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2009年6月 8日 (月)

落語と観客と演者

200906061815000昨日の江戸崎での「有難亭(ありがてい)一門会」で、メンバーの皆さんの一途な素晴らしい噺を聴いて、そして何ともいえない雰囲気の観客席に座っていて、いろいろ感じるところがありました。

幼少の頃から落語に触れていた人も、全く落語のことを知らない人でも、落語・噺の捉え方こそ違え、何かを受け入れているものだと思います。

一昨日の観客は、恐らくほとんどの人が、生の落語などはあまり聴いたことのない人たちだと思います。そして、この方々が求めているのは、落語の巧拙ではなく、自分たちの生活と全く別の世界とを比較して、双方の共通点に安心しながら、さらに未知の世界の擬似体験を期待している感じがするのです。

笑い方、笑いのタイミング、受ける場所、ストーリーや台詞や仕草などから演者に対して向ける独り言・・・・、冷静に聴いている東京での落語会などの反応とは全く異質のものなのです。

とはいえ、寄席などでも、東京見物の一環で来場する地方の方々もいるはずなのですが、かなり"よそいき"で抑えられている気がします。(そんな方々ですら、寄席の聴き方を知らないセコい客だと思うことも、正直言ってありますよ。)

200906062026000 ・・でも、ちょっと待てよ。あの方々こそが、もしかするとオリジナルな寄席の観客なのではないか・・・? 現実と空想の間を行きつ戻りつしながら、屈託なく笑う姿。圓窓師匠も、これに感じているのではないかと・・・。そんなことを考えてしまいました。

だから、落語を演るときも、あまり形やテクニックに走るのではなく、もっと大きく構えて、受け容れられやすく、それぞれの料簡にならないといけないのですね。

それが、この間の稽古で師匠から言われた「台詞の最後までその人(の料簡)でいること」なのですかね。それでないと、このオリジナルな観客の琴線に触れることができないのかもしれません。・・深い・・・。

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