動く文楽師匠
桂文楽師匠のDVDを視聴していて、明治生まれの昭和の噺家さんと、昭和生まれの平成の噺家さんとの違いに気がつきます。時代背景や属人的な要因などもありますが、面白い点がいくつかあります。
まずは仕草。高座に上がる時のしなやかさと"品"は、現在の噺家さんは誰も真似できないでしょう。高座に向かってしずしずと歩く姿が何とも言えません。ただし、お辞儀の仕方などは、指をそろえたりしている訳ではなく、特別ビシッとしてはいません。扇子と手拭いの持ち方や置き方も、それほど気を使っているようには思えません。むしろ、扇子を前に丁寧に置いてから深々とお辞儀をする、林家正蔵さんや隅田川馬石さんの方がきっちりしています。
次は表情。高齢になってからの映像だからかもしれませんが、表情は現在の噺家さんの方が明るく、多彩だと思います。
そしてリズムやテンポ。やはり年齢や時代もあり、全体的にゆっくりした感じです。安定感のある太くて力強い流れに乗って噺が進んで行く感じがします。これは過去・現在ではなく、芸の年輪でしょうか。
文楽師匠は、手拭い(時には白いハンカチ)と扇子を無造作に前に置いて、やや指を開き気味にして、手は揃えず肩幅ぐらいに手をついてお辞儀をします。お辞儀の後は、右側の湯呑みの位置を整えながら、「ようこそのお運びでございまして・・・、間へ挟まりまして・・・申し上げることにいたします」と定番のご挨拶。扇子を広げたり閉じたり、パチンと音を鳴らしたりしながら噺を進めて行きます。現在の噺家さんは、あまりやらない気がします。
吉田茂元首相などに呼ばれてお座敷で落語を演ることの多い時代、寄席のキャパシティもそれほど大きくない時代、マイクなどを使う機会が少ない時代・・・・。近景で聴く落語と遠景で見る落語の違いなのかもしれません。
そんなシチュエーションの違いが、人物描写や仕草などリアリズムの表現の違いになって来るのでしょう。
・・・しかし、何やかや言いますが、私にとっては、文楽師匠や圓生師匠というのは、ちょうど"おじいちゃん"の世代で、"おじいちゃん子"で育った私には、理屈抜きに郷愁を感じる気がするのです。
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