

ところで、この噺、最近は「妾馬(めかうま)」と呼ばれることが多いようです。が、個人的にはあまり好きではありません。"妾"という言葉のイメージが良くないのと、オチまで演ることが少ないので"馬"が出て来ずに分かりづらい、というのが理由です。
「八五郎出世」の方が良いと思います。現にさん喬師匠も、プログラムのネタ出しでは「妾馬」でしたが、「"八五郎出世"という、おめでたいお噺でございます。」と結びました。

そういえば、三三さんが演った「引越しの夢」も、ピンと来ない気がします。さりとて別名の「口入れ屋」というのはもっと違和感がありますし・・・。

ついでに、左龍さんの「お菊の皿」も、「皿屋敷」の別名の方が・・・。これは、どちらでも良いですが・・・。

いつものように、あるブログからストーリーをパクッてみました。
それにしても、「田中三太夫」・「赤井御門守」って、いいキャラクターですね。

Photo  裏長屋に住んでいるが評判の器量良しの”お鶴”ちゃん、歳は十八孝行娘。たまたま御駕籠で通りかかった丸の内、赤井御門守が見初めて、城に上がるように依頼。200両の持参金を貰って奉公に上げたが、持ち付けない金を持った兄の大工”八五郎”は遊びほおけて家にも寄りつかない。お鶴は殿様のお手がついて懐妊。生まれたのがお世継ぎの男の子であったので、お鶴の方からお側室(へや)様と出世した。この慶事に八五郎は殿様に招かれお屋敷に伺う事になったが、何一つ無い。髪結い、銭湯の銭も大家さんに出して貰い、その上着物一式、羽織袴から褌 (したおび)まで借りて、着せて貰った。がさつ者だから言葉使いには気を付けろ、特に言葉の頭には「御」最後には「奉る」を付け、丁寧に話をしろと注意をされる。
 赤井御門守の屋敷に着いて、重役の田中三太夫に付いて部屋に通された。言葉の行き違いで、どたまを下げろや、即答をぶてと言われ側頭をぶったり、殿様の言葉が分からずにいたり、丁寧すぎて自分の言っている事が分からず、無礼講で良いと言われた。屋敷中、符丁で話しているから分からないと、職人言葉で話し始めた。はらはらするのは三太夫さんだけ。ササは食べるかと言われ、酒の事とわかって所望すると、酒肴がどっさり出てきた。すっかりいい気持ちになって、改めて見ると殿様の隣にお鶴さんが着飾って座っていた。母親が喜んで踊っているし、初孫なのでおしめを洗ってやりたいが身分も違うのでそれもかなわない。と近況を話し、殿様にはお鶴をよろしくとお願い。お鶴には子供が出来たからと自惚れてはおけないと、心から話聞かせた。湿っぽくなったので、都々逸を一声聞かして、座を盛り上げた。
 「おもしろい奴で有る。彼を抱えて使わせ。」鶴の一声で、八五郎出世というおめでたい話です。

ついでに、この後の部分も・・・、「妾馬」の"馬"の訳が分かります。

士分に取り立てられた八五郎は、名を改めて”石垣杢蔵左衛門蟹成”(いしがき もくぞうざえもん かになり)となった。ある時、使者の役を仰せつかり馬に乗って出かけた。もとより馬術など知らないのでこわごわ乗っていたが、そのうち馬が駆けだしてしまった。止める事も知らず、ただ鞍にしがみついていたが運良く家中の者が通りかかり、止めてくれた。「これはこれは、石垣氏、早馬でいずこへ参られる」、「馬が知っておりましょう」。

2009年8月21日 (金)

伝説になる

9128e58c07acf4a9890100a7a3bf68c0やはり、この人の話題に触れない訳にはいかないでしょう。

「ボルトさん。そんなに走ってどこへ行くの?」
「今、泥棒を追っかけてるん・・。」
「えッ?あんたが一番足が速いんじゃないの。泥棒はどっちへ逃げたの?」
「へへへ、
後から来るよ。」

・・・・こんな伝説のような小噺もありますが。

才能と努力と偶然の絶妙バランスで樹立された驚異の世界新記録。

970b224560a25771bb36546d3a926081 時速は40キロをオーバーし、日本人のトップ・アスリートを毎秒1メートルずつ引き離すというスピードです。

伝説になりたいそうです。

それにしても、テレビ中継をしているTBSのコメンテーターで出演・解説などをしている、マラソン日本人女子初の金メダリストで国民栄誉賞まで受賞しているTさんが、ミーハーな声援を送っているのを見て、「おいおい、貴女も日本では伝説的な存在のの人でしょう。もう少し"らしく"構えていてくださいよ。」と思います。・・軽すぎるよ。

暑さぼけ?

圓窓師匠のブログを拝見していると、落語会に、草履や扇子あるいはめくりを忘れたたとか、先日は大切な預金通帳は印鑑を入れたバッグを失くしたとか、うっかり・そそっかしい出来事があるようです。

070362 ところが、私も他人事ではありません。
一昨日の帰省の際、持ち帰るはずの荷物を一つ駐車場に積み残したままにしてしまったり、これは秘かに情けなく思っているのですが、昨日鈴本演芸場に行くのに上野中央通り駐車場を使って出庫する時に、駐車料金のお釣りの千円札を取らなかったりで、落ち込んでいます。

最近、「あれっ?何をしにここに来たんだっけ?」とか、「何か言いたかったんだけど・・」とかいうシーンが増えて来ました。

気をつけなければ・・・。「堀の内」・「粗忽の釘」ではすまなくなりますから。

虎ノ門

200908180728000_2 会社のすぐそばが「虎ノ門」の交差点です。
この交差点の霞が関側にある碑を見つけました。

Pdrm0435 「えっ?虎ですか? あたしゃぁ、てっきり猫だと思った。」などとは言えない、立派な虎です。
昭和37年に建立されたそうです。

そもそも、何で「虎ノ門」なんていう勇ましい地名になったのでしょうか・・?

200pxtoranomon 「虎ノ門」とは江戸城の南端(現在の虎ノ門交差点附近)にあった門の名前であり、門が撤去された後もその近隣地域の俗称として使われ続け、交差点名や都電・地下鉄銀座線の駅名となった。虎ノ門の名が地名に初めて採用されたのは昭和24年(1949年)になってからである。
現在の虎ノ門は、昭和52年(1977年)の住居表示実施により芝西久保地区・芝神谷町などを中心に新しく成立した町である。町名を決定する際に、港区は西久保や神谷町とせず、戦前から交差点名・地下鉄の駅名として知られていた虎ノ門の名を採用した。

・・・なるほど、そう言うことですか。道理で、落語に新橋や麻布永坂、狸穴、飯倉など、名前ぐらいは出て来るのに、虎ノ門というのはありません・・。
古くからあるけれども、名前は新しい街なのですね。

2009年8月20日 (木)

納涼名選会 鈴本夏まつり

200908201652000 鈴本8月中席の楽日。
ところが、
今日は、年に一度の?両親を連れての寄席見物です。

夏休みをとり、郷里から、あの"のりピー"が立ち寄った身延山の麓を通って、両親を車で東京まで"護送"して来ました。
半年前にオープンした上野地下駐車場に車を入れ、開場までの時間は、池之端の"伊豆栄"で腹ごしらえをしてから、鈴本演芸場へという趣向

鈴本に入って両親を指定席に座らせてロビーに出ると、何と演芸評論家(と言っていいのでしょうか)の瀧口雅仁さんがいたので、ご挨拶をした後で、色々話をさせていただきました。特に主宰されている「特撰落語会」のご苦労など・・。
大変フランクなお人柄で、(当たり前ですが)落語をこよなく愛しているのが分かって、とても嬉しく思います。
桂文朝師匠がお好きだったそうで、ますますシンパシーを感じてしまいました。(桂文朝師匠・・・・、まだまだこれからという若さで
亡くなられたのが残念です。)

20098nakabk ◆ 堀の内        柳家喬之助

◆ もぐら泥        柳亭燕路

◆ 引越しの夢      柳家三三

◆ お菊の皿     柳亭左龍

◆ 花筏        桃月庵白酒

I_bb_v8jj◆ 猫の災難     柳家権太楼

◆ 妾馬        柳家さん喬

落語を知らない両親も、色物さんも含めて出演者全員が大熱演で、感心するやら、「これで3500円じゃ安い」とベタ褒めで、ひょんな"親孝行"になりました。
尤も、今日のこのメンバーで不満だなんて言うなら、親でも子でもない、日本人ではない、ってなものです。

Relayl 先日の中日の時もそうでしたが、こういうレベルの高い芝居は、噺家も良し・客も良し、そしてさらに噺家も良く・客も良くなるものだと思います。

終演後、駐車場から車で自宅に着いたのが、午後10時過ぎ。年寄りにはハードなスケジュールだったかもしれませんが、まぁ、満足してくれたでしょう。
・・・さて、明日はどこへ連れて行くか・・? まだいるようですから。

夢芝居?

。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 私のほろ苦い「薮入り」の思い出を語ることにします。名付けて「藪入りカミングアウト」です。

話は全く違いますが、梅沢富美男さんのヒット曲に「夢芝居」というのがあり、「稽古不足を幕は待たない・・・」 という物凄く重たいフレーズがあります。

「亀、話せばお父っつぁんもちゃんとわかるんだから、お謝りよ。」

斜字の部分を言ってみてください。
おあやまりよ。」・・・って、ちゃんと言えましたか?
・・・私は、高座で「おあや・・、おやや・・・。」となってしまったのです。
大学4年間の集大成ともいえる「卒業生追い出し発表会」のトリの大詰めのシーンでした。

・・・・最後の最後にやってしまいました。

200706171346001 きっと、どこかでなめていたのだと思います。「一通り台詞を覚えたから大丈夫だろう。」という訳で、恐らく一番稽古をしなかった気がします。
頭で台詞を覚えただけで、体で覚えていないものなど、人前に晒してはいけないのに・・・。この慢心・勘違いを神様が罰を与えたのだと思います。

発表会後の打ち上げで、部員全員に詫び、大人げなく、声をあげて泣いた記憶があります。


・・・そして、卒業してからずっと、不完全燃焼で終えたことを悔やんでいました。ずっーーと。

このトラウマが、今の私の"落語徘徊"の原点なのかもしれません。
(出来ないことではあるけれども)落語で青春をやり直そうとする姿勢と、落語に詫びる心です。

・・という訳で、いつか、どこかで「薮入り」にチャレンジ・リベンジしてみたいと思っています。その時初めて、落研を卒業出来たと思えることでしょう。

・・・・この先も落語と立派に付き合えよ。みんな「薮入り」のおかげだ。
(この先も立派に勤め上げろよ。みんな「忠(チュー)」のおかげだ。)

Nさんの訃報

新聞の訃報欄に、H社の社長だったNさんの記事が載っていました。

200pxzojyojils仕事の関係で、お付き合いいただいた"お客さま"で、大企業の社長を務められただけあって、豪放な部分と緻密な部分を持つ、とても魅力的で頭脳明晰な優しい人でした。享年78歳。

聞けば、ご自身の体調がすぐれなくなった1ヶ月ほど前に、「自分に何かあったら」と、奥さまに几帳面なファイルを見せて説明されたそうです。本当に家族思いの方でした。

260pxzojyoji勿論お金持ちで、高級住宅地の"億ション"にお住まいで、2年ほど前、ん百万円かけて歯を全部インプラントにされたはずですが・・・・。

大物のご葬儀ですから、葬儀場は芝の増上寺なのだそうです。
ご冥福をお祈りいたします。

2009年8月19日 (水)

김대중・・・?

韓国の金大中元大統領が亡くなりました。

2009081800000617sanintthum000 韓国の大統領経験者は、先日の盧武鉉さんの最期も含めて、どういう訳か不幸な結末が多いようですが、珍しく?金大中さんは、天寿を全うされた感じがします。

かつて(昭和48年)、東京で「金大中事件」というのが起こりました。韓国がまだ民主化されていなかった頃の政治や思想に関する事件だったと理解していますが、あの頃は、名前を「きん・だいちゅう」と読んでいました。

今は、韓国や朝鮮の人の名前は、ハングル語に即した発音、カタカナ表記になっていますので、はじめはピンと来ませんでした。

金大中(キム・デジュン、김대중)だとか、盧武鉉(ノ・ムヒョン、노무현)だとか。
それにしても、ハングル文字って不思議な字で、全く読めませんね。
でも、考えてみると、日本の平仮名や片仮名も、外国の人から見れば、変な字にみえるでしょう。「わ」とか「ゆ」とか「ん」なんて、どんな風に見えるのでしょうか。

確か、この金大中さんというのは、日本語が堪能だった気がします。この世代の韓国や台湾の方は、日本語が話せる・書ける人が多いようです。これもあの戦争の影響なしではないでしょう。

一丁入り

昭和の名人のCDで金原亭馬生師匠を聴いてみると、「佐野山」と「初天神」の出囃子が、馬生師匠の「鞍馬」ではなく、志ん生師匠の「一丁入り」であることに気がつきました。

解説によれば、晩年の馬生師匠は、好んで「一丁入り」を使ったそうです。この2題は亡くなった年とその前年の録音でした。

「鞍馬」は、太鼓の音が入って、テンポのある男性的な感じです。一方、「一丁入り」は、ややスローテンポで静かな曲ですから、晩年の馬生師匠には、きっと良く似合ったことでしょう。

Bpavcoverimage そういえば、鳳楽師匠も独演会では、圓生師匠の「正札付き」を使っています。滑らかで優しい調べで、これまた良い曲です。

出囃子もいろいろあって面白いです。

学生時代は、文楽師匠の「野崎」が大好きでした。鐘が鳴り、三味線が高音でアップテンポのリズムで歌い出す感じ。思わず「黒門町ッ!」と声をかけたくなる調子です。

現役の師匠方では、小三治師匠の「二上がりかっこ」、扇橋師匠の「にわか獅子」、圓窓師匠の「新曲浦島」などは、渋いですね。さん喬師匠の「鞍馬獅子」と権太楼師匠は「金比羅」と明るい調子。志ん輔師匠の「越後獅子」はややけだるい感じがするのですが・・・。

特定の噺家さんでなく、トリの出囃子として使われる「中の舞」も好きです。そうそう、圓太郎さんの「圓太郎囃子」も、テケテケテケテケ・・・という所が洋楽風でいいですよ。

要するに、とりあえず、よく聴く噺家さんの出囃子が好きだという、いい加減なものです

でも、東京では、出囃子が使われるようになってから、それほど時間が経っていないのだそうです。あの圓朝師匠の時代は出囃子は使われていなかったようですから、雰囲気を想像すると、何となくピンと来ません。

出囃子について、以下のような説明文を見つけました。

Bpavcoverimagej  落語の出囃子は、おそらく、歌舞伎のスタイルから流用されたものだと思いますが・・・当初は、上方落語のみで使われていて、東京の落語では、大正6年に睦会(むつみかい)と云う落語団体が出囃子を使い出すまでは、シャギリと云う、三味線の引っ掛け弾きのみを使っていました。
 一般の方は、落語の出囃子は、三味線や太鼓の音がすればいいと云うくらいに思われていて、みんな同じか、適当にやっていると思われるかも知れませんが・・・噺家一人に付き出囃子は一つで、例外を除き、すべて別の曲が演奏されます。
 出囃子をお聴きになって、「あっ!志ん生だ!」と判るようになれば、ご通家(ごつうか)と云われます。
 つまり、志ん生の出囃子は、「一丁入り(いっちょういり)」と云われているもので、五代目 志ん生以外は使っていないからです。本来は、人形浄瑠璃や歌舞伎などで演奏される、「江戸のっと」と云われるものですが、これが、志ん生師匠の出囃子です。「一丁入り」と云うネーミングは、鼓(つづみ)が一丁入る事から来ているようですが・・・寄席の下座(楽屋)には、鼓を叩く人がいないので、三味線と太鼓のみで演奏されるのが普通です。
 「一丁入り」は、志ん生師匠しか使わない出囃子ではありますが・・・実子で、弟子の十代目 金原亭馬生が、ガンに侵され、六代目 志ん生は継がないよと宣言した晩年の三ヶ月ほど、馬生の出囃子の「鞍馬(くらま)」に替えて、志ん生の出囃子の「一丁入り」を使った音源が幾つか残っております。
 噺家さんは、個々の出囃子を持っていますが・・・代替わりした時には、師匠の出囃子を受け継ぐのが普通です。「野崎」と云う出囃子は、桂春團治の出囃子ですが、現在の三代目 桂春團治は、当然の事ながら、「野崎」を使っております。「桂派」と云うのは、本来は、上方起源の屋号ですが、東京で「桂派」を名乗った、八代目 桂文楽や十代目 桂文治も「野崎」を使ってました。
 六代目 三遊亭圓生の出囃子は「正札附(しょうふだつき)」ですが・・・圓生師匠は、当初、「筑摩祭り」だったのですが、別の落語団体の、三代目 桂三木助とバッテイングするので、「正札附」に変更した経緯があります。現在、「正札附」は、圓生師匠の孫弟子で、圓楽さんが引退した後、「圓楽一門会」の会長に就任した、三遊亭鳳楽が受け継いでいます。


トップゆえの謙虚さ

サラリーマンの世界では、「肩書が上がれば上がるほど謙虚でなくてはいけない」と言われますが、これを実践している人の少ないことと言ったら・・・。

21 世界陸上の女子棒高跳びで、常勝だった選手が"記録なし"という、信じられない結果に終わってしまいました。

(負けたタイミングで言うのは、実はとても卑怯なのかもしれませんが、)実力が突出している彼女は跳躍でパスを続け、その間ずっと、大きなタオルを頭から掛けて横になり、身動き一つしないでいます。
200908182339000 彼女の精神統一のやり方なのでしょうが、スポーツ(ウー)マンとしては「?」だと思います。
競う相手を尊重してこそ、試技もしっかり見てこそ、
スポーツ(ウー)マン・シップであり、マナーだと思うのですが・・。

200908182347000 今後の彼女には、「泣きっ面にハチ」で、この類の批判が噴き出して来るかもしれません。
その点は可哀想な部分もありますが、敢えて冷たい言い方をさせてもらうならば、"自業自得""驕れる者久しからず"ということなのではないでしょうか?

スポーツには、謙虚さ、潔さ、倫理規範、無私の勇気、優しさ、慈悲の心といった「騎士道」・「武士道」の精神が絶対に必要だと思います。品性・品格が求められると思うのです。
日本のおっさんの発想なのでしょうが・・・。

2009年8月18日 (火)

落語百選≪23≫

200908161829000 「五代目柳亭左楽」という師匠は、私にはずーーーっと昔の人で、全く知りませんが、この師匠の葬儀・葬列は、物凄かったんだそうで。

谷中の自宅から上野鈴本演芸場の前を通ってお寺までの大葬列。噺家としては前代未聞だったということです。

何かの写真で、弟子にあたる黒門町の文楽師匠が、葬列の先頭近くに加わり、遺影か位牌かを持って人力車に乗っている写真を見たことがあります。

噺家としての技量のほどは分かりませんが、政治力というのか、強力なリーダーシップを持った師匠だったようです。いつもの「噺家列伝」からです。

200906202134000  ◇ 代脈    桃月庵白酒

 ◇ 試し酒   三升家小勝

女性アスリート

日の本は岩戸神楽の昔より女ならでは夜も明けぬ国・・・。

とはいえ、いつから日本の女性はこんなに強くなったのでしょう。

Fukushima女子100メートルで、福島千里選手が予選を突破したとか。

Maiko802そして、バレーボールでも、狩野舞子選手が人気急上昇。

女性が強くなったのと同時に、大変美しくなりました。

結構毛だらけ猫灰だらけです。

比較してはいけませんが、陸上の人見絹枝選手、東京オリンピックの東洋の魔女・・・。

ImagesojImageskk新旧選手ともに、本物を近くで見た訳ではありませんが、ゴルフも、水泳も、卓球あたりでも、ビジュアルにも楽しめるというのは、男(おじさん)にしてみれば大歓迎でしょう。

それにしても、ベルリンの世界陸上のトラックが青い色で、何となく違和感があります。

国立競技場のように、ほとんどのアンツーカー(古い?)の色がレンガ色で赤・茶系統でしたから、そのイメージが強くて。

2009年8月17日 (月)

「ねずみ」つながり

このブログの最近の話題で、「ねずみ」が続きました。「ねずみ穴」・「ねずみ」・「薮入り」。

「ねずみ」という落語では、仙台が舞台になりますが、奥州街道第69宿目になるんだそうですが、左甚五郎が辿った道を、ちょいと調べて想像してみました。

【仙台宿】 奥州街道沿いと大町通沿いに町人町が形成された。職人・商人らの住む「町」は24あり、町方二十四ヵ町〔まちかたにじゅうよんかちょう〕と称された。その中で大町・立町・肴町・南町・柳町・荒町の6ケ町は、伊達政宗に従って米沢から岩出山、仙台と移ってきた町人町で、御譜代町と称した。「譜代」とは、代々主家に仕えることである。屋敷割りはすべて間口6間、奥行き25間という細長い地割で、今でもところどころに名残がある。町人町の周りには片平丁や名掛丁など武家の屋敷町の「丁」があり、さらに取り囲むように寺町や足軽町が配置されていた。

Sendai_ishibashiya 奥州街道は広瀬川北岸の河原町から仙台城下にはいり、南材木町、 穀町、南鍛冶町、荒町、 田町、上染師町、北目町、柳町、南町を経て中心地の 大町を過ぎ、国分町、二日町、北鍛冶町、通町を経て城下北端の 堤町に至る。

・・ということは、卯之吉くんが"宿はずれ"で客引きをしていた場所は・・・、長町から河原町に入るあたりでしょうか。その河原町あたりから伊達様62万石のお城下が広がっていたのでしょう。今の広瀬橋あたりなのかもしれませんね。

Sendai_hariu 仙台一大きな旅籠屋の"虎屋"はどのあたりだったのでしょうか? 恐らく大町を過ぎて国分町あたり。右側にあったはずですから、「芭蕉の辻」の近くの日本銀行の仙台支店のそばが「虎屋」だったりして。

でも、この噺は、元々は浪曲の演目で、二代目広沢菊春の得意ネタだった「左甚五郎」を、義兄弟の契りを結ぶ関係だったという三代目桂三木助師匠が「加賀の千代」と交換して演じたのが始まりとされていますから、落語としては新しいのです。

Hmv_74659 そう言えば、またまた三木助師匠の登場です。「芝浜」といい、この「ねずみ」といい、後世に残る名作をアレンジしてくれた功績は、昭和の名人の一人と言ってもよいのでしょう。

【歴史】 古来千体仏があったので千体城と呼ばれていたのを、後に「千代」と改められた。伊達政宗遷城と同時に「仙臺〔せんだい〕」と改めて城名と地名にした。当時、家臣8000戸、町民2100戸、寺戸250戸で総戸数は1万850戸、人口は5万2000人を越えていた。 仙台開府(1601年)

落語CD昭和の名人≪17≫

200908161830000 ≪父・志ん生を超えたかもしれない ”酒仙”の早すぎた54年≫

再評価著しい早世の噺家「金原亭馬生」。

昭和50年に初めて見た馬生師匠は、まだ40歳台だったんですね。父と同年輩ですが、おじいちゃんみたいだった。

古今亭志ん生の長男・古今亭志ん朝の兄という場所。

落研50周年の記念誌で、落研の主催する落語会に来てくださった時に、私が書いた馬生師匠の様子を、文末部分で再現してみることにしましょう。

馬生師匠が亡くなったのが昭和57年。享年54歳。若すぎる死でした。

弟の志ん朝師匠の影で、大変地味な存在ではあったものの、これからが馬生師匠の時代だったというのに・・・。

  ◇ 首ったけ   金原亭馬生

  ◇ 佐野山    金原亭馬生

  ◇ 初天神    金原亭馬生

もう少し長生き出来ていたら、もしかすると父志ん生を超えていたかもしれません。

Img

昭和の名人五代目古今亭志ん生を父に、当代随一の人気と実力を備える古今亭志ん朝を弟に持つ、十代目金原亭馬生は、想像以上に小柄で地味な噺家だった。楽屋に入ってすぐにビールを注文。コップに注いで喉を湿す程度に軽く一口。今までに見たこともないような、不思議な雰囲気の人だ。(中略)楽屋に「師匠よろしくお願いします」と伝えに行くと、小さな声で「はいはい」と言いながら「ちょいとはばかりへ」と、トイレに入り、出て来てからもう一度、コップのビールを一口ふくむと、腰をかがめながら舞台の袖に向かう。後年、十代目金原亭馬生の思い出が語られる場合は、必ずこんな楽屋での仕草が出て来る。確かにそうだった。とても緊張したが、幸せな時間だった。

スポーツの夏

思い起こせば、ちょうど去年の今頃は北京オリンピックが開催されていました。

20090816k0000m050096000p_size5 今年も、いつもの甲子園での高校野球のほか、世界陸上が始まり、バレーボールも国際大会をやっています。

オリンピックなどで気になるのは、チームや選手を実力不相応に大袈裟にあおるマスコミと品なく叫ぶアナウンサー、そしてトドメは完全に観衆の一人になっている解説者。・・そうそう、それからすぐに感動する愚かな観衆・聴視者たちも・・・。

300pxrugby_union_scrummage そういう意味では、相撲の解説者が最も冷静で好ましい気がしませんか? かつての神風さんや、最近では元琴風の尾車親方や舞の海さんなんていいですよ。

とりあえず、6チャンネルで騒ぎ出した世界陸上のメインキャスター、俳優Oさんと元局アナのNさんには、そろそろご退場願いたいものだと思いまNn000y3082015082009_1_1_g1 す。

2016年のオリンピックで、ラグビーとゴルフが追加されることになったそうです。

どのスポーツでも、純粋に頑張っている選手たちがいる訳ですが、基本的にはプロが活躍しているスポーツは、オリンピックの正式競技ではない方が良い気がします。

180pxjordan_by_lipofsky_16577 例えば、バスケットボール・テニス・サッカーそしてゴルフ・・・。自分や競技をアピールしたり、名誉を得たりは、既に十分だし、オリンピックが必ずしもレベルが頂点ではなさそうだし。

むしろ、もっとマイナーな競技にスポットを当てるとか・・。

ちょっと違うかもしれませんが、去年の北京のフェンシングなんて、なかなか良かったと思います。

ひぐらし寄席

200908152219000 隅田川馬石さんの独演会「ひぐらし寄席」の案内。

葉書には、「お時間がございましたら御来場下さい。馬石」と自筆(おそらく?)のコメントが書いてあります。

Ad34f9ab8d3f8b8cb269m いつも丁寧な噺家さんです。

行けたら行きたいものです。

2009年8月16日 (日)

なんにも言わず泣き笑い

(;ω;) 薮入りや なんにも言わず 泣き笑い (゚ー゚)

お盆は、「薮入り」の時期でもあります。お正月とお盆。奉公している人たちが家に帰ることができる日。

S214c101 正月と7月16日に奉公人が休暇をもらって、自分の生家に帰ること。また関西地方の一部では奉公人だけでなく、嫁に出た娘が夫とともに里に帰り、畑仕事の手伝いをすることをいう村がある。その語義については定説はなく、藪というのは草深い意で、都会から草深い村落に帰る意味とか、ひとりぼっちで行きどころのない奉公人や里の遠いところのものが藪林(そうりん)に入って遊んだのがはじまりとか、帰るあてのない者は藪に入っているほかないからなどといわれているが、いずれもとるに足らない。藪入りの語があって、あとからこじつけて説明したにすぎないようである。

私は奉公していた訳ではありませんが、高校を卒業して大学に行き、初めて生家を離れた時、ホームシックになりました。家族の大切さが身に染みました。夏休みには、とにかく真っ先に家に帰ったことを覚えています。

この噺、恐らく明治以降に作られたものだと思いますから、"新作落語"なのでしょう。ところが、社会の変化で、"ネズミ捕り"は別の意味のことになり、有給休暇も取れるし、連休も増えて、噺の物理的な背景はなくなってしまいました。

でも、私がこの噺が好きなのは、人の道・人の心が語られているからです。どんなに時代が変わっても、この部分は決して変わらないでしょう。

「這えば立て たてば歩めの 親心」

「かくばかり 偽り多き世の中に 子の可愛さは まことなりけり」

Nscrlgenra04大学の落研時代に、最後に選んだネタでした。圓楽師匠の音源を参考にしました。

この噺については、忘れられないこと、まだ語り足りないことがあります。いずれカミングアウトすることにします。

父親は朝からソワソワしています。いえ、前の晩からです。父親は女房に奉公に出た一人息子が帰ってきたら、ああしてあげたい、こうしてあげたいと言って寝かせません。
 暖かい飯に、納豆を買ってやって、海苔を焼いて、卵を炒って、汁粉を食わしてやりたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨くないし、寿司にも連れて行きたい。 ほうらい豆にカステラも買ってやれ。
 「うるさいんだから、もう寝なさいよ」、「で、今何時だ」、「2時ですよ」、「昨日は今頃夜が明けたよな」。
 湯に行ったら近所を連れて歩きたい。赤坂の宮本さんから梅島によって本所から浅草に行って、品川の松本さんに挨拶したい。ついでに品川の海を見せて、羽田の穴守さんにお参りして、川崎の大師さんによって、横浜の野毛、伊勢佐木町の通りを見て、横須賀に行って、江ノ島、鎌倉もいいな~。そこまで行ったのなら、静岡、豊橋、名古屋のしゃちほこ見せて、伊勢の大神宮にお参りしたい。そこから四国の金比羅さん、京大阪回ったら喜ぶだろうな。明日一日で。
 「おっかぁ、おっかぁ、って、うるさいんだから」、「で、今何時だ」、「3時少し回ったよ」、「時間が経つのが遅くないか。時計の針を回してみろよ」。
 「な、おっかぁ」で5時過ぎに起き出して、家の回りを掃除し始めた。普段そんなことした事がないので、いぶかしそうに近所の人達が声を掛けても上の空。

 抱きついてくるかと思ったら、丁重な挨拶をして息子の”亀ちゃん”が帰ってきた。父親の”熊さん”に言葉がないので、聞くと喉が詰まって声が出ない。
 病気になった時、お前からもらった手紙を見たら、字も文もイイので治療はしていたが、それで治ってしまった。それからは何か病気しても、その手紙を見ると治ってしまう。
 「おっかぁ、やろう、大きくなったろうな」、「あんたの前に座っているだろ。ご覧よ」、「見ようと思って目を開けると、後から後から涙が出て、それに水っぱなも出て、見えないんだよ」。
「あっ、動いている。よく来たなぁ。おっかぁは昨日夜っぴて寝てないんだよ」、「それはお前さんだろ」。

 落ち着いた所で、亀ちゃんはお湯に出掛けた。
「おっかぁ。立派になったな。手を付いて挨拶も出来るし、体も大きくなって、手紙も立派に書けるし、着物も帯も履き物もイイ物だ。奥様に可愛がられて居るんだろうな」。「お前さん、サイフの中に小さく折り畳んだ5円札が3枚有るよ」、「子供のサイフを開けてみるなよ」、「15円は多すぎるだろ、なにか悪い了見でも・・・」、「俺の子供だ、そんな事はない。が、初めての宿りで持てるような金ではないな。帰ってきたら、どやしつけてやる」。
 そこに亀ちゃんが湯から気持ちよさそうに帰ってきた。「そこに座れ。おれは卑しい事はこれっぽっちもした事はねぇ。それなのに、この15円は何だ」、「やだな~。財布なんか開けて。やる事がげすで、これだから貧乏人はヤダ」、「なんだ、このやろう」と喧嘩になってしまった。
 亀ちゃんが言うには、ペストが流行、店で鼠が出るので、捕まえて警察に持っていくと、銭が貰える。そのうえ、ネズミの懸賞に当たって15円もらった。今日までご主人が預かっていたが、宿りだからと持って帰って喜ばせてやれと、持たせてくれた。その15円だという。

 「おっかぁが変な事を言うものだから、変な気持ちになったのだ。懸賞に当たってよかったな~。許してくれよ。主人を大事にしなよ。”チュー”(忠)のお陰だ」。

夏の終わり?

200908161501000いわゆる「お盆」も今日まで。

やっと復旧した東名高速も、大渋滞で一日中混雑していることでしょう。

200908161629000 今日も暑い一日でした。が、夏の雲は積乱雲のような厚みのあるものですが、今日の空は、厚みのない、秋の雲のようでした。我が家のベランダから見える北西側と南西側の空も、秋の装いです。

今年は、いつ始まったかわからないような夏でしたが、秋の足音は日に日に高まっているようです。

昨日の鈴本の「さん喬・権太楼夏夜噺」でも、トリのネタが「芝浜」「文七元結衣」「雪の瀬川」「掛け取り」など、冬や暮れの噺も多くかけられるようですが、夏の噺と言えば・・・、怪談噺以外では・・・、「青菜」「船徳」と「夏の医者」あたりでしょうか。

「夏の医者」。典型的な三遊亭の噺ですね。

Letuce6e ところで、この噺で「夏の"ちしゃ"は腹に障る」という、「ちしゃ」。何か葉っぱものだろうとは思っていたのですが、どうやらサラダ菜・レタスのことのようです。

物の本によりますと・・・・、漢字では【萵苣】と書くそうですが、紀元前6世紀、ペルシャ王の食卓に供せられていたと伝えられるレタス。地中海沿岸から西アジアにわたって分布する野生種から現在のレタスのもとになるものが主にヨーロッパで選び出され、東西に広がっていきました。
Letuce3e レタスの仲間全体を、和名では「ちしゃ」とよびます。中国から伝わり、平安時代に栽培されていた「ちしゃ」は、わたしたちが今レタスとよんでいるものとは異なり、下のほうの葉から掻きとって使う「掻きちしゃ」でした。

サラダ菜やレタスを食べすぎて腹に障りますかねぇ?

カーナビ

200908161059000さいたま市(旧浦和市)のある家を訪ねることになりました。一度も行ったことのない場所で、住所しかわかりません。また、浦和界隈の土地勘も全くありません。

前の車は古かったこともあって装着していませんでしたが、今度の車にはカーナビが装備されています。早速住所を登録して、案内開始ボタンを押すと、ナビゲートが始まります。(距離と所要時間の予想と高速道路料金なども、聞きもしないのに教えてくれます。)

Navi_02_2  そして、・・・まさにその家の前まで、しっかり案内してくれました。しかも、「帰り」のボタンで、帰りの道まで案内してくれるという・・・。

こんなこと、既に使っている方にすれば当たり前でしょうが、本当に便利なものですね。

例の覚醒剤騒ぎでも、S容疑者の携帯電話の微弱な電波から居所が分かるのですから、GPSというのは物凄い。

一方で、こんなに分かっちゃってもいいの、という気もします。

例えば、もしこれが昔からあったら、「君の名は」というドラマは成立しなかったかもしれませんね。

2009年8月15日 (土)

納涼名選会 鈴本夏まつり

20098nakabk 鈴本演芸場8月中席の恒例、「吉例夏夜噺 さん喬・権太楼」です。

こういう特別興行は、噺家さんと観客のテンションがぶつかり合い、非常に良い雰囲気になるものです。

高座と客席のパワーが物凄い相乗効果を醸し出す気がします。

200908151657000◆ 金明竹     柳家喬之助

◆ 粗忽の釘    橘家圓太郎

◆ 棒鱈      古今亭菊之丞

◆ お菊の皿    柳亭左龍

◆ 夏泥       橘家文左衛門

◆ ねずみ     柳家さん喬

◆ 鰻の幇間   柳家権太楼

この芝居は、席亭にとってウハウハなのは当然ですが、主役のさん喬・権太楼両師匠以外の噺家さんにとっても、とても貴重な芸の鍛錬の場になると思います。

200908151928000それにしても、今日は観客もとても良かったと思います。よく笑ったし、下卑た笑いや野次もなかったし、楽しく過ごすことができました。

さん喬師匠の「ねずみ」は、大変僭越ながら、自分の「ねずみ」と比較させていただきました。この噺のマクラは、大別すると、名人左甚五郎の紹介から入る三代目桂三木助バージョンと、旅の話題から入るパターンがあるようです。

私は、扇橋師匠のネタをベースに演っていますので、当然前者ということになりますが、さん喬師匠は後者のパターンでした。師匠の先代小さん師匠との旅の話題から、「旅人は 雪呉竹の群雀 止まりては発ち 止まりては発ち」。

200908151934000 権太楼師匠の高座に、何故観客は爆笑するのだろう・・・。そんなことを思い、客席を観察しながら聴きました。結論は出ませんが、自然な気持ちをそのまま表現しているという気がして来ました。「そんなことはない。セリフも仕草も表情も大袈裟だ。」と仰る向きもあるでしょうが、権太楼落語の真髄は、自然な気持ちの発現だと思います。柳家の「登場人物の料簡」というやつです。

以前、さん喬師匠の「初天神」でも、同じことを感じた気がします。

終戦の日

3045535 子どものころ、祖母がよく問わず語りに戦争の頃の話をしてくれました。

当時は、祖父の仕事の関係で台湾にいたそうですが、幼い私には、その重さや悲しみは理解できず、遠い昔の出来事のように感じていた気がします。

祖母は、長男を戦争で亡くしています。私の父の兄、伯父です。

祖母にとっては自慢の息子だったようですが、私にとっては、仏壇で軍服姿で笑っている写真の存在でしかありませんでした。不謹慎ながら、子供心に、「もし、この伯父さんが生きていたら、自分たちはこの家に住んでいなかったんだろうな」なんて・・・。

”たら”・”れぱ”はタブーですが、父も自分が両親の面倒をみるなどとは思っていないし、次男坊として育てられたのですが、いつの時だったか、祖母が私に、やはり問わず語りに「(伯父さんでなく)次男(=私の父)に面倒みてもらって良かった」とつぶやいたことがありました。

色々な意味で、あの時が祖母にとっての"終戦"だったのかもしれません。

多くの人に悲しみと苦しみだけを残した、あの悲惨な戦争が終わったのは、私が生まれるほんの10年あまり前でしかなかったことを思うと・・、改めて平和の尊さを感じます。

今日を「終戦"記念日"」だという人がいますが、やはり心情的には「終戦の日」なのでしょう。

落語は、平和が続いた江戸時代に創り出されたものですから、戦や戦争の噺は出て来ません。講釈や浪曲に様々な軍記物があるのに比べて、平和そのものです。それも落語の魅力だと思います。

(終戦の日について調べると・・・)

第二次世界大戦が終わった日であるが、「終戦の日」の定義は以下の4通りに分けられる。

  1. 1945年8月15日:日本軍の戦争当事者である昭和天皇が、戦争の終結を国民に告げた日。
  2. 1945年9月2日:ポツダム宣言受諾の降伏文書に調印した日。
  3. 1952年4月28日:日本本土において、第二次世界大戦後の米軍占領が終わった日。
  4. 1972年5月15日:沖縄において、第二次世界大戦後の米軍占領が終わった日。

日本本土が米軍占領下にあった1952年4月27日までの新聞紙上では、ポツダム宣言受諾の降伏文書に調印した9月2日を降伏の日降伏記念日敗戦記念日と呼んでいた。連合国の一員であったアメリカ合衆国では、9月2日を対日勝戦記念日として「V-Jデー」と呼んでいる。

現在、日本では、昭和天皇が国民に終戦を告げる玉音放送が行なわれた8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とし、一般には終戦記念日終戦の日と称し、政府主催の全国戦歿者追悼式や、政治団体、NPO等による平和集会が開かれる。

五臓の疲れ、レレレのレ・・?

まさに五臓の疲れ、心配していたことが現実になりました・・・。

200908151430000 障子張り最後の1枚になったところで、なななんと、障子紙が足りなくなってしまいました。

こういう無計画なところが血液型O型のO型たる所以です。

そもそも、この部分が破れたので、全部張り替えようとした訳で、これなら、破れた部分だけ桟なりに切り取っておけば、ちょうどこれと同じ状態でした。炎天下、紙をはがして桟を拭き込んだのは一体・・・?トホホ。

でも、新しく張り替えたおかげで、随分部屋は明るくなりましたから、とりあえずよしとしましょう。・・そして、今日はもうしんどいから、明日、張り足すことにします。

「おじさん。あたいんちに泊まってもらえますか。ありがとうございます。でも、あたいんちは広くありませんよ。それにあまりきれいじゃありませんよ。(中略)障子は破れてますよ。障子が破れている代わりに畳はポロボロですよ。」

「ねずみ」に出て来る卯之吉くん、12歳の健気な姿と仙台の城下の景色が浮かびます。でも、障子と畳は新しい方がいい。

夢は五臓の疲れ?

「ねずみ穴」という噺に「夢は五臓の疲れ」というのがあります。

夢というのは、"五臓"の調子が悪い時にみるものだという諺で、中国の古い医学書にあるものなのだとか。五臓とは、肝臓や肺、心臓、腎臓、脾臓。

転じて、何か気になっていることがあると、それが夢の中に出て来るということもあるのでしょう。

Syogi01 自宅の和室の障子が破れてしまいました。随分前に張ったきりですから、そろそろ限界なのかもしれません。

「今度の休みには障子を張り替えなくては・・」と、少しブルーな気持ちでいました。

Syogi03明け方に夢を見ました。夢見の常で、細かなストーリーは全く覚えていませんが、なぜか私が住宅街を歩いています。暫く歩いていると、何と、何と!圓窓師匠が、ご自宅の庭でおかみさんと二人で障子張りをしているではありませんか。それも、着物にたすき掛け、帯には高座扇をさして・・・。

「そうだ、私も障子を張りに帰らなけりゃぁ」と思った瞬間、ピピピヒ・・・と、目覚まし時計のアラームが鳴りました。                    あぁぁぁ、夢は五臓の疲れだ・・・。

師匠には、夢の中とはいえ、無駄な労働をさせてしまいました。ごめんなさい。

≪小学館「落語の蔵」の解説より・ねずみ穴~三遊亭鳳楽≫

Rakugodl00163s 竹次郎という男が江戸で大店を営んでいる兄のもとを訪ねる。父親から譲られた遺産を使い果たしてしまい、兄のところで働かせて欲しいとやってきたのだ。ところが兄は自分で商売をした方がいいと勧め、その資金を貸してくれた。竹次郎が店を後にし、もらった額を確かめてみると、何と三文しか入っていない。わずかな額で何が出来るんだという悔しさをバネに、寝る間を惜しむように働き、十年後には深川蛤町に三戸前の蔵を持つ店の主人となった。そして風の強い日、番頭に火事が起こったら、蔵のねずみ穴を塞ぐように命じ、借りた金を手に、久し振りに兄の店を訪れると…。
「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるように、江戸市中では火事は頻繁に起こった。人々が普段から火事が起こらないように注意を払っていたのは当然のことだが、大店になるとただ火事が恐いだけではなく、火事で信用を落としてしまうことを恐れた。財産や商いに必要な品物を保管している蔵を焼いたとなれば、店の管理能力が問われることになる。サゲに登場する「夢は五臓の疲れ」という表現は、まさにそうした店主としての心疲れによるものと言えるだろう。ちなみに、竹次郎が兄から借りた三文という銭は、当時の平均相場を金一両=銀六十匁=銭四千文(時期により六千文〜一万文)、一両を現在の8〜10万円として換算すると、一文は約20円。竹次郎が商売の元手として受け取った三文と言えば、わずか60円ということになる。
 

2009年8月14日 (金)

東京落語会

200908141826000 仕事の都合で、会場に到着したのは、開演後30分経った6時30分頃。

頓平師匠は、席に着いておられます。ちょうど菊之丞さんの噺が始まったところでした。

1週間の疲れもあって、居眠りをしながらの鑑賞でした。

◆ 桃太郎      三遊亭兼好200908142339000

◆ 景清          古今亭菊之丞

◆ 肝つぶし    立川ぜん馬

◆ ぜんざい公社 昔昔亭桃太郎

◆ 長短       林家たい平

◆ ざこ八     入船亭扇橋

ぜん馬師匠をじっくり聴いたのは初めてかもしれません。丁寧で明るい語り口はいいですね。

桃太郎師匠は、「桃太郎ワールド」全開で、客席からの笑いはピークになりました。

たい平さんは、マクラもふらずに本題に入りました。たいして長い噺でもないのにと不思議に思っていると、饅頭と煙草の間に塩辛のシーンを入れる演出で、なかなか工夫されていました。が、長さんのセリフが冗長になり、聴いていて少し疲れた感じ。

トリの扇橋師匠は・・・、やはりつらい。全盛期を知っているだけに

アンラッシュ?

200908140633000200908140634000高速道路の異常な渋滞をよそに、今朝の駅の閑散としていること。

6時30分頃の改札口前とホーム・・・。完全に休日モードでした。

そして電車の中ものんびり・・。

200908140644000地下鉄千代田線に乗り入れる始発電車には、発車直前まで空席がありました。

いつもの通勤ラッシュが想像できないほど、緊張感もなく、のどかな雰囲気です。

200908140751000 都内もガラガラで、虎ノ門のメインストリートも、車の姿もまばらでした。

気がつけば8月も半ば、夏も終わりに近づいています。

創部50周年記念OB落語会

       ≪乱志の耳より情報≫

3d3fiso2022jp3fb3fqtqbjei9ue5pgyh_3東北大学落語研究部

 創部50周年記念           

   O B 落 語 会

  11月8日(日)

    14時開演

 仙台ガーデンパレス

    入場無料

落語会のポスター

200908131904000 松戸駅の東口に向かう通路の脇に広告ボードがあり、よく色々なイベントのポスターが貼られています。

10月に「夢空間」が企画する「三遊亭小遊三・春風亭昇太二人会」のポスターも1ヶ月ぐらい前から貼ってあります。

あの「笑点」のメンバー、落語芸術協会の売れっ子の二人ですから、さぞや盛会になることでしょう。

平日の落語会でもあり、私は行きませんが。

2009年8月13日 (木)

去年の今頃

去年の今頃は、こんな落語徘徊をしていました。

せっかく神保町に来たのだからと、落語関係本を置いているお馴染みの古本屋をハシゴしました。
まず、昭和53年刊の「別冊 落語界 現代落語家集成」を見つけました。
大学在学中で、落語協会分裂騒動の年ですから、個人的にも重要ポイントの時です。当時の主な真打30人を、それぞれ見開き2ページにわたり、著名な?評論家たちがコメントしているのが凄いです。
M2000720img508x5281205737301rauntit 次に、すずらん通りの古本屋で、前から見定めていた「古典落語体系全8巻」。
何とこの店、今月で店仕舞いだということで、【全書籍3割引】になっているではありませんか。
「寄席・落語会を2度だけ我慢しよう!」と、衝動買いしてしまいました。

絵に描いたような「大人買い」をしていたんですね。

50周年記念OB落語会

3d3fiso2022jp3fb3fqtqbjei9ue5pgyhcl 我が落研創部50周年記念「OB落語会」が、11月8日(日)に開催される予定です。

立派なチラシ(ポスター)が出来上がりました。いよいよという感じです。

50年の歴史の中で、それぞれの現役時代に名を馳せたメンバーたちが、満を持してご機嫌をお伺いしますから、メンバーも演目も超豪華版になりそうです。

圓窓師匠に「浜野矩随」の稽古をしていただいた時にも話題になり、師匠も大変興味深そうな表情をされていました。

年次順で出演者と演目は以下のとおりです。

 ◇ 井戸の茶碗  桂友楽  在仙のセミプロの名人 

 ◇ 一分茶番  談亭志ん志  落研伝説の名人

 ◇ お楽しみ  喰亭寝蔵  誰もが認める名人

 ◇ 浜野矩随  金願亭乱志  落語徘徊する漂泊の迷人

 ◇ 初天神   杜の家くるみ  バリバリのハマの女流名人

 ◇ 狸札    井の線亭ぽんぽこ  策伝大賞に出場の名人

以上名人5人と迷人1人。これは楽しみですよ。乞うご期待!

三遊亭竜楽独演会

200908122124000 8月19日(水)に「三遊亭竜楽独演会」があります。

・・また行くことができません。

今回のゲストは、曲独楽の三増紋之助さんと音曲バラエティの東京ガールズです。

Monnosuke 紋之助さんも東京ガールズも好きな色物さんです。

紋之助さんの、何とも素人っぽい喋りと、たどたどしく見える(見せる)芸もいい。

F0142308_10134413 0608tokyogirls02特に、東京ガールズの"怪しさ"と"こてこて感"がいい。中でもやはり小糸さんがいいですよ。

2009年8月12日 (水)

羽衣

今日もまた春風亭正朝師匠の「落語一日一話」にご登場願います。

01912_s 今日8月12日の噺は「羽衣(の松)」です。

三保の松原に天女が降り、松の枝に掛けて置いた羽衣を漁師伯良が奪い、 「女房になれ」 と強要され、天女は困り果ててしまうというようなストーリーだったと思いますが、何故8月12日の噺なのでしょうか?正朝師匠は、それについては触れていません。

舞台となっている「三保の松原」は、静岡県清水市(現静岡市)の港に突き出た岬にある砂浜で、幼い頃に海水浴に行った記憶があります。

昨日の地震でも、随分揺れたかもしれません。

この国に「羽衣伝説」数多あれど、三保の松原が一番有名かもしれません。

御巣鷹山

290px747_jal2 24年前のあの日の夕方、私は夏休みを取って帰省、実家の庭で車の掃除をしていました。
日が暮れたので終えようとしていると、ラジオから「ジャンボ機が富士山上空で行方不明になっている」と・・。

これが、あの大惨事の一報だったと記憶しています。

ダッチロールの恐怖、突然の死に直面した多くの乗客と乗務員の気持ちを思うと、未だに胸が裂けそうです。

250pxja8119_at_itami_airport_1982れから、仕事で100回以上、うち東京ー大阪は70回近くも飛行機を利用することになりましたが、いつも心の片隅のどこかに、必ずこの事故のことがあった気がします。

・・もう24年経つのですね。

復旧

地震で崩落した東名高速。驚いたことに、もう明日にも復旧できるんだそうです。
素人にはわかりませんが、あれだけの被害ですから、今までなら、早くても10日や半月ぐらいかかったに違いないのに。
それが3日目には復旧なんて。大変結構なことではありますが、何か特別な要因があるのでは、と考えてしまいます。

20090812axc8c005_12 まず、高速道路が民営化されていたこと。
鳴り物入りで始めた高速道路1000円均一化があること。
選挙戦真っ只中なこと。
静岡県知事が就任直後であること。
・・政治がらみでの人気取りやプレゼンスの臭いをぷんぷん感じるのは、私だけでしょうか・・?

逆に「やろうと思えばできる」ということも良くわかりましたから、今後は・・。

地震の規模の割に、比較的被害が少なかったのは、長年「大地震が来るぞ」と言われ続けていたのと、台風の準備をしていたことが、奏功したのでしょう。
これまた大変結構でした。

精神年齢・年相応

長寿社会になって、昔は老域・寿命に近かった50歳前後も、今では"老人"とは言われません。

昔と比べると、実年齢の7〜8掛けあたりに相当するなんていうことも聞きます。つまり、50歳の人は、35〜40歳あたりだということ。まさに壮年真っ盛りということでしょう。

200pxitc3b4_hirobumi一方明治時代に、伊藤博文が初代総理大臣になったのは弱冠44歳、三遊亭圓朝が亡くなったのは61歳だったそうですから、逆換算する(0.8で割る)と、それぞれ55歳・76歳になります。

それでも伊藤博文は若い。圓朝はまあ相応ということになるのでしょうか。

ところで、肉体が若返るというのは素晴らしいことですが、同じかそれ以上に、精神的な部分も、かなり掛け目がかかっているようです。いつまでたっても子供、いい年をして大人になりきれない輩を多く見ます。マスコミも良くないですが。

例えば、50歳ぐらいの息子が罪を犯してしまった時に、年老いた親が引っ張り出されて「世間にご迷惑をかけて申し訳ない」とか「そんな子じゃなかった」とか・・。もう、親など出さなくてもいいでしょう。まさにいい大人、もう自己責任ですよ。

Imagesそういえば、先日、「ドリフト族」という、高速道路でドリフト走行(暴走)行為を繰り返して捕まったリーダーが、確か40歳でした。捕まっても悪びれることなく「これからも続ける」と言っていたそうです。

「お前幾つになるの?」「40歳にもなって、まだドリフトなんかやってるの?」「ほかにやることないの?」・・・ですよ。スポーツとして、サーキットで極めるならともかく、一般の人に多大な迷惑をかけて・・・。40歳にもなって、幼稚というか・・・。

「おまえ、馬鹿じゃねぇの」って言ってしまいそう。

昔なら、40歳は不惑の年。百歩譲って「あぁ、俺は馬鹿なことをやっていたものだ」と反省するべき年頃です。こういう輩には、掛け目も意味がないかもしれません。

転失気

200907121127000 落語っ子連のまど深さんの持ちネタ「転失気」。師匠から、しっかりした語り口を褒められていましたが、この転失気も思い出深い?噺です。

落研同期の宝亭六方(ほうてい・ろっぽう)くんの最初のネタです。

「転失気」を「呑酒器」とこじつける発想の素晴らしさ。「へぇ~、落語ってすごい!」と思いました。

知ったかぶりをする大人の心、茶目っ気十分の珍念の機知の見事さ。落語の中の落語ですよ。

P1000310 最近は、いろいろ工夫したオチでやっていて、「いつ頃から転失気と言われているのですか?」「奈良・平安時代からでございます。」・・やや苦しい。

同期の六方くんは、「あまり度を過ごしますと、ブーブー(文句・小言)が出ます」という、クラシックバージョンで落としていました。

門前の小僧よろしく、私は、夏休みに帰省した時、同級生の前で、自分のネタ「あたま山」でなく、「転失気」のさわりを披露しました。

六方くんは、高校時代に演劇をやっていたとかで、表情や言葉遣いが上手でしたから、真似をさせてもらいました。それに、大変な読書家で、部屋の本棚は本があふれていました。法律の本よりも、小説や随筆が多かった気がしますが。

2009年8月11日 (火)

圓朝忌の噺

またまた春風亭正朝師匠の「落語一日一話」にご登場願いましょう。

やはり、圓朝忌に因んだ圓朝作品の中から、何と「心眼」。そうか、これも圓朝作だったかというもの。むしろ、八代目桂文楽師匠が練りに練り上げた噺という印象が強いネタ。

41841rj4epl__sl500_aa240_ 横浜から顔色を変えて”梅喜(ばいき)”が歩いて帰ってきた。聞くと弟に「穀潰しのドメクラ」と何回も言われたという。それが悔しくて翌日自宅の馬道から茅場町の薬師様へ「どうか、目が明きます様に」と、願掛けに通った。女房”お竹”の優しい取りなしもあって、満願の日、願い叶って目が明いた。

その時薬師様のお堂の上で声を掛けられた、馬道の上総屋さんの顔も分からない。目が明くと道も分からないので、上総屋さんに手を引いてもらった。目の前を人力車が横切った。ビックリして眺めているとお客は綺麗な芸者だった。お竹と比べるとどっちが綺麗ですかと尋ねると、本人を目の前にしては失礼だが、東京で何番目という化け物の方に近いが、心だては東京はおろか日本中でも指を折るほどの貞女だ。似たもの夫婦の逆で、梅喜はいい男だがお竹さんはマズイ女だ。芸者の小春も役者よりお前の方がいい男だと言ってたぐらいだと、聞かされた。 浅草仲見世を通り、観音様でお詣りしていると、上総屋さんとはぐれてしまった。

お客の芸者”小春”が梅喜を見つけて、食事にと富士下の”待合い”に誘った。上総屋の知らせで観音堂に目が明いた梅喜が居ると知らされ喜んで来てみると、二人連れが待合いに入る所を見た。中の二人は酒に任せて、化け物女房は放り出すから、いしょになろうと相談していると、お竹が踏み込んで、梅喜の胸ぐらを締め上げた。「勘弁してくれ、苦し~い。お竹、俺が悪い。うぅ~」 。

「梅喜さん、どうしたの?」、うなされていたので梅喜を揺り起こした。夢であった。「一生懸命信心してね」、「あ~ぁ、もう信心はやめた」、「昨日まで思い詰めた信心を、どうしてよす気になったの」
「盲目というものは妙なものだね、寝ている内だけ良~く見える」。

文楽師匠は、さほど多くない持ちネタの中に、「心眼」のほか、盲人の噺「景清」「按摩の炬燵」があります。

何か語らんとするテーマがわかる気もするのですが、正直なところ、あまり好きな噺ではありません。何となく悲しいから・・。

≪目を閉ぢて聞きさだめけり露の音≫

 明治33(1900)年のきょう、61歳で逝った三遊亭圓朝の辞世とされるものだそうです。句末にある「露」は、『牡丹灯籠』の主人公である薄幸の幽霊、冒頭のことばの主の名前でもある。「お露からのお呼び」という名人最後のなぞかけだったのでしょうか・・・。

地震・雷・・・・・

おぼろげに聴いていたラジオの「緊急地震速報」の放送と、揺れるのがほぼ同時ぐらいだった気がします。

「静岡県中部と西部で強い地震【震度6弱】がありました!」。

いよいよ東海沖地震、以前から予想されている「本命」かと・・・。

静岡県と山梨県の県境にあるわが町は?、実家は?

幸い、電話が繋がり、「物凄く揺れたが大丈夫」と母の声・・・。地震はとりあえずひと安心かもしれませんが、台風も近づいていて・・。

圓朝忌

P1000420 私の長男が、偶然にも、祖父と父(長男には曾祖父と祖父)と同じ日に生まれて、初めて郷里(実家)に連れて行った時は、祖父(長男には曾祖父)は、老いのために床で横になっていることが多くなっていました。

そんな祖父が、生後間もない長男がすやすや眠っている居間まで起きて来て、暫く嬉しそうに眺めていました。眠っている赤ん坊が自分の曾孫だということが分かっていたかどうか・・・。

04_05_kiyokata そのまま祖父が、2歳半になっている長女と並んで昼食を食べたので、ツーショットを写真に撮りました。

その日の夕方、祖父は眠るように逝ってしまいました。自分の可愛い後継者を見て安心してくれたのでしょう。享年90歳。平成元年。1900(明治33)年生まれ、明治・大正・昭和・平成を生き抜いた人生でした。

生まれ変わりというのはあるのだと思います。

三遊亭圓朝が亡くなったのは、明治33年の今日(8月11日)。そして後の六代目三遊亭圓生・山崎松尾が誕生したのが、約3週間後の9月3日です。

20441圓生師匠は、圓朝師匠の生まれ変わりだったかもしれません。

・・・すると、その圓生師匠の生まれ変わりは誰か・・?

噺家名鑑で、平成元年生まれの噺家さんを探してみましょうか。でも、いてもまだ前座さんでしょう。"栴檀は双葉より芳し"の前座さんがいるでしょうか?

落語界の巨星三遊亭圓朝が亡くなったのが今日。「圓朝忌」です。

【追伸】平成元年前後生まれの噺家さんは、柳家花緑さん門下の緑君(ろっくん)が1990(平成2)年2月です。・・まさか圓生師匠、彼には生まれ変わらないですよね。・・・もう少し、それらしい噺家さんの出現を待つことにしましょう。

奉納落語会余談

Hmv_74659今回の奉納落語会ですが、第二部は、今松師匠「ざこ八」、南喬師匠「へっつい幽霊」でした。
偶然ながら、この2題は三代目桂三木助師匠の十八番だった噺です。

そして、第一部には、三木助師匠の孫の三木男さんが、三遊亭金馬師匠と共演していましたから、図らずも「三木助ディ」になりました。

そろそろ、没後50年になるのでしょうか・・。

石の上にも

P1000270 人に歴史あり。

外から見ると完璧な人でも、実は人知れず悩んだり・恵まれない時代があったりするものです。

あの昭和の名人「三遊亭圓生」師匠にも、不遇な時期があったそうです。尤も、圓生師匠が売れ出したのは、戦後の昭和30年前後からですから、50歳を過ぎていたということです。

200908022251000「昭和の名人 落語」最新号は、三遊亭圓生師匠ですが、表紙裏で、保田武宏さんの文で、苦難の時代に触れています。

悩み続けた圓生は、ついに自分は落語に向いていないのだと判断し、東京落語協会に脱退届を出した。(中略)こんな苦しい時代が、のちの名人にもあったのだ。

「えっ?本当ですか?」ですよ。

ビジネスの世界、サラリーマンの世界でもそうですが、「続けること」は大切だと思います。特に、環境が変わったとはいえ、我々日本人は、基本的には「農耕民族」です。隣の芝生が青く見えても、未知の世界に魅力を感じても、やはり慎重にならないと。

よく、現場逃避の理由に後付けで「やりたいことがある」と言う人がいますが、そんな台詞を残して去って行った同僚や部下で、そのやりたいことを続けている人を知りません。

圓生師匠が脱退届を出したとき、周囲が一生懸命慰留したそうです。寄席に戻って来てくれてよかった。もし、あの時別の道に行ってしまっていたら、勿論昭和の名人は生まれなかったし、何よりも?私が前座を務めさせてもらうこともなかったのですから。

2009年8月10日 (月)

漢字変換

昨夜「地震」がありました。とてもびっくりしました。

きっと、アルファベット文化の影響なのだと思うのですが、「地震」をひらがな表記すると「ぢしん」となるはずですが、我がパソコンでは「じしん」と入れないと「地震」と出て来ません。

「じしん」というのは「自身」とか「自信」と表記する場合だと思うのですが・・・。

ついでに、「地面」も「ぢめん」でなく「じめん」でないと、変換できません。

ヘボン式でローマ字表記すると≪JISHIN≫。もともとの方式では≪DISIN≫となるはず。発音を考えると、≪ZISHIN≫にも近いのでしょうか・・・。

やはり変ですよね。o(;△;)o

「子ほめ」の講評

(*^-^)千一亭の本当さんのブログにコメント(お礼)を投稿したところ、私の「子ほめ」について、コメントを入れてくださいました。m(_ _)m

Ph1073 三流亭流三さんの「子褒め」、よかったです。初めて聞いた落ちでした。きっと創作されたのでしょうね、四日若いわけで、いい落ちです。お客様の反応を上手に拾われて正直、素晴らしいなと思いました。師匠も褒めていましたが、語り口が「なめらかプリン」の様でした。この次に演っていただける噺を楽しみにしています。これからも、よろしくお願いいたします。

ヾ(´ε`*)ゝ 自分なりには、"やや複雑な思い"がなしとはしませんが、コメントの掛け目を考慮して、謙虚に、ありがたく受け取っておきたいと思います。

(^-^; オチについては、本当さんご指摘のとおり、師匠から言われて創作したオリジナルです。

ゼロ商品

2009063000000022oricentview000 カロリーオフ、ゼロカロリー、糖質ゼロ、脂質ゼロ、ZERO・・・・。

最近、私も含めてメタボリックシンドローム人口が増えていますから、「カロリーゼロ」なんて言われると、思わず飛びついてしまいますよ。

でも、完全にゼロというものはないのだそうですから、妄信してはいけないかもしれません。厚生労働省の基準によると、100㍉㍑当たり5㌔カロリー未満ならば、「カロリーゼロ」と商品に表示できるんです。ですから全くの「ゼロ」というわけではありません。

Line_04_2   以前から素朴に疑問に思ってはいるのですが、「糖質ゼロ」なのに甘いというのは、どういうことなのでしょうか? 糖分以外で甘さの出せる物質があるということですか・・。

そうなのです。「ゼロ商品」の特徴は、「砂糖」の代わりに「人工甘味料」を使っているところなのですよ。「人工甘味料」は7~8年前から「スクラロース」など新しいものが認可され、味のレベルが上がってきていて、「ゼロ商品」が増えているという局面もあるようです。

「合成甘味料」といえば、昔、食品添加物問題が取り沙汰されていた頃、「チクロ」というのが有名になりました。体に有害、確か発がん性が高いということだったと記憶していますが、まさか、こういう類の薬品・添加物が使われているのでしょうねぇ。

さすがに、現代では、有害物質ではないかもしれませんが、だからといって体のためになるとは思えませんね。

震度4

昨日の地震はちょいとびっくりしました。

関東一帯が震度4だったようですが、揺れている時間も長かった気がします。・・いつか近い日に、家具が飛んで来るような大きな揺れがやって来るのでしょうか?

集中豪雨、ゲリラ豪雨も連日どこかで起こっているようで、地震・雷と来ました。

落研の先輩の恋し家古狂(こいしや・こきょう)師匠によれば、「次は火事と親父だ」と心配しています。

火事は気をつけないと。しかし親父って・・・。

・・・そう言えば、師匠と「火事息子」のオチの考察をしましたが、まだ完了している訳ではなかったはずです。素人にもわかりやすくて納得できるオチを考えなくては・・。

2009年8月 9日 (日)

奉納落語会

プラチナチケットなのだそうです。

200908091946001 圓朝まつりのメインイベント「奉納落語会」です。

見事に当たったプラチナチケットは、第二部「静の今松・動の南喬」と題した、渋いベテラン二人の落語会。

しかも、それぞれ事前にネタ出しされた5題の中から、観客のリクエストで決めようという趣向。

200908091452000

Imamatsu_top

私は、今松師匠は「大山詣り」、南喬師匠は「佐野山」をリクエストしました。

南喬師匠は、「へっつい幽霊」がダントツ。私のリクエストは最少票。あまりポピュラーじゃないからリクエストしたのてすが、やはり知る人が少ないのでしょう。

さて一方の今松師匠は大変。いずれも拮抗した得票で決まらず、最後は「ざこ八」と「大山詣り」の二択となり、結局「ざこ八」に決定。

 ◆ ざこ八       むかし家今松

41evq9ynpql__sl500_aa240_

 ◆ へっつい幽霊   桂南喬

この二人の噺家さん、マスコミに乗ってはいないので、爆発的な人気ではないものの、「通」の間では評価の高い師匠です。

今松師匠の「ざこ八」は、噛んで含めるように進んで行きます。照明もあって、汗だくの熱演です。

そして、南喬師匠、相変わらず絵に描いたような噺家さんで、特に今日の「へっつい幽霊」は素晴らしかったと思います。

二人とも、なんていうのでしょうか、噺の骨格が本当にしっかりしています。車で言えば、太いルーフバーが装着されていて、激しい走りをしても、剛性・耐性が高く、キャビンがびくともしない安心感・安定感があるのです。

200907102254000

こういう噺家さんが、実は、落語界の根幹を支えていてくれるのですから、落語界は大丈夫ですよ。

今年の落語協会の企画は大成功だと思います。

実は、数ヶ月前、評論家の瀧口雅仁さんが主催している「特撰落語会」に行った時、瀧口さんから「誰か呼びたい噺家さんはいませんか。」「面白そうな企画はありませんか。」と尋ねられたことがありました。

その時「派手ではないですが、実力のある噺家さんの会をやったら」と言いたかったのですが、今回の「奉納落語会」は、まさにピンポイントでした。

柳家小はん師匠、桂文生師匠あたりはいいですね。

谷中散歩

200908091400000恒例の落語協会「圓朝まつり」で谷中に来ました。

奉納落語会まで時間があるので、全生庵を出て、友人を案内して谷中墓地を散策しました。

200908091401000桜並木の通りは、蒸し暑い外界に比べると随分涼しく、天王寺の五重塔跡や天王寺の境内、そして徳川慶喜の墓所などを散策しました。

その昔、この一帯は、東叡山寛永寺の広大な一部だったのでしょう。

”谷中奇聞・猫怪談”という落語があります。与太郎が出て来る人情噺仕立ての演目で、学生時代に、入船亭扇橋師匠のテープを聴いてチャレンジしたことがありました。

谷中の瑞輪寺(瑞林寺)に、遺体を運ぶ途中に起こった、遺体がなくなってしまうという、少し気味の悪い噺です。

扇橋師匠の「お父っつぁん、何故死んじまったんだよぅ。俺は寂しいじゃあないか・・・。」という台詞が演(言)ってみたくて、チャレンジしました。

Zuirinji_hondo 深川蛤町の裏長屋に住む与太郎の育ての親の親父が死んでしまいます。線香も買えず、葬式の準備が未だ出来ていないが、早桶だけは準備出来ていました。大家さんの所の菜漬けの樽で、人の樽を勝手に使うなと言うと、「ヒト樽だからいい」などと言います。

大家さんが一通りの手配をして、お寺の場所を確認すると、谷中の瑞林寺(ずいりんじ)だという。お金がないから早々に通夜も済ませ、与太郎が後棒、月番のラオ屋の甚兵衛さんが前棒、大家さんが提灯持ちという出で立ちで、四つ、今の時間で夜10時に担ぎ出しました。

200706171357000 上野、いとう松坂に差しかかったのが、もう12時、当時の九つ。そこを右に曲がって、三枚橋、池之端にかかり、七軒町を通って谷中に抜けるのが近道です。旧暦の11月、寒く霜柱を踏みしめながら、池之端を抜けるころ、ものすごく恐がりの甚兵衛さんは、時間が時間なので恐くてしょうがない。与太郎に脅かされながら担いでいましたが、肩に食い込む痛さに肩を変えてくれと頼んだ。与太郎さん、加減を見て持ち上げれば良かったのを、思いっきり放り上げるように持ち上げたので、縄がヤワになっていたのか、底が抜けて仏様が飛び出してしまいました。その上、桶が壊れてしまったので、直そうとしたが、タガまで切れてバラバラになってしまいます。近くの仲町ではダメなので、公徳寺前まで早桶を買いに行く事になります。

一人残された与太郎さん、仏様を寝かせその隣にぼんやりと座っています。前は不忍池、その後ろは上野の森、夜の水は不気味なものですが、その奥に黒くたたずむ弁天堂が見えようと言う場所です。そこに風が吹いて、枯れアシがガサガサと音を立てる、その風が上野の森に渡っていき、ゴ~~っと唸っているが、馬鹿の与太郎でもいい心持ちはしません。 死んだ親父に語りかける与太郎さんですが、5,6間先に何か黒い物が横切りました。そのとたん、仏様が動き始め正座をして与太郎に向かって「イヒヒ」と声を発した。ビックリして、殴ってしまったら、仏様は横になってしまいました。何か言い足りない事があったら聞くから、もう一度起きあがってくれと頼みます。
200706171349001_2 今度は立ち上がって、ピョンピョンと跳びはねたので、「お父っつぁんは上手」と手囃子して騒いでいた。その時、強い風が吹いてきて、風に乗って行ってしまった。

大家さんと甚兵衛さんはその声に気づいて与太郎さんの元に帰って来ます。事の顛末を聞いてあきれる大家さんですが、甚兵衛さんはふるえが止まらず「抜けてしまいました」の言葉だけ。「何が、抜けてしまったのだ。今、買ってきたばっかりじゃないか」と大家さん。甚兵衛さん「今度は私の腰が、抜けてしまいました」。

圓朝まつり

200908091343000_2 落語協会「圓朝まつり」に今年も来てしまいました。

と言っても、「奉納落語会」を聴く以外は、いつも素通り同然なのですが、今年は、「奉納落語会」の"プラチナチケット"が当たったので、その時間200908091345000に合わせて、三崎坂を登りました。

まぁ、このクソ暑い中、物好きはいるもので、全生庵は大混雑です。

早速入口の脇で、「奉納落語会」の葉書を入場券に交換。中に入って、ガイドブックを100円で購入します。

ひととおり場内を見て回っていると、同じようにウロウロしている、今日待ち合わせしている友人と会うことができました。

200908091346000友人も、待ち合わせ時間より早めに来ていたとのこと。

場内が混雑しているのと、「奉納落語会」まで時間があるので、谷中界隈を案内することになりました。

三遊亭圓朝の命日である「圓朝忌」に合わせてというか、これを一般の落語ファンに対する感謝デー的なイベントにしたもので、その心意気や良しですが、そろそろ場所や構成や運営を考えても良いタイミングになりつつあると思います。

法要は法要、ファン感謝はファン感謝で分けて、炎天下でのイベントではないようにするのも、平均年齢の高い落語ファンに対する配慮ではないかと思うのです。

200908091946000例えば、ファン感謝デーは、国立劇場の前庭を借りるとか、武道館でやるとか・・・。法要こそ、厳粛に、150人ぐらい一般から募集して参列してもらうというのはどうでしょうか?

あるいは、大銀座落語祭のように、上野や谷中界隈の複数の会場で、落語会を一週間ぐらいやるとか。鈴本や広小路亭や黒門亭や本牧亭などにも参加してもらえば、一大イベントになると思います。

千駄木駅から全生庵

200908091337000 朝まつりに向かうために下車した地下鉄千代田線千駄駅上(前)の交差点。

信号を待っていると、隣に並んだ人を見てびっくり。桂南喬師匠ではありませんか。

ピンク系のシャツに黒い革のバッグを持った姿は、とても噺家さんのようには見えません。

200908091339000「師匠を聴くために、この蒸し暑い中を来たんですよ。」と心で叫びながら、信号を渡りました。

三崎(さんさき)坂を上り始めると、前方に、落語協会オリジナル地の浴衣を来た女性の後ろ姿。この人も全生庵に向かうのでしょうか。

全生庵に近づくと、浴衣を着た人も増え、帰途につく人々ともすれ違い、何となく気分が高揚して来ます。

とても蒸し暑いですが、直射日光はなく、例年に比べれば過ごしやすいかもしれません。

2009年8月 8日 (土)

孝行糖

バカな夫を持った健気な妻・悲劇のヒロインから一転、一蓮托生のアホ夫婦・極悪人に堕ちた女優Sの失踪が報道された時、「親孝行」・「子孝行」の話題になりましたが、春風亭正朝師匠の「落語一日一話」では、今日8月8日の噺が「孝行糖」になっています。(ネタがないので他人様の本を参考にしようという・・・。)

Kinba この噺、落語国のヒーローである与太郎が活躍する噺で、落研同期の多趣味亭こり生くんの初ネタです。こり生くんは、稽古と慰問を兼ねて行った老人ホームで「孝行糖」でご機嫌を伺ったのですが、客席にいたお爺さんから「その噺知ってるぞ、孝行糖だろぅ!」と声をかけられて、「えぇ、そうなんです。、よくご存じで。」とヨイショして、満場の笑いを誘いました。

同期の演った噺というのは、稽古の時も含めると何度も聴くことになりますから、"門前の小僧"で、かなり覚えてしまうものです。

「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は・・・、また売れた、嬉しいな。」・・なんて、こり生くんが演っている舞台の袖で口ずさんでいたものです。確か、先代の金馬師匠のネタでした。「こうこうとぅ~、こうこうとぉ~。」

8月8日は、ハハとパパの語呂合わせで、「親孝行の日」になったのだとか。パチパチで「ソロバンの日」、ハハで「笑いの日」。何でもありですよ。

与太郎さんが親孝行のご褒美にお上から貰った五貫文。要するに5,000文(もん)。今ならだいたい50,000円ぐらい・・・だという?

朗読会

落語っ子連のまど深(まどみ)さんは、朗読もやっています。

先日の合同稽古会の後の師匠のブログでのコメントにも・・・、

200908081438000落語っ子連・三流亭まど深[転失気]。お手の物、という落ち着いた口調は、普段、朗読の勉強をしているせいだろう。

・・とあります。

このまど深さん出演の「ぶれさんぽうず夏の会」が、今日と明日で3公演。

 日  時;    8月8日  18時開演(17時30分開場)
             9日  13時開演(12時30分開場)
                  17時開演(16時30分開場)
 場  所;    しもきた空間リバテイ
 チケット:    2000円(全席自由)
 演  目;      「厩火事」「
好色五人女」「破産」
 出  演;    内藤和美・内田美穂・斉藤由織ほか
 

とても興味があり、聴きにいくつもりでいたのですが、ちょっと都合が悪く、行くことができなくなりました。

m(_ _)m まど深さんには、お詫びのメールを送りましたが、もう出かけた後だったかもしれません。

ちょっとやってみたい気もしますが、私には極めなければならない?「落語」がありますからね。

堀井憲一郎の「落語論」

M0381723301 堀井憲一郎さんが、ごく短期間で書き下ろした著書「落語論・寄席で見つけた落語の真髄!」。

「落語論」は数々あれど、結局各自の「思い」のまとめのようなもので、「論」にはならないものも多いですが・・・。

でも、たかが落語・されど落語、面白かったり、ためになったり、癒されたり・・、それでいいじゃないですか。理屈抜きに。

【落語とは、集団共有幻想遊戯の道具である。】だそうで。

そんなことどうだっていいと思うのですがねぇ・・・。

灘の酒・・(ノ_-。)

(ρ_;) ・・・やはり悔しい・・・。先日の「子ほめ」。師匠はじめ「ご愛嬌」と言ってくださいますが・・・悔しい。

八:「ご隠居さんの所に"ただの酒"があるって聞きましたから・・・」

隠:「酒はあるがな、"ただの酒"じゃない"灘の酒"だよ。」

ご隠居さんが、「私のところにあるのは"ただの酒"だ。」と言ったらダメでしょ。・・・見事に?言ってしまいました。

「前回の発表会でもしくじっているから、今回は絶対に失敗しないように」と、万全の?気持で臨んだのに・・・・。

Rimg00084u確かに、確かに、この言い間違いがあったおかげで、客席から笑いが出て軟らかくなり、その後の受けにはプラスになった、だからご愛嬌だということですが・・、かなり受けましたが、それでは100%本質の笑いではありませんから・・。

ただ、今回の高座で心掛けた、登場人物の区別と全体のメリハリとリズムは、ある程度出せたのかなと思っています。

「調子がいい落語は、聴いていて心地よいから眠くなる」と師匠。そして「眠くなった」ということですから、全体の流れはスムーズだったのでしょうが・・・。   それにしても悔しい・・・。

2009年8月 7日 (金)

師匠のコメント

Maiku 師匠のブログ「圓窓の年月日輪」に、昨日の「同窓っ子連合稽古会」のそれぞれの高座のコメントがありました

私に対するコメントは以下のとおりです。

落語っ子連・三流亭流三[子褒め]。「灘」と「ただ」が混乱したのはご愛嬌。
プロの落語家もよくやる。だから、彼も一人前。(笑)

・・・・・。間違いやドジだけは「一人前」。・・・・やはりトホホです。

まっぴらごめんねぇ

01_s_o このブログでも、他のブログやHPへのリンクを表示することにしました。

「まっぴらごめんねぇ」というテーマにして、師匠のHPやブログ、落語っ子連のメンバー関連のものなどをリンクさせて行こうと思います。

8月29日の横浜赤レンガ倉庫での「三遊亭圓窓による"落語の授業"」へもリンクしました。

バナーのやり方はわからないので、以下に添付しましたが、開けられるでしょうか?

http://hamaraku.info/index.php?plugin=attach&pcmd=open&file=ensou_banner_v2.gif&refer=%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF

昨日の写真

Rimg0008 落語っ子連のびす太さんが、昨日の高座の写真を送ってくれました。

まことにありがたいのですが、被写体が情けない・怖い・硬い表情なのが・・・です。トホホ・・・。

町内のお祭り

200908071420000 霞が関ビル方面に向かって進む神輿。
こんな都会の真ん中でも、町(内)会のお祭りがあるのです。
このあたりは、旧町名を琴平町というそうで。
金刀比羅さん(琴平神社)があるからでしょうが、このお祭りは、この神社のものではないそうです。
それにしても、様々なお祭りを見て、"さらし"を巻いて"はっぴ"を身に付け、"白足袋"に"雪駄"履きに"はちまき"を締めている人たちは、普段は何をしている何者さんなのでしょうか?
200908071408000今の時代ですから、また体つきや今一つマッチしていにい着こなしから見て、鳶職や職人さんではないことは容易に想像出来るのですが。
あの方々は、お祭りの"いわれ"などを知って、太鼓を叩いたり、神輿を担いだりしているのでしょうか?
若い女性などは、一種のファッションだと思っているのではないでしょうか?
・・それでもいいのでしょうね・・。

親と子

そりゃぁ、他人にはわからない事情はあるでしょうが、親と子、一番悲しい「不孝」というのがあると思うのです。

それは、親より先に死ぬ「親不孝("逆縁"というやつ)」と、親の都合とやらで子を手放してしまう「子不孝」。

のりピーの子供が友人に預けられていて、無事保護され、ひと安心したところですが、もし彼女が悲劇的な行動などをしていたら・・、「子不孝極まる」ことになってしまいます。

落語国の人々は、馬鹿なことや放蕩もすれば、浪費や酒博打にも溺れますが、決して死なない・殺さない・離れない。
悲しい境遇も、それを受け止めて、一生懸命生きています。

馬鹿な男を選んだのは自分で、子供に何の罪はない。
そんな馬鹿な男でも、子供にとってはかけがえのない、この世でたった一人の血を分けた父親・・。
罪のない子供を、決して悲しませてはいけませんよ。

・・とか何とか言っていたら、のりピーも逮捕状なのだそうで、「子不孝ここに極まれり」ですね。
また、罪のない不幸な子供が出来てしまいました

2009年8月 6日 (木)

同窓っ子連合稽古会②

02_3 同窓っ子連合稽古会には仕事を休んで参加しました。

実は、仕事の上でも、突発的なやや微妙な局面にあり、前日まで非常に悩みましたが、仕事と同様に「落語」も大切なものですから、上司に「義理を欠くことが出来ない」と説明。お願いをしてみました。

快く了承してくださいました。感謝です。

あぁ、それなのにそれなのに、またドジを踏んでしまうという情けなさ・・。

Ensoila でも、私の噺(高座)に対する師匠のコメントは・・・・、「流三さんは、とても調子(リズム・流れ)がいい。プロでもそうだが、こういう(上手い)落語を聴いていると、気持ちが良くなってだんだん眠たくなって来るものだ。"子ほめ"も眠くなって来たなと思ったら、"ただの酒"と"灘の酒"の言い違いがあって、一旦目が覚めた。でも、後半もまた眠くなって来た。」と・・・。

まだまだです。もっともっとメリハリをつけ、流暢な噺をしないと。

特に、「子ほめ」のような噺は、全体の流れやリズムをしっかり組み立てておかないといけません。・・深いです・・。難しいです。

P2010386 稽古会が終わった後で、落語っ子連の商人さんから、「大学を卒業する時、プロになろうとは思わなかったのですか?」という質問をされました。勿論「そんなことは露とも思ったことはない。」と答えました。・・・でも、なんだかとても嬉しく思いました。

ただ、偶然話をすることができた柳亭左楽(当時桂文平)師匠から、「アマチュアなら、大きな噺にチャレンジしなさい。」というアドバイスを胸に秘めて、随分落研の中で生意気を言っていたものでした。

同窓っ子連合稽古会①

200908061855000 とにかく驚きました。
歯医者さんていうのは、お金があるものだと実感しました。

圓窓師匠が指導されている素人落語5グループをまとめて「同窓っ子連合」と称しています。今日はその合同稽古会(発表会)です。
会場は、その稽古場の一つでもある千一亭は矯正歯科医の本当さんが席亭です。

http://www8.plala.or.jp/y-kyosei/senichi/_userdata/chirashi_2009_8_6-4.pdf

◇ 首屋        紅巣亭浪市       語りっ子連
◇ 町内の若い衆  有難亭七福     噺っ子連
◇ 孫の唄      N文亭春松    笑いっ子連
◇ お見立て     N文亭八
      笑いっ子連
◇ 転失気             三流亭まど深   落語っ子連
◇ 子ほめ           三流亭流三   落語っ子連
◇ 替わり目          千一亭本当     落ちっ子連
◆ たがや             三遊亭圓窓

200907121743000 さて、流三の"子ほめ"、「またドジをふんじまった・・!」という出来でした。
前回の発表会でも言い違ってしまった場所で、また同じしくじり。トホホ・・(;´д`)。
「ただの酒」と「灘の酒」を逆さまに言ってしまうというミス・・。

無弦さんは、「ご愛嬌、ご愛嬌。これで随分笑いが取りやすくなった。」と慰めてくださいましたが・・・・。まだまだ稽古が足りません・・・。

今日の私の噺(高座)に対する師匠のコメントについては、反省とともに別稿で触れることにしたいと思います。

それにしても、様々な世代、色々な人生が、落語という共通のものの元に集うというのは、大変面白いものです。

ところで、私が、某駅弁大学の落研出身だと師匠が紹介してくださったのですが、孫がこの大学にチャレンジしているという方から握手を求められたり、息子さんが在学中だというお母さんからご挨拶いただいたり、あの駅弁大学とのさまざまなご縁もあるものです。

えっ?大原麗子さんが?

帰宅途中の電車の中で受けた携帯のニュース配信。

あの美人女優の大原麗子さんが・・・? (ノ_-。)

2009080600000982yomentthum000 最近お見かけすることが少なくなっていましたが、確か難病と闘っているという話を聞いたことがありました・・・。

ニュースによると、大原さんの弟が大原さんと連絡が取れないことから同日、警察署を訪れ、午後7時頃、署員とともに、大原さんの自宅に行ったところ、2階寝室のベッドで大原さんがあおむけの状態で死亡しているのが見つかったそうです。遺体の状況から、死後2週間以上が経過しているとみられ、同署では病死の可能性が高いとみている、とのこと。

あの華やかな姿を知るだけに、悲しすぎる最後だと思います。

もう時効でしょうから・・・。細やかな告白を。
もう25年以上前、私が勤めていた某銀行の都内某支店に、大原さんが来店したことがありました。契約している貸金庫に来たようです。当時、貸金庫を開けるには、専用の用紙に自署捺印が必要でしたから、大原さんが帰った後、大原さんが記入した書類を見に行きました。それほど達筆ではなかった気はしますが、「あぁ、これが人気タレントの字か」と勝手に思った記憶があります。その時の容姿は・・、勿論とても綺麗でした。

"のりピー"の行方

酒井法子(のりピー)の行方が分からなくなって数日。

Soumon 何と、私の郷里の隣町「山梨県南巨摩郡身延町」周辺に行っていたと、携帯電話の微弱電波によって判明したとのこと・・。

日蓮宗総本山「身延山久遠寺」のお膝元です。

Bodaitei人は、傷ついた心を癒したりする時は、こういう神々しい場所に行くものなのでしょうか。

山の中のお寺や神社、森や海岸・・・。何かに頼り、身を任せたくなる場所なのかもしれません。

そんなセンチメンタルな状態ではないか・・・・。

それに、遠い親類がいるなど、山梨県というのは、全く繋がりのない場所でもなさそうです・・・。

Nichirenそれにしても、お寺以外に何もない山の中の町に、突然降って湧いたような事件(出来事)で、さぞや驚いていることでしょう。

祖師日蓮上人が見守ってくれているでしょうか。

2009年8月 5日 (水)

三遊亭窓輝さんから

2006_10_221 圓窓師匠の三男の三遊亭窓輝さんから手紙が届きました。

8月29日・池袋演芸場での「三遊亭窓輝の会」の案内です。

来春の真打昇進を控えて、力の入る落語会になるでしょう。

捜索願い?

女優のSが、夫が覚醒剤取締法違反で逮捕された直後から、全く連絡が取れなくなっているそうです。子供を連れて行方不明になってしまったのでしょう。
別居中だったそうですが、それでも夫が逮捕されたというのは大ショックでしょう。
家庭内の事情も色々あるのでしょうが、もうアラフォーなのだから・・、とも思います。
せめて近しい人一人だけでも、居場所や消息を伝えておけば・・。
そんな気の置けない人もいない?追い込まれている?のでしょうか・・。
まさか、自身の芸能界でのパフォーマンスの一つなら、何をか言わんですが。
無事にいてくれると良いのですが・・。

家出人捜索願いは、親族でないと受理して貰えないそうです。

同じ日に夫が逮捕されたYもそうですが、人を見る目はなかったようですね。
そして、最大の被害者は、馬鹿な親を持ち、故に人の道の教育が受けられない子供でしょう。

柳家三三独演会・秋の案内

200908042127000柳家三三独演会・秋」の案内葉書。

10月10日(土)午後7時30分より、練馬文化センターにて。

行けないだろうなぁ・・・・。まだ随分先の話で。

同窓っ子連合稽古会

「同窓っ子連合」なんて、物凄い名前ですが、圓窓師匠が指導している素人落語グループの合同稽古会のことです。

千一亭本当さんという、歯医者さんだそうですが、ご丁寧に作ってくださったチラシの口上には、以下のように紹介されています。

P1490854三遊亭圓窓師匠が指導している
社会人の落語の稽古会は五つあります。
それをまとめて「同窓っ子連合」と称します。
メンバーは真面目に楽しく、
落語を稽古、勉強しています。
  その稽古場の一つに、千一亭が選ばれました。
  その披露目を兼ねて、また花火見物も兼ねて、
  連合の稽古会を催します。

  話芸の上達振りを是非お聞きください

私は、落語っ子連の代表として「子ほめ」を演ることになっていますが、ほとんど稽古が出来ていません・・・・。ぶっつけ本番です・・。

明日です・・・・・。

http://www8.plala.or.jp/y-kyosei/senichi/_userdata/chirashi_2009_8_6-4.pdf

2009年8月 4日 (火)

先輩からのメール

落研の先輩である但馬家渋珍師匠から、大変ご丁寧なメールを頂戴しました。

その中で、「最近、落研OBのMLに投稿が減っているぞ・・」という、厳しい?ご指摘。

確かに、ここのところ、このブログに偏り、少しサボっていました。反省・・反省・・・。

200907101808000 渋珍師匠とお仲間の今月の落語鑑賞の例会は、「鈴本演芸場・中席」なのだとか・・・。

さすがに渋い選択です。

私も、この鈴本の中席の芝居に行く予定です。

ご近所の仲間?

私の車は(また車の話題?)マイナーなメーカーのマイナーなモデルですから、街角で見る機会はあまりありません。ういう意味では、稀少性はあると言えるのかもしれません。

200908021226000とはいえ、ご近所に、モデルは違え同じメーカーの車が2台あります。

← 一番上の車の家は、これのほかにプジョーとベンツがガレージに置いてあります。それぞれは、大型の最高級グレードではありませんが、豪華なものです。

200908021224000

← 二番目の家の黒いワゴンタイプの車は、以前は同じメーカーの前モデルでしたから、メーカーをご贔屓にしているのでしょう。

同じメーカーの車を乗り継いで行くのは、安心感があるものです。

200907261257000私も前の車は、同じメーカーでしたから、このメーカーのファンなのかもしれません。

ディーラーの営業マンは、当然どこの家が自社の車のオーナーなのかはしっかり把握しているようです。。

浜野矩随・・・・

200908042125000 今月21日の「三遊亭鳳楽独演会」の出し物は、「質屋倉」と「浜野矩随」。

せっかく「浜野・・」がかかるのに、都合が悪くて行けそうにありません・・・・。

何とかならないかなぁ・・・・。

2009年8月 3日 (月)

息子との会話

200908040621000 帰宅してから、大学生の息子に頼まれて、車に慣れるためのドライブに同乗、首都高を一回りしてみました。
なかなか二人だけで話す機会もありませんから、とても嬉しい、貴重な時間でした。
おかげさまで、親父は煙たかろうとは思いますが、話せば会話をしてくれ、200907232210000 親バカながら、それなりの考えを持っているようです。
その素直さというか真面目さというのが、逆に心配ではありますが、まあ何とかしてくれるでしょう。
車の中で、彼の祖父(私の父)の話をしました。縦に繋がって行くことの大切さを、是非理解して欲しかったので。
200907232212000単なる"おじいちゃん"という存在でなく、人としてどんな人か、私が何を学び、それを彼にどう伝えて行くか、もう理解してくれるでしょう。
新しい"家族"のおかげで、息子と二人でとても幸せな時間でした。セガレは"うざったく"思ったかもしれませんが。

落語CD昭和の名人≪16≫

200908022251000 この夏からは、三遊亭圓生師匠の番です。

いろいろ言われる部分はありますが、最も正統な、本格派の噺家さん、文字通り昭和の名人だと思います。

過去の栄光(だと勝手に思い込んでいる私)を語る訳ではありませんが、今から31年前に、「子ほめ」で、前座(開口一番)を務めたのです。

P1000182 今秋、落語研究会のDVDが発売されます。

上下巻合わせると、10万円近くになるというものですが、昭和の落語バイブルのトップの話題は、とても楽しいものです。

2009年8月 2日 (日)

馬津郷寄席

200908022247001春風亭一之輔独演会「馬津郷(まつど)寄席」の第11回目。

すっかり観客が定着して来たようです。

◆ 出来心    春風亭朝呂久  

◆ 化け物使い    春風亭一之輔

◆ 手水廻し      桂佐ん吉

◆ らくだ        春風亭一之輔

二つ目の中でも売れっ子の部類に入る一之輔さんですが、もうひとつ何かが欲しいと思うのですが・・・・。

若さかな? リズムかな?それとも・・・・?

最後のお楽しみ抽選会で、今日の出演者のサイン入りミニ団扇が当たりました。

柳家さん喬スペシャル独演会

Relayi 江戸東京博物館の大ホールで、「写楽 幻の肉筆画展開催記念"柳家さん喬スペシャル独演会"~落語と忠臣蔵 粋な道行き」です。

◆ 権助芝居  柳家喬之進

◆ 芝居風呂  柳家さん喬

◆ 七段目    柳家さん喬

◆ 中村仲蔵  柳家さん喬

江戸東京博物館のホールの椅子の座り心地は、なかなか良いですね。

200908021336000

大変残念なのは、かなり疲労がたまっていたこともあり、うつらうつらしてしまいました。

さん喬師匠プロデュースということで、かなり力が入っていましたが、噺の出来は・・・・、まぁあんなものでしょうか・・・。

200812071138000nそれにしても、いつも丁寧な高座、メリハリのある声には感心してしまいます。

回向院

200908021318000_2 日曜日の昼下がりの両国。今は本場所は開かれていませんが、ちょんまげで浴衣姿の若いお相撲さんが、自転車に乗って通り過ぎたりして、下町らしい雰囲気です。 

昔から「向こう両国」と言われて賑わっている場所です。久しぶりに回向院に寄ってみました。

様々な人たちの慰霊の碑や墓石が並んでいます。天災や戦争で非業の死をとげた多くの人たち・・・・。

江戸・東京の悲劇の歴史の跡でもあります。

200908021321000 ユニークなところでは、「鼠小僧次郎吉」の墓と「猫塚」が並んでいるところ。

義賊と言われた鼠小僧。「猫の恩返し」を由来とする猫塚。

人の世で、あるべきものは、やはり温かい心と情なのでしょうか・・・。

2009年8月 1日 (土)

長い1週間

先週は連休明けで、4日でしたが、今週は土曜日まで6日働くことになり、疲労困憊でした。
週休2日のリズムに慣れきった体には、6日間はしんどいです。("甘ったれるんじゃねえ!"と言われそう・・。)
最後の土曜日
は、急用が出来て、夕方から福島県方面に出かけて駆け足で戻ったら、10時近くになっていました。
日曜日は、ずっと寝ていたい気分ですが、床屋にも行きたいし、落語会のチケットも買ってあるし・・。

落語百選≪22≫

200908020912000 先代の橘家圓蔵師匠というのは、最初は柳家の名前で、その後は八代目桂文楽師匠門下ですが、考えてみると、橘家圓蔵という名前は三遊亭のもので、六代目の三遊亭圓生師匠の前名でもあります。

三遊亭圓朝門下の高弟である圓喬は、「三遊亭圓喬」から名人「橘家圓喬」になっていますから、三遊亭の名跡です。

収録のDVDの橘家圓太郎さんは、小朝さんの弟子ですから、春風亭。さらに遡れば林家正蔵ですから、噺家さんの名前は、流派・門跡というのは、あまり厳密ではないのですね。

  ◇ くっしゃみ講釈   桂宗助

  ◇ へっつい幽霊   橘家圓太郎

冷夏?

200pxvegetables 異常気象と言うのか、おかしな天候が続きます。

酷暑が続くかと思えば、梅雨明けもしていない地方もあり、日照時間が足りずに、野菜などに被害が出ているそうです。
何でも、ジャガイモやニンジンなどが不作で品薄になり、値段も高騰しているようで。

Gentei_0906chicken_yasai02 だから、カレーライスは高くなるかもしれません。
ジャガイモやニンジンが高くなり、カレーライスにも"サーチャージ"が付くようになるかもしれません。
「カレーライスにサーチャージ」は当たり前ですよ。だってカレーには、"(ーチャー)"は付き物ですから・・

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »