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2009年5月

2009年5月31日 (日)

皐月(五月)の落語徘徊

200905201454000 今月皐月の寄席落語会の徘徊は、残念ながら"低調"でした。それでも寄席落語会はからくも10回を維持・・。

環境が大きく変わったために平日の時間が読めなかったり、私自身か疲れて萎えた日もありましたので。

今月は、独演会や一門会、落語っ子連の聞かせ稽古などで、圓窓師匠の噺を聴く機会が多かったのと、鈴本の中席に2度行ったことが特徴でしょうか。また、「朝日名人会」と「市馬落語集・上巻」に行くことができなかったのがとても残念です。

◇  2日  柳家さん喬独演会(さん喬~三枚起請・立ち切れ線香)

◇  9日  三遊亭圓窓独演会(圓窓~猫定・甲府ぃ)

◇ 15日  東京落語会(喬太郎~粗忽の使者、鳳楽~蒟蒻問答)

◇ 16日  鈴本中席(志ん橋~野ざらし、喜多八~小言念仏)

◇ 19日  月例三三独演(三三~芋俵・突き落とし・不孝者)

◇ 20日  鈴本中席(志ん橋~鮑のし、喜多八~鋳掛屋)

◇ 21日  三遊亭圓窓一門会(圓窓~救いの腕、萬窓~文違い)

◇ 24日  落語っ子連稽古会(圓窓~小言念仏・替わり目)

◇ 26日  市馬落語集・下巻(市馬~文七元結・七段目)

◇ 31日  林家三平襲名落語会(小朝、たい平、正蔵、三平)

0127souki02 そういえば、今月は"常連"の、権太楼師匠と志ん輔師匠を聴くことができなかった気がします。やっぱり、全体として何となく"達成感"がないのは、ドタキャンや私自身の疲労のほか、このあたりも原因かもしれません。

でも、志ん橋師匠の鈴本のトリは良かったし、圓窓師匠の長講も勿論、トドメは林家三平襲名披露と、バラエティに富んではいました。

それから、三遊亭窓輝さんと柳家三之助さんらの来春真打昇進が決まったのも朗報でした。一方で、三遊亭生之助師匠の訃報もありました・・。

林家三平襲名披露落語会

200905311250000 松戸市が誇る「森のホール21」で、"夢空間"主催の「二代林家三平襲名披露特選落語名人会」。
今にも雨が降って来そうな天気の中、自宅から歩いて会場に向かいました。

 ◆ 巷談(忘れ物)          林家種平
             ◆ 粗忽の釘            林家たい平
             ◆ 宗論               春風亭小朝
200905311914000      (林家三平襲名披露口上)
 ◆ 味噌豆              林家正蔵
 ◆ 紀州                林家三平

なんだかんだと言っても、林家でなく海老名家というのは、基本的に好意的に見られる一族のようで、七光り・財力でなどと言われながらも、世間からそれなりに認知されています。この一家には、思わず応援したくなってしまう"何か"があるのです。これが初代三平師匠の人柄・業績なのでしょうか。今日の落語会でも、高座の後ろの幕は、「石原プロモーション(渡哲也・舘ひろし・神田正輝)」・「貴乃花光司」「市川團十郎」という、一人でも物凄いものばかりでした。

200905311304000 落語界にとっても、こういう稼げる存在も必要だと思います。

落語の噺をじっくり聴くという性格の落語会ではありませんでしたから、演目云々はともかく、爆笑の連続で、観客は満足していたものと思います。

私は、以前から思っているとおり、先代をあまり意識しないで、オリジナルな三平を作り上げてもらいたいと祈るだけです。

定額給付金

200905311009000 私が住んでいる松戸市から、「定額給付金振り込み完了のお知らせ」が届きました。

あぁ、そう言えば、麻生さんが受け取るとか受け取らないとか大騒ぎしていた・・、あのよく分からないお金がありましたっけ。

世帯単位で給付するために、複雑な関係・状況になっている方々には、大変ややこしい場面もあった(ある)ようですが、我が家はとりあえず4人。

早速確認してみると、5月22日に振り込まれていました。

4人分で48,000円也。我が家の"大蔵大臣"の家内の方針は、家族一人一人に12,000円ずつ現金で渡すとのこと。

私は、そんなにお金に色をつけて使うほどの金額でもないと思いますが、まぁ、強いて言えば、やはり「落語徘徊資金」ですね。落語会3~4回分になりますか。

それにしても、この通知でも注意喚起がされていますが、相変わらず「振り込め詐欺」が頻発しているようです。お互いに気をつけましょう。

プチ大銀座落語祭?

Ph5011 銀座の山野楽器店が、昨年までの「大銀座落語祭」の向うを張って、プチ版の「銀座山野亭落語会」を主催するそうで、内容が分かりました。

ちょいと覗いてみようと思います。

それにしても、白鳥さんと丈二さんが、圓朝直系とは・・・   ・・・確かに系図を伝って行けば・・・。洒落ということで納得しようと思います。

第二回 銀座山野亭落語会 プログラム

7/18(土)

第一部 12:00~
「白鳥・丈ニ二人会-圓朝直系兄弟会-」
第二部 14:45~
「扇遊・菊之丞二人会-良い男二人会-」
第三部 17:30~

「笑福亭たま独演会 ゲスト:三遊亭円丈」

7/19(日)

第一部 12:00~
「喜多八・喬太郎二人会-五代目小さんの孫弟子の会-」
第二部 14:45~
「鈴々舎馬桜夏の独演会-池袋から銀座に進出- ゲスト:笑福亭たま」
第三部 17:30~
「馬桜・圓十郎・玉の輔 夏の噺特集」

7/20(月・祝)

第一部 12:00~
「馬生・市馬二人会-馬派のふたり-」
第二部 14:45~
「雲助・白酒親子会-本格派の親子会-」
第三部 17:30~
「一朝・柳朝・一之輔親子会-フィナーレは賑やかに-」

個人的には、青字の落語会が要チェックだと思っています。

善光寺のご開帳

Top_title 落語の「阿弥陀池」や「お血脈」に、長野の善光寺さんが出て来ます。その善光寺では、今まさに(今日まで)、7年に一度の「ご開帳」が行われています。

「よちみち、よちみち・・・」~昔、天竺の月蓋長者は、それまでの不信心を改心し、深く仏教に帰依。釈尊と阿弥陀如来は竜宮の閻浮檀金によって阿弥陀如来と寸分違わぬ姿の一光三尊阿弥陀如来を作りました。長者が亡くなった後、この如来は百済に渡り、さらに仏教伝来とともに聖明王 より日本に献じられ、いったんは宮中に迎えられましたが、仏教を日本に受け入れるか否かの争いの中、如来は物部氏によって難波の堀江に捨てられてしまわれます。ある時、信濃の住人本田善光が堀江を通りかかると、如来に呼び止められます。「おまえは天竺の月蓋長者、百済の聖明王の生まれ変わりである」。すべてを悟った善光は如来を背負って故郷へ持ち帰り、自宅に手厚くお祀りしたのが善光寺の始まりだということ。・・要するに"よしみつさん"のお寺なのですな。

529zenZ3 「ご開帳」~前立本尊は、ひとつの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、善光寺独特の一光三尊阿弥陀如来のお姿。普段は御宝庫に安置されていますが、七年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことが叶います。
中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸にかわり、白い善の綱として、本堂前の回向柱に結ばれます。その回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じこと。・・ここにありがたい結縁が生まれるという訳で。

落研の先輩で方でも、地元に住んでいる狐狸亭粋狂師匠はもとより、今年は新潟(柏崎)の喰亭寝蔵師匠も、ご開帳を拝んで来られたそうです。

51beobgtzl__sl500_aa240_「喰亭寝蔵師匠」の善光寺参り~柏崎から約2時間(高速1,000円!)。日曜で好天でもあり超満員。回向柱に1時間半、前立本尊参拝に1時間、お戒壇めぐりに1時間、御印文頂戴に30分・・と、並びに並びました。が、善光寺の威厳・ありがたさ・・を感じてきました。これで私も極楽往生確定であります。(行く時期は少し先に延ばしてもらいますが・・。)・・・並ぶこと4時間ですか・・お疲れさまでした。

やはり何事もひたすら並ばないといけないのかも・・ましてや、あの「石川五右衛門」さえも、「お血脈」の力で極楽へ行ったという・・。それだけのご利益のあるものですから。

私も、10年近く前に、長野に出張した際にお参りしましたが、長野が門前町であることを実感しました。

三遊亭生之助師匠のこと

P1000407 先日ご逝去された三遊亭生之助師匠の生前の様子が、落語協会などからリリースされています。地味な存在の噺家でしたが、存在感のある師匠だったようでした。

落語協会のHPによると、圓生一門では「六ちゃん」と呼ばれ、前座のときのニックネームでつい最近まで呼ばれていたそうです。決して人をかきわけるようなことをしない性分で、噺家仲間からは絶大な信頼があったそうです。
「一眼国」、「がまの油」、「ねずみ穴」、「質屋庫」などをじっくりと語って本領を発揮し、現在の中堅真打から二ッ目に成りたての人まで、多くの後輩に稽古を付けてくれたとのこと。

同門の圓窓師匠は、ブログで生之助師匠のことを偲んでいます。「あたしは圓生(6)門下では6番目の弟子だった。 が、真打になったのは、圓楽さんのあとだった。つまり、一門の中の先輩を四人飛び越えて真打になった。あたしの人つきあいの下手なせいもあって、その4人とはギクシャクしっ放しだった。そんなとき、六ちゃんは後輩のあたしに「ごめんね。なんにもできなくて」と一言いってくれたことがあった。ジーンときたことを覚えている。」

そして、真打昇進が決まった柳家三之助さんも、ブログでコメントしています。「雨。今日は三遊亭生之助師匠の通夜に出かけよう。いい師匠だったな。いい人だったな。押しかけて教えていただいた「試し酒」はこれからも大切にしていこう。」

改めてご冥福をお祈りすることにします。

2009年5月30日 (土)

我々の方で、よく・・・

Img「我々の方で、よく~ぅ、○○なんてぇことを申し上げます。・・・・」

先代の金原亭馬生師匠が、背中を丸めながら静かに高座に座り、深々とお辞儀をした後の第一声。志ん生師匠に似た高めの声で、馬生ワールドが始まります。

噺家さんには、"決まり文句"のようなものがあり、それを聴くのも面白いものです。

4133qkw5kvl__sl500_aa240_j 「ようこそいっぱいのお運びでございまして、ありがたく御礼を申し上げます。間ぃ挟まりまして一席申し上げることにいたします。」は、言わずと知れた黒門町。

「かわるがわる色々な顔をご覧に入れまして、さぞお力落としもございましょうが・・・。」は、先代の雷門助六師匠。

「私の方は、お喋り専門でございます。」、これは三遊亭圓右師匠。

「あっ、どうぞお構いなく。」は、桂文治師匠。

「私は春風亭柳昇と申しまして、大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では・・・、私一人であります。」勿論、春風亭柳昇師匠ですよ。

先代の鈴々舎馬風師匠は、客席に向かって「よく来たな。」なんて言っていたそうですが、楽しかったでしょうね・・・。

人の噂も・・・

Tr2009051800259 新型インフルエンザで国が滅びるぐらいの騒ぎだったのは、つい1週間ぐらい前のことでしたが・・・・、「人の噂も75日」ならぬ「人の噂も7日」で、騒がれなくなりました。

幸いにも、感染者は出たものの、国内での大流行には至らず、症状も重くなかったようなので、とりあえず一段落ということなのでしょう。

今日も千葉県で1名感染者が出て、国内の感染者は365人になったそうです。

今となってみれば、何故修学旅行やイベントをやめたんだ、休校にしたんだなどという声が一層大きくなって来るでしょう・・・・。やれやれ。

2009年5月29日 (金)

挨拶状

Fumi 人知れずに消えようかと、安っぽい格好付けも考えましたが、長年お世話になった方ぐらいにはと、転職の挨拶状を出しました。

ちょうど、一昨日ぐらいにそれぞれのお手元に配達されたようで、昨日は電話やメールを何本も受けました。

驚きや励ましの声、「是非お祝いを」というお誘い・・・。

(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ ・・・・・ありがたいことです。

かつての部下で、一足先に別の世界で仕事をしているYMさんからも連絡があり、勤務先が近くだということで、ランチをご一緒しました。久しぶりとはいえ、とても元気な様子。「リーマンショックの時は大変でしたよ。」なんて・・・。部下のことは気になりますが、とりあえず安心しました。

同じ職場ではなかったものの、なぜか昔から親しくお付き合いしていたTYさん。私より少し早く転職していたようなのですが、最近お会いしていなかったので、ちょっと心配していたところ、私の挨拶状を見てくれたらしく、携帯にメールが入っていました。何と約10年前、会社からの特命で、私がリーダーで立ち上げた会社(会社の子会社)に転籍したそうで、これまた安心しました。

かつての上司のYKさん。どうやら新しい職場の上司(専務)とは大変親しい様子。私の挨拶状を見て、その専務に電話をかけて来て、私のあることないことを並べて・・・。おかげさまで、その後、専務が私を見る眼が変わった気がします。

東京かわら版

200905281939000 東京かわら版の6月号。

本号は特別に何というものはありませんが、相変わらず盛んに落語会が行われていることが嬉しいです。

新しい職場になって、まだ時間のパターンが分からないので、平日の落語会の前売券が買いづらい状態です。せいぜい寄席に通うことにしますか・・・。

林家こん平師匠

 林家こん平師匠がNHKのニュースに出ていました。

 「多発性硬化症」という難病と闘っている師匠が、27日に行われた多発性硬化症の啓発イベントに出席したという内容でした。

久しぶりに見る、動いている師匠の姿でした。

(*゚ー゚*) この難病を広く知ってもらうために実施されたイベントに、同じ病気を患う人たちの励みになるように「どんなことがあっても一生懸命やれば、これが一番いいと思います。私もやりますので、よろしくお願いします!」と、不自由ながらも力強く語っていました。 (o^-^o)

・・・往年のあの大きな声・勢いのある言葉を知る者としては、複雑な気持ちにもなりますが、リハビリを続け、高座復帰を目指しているのだそうで、心から応援したいと思います。

「ちゃら~ぁんを、是非もう一度聴きたいです。頑張れこん平師匠

2009年5月28日 (木)

「片棒」のDVD

200905272223000 昨日の「市馬落語集・下巻」の会場で、とうとう、市馬さんの「片棒」が収録されている、「ワザオギ落語会」のDVDを買いました。

さん喬師匠の「片棒」は、テアゴスティーニの「落語百選」の配本に付いていましたが、撮影映像のアングルが悪く、肝心な仕草が分かりづらい場所があるので。

「浜野矩随」のオチ

P1000182 「浜野矩随」のオチ・・・。

でもやっぱり、3本足は「牛」ではなく、元ネタどおりの「馬」で行こう・・・。根付(腰元彫り)に牛というのは、あまりイメージが良くないから。

Kuzuimonokakudaiキーワードは・・・・、

「名人に二代なし」か、

「怠らで行かば千里の果ても見ん 牛の歩みの よし遅くとも」か、

「名人は 上手の坂を ひと登り」か・・・。

このうちのいずれかを使おう・・・。

どうも思考が固まってしまって、良いアイディアが浮かびませんが、そのうちにピカッと閃くかもしれません。

最後に若狭屋と矩随の二人が、墓か仏壇を前にして、しみじみ語り合う場面を作って、軽い穏やかなオチをつけてみよう。

2009年5月27日 (水)

包丁一本・・の落語会

200708110921000j 昨日の日経新聞で、関西演芸協会が、大阪の法善寺で、6月から毎月第3月曜日の昼夜で「法善寺寄席」が開かれる、という記事を見つけました。

法善寺境内の庫裏にある20畳程度の座敷で、定員50人。

色々な場所で、様々な落語会が開かれる・・・。素晴らしいことです。

柳家三之助さんとのメール

Sannosuke_2来春の真打昇進が決まった「柳家三之助」さんに、簡単なお祝いのメールを送りました。

三之助さんらしく、お礼の返信がありました。

 三之助さま。待ちに待った真打昇進決定おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。実力・キャリアともに文句なしの昇進ですね。これからも明るく楽しい高座を続けてください。ますますのご活躍をお祈り申し上げます。

三之助です。早速お祝いのメールを頂きありがとうございます。これからもよろしくご贔屓ください。心からお願いいたします。

2009年5月26日 (火)

「市馬落語集・下巻」へ

200905261834001今日はどんなことがあっても!と、仕事もそこそこに日本橋劇場へ向かいました。

「ご愛顧30年 市馬落語集」の今日は下巻。

200905262004000 席は、行けなかった昨日と同じ「7列7番」とぞろ目のいい席。

何と言っても、昨日聴きに行った落研の先輩の蕪生師匠が絶賛していたので。しかも何と、「おせつ徳三郎(上・下)」と「片棒」を演ったというではありませんか悔しいッ

200905252323000_2_2    ◆ 金明竹     柳亭市也

   ◆ 文七元結    柳亭市馬

      ◆ 七段目     柳亭市馬

市馬さんの芸歴30周年を祝う独演会。昨日も、今日も、大変に意欲的な演目です。

ひとつは三遊亭の大きな人情噺、そしてもうひとつは柳家の十八番のお店噺。

「文七元結」は、市馬さんらしく無難にまとまってはいましたが、個人的には満足とまでは行かなかった気がします。野球なら、ストレートのスピードはあるが、球質が軽く伸びがない感じ。

それに引き換え、「七段目」は十八番中の十八番ですから、いつもの市馬さんだった気がします。

85歳だという白山雅一さんの昭和歌謡声帯模写は、改めて樂曲の素晴らしさを実感させてもらいました。

この落語会で、今年の寄席落語会徘徊が、ちょうど60回目になりました。

落研の先輩の渋珍師匠と、同窓のやお仲間も数名でご来場でした。

「子ほめ」のオチ

Cimg05581 「子ほめ」のオチの考察。

「ところで(赤ん坊の)お年はお幾つで?」       「生まれて7日目だよ。」
「あ〜ぁ、"初七日"かい?」
「"お七夜"ってんだよ! 生まれて7日目だから一つ(一歳)だよ!」
「一つ(一歳)にしちゃぁ、お若く見える!」
「おいおい、それじゃぁ幾つに見えるんだよ。」
「どう見ても"ただ"みたいだ。」
(「・・"半分"だ。」というパターンもあり。)

去年の発表会の時に師匠が、「生まれたら一歳と数える"数え年"は、今は使われていない(今は満年齢)から、このオチでは分からない。だから新しいオチを考えなさい。」と。

・・それならと、
「"お七夜"かぁ。生まれて7日目にしちゃぁ、お若く見えるな。」
「おいおい、お若く見えるって、どう見えるんだよぅ?」
「う〜ん、どう見ても"三日坊主"だ。」

7日より3日の方が4日も若いし、当時赤ん坊が生まれて祝うのは男の子ですから、"(3日)坊主"でも無理はなかろうという訳です。

「浜野矩随」のオチ

Noriyuki_1_en 落研の50周年記念の際にチャレンジしようと思っている「浜野矩随(はまののりゆき)」という人情噺。

落語っ子連の稽古の時に、前半部分を圓窓師匠に稽古をつけていただきましたが、師匠からは、講釈ネタでオチのないこの噺を、極力台詞と仕草で進めて行くこと、オチを考えること、という宿題を課せられました。

悲しいストーリーだけれども、凄惨にならないように、後味の悪さを残さないように・・・。

そこで考えたのが、前半の3本足の"馬"を"牛"に変え、最後の「怠らで 行かば千里の果ても見ん "牛"の歩みのよし遅くとも」というフレーズに繋げて、さらにオチに持って行こうかという・・・。

地口になってしまう、やや冗長になるかもしれない、そして師匠が仰る「テーマに響くオチ」かどうか・・・? まだまだ課題は多いですね。


落語CD昭和の名人≪11≫

200905252250000 落語界の長い歴史の中で、親子で名人と言われた稀有な例が、父志ん生・長男馬生・次男志ん朝の親子3人でしょう。

小学館の「落語CD昭和の名人」でも、この親子を挙げない訳にはいかないでしょう。

第11回配本は、「金原亭馬生」師匠です。

 ◇ 笠碁      金原亭馬生

 ◇ 天狗裁き   金原亭馬生

 ◇ そば清    金原亭馬生

私にとって初めて身近に見た噺家さんが、十代目金原亭馬生師匠でした。

Img 昭和50年11月。落研主催の落語会「金原亭馬生独演会」で。私は、緊張しながら高座返しを務めました。

当代の馬生師匠がまだ前座の頃で「小駒」さんと名乗っていました・・・。

昼夜2席で、「明烏」・「抜け雀」と「干物箱」・「柳田角之進」を演っていただきました。

2009年5月25日 (月)

「市馬落語集・上巻」玉砕

200905252323000_2夕方6時前、「今日は遅くなっても大丈夫なんだろ?」と、今日から仕事の引継ぎを始めた前任者に言われた瞬間、今日の「市馬落語集・上」が、脆くも崩れ去ってしまいました・・・。

帰りの電車では、せめて市馬さん噺をと、「蒟蒻問答」と「花筏」をウォークマンで聴きながら、気を紛らすことにしました。゚゚(´O`)°゚

トホホ・・・・、せめて明日の「市馬落語集・下」には、何としてでも行きたいのですが・・、研修明けの見習い奉公人には・・・。

落語の創作

Ennsousisyou03082 落語っ子連「ん組」のまど絵さんは作家です。どうやら、落語の創作にも意欲を燃やしているようです。

最近はよく、落語の台本を募集しているのを見かけるので、ちょいと調べてみました。

だいたい15~20分ぐらいの噺で、優秀(入賞)作品は、プロの噺家さんが高座にかけているようです。

■落語協会「落語台本・脚本」 15枚以内 最優秀賞50万円

■上方落語協会「上方落語台本」 15枚程度 大賞30万円ほか

■六人の会「全国落語台本コンクール」 大賞50万円ほか

■東京かわら版「夢丸新江戸噺し」 最優秀賞30万円

時を超えた"替わり目"

今から30~40年前頃の、日時・場所などが不明の「替わり目」のミニCDが、師匠の本の付録に付いていますが、改めて師匠にお聞きしたところ、当時ある企業内で毎月やっていた会でのものではないかとのことでした。

そして今日、まど絵さんへの聞かせ稽古で、何十年ぶりにやるという「替わり目」を、時間を超えて聴かせていただくことが出来ました。

いずれも、「そろそろお銚子の替わり目です」までじっくりと。

「落語百選」≪17≫

200905241856000 デアゴスティーニ「落語百選」≪17≫。今回の配本では、噺家列伝"初代三遊亭圓右"を興味深く読みました。

落語中興の祖"三遊亭圓朝"の右腕になれ、という気持ちが込められた"圓右"という名前に負けず、やはり圓朝門下の名人と言われた"橘家圓喬"との二枚看板が、師匠圓朝亡き後の明治~大正の落語界で一世を風靡したようです。

また、この人こそ、(幻の)"二代目三遊亭圓朝"を名乗った人です。

二代目を襲名した時は病床にあり、襲名直後に"二代目圓朝"として一度も高座に上がらないまま亡くなったということですから、文字通り「幻の圓朝」です。

仮に、今後圓朝を襲名する人が出て来たら、"三代目三遊亭圓朝"ということになるのでしょうね。

落語っ子連の稽古でも、浜野矩随の"名人に二代なし(あり)"が話題になりましたから、襲名する・継承するというのは、大変なことなのですね。、

2009年5月24日 (日)

弔事~三遊亭生之助師匠

27 三遊亭生之助師匠がご逝去されたそうです。圓窓師匠のブログで見て、落語協会HPで確認すると、訃報が載っていました。享年73歳。

2月の末廣亭での高座が最後ということですから、闘病されていたのでしょう。

派手な芸風ではありませんでしたが、とても上品でしなやかな高座をつとめていた気がします。

私が生之助師匠の最後の高座を聴かせていただいたのは、昨年9月27日の浅草演芸ホールでの「開帳の雪隠」でした。なかなか聴く機会のない珍しい噺を、淡々と語っていた姿を思い出します。

この2・3年の間に、圓生師匠門下、圓窓師匠の兄弟弟子の師匠方が相次いでお亡くなりになってしまいました。圓好師匠・圓弥師匠と生之助師匠と・・・。

 ■ 生之助師匠の略歴 ■

  昭和34年2月     6代目三遊亭圓生に入門  前座名は六生
  昭和37年5月     二ッ目昇進  生之助と改名
  昭和48年9月     真打昇進
  平成21年2月21日 末廣亭が寄席最後の高座

慶事~新真打決定

落語協会のHPで、新真打決定のお知らせがありました。

o(*^▽^*)o 桂文ぶん、三遊亭窓輝、柳家三之助、桂笑生の四名が真打に昇進することが決定。
平成22年3月下席より。改名・襲名などの詳細は未定。
ヽ(´▽`)/ 窓輝さん、三之助さんが揃って真打昇進です。
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師匠からの頂き物

200905241936000 先日の横浜での独演会の時、師匠が「流三さんの出た大学の創立100周年記念のお酒が、(ある方から頂いて、あたしの手元に)あるよ。」と。

100周年記念に、某駅弁大学と全国的に有名な地元有力清酒会社とが限定で作った"純米大吟醸"です。

「あたしはお酒飲まないから・・。」という訳で、今日の稽古の時に、わざわざ持って来てくださいました。

とにかく私は、"純米大吟醸"ではなく、"純粋大恐縮"でした。

落語っ子連「ん組」稽古③

Ph5001_2 落語っ子連の稽古の後、師匠を囲んで談笑していると、師匠が坂東市で指導されている「噺っ子連」のメンバーが稽古にやって来ました。

筑波大学落研の現役女子大生で「龍宮」さん、自宅が小岩なので、門前仲町に来ているそうです。ベストな稽古環境です。

「代書屋」を演りましたが、着物に着替えて本格的な稽古で、なかなかしっかりした噺っぷりでした。若さというのはいいですね。

来月、噺っ子連の初めての発表会が、江戸崎の「笑遊館」で開かれるそうで、時間があったら聴きに行こうと思います。

落語っ子連「ん組」稽古②

Ph5011 先月仲間に入った新人のSさんの芸名が決まりました。出版関係の営業をやっているということなので、師匠から「三流亭商人(あきんど)」にと。三流の商人ではありません。

次の発表会の噺は、商人さんは「小言念仏」、まど絵さんは「替わり目」となり、師匠の聞かせ稽古です。師匠は2題ともに、ほとんどやっていない噺と言いながら、お手本を示してくださいました。

両方とも難しい噺ですが、二人がどんな風に作り上げるかが楽しみです。

次回の発表会は、2グループに分かれて、土・日の2日間でやろうということになり、時期は、来年の2月下旬~3月上旬頃ということになりました。

落語っ子連「ん組」稽古①

200905241027000_2 落語っ子連「ん組」(略称は「んっ子」は汚いので「落語っ子ん」ぐらいにしますか)の稽古日で、雨の中を門前仲町へ。

 ⇐ あの噂の「落語科」の看板がありました。

ドラム科・ブルースハープ科・ブルースギター科・フルート科・リコーダー科・サックス科と並んで「落語科/朗読科」っていう表示が・・・。やはりまど音さんは本気(マジ)ですね。

「稽古日は、師匠の前で必ず何か喋ること。」と言われていますので、さぁ何をやろうかと迷いました。次回のネタ「片棒」は、ネタ本すら未完成の状態ですから・・・。

Mandara 意を決して、今秋の落研の創立50周年記念のOB落語会でやろうと思っている「浜野矩随」の稽古をしてもらうことにしました。師匠は快く聴いてくださいました。

・・・今日は前半の部分を稽古していただきましたが、講釈ネタの噺の難しさとストーリーの前提となることを明確にしておくことの重要性を知らされました。

師匠からの「流三さんの欠点は、台詞の最後までその人物の料簡を続けていられない部分だよ。」というご指摘は、語尾まではっきり話すことと並び、私の喋りの締まりのなさだったことを痛感しました。・・・「そうか、これに気をつければ、もしかすると、もっと上手くなれるかもしれない。」と、勝手に思うことにしました。

  • 「この噺のオチは・・・?」
  • 「(ほぉら、やっぱり来た)ないんですよ。考えた方がいいですよね・・・。」
  • 「うん、何か考えようよ。例えば名人に二代なしというのをひねるとか・・・。」

途中まででしたが、思い切って稽古していただいて良かったです。まだ時間がありますから、しっかり噺を作り上げたいと思います。

盧武鉉前韓国大統領

Apx200905230004 韓国の盧武鉉(ノムヒョン)前大統領が自殺したというニュースに驚きました。

歴代の韓国の大統領は、金大中氏を除いて、辞任後に逮捕されたりするなど、穏やかに余生を送ることができないようです。国内情勢・国民性・国民感情?

大統領という地位には、強大な利権が集まるゆえに、様々な輩が密に群がる蟻のように集まって来て、その利権を貪るのでしょうか。

地位にある時は全盛を極めても、ひとたび任を解かれると、反対派が反攻に転じ、否定にかかるからなのでしょうか?

それにしても、自ら命を絶たなければならないほどに追い込まれるものなのでしょうか。私には、なかなか理解できない部分です。

国の政治(為政)が、一部の特権階級により私物化されているのなら、国民は不幸です。

盧武鉉さんも、人間の「生」「業」を肯定して展開される落語を聴いていれば、命まで落とさずにすんだかもしれません・・・。              「なるようにしかならないよ。」なんて・・・。

遺書の概要を和訳すると、以下のようになるそうです。

   非常に多くの人に面倒をかけた。

   わたしにより多くの人々が受けた苦痛は非常に大きい。 

   この先、受ける苦痛も察することができない。

Fumi   余生も他人に荷物となることしかない。

   健康状態が良くなく、何もできない。

   本を読むことも、文字を書くこともできない。

   あまり悲しむな。

   生と死はすべて自然のひとかけらではないか。

   申し訳なく思うな。だれも恨むな。運命だ。

   火葬してほしい。

   そして家の近くにごく小さい碑石をひとつだけ残せ。

   昔から考えていたことだ。

2009年5月23日 (土)

喫茶店発祥の地

地下鉄銀座線の沿線、中央通り(御成街道)の近くを歩いていると、江戸から明治、場合によっては大正時代の名残りに出会うことがあります。

「△△屋敷跡」「○○生家跡」「◇◇発祥地」などなど・・・。200905201643000

上野から南に歩くと、中央通りに面して三洋電機の東京ビルがあります。
このビルの北東の隅に レンガ積みの柱の上にコーヒーカップを載せたモニュメントと, その隣に「日本最初の喫茶店発祥の地」という碑が建っていました。

この間この界隈を徘徊していて偶然見つけました。

この発祥碑は、昨年4月13日に 除幕式が行われたそうてす。
4月13日というのは、「喫茶店の日」。(「□□の日」というのも多いですね。)

1888年(明治21)年のこの日に、 ここ(当時・上野西黒門町)に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店したのを記念して喫茶店の日と決めたんだそうで(誰が?)。

残念なことに この可否茶館は経営的に成り立たず、赤字のために4年後に閉鎖となったそうです。

開店時の新聞に、「可否茶館」の開業案内広告が掲載されているそうです。

           可否茶館開業報條

      遠からん者は鉄道馬車に乗ッて来たまへ
      近くは鳥渡寄ッて一杯を喫したまへ抑下
      谷西黒門町二番地(警察署)隣へ新築せし
      可否茶館と云ツパ広く欧米の華麗に我国
      の優美を加減し此処に商ふ珈琲の美味な
      る思はず腮を置き忘れん事疑ひ無し館中
      別に文房室更衣室あるは内外の遊技場を
      整へマッタ内外の新聞雑誌縦覧勝手次第
      にて其価の厳なる只よりも安し咲き揃ふ
      花は上野か浅草へ歩を運はべらるゝ紳士
      貴女幸ひ来館を忝ふして当館の可否を品
      評し給へかしと館主に代りて鴬里の思案
      外史敬って白す

      定価カヒー一碗金壱銭半間牛乳入金弐銭

頼近キャサリンの訃報

80ab6a385be752444c7131ed0c650bf0 先週、元NHK・フジテレビアナウンサー、フジサンケイグループ総帥未亡人の頼近美津子さんが亡くなったというニュースに驚きました。

僭越ながら、私は学生時代に真面目に(何となく)アナウンサーになりたくて、早口言葉の真似事をしている時に、颯爽とテレビに登場したのが、頼近さんでしたから、憧れましたよ。

頼近さんに会うためにNHKに入ろうなんという、実に"ミーハー"な。

今の局アナウンサーは、完全にタレント化してしまい、何かイメージが違ってしまいましたが、アナウンサーが個人の名前で売り出す(人気が出始めた)時代になりつつあった時に、最も目立った人だったと思います。

フジサンケイグループ総帥と結婚した時は、"玉の輿"とも呼ばれたもので、個人的には勝手にがっかりしていました。

・・・ご冥福を祈ります。

「寄席の日」の由来

P1000266 6月1日(6月第1月曜日)の「寄席の日」の由来がわかりました。

2000(平成12)年から、都内4ヵ所の寄席定席と国立演芸場が始めたのだそうです。

江戸の寄席が、初代三笑亭可楽が、1798(寛政19)年の6月に、下谷神社で「風流浮世おとし噺」の看板を掲げた興行が始まりとされることからなのだとか。

へェ~、知りませんでした。

2009年5月22日 (金)

容疑者逮捕

(-_-X) 今年のはじめ、中央大学の教授がキャンパス内で刺殺されましたが、犯人(容疑者)が逮捕されたそうです。

 様々な状況捜査に加えて決定的だったのは、被害者の爪に残っていた物のDNA鑑定だそうで。

 犯人は元教え子で、犯行を自供しているようですから、とりあえず事件は解決ということでしょう。

(≧ヘ≦) 「猫定」みたいな凄惨な事件でした。

窓輝さん真打昇進

2009050816052200001 三遊亭窓輝さんの真打昇進が決まったそうです。(正式には"理事会"の決議待ちだそうですが。)

ご本人は、春先には、年賀状や独演会の案内で、「真打昇進の話は全くありませんが、頑張ります。」と書いていましたが、着々と慶事は進んでいたのですね。

大変におめでたい話で、師匠もさぞや喜んでいることでしょう。

まだ細かいとはリリースされていないようですが、窓輝さんと香盤が前後する柳家三之助さんも・・・、でしょう。・・・・きっと。

このブログに書いたらフライングでしょうか?・・・でも、慶事だからいいですよね。

6月1日は「寄席の日」

m(_ _)m 毎年6月の第一月曜日は「寄席の日」なのだそうです。
今年は6月1日です。

o(_ _)o 各寄席では割引料金となり、さらに団扇を配布するのだとか。(柳家一九さんの絵)

例えば、鈴本演芸場は入場料が半額の¥1,400(学生・シニアとも一律)、末廣亭も入場料半額の¥1,300(学生・シニアとも一律)。

それにしても、なんで6月が「寄席の日」なのでしょう

・・・・調べてみよう。

2009年5月21日 (木)

三遊亭圓窓一門会

毎年恒例となった「三遊亭圓窓一門会」。

P1000018昨年から、会場が池袋演芸場から東池袋"あうるすぽっと"という豊島区のホールで開催されていて、チケットも売り切れているそうです。

実は、今日は、日中の仕事で体力を消耗しているので・・・、(-.-)Zzz・・・・居眠りしてしまわないかと・・。

◆ からぬけ        古今亭志ん坊
◆  町内の若い衆     三遊亭窓輝
200905212341000_2 ◆ 救いの腕      三遊亭圓窓
◆ 文違い        三遊亭萬窓
◆ 里帰り                三遊亭吉窓
◆ 転宅                  三遊亭窓里

開口一番の前、立ち口上で一門揃っての挨拶で、吉窓さんの落語協会理事就任と、待ちに待った窓輝さんの真打昇進内定の朗報が披露されて、満員の会場はやんやの喝采です。

200905212056000 開口一番は、志ん坊くん。紀伊國屋寄席に出ていますので、師匠からご指名か?とてもしっかりした噺をするので、私も期待している前座さんです。

来春の真打昇進が内定した窓輝さんは、2日前に、師匠であり父である圓窓師匠の前でおさらい稽古をした「町内の若い衆」。

師匠の「救いの腕」・・、どこかで聴いたことがあるような、ないような・・・。確かに、男同士のやり取りは多くありますが、姉妹の会話の噺は少ないかもしれません。

萬窓さんは丁寧な「文違い」。萬窓さんの魅力は、"鼻濁音"の美しさです。去年の「子褒め」でも感じましたが、"が・ぎ・ぐ・げ・ご"が、とてもきれいです。

総領弟子の吉窓理事の「里帰り」は、春風亭柳昇師匠の十八番だった噺で、吉窓さんはオチを変えていました。新作落語ですが、なかなか良い噺だと思います。

街で見つけた落語会

200905211045000 港区愛宕下あたり、「やすらぎ寄席」の看板を発見。

真言宗の真福寺の本堂で、毎月第3木曜日に開催されているそうです。

お寺と言っても、8階建のビルになっている近代的なお寺です。

今日は、立川ぜん馬・立川談幸両師匠らの出演だそうです。

予想していなかった場所で、さりげない落語会を見つけると、とても嬉しいものです。

いつか覗きに行きたいと思います。

インフルエンザ

ついに、八王子と川崎で新型インフルエンザの感染者が出たこともあってか、街や電車の中で、マスクをかけている人が多くなってきた気がします。
まだ花粉症の最盛期ほどではありませんが、これからもっと増えることでしょう。
尤も、コンビニや薬局などではマスクが売り切れて、入手が難しくなっているようですが・・。

寄席や落語会の公演が"自粛"にならないように祈ります。

柳家三之助さん

200905192245000 柳家三之助さんから、6月の予定の葉書。

来月は、地方での仕事が多く入っている様子。

とりあえず、研精会でトリを取るようですから、覗いてみようかと思います。

もう真打の話も具体化しているのでは・・・?

続きを読む "柳家三之助さん" »

2009年5月20日 (水)

同期の集い

P1000030 それぞれの道に進んだ同期10人が、久しぶりに集いました。

本当にそれぞれの環境・事情・生き方があり、それぞれ元気に頑張っていて、大きな励み・刺激になるものです。

ご贔屓のプロ野球チームの応援に燃えたり、ワインに凝って100種類以上を飲んだ猛者もいれば、サッカーに興じたり・・、趣味や道楽も多彩です。

私も負けずに「落語道」に励まなくては・・

返し・日本橋お江戸寄席

今日は、先週土曜日の振替休日。

午前中、平日でないと出来ない用事を済ませて、お江戸日本橋亭に行くつもりだったのですが、どうもあの息苦しさ(狭さ)が足を遠ざけてしまいました。

結局、気が付くと、また鈴本の中席の楽日に来ていました。
平日の寄席(鈴本)の昼席は覗くこともないのと、先週の土曜日の雰囲気が良かったので、同じ芝居ですが、コンビニで弁当を買い込んで、テケツに向かいました。

200905201454000 ◆ 幇間腹       古今亭志ん八
◆ 熊の皮       古今亭志ん丸
◆ 金明竹       古今亭八朝
◆ 長短         古今亭志ん五
◆ 夏泥                橘家文左衛門
◆ 浮世床             桂藤兵衛
◆ つる                  桃月庵白酒
◆ 鋳掛屋              柳家喜多八
◆ 鮑のし               古今亭志ん橋

中席は、古今亭の芝居だったんですね。
200905201636001それにしても、今日の鈴本の席は8〜9割方が埋まり、活気のある雰囲気でした。
ほとんどが、あまり寄席に来たことのない高齢者ですから、噺家さんの出の時の拍手のタイミングと数(量)はバラバラどしたが、寄席ならばこんなものでしょう。

200905201636000一門の重鎮、志ん五・志ん橋両師匠は、とにかく楽しい。
白酒さんの存在感は特筆もの。
見直したのは、文左衛門さん。やや不遜な風情が気になっていたのですが、今日の表情や振りには好感が持てました。

日が長くなり、晴れ渡る空の下に響くハネ太鼓の心地よい音を背に、鈴本を後にしました。

やっぱり寄席はいいですね

インターネット落語会

Ph5011 最近、落語協会が配信している「インターネット落語会」を視聴していないのを思い出しました。

ナビゲーターをしている柳家三之助さんを知ったのもこれがきっかけです。

落語ばかりだと思いきや、紙切りの林家正楽師匠の高座も配信されていたような気がします。

中席は4月の鈴本演芸場の録画です。

2009年5月19日 (火)

月例三三独演

200905191848000 さすがの?私も、今月は大人しくしていて、まだ4回しか寄席や落語会に行っていません。

なかなかスケジュール調整や"読み"が出来ずにいます。

昨夜も馬石さんの「ひぐらし寄席」だったのに、行くことが出来ませんでしたので、満を持しての「月例三三独演」です。

◆ 芋俵      柳家三三

P1000338j◆ 突き落とし  柳家三三

◆ 不孝者     柳家三三

演題としては、いつもよりやや軽めだった気がします。


声も小さかったかなぁ。

来週、神戸に行くのだとか。

インフルエンザが心配?

ただいま見習い中

P1000195_2(^-^; "とらばーゆ"(古い?)してから2週間。

(゚ー゚; 今まさに"研修"と称し、会社の様々な現場を見学したり、業務の実体験をさせられたりしています。新しい"ご奉公先"で見習い中といったところでしょうか。

 昨夜は、初めて夜間勤務・宿直の現場を経験しました。

 若い頃は、深夜遅くまで、場合によっては徹夜で仕事をしたことがありますから・・・、と思ったのですが、日中の仕事の延長で、ある意味マイペースでできるものと、本チャンの勤務は、全く違うものだと痛感しました。

 若い頃は、徹夜もいとわなかったのですが、"アラフィフ"の今は、仮眠していてもボーッとしています。

 さりとて、夜間勤務が明けてから帰宅しても、お天道さまが中天に輝く時間には、なかなか眠ることもできず・・・。 (;;;´Д`)ゝ

m(_ _)m それにしても、街中が眠っている時間にも、人のために働いている多くの人たちに、改めて感謝です。

やっぱり"マジ"?

(o^-^o) 落語っ子連のまど音さん、とうとう音楽教室に「落語科」と「朗読科」を書き加えた看板を掲げたそうで。

 圓窓師匠のブログで知りました。

(*^ω^*)ノ彡 圓窓師匠は「経営者のまど音さん、やる気だぞ・・(笑)」とコメントされていましたが・・・・。

 まど音さん、洒落ではなく"マジ"だったんですね。

2009年5月18日 (月)

新型インフルエンザ

いよいよ新型インフルエンザが、国内でも暴れ始めました。

長い名前の某メガ銀行(私は名前が長いので"寿限無銀行"と呼んでいます)の三宮支店では、女性行員が感染したのだそうで。
支店・支社のメンバーは自宅待機させて、別のメンバーが代行するようですが、大変なことです。

いずれ東日本にも影響が出て来るのでしょうか・・

金毘羅さま

三方一両損で「毎朝、金毘羅さまにお灯明をあげて拝んでる」というくだりがあります。

P1000568 東京落語会に行く途中に、金刀比羅宮があります。境内の敷地には大きなオフィスビルが建っています。でも、あの「こんぴらさま」だよなぁという訳で、先日ちょいと立ち寄り。頭を垂れて来ました。

写真は、鳥居の脇の「お百度石」です。

[金刀比羅宮の由来]  万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。
当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。
海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。

三方一両損の大工の吉五郎は、厄除けの願を神棚の金毘羅さまにかけていたんですね。きっと。

「・・・どうか棟梁にはなりたかぁねえ。人間は出世するような"災難"に出会いたくねえと思えばこそ、毎朝お灯明あげて金毘羅さまを拝んでる・・」

続きを読む "金毘羅さま" »

幻の名演「替わり目」

P1000542 圓窓師匠の本の付録に「幻の名演《替わり目》」が付いています。

何が"幻"かというと、巻末では、師匠が以下のように紹介しています。

先日、埃だらけの引き出しをかき回していたら、古びた3・40年前の圓窓口演の収録されたテープが出て来た。放送、レコード、テープなどで営業になったものではないことは確かだが、記憶にない。おおかた、個人的な勉強会や落語会を収録したものだろう。・・・・

いつ・どこの・どんな口演だか分からない・・・・幻の噺・・・。

3・40年前といえば、師匠が真打に昇進する前後あたりですから、さすがに若々しい声です。

思えば、私が初めて師匠の噺を聴いたのは、テープでの「宮戸川」でした。昭和40年代の終わり頃の音源だと思います。面白い噺だなぁと思いました。霊巌島なんていう地名を知ったのもこの噺でした。宮戸川が墨田川の別名だと知ったのは・・・ずうーーっと後からでしたが・・・。

2009年5月17日 (日)

テレビの威力

P1000513 テレビの威力・影響というのは凄いもので、圓窓師匠のブログにも、先日放映された「水神」のコメントが多く寄せられているようです。

勿論、とても素晴らしい噺だからなのですが、決して放映時間が良い時間帯ではないのに。大したものです。

ゴールデンタイムとは言いませんが、NHKの「東京落語会」も、TBSの「落語研究会」にしても、放映時間をもっと良い時間にしてもらえないかなぁ、と思います。

最近の放映時間の表示で、25時、なかには28時なんていうのがありますが、要するに「翌日未明」の放映ということ。午前1時と午前4時・・・。

せめて、夜11時30分だとか。・・・尤も、夜更かし派が多くなっているので、11時30分なんていうのは、ゴールデンタイムなのでしょうか・・・?

もう少し、演芸番組があればなぁ・・・。

楽しみな落語会

P1000583 鈴本演芸場のロビーにあるチラシスタンドに、とても面白そうな落語会のチラシを見つけました。

「志ん輔3夜」

古今亭志ん輔師匠の3夜連続の独演会です。

9月13日(日)・14日(月)・15日(火)、国立演芸場で。

3夜通しで行きたいなぁ・・。

2009年5月16日 (土)

朝日名人会のプログラム

朝日名人会に行った友人二人が、プログラムを余計に貰って来てくれました。

P1000582 ◇ 看板のピン   三遊亭きん歌

◇ 夏どろ      柳家三三

◇ 水神       三遊亭圓窓

◇ 明烏       林家たい平

◇ 鰻の幇間    柳家権太楼

友人の感想によれば、全員が熱演だったので、大変満足してくれたようです。

"裏"朝日名人会・鈴本中席

仕事のために「朝日名人会」を諦め、チケットを友人に譲りましたが、予想外に仕事が早く終わってしまいました。有楽町朝日ホールに問い合わせると、当日券は若干枚数販売する予定とのこと。

P1000578 「う~ん、どうしよう・・・。でも、振られた女をいつまでも追いかけるのは男らしくない。」という訳で、鈴本の中席に行くことにしました。

慣れない仕事にやや疲労気味で、当日券を求めて並ぶだけの根性がなかったのです。

土曜日の昼席は、徐々に観客が増え、仲入りの頃には、ほぼ満員になりました。

P1000581 ◆ 道具屋      古今亭朝太

◆ 長命       古今亭志ん丸

◆ 紀州       林家正雀

P1000579 ◆ 新聞記事    古今亭志ん五

◆ 宮戸川      古今亭菊志ん

◆ 武助馬      桂藤兵衛

◆ ぼやき酒屋   柳家はん治

◆ 小言念仏    柳家喜多八

◆ 野ざらし     古今亭志ん橋

午前中の仕事疲れで、やはり最初の方は居眠りがち。志ん丸さんには連日申し訳なく。

今日の観客はよく笑い、噺家さんもやりやすかったと思います。

志ん五・菊志ん・藤兵衛・はん治・喜多八の各師匠、本当に楽しい・・・。

トリの志ん橋師匠は、声も振りもよく、聴き応えのある「野ざらし」でした。"裏"・朝日名人会でしたが、"当たり"でした。

来月の東京落語会

P1000574 来月の東京落語会は、いよいよ第600回の記念公演になります。

P1000572区切りの回数になりますので、落語協会・落語芸術協会のそれぞれの先代・現会長と、協会のエースが出演です。

第700回までには、これから8年以上かかる訳ですから、今回は必見だと思います。

2009年5月15日 (金)

東京落語会

P1000570 いよいよ第599回となった「東京落語会」。

実は新しい職場から、徒歩5分以内の距離になり、通いやすくなりました。

特に今日は、環境の変化による疲労から、前半は眠ってしまうだろうと覚悟していました。・・・そして、予想どおり?意識が混濁しました。

◆ 桃太郎          昔昔亭A太郎

P1000573◆ 豊竹屋         古今亭志ん丸

◆ 錦の袈裟     古今亭志ん馬

◆ 山崎屋       春雨や雷蔵

P1000571_4◆ 蒟蒻問答     三遊亭鳳楽

◆ 粗忽の使者    柳家喬太郎

◆ 蛇含草        林家木久扇

あんまり細かいことを言うべきではないかもしれませんが、前座さんには、もっと立ち居振る舞いを丁寧にして欲しいと思います。入場も、お辞儀も、第一声も、ぞんざいにしないで欲しいと思います。礼儀の基本だと思いますので。古今亭志ん坊くんはきっちりしていて好感が持てます。

志ん丸さんから雷蔵さんまでは、居眠りをしていたので、あまり印象に残りませんでしたが、志ん馬さんが肝心のくすぐりやオチのところで噛んでいたのが、妙に気になりました。やはり稽古不足だと思います。

今日のお目当てともいうべき鳳楽師匠の「蒟蒻問答」は、安心して・ゆったりと聴くことができました。

仲入り後の喬太郎さんは、全体的にそつなくこなしていますが、途中で関係のない自虐的なくすぐりを入れます。好き嫌いの別れるところですが、もうそれなりの場所にいるのだから、もっと正面の芸を見せて欲しいものです。

落研の先輩の頓平師匠と、いつもの串焼き屋さんで芸談を交わした後、新橋のSL広場で、「日本テレビですが・・・」と声をかけられました。民主党の代表選挙あたりのコメントを求めていたのでしょうか?

JAF会員カード

P1000563 JAFの新しい会員証(カード)が届きました。

高速道路で車が故障してしまい、初めてJAFを呼び、そのまま会員になりました。

あれから22年になります・・・。

三遊亭鳳楽師匠から葉書

P1000562 三遊亭鳳楽師匠から、月例の独演会の案内葉書。

今回の演題は、「三枚起請」「竹の水仙」とのこと。何とか行きたいなぁ。

2009年5月14日 (木)

記念誌の原稿

P1000552 落研50周年記念誌に、圓窓師匠にご出稿をお願いしたところ、ご快諾くださり、原稿を送っていただきました。

いくらか疎密はあるものの、落研と師匠のご縁は、昭和30年代の人形町末広から始まり、数多くの先輩がお世話になり、今に至って私も仲間に入れていただいているという訳です。

原稿を拝見していると、若かりし頃の師匠の姿が浮かんで来るようです。

師匠からコメントがいただけたことで、記念誌のグレードが数段上がるものだと思います。

学士会

Photo1_2 「学士会」の年会費を支払いました。4000円也。
「学士会落語会」メンバーを続ける前提条件でもありますから。

「終身会員」というのもありますが、会費が55歳を境に安くなりますので、その時になったら「終身会員」も考えたいと思います。

Photo3 神保町にある学士会館は、古書街を歩き回った時、1階の談話室で休息するのに重宝です。

30余年後の気づき

Art_17_l林家正蔵(彦六)師匠の「あたま山」を聴きました・・・・。

約34年経って初めて、私の最初の噺の選択が誤りであったことを痛感させられました。

聴いてみたら、噺の中のお花見などのところでは、お囃子や三味線が入っているではありませんか。

落語など聴いたこともない新人に、齢80を超えた師匠のネタを速記本だけでやらせるという、酷い先輩たちです。

「大きな噺だよ」「やり方によっては受けるよ」・・・・。そんな言葉に騙され?て・・・。

金願亭乱志の多難な船出でありました・・・・。

2009年5月13日 (水)

長いお付き合い

わが落研の創生期のOBで、海外在住の先輩がいます。

この先輩と圓窓師匠とのお付き合いは長く続いているようで、本人の結婚披露宴は師匠に、お子さんは師匠の弟子でご子息でもある窓輝さんにお世話になったというような仲なんだそうです。

P1000519先日の師匠の独演会の後、師匠が「(この先輩のお母様が)5月21日の三遊亭圓窓一門会に来てくれるそうだ。直接ご本人から電話をいただいた。」と、大変喜んでいました。

この先輩も既に65歳を過ぎているはずですから、そのお母様ということは・・・、90歳近いの ではないかと・・・・。

早速、師匠の言葉をご報告しておきました。

あぜくら会

P1000553 国立劇場「あぜくら会」への入会記念プレゼントキャンペーンだということで、手拭いが届きました。

まだあぜくら会のメンバーとしてチケットを購入していませんが、そのうちアドバンテージを感じることもあるでしょう。

えっ?ホント?

o(*^▽^*)o 落語っ子連のまど音さんは、門前仲町で音楽教室を開いている校長先生です。

門前仲町の教室の看板は、「音楽科」と「英語科」と掲げられているようです。 

師匠から聞いた話ですが、今般「英語科」の先生の都合で「音楽科」だけにしたので、看板を書き換えようとしたところ、全面的に書き直すのではなく、「英」を「落」に書きなおすだけにしたんだとか。

・・・ということは、「○△音楽教室 音楽科・落語科」という看板になる・・・? ホントですか?

w(゚o゚)w しかも、早々に「落語科」への申し込みがあったとか・・・。・・・も、もしも、もしも講師が圓窓師匠だったら、これは凄いですよ。

┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~ 私には、今のところ"洒落"か"マジ"かの真偽はわかりません。

大呆け

(ノ_-。)大呆けな話をひとつ。

今日、オフィスと別の場所で仕事をしていて、忘れ物をしたのに気がつき、昼休みの時間にオフィスに行き、忘れた物を持って戻りました。

 と、ここまでは良かったのですが・・・・。

戻ってから暫くして、オフィスに入るICカードがないことに気がつきました。ポケットや鞄の中を探しても見つからず・・・。まさか落としたか、地下鉄の中にでも置き忘れたか…?

もしや、と思って、恐る恐るオフィスへ電話・・。「もしかして、机の上に私のカード(ホルダー)が置いてない?」と訊くと、「机の上のパソコンの前に"鎮座"まします」とのこと。

よかった、よかった、ではありますが、忘れ物を取りに行って、忘れ物をして来るとは・・・。トホホ・・・・。

師匠が手拭いを忘れて(持たずに)高座に上がったのを笑っていられませんね。 ┐(´д`)┌ヤレヤレ

2009年5月12日 (火)

新二つ目

落語協会では、6月の下席から4人が二ツ目に昇進し、全員名前が変わるようです。

 ◎ 三遊亭圓歌門下     三遊亭歌五改メ 歌扇(かせん)

 ◎ 三遊亭歌る多門下    三遊亭歌すみ改メ 粋歌(すいか)

 ◎ 柳亭市馬門下      柳亭市丸改メ 市江(いちえ)

 ◎ 柳家さん喬門下     柳家小ぞう改メ 小太郎(こたろう)

P1000367  市馬さんの二番弟子「市丸」さんは「市江(いちえ)」を名乗るようです。「市丸」はいい名前だと思うので・・・、でも新しい名前も何か(師匠の)思いがあるのでしょうね。

  さん喬師匠の弟子の「小ぞう」さんも、いかにも"小僧さん"みたいな感じで、とても合っていたと思いますが、「小太郎」は、確か兄弟子の「柳亭左龍」さんが真打昇進まで名乗っていた名前ですから、出世名ですね。

私が、本格的に?落語徘徊を始めて4年ぐらい経ちますので、彼らのちょうど入門前後から知っていることになります。(特に、市丸さん・小ぞうさんは。)

生まれた時から知っている人の成長を見るのも楽しいですね。

108ページ

圓窓師匠の新刊「日本人が忘れちゃいけないこの落語」の108ページに、不肖流三が登場します。

「あたしのところに落語を習いに来ている流三さんという・・・」で始まっています。

P1000513「テーマに響くオチ」という観点から、「三方一両損」のオチの考察と創作へのアプローチの部分です。

落語っ子連の発表会のために「三方一両損」を選んで稽古をしていた私ですが、学生時代にも演ったことがあるものの、この噺の脈絡がない唐突な地口オチに、少なからず違和感を感じていました。

そうです。お白州で御膳を頂くというくだりです。師匠も同じ思いをされていたそうです。

(尤も、実は流三には、御膳を食べる仕草が難しいので、なんとかカットできないかなぁという、後ろ向きな思いがあったことも、カミングアウトしておきます。・・・それじゃ駄目じゃんですが。)

200706161542001 師匠は、私が昨年演った「子ほめ」のオチも、数え年が分からない(使われない)時代に「(生まれて7日目の赤ん坊に)一つとは若い。どう見てもただ(半分)みたいだ。」と言ってもオチにならないということで、別のオチを考えるように指導されましたから、今回も新しく考えなければいけないなと思っていました。このオチについても、やや自信があるので、いずれご紹介したいと思います。

閑話休題。「三方一両損」の話題に戻ります。

そこで、噺の中で「江戸っ子は一日に一度は喧嘩をしなくっちゃあいけない」という言葉を強調して"一日一度"というフレーズを仕込んでおき、「両名とも一日一度は喧嘩ばかりでなく、これからも正直を続け、善(善行)を積み上げろよ」⇒「いやぁ、お奉行様、あっしら江戸っ子の職人でね、(そんな立派なことは)多かぁ(大岡)できねぇ。一日一善(越前)。」とした訳です。

この2題だけでなく、師匠とは今年に入ってから、「十徳」と「火事息子」のオチの再考にチャレンジしています。師匠は、昨年秋の紀伊國屋寄席のトリで、親子の愛情が詰まった「火事息子」の新オチをご披露済です。

オチというのは"オチを語る"落語の肝ですから、本当に奥深いものがありますね。

「あっ!」「なるほど・・」「えっ?」・・と、思わず膝を叩いてしまうようなオチに出会えると楽しいでしょうねえ・・・。

2009年5月11日 (月)

落語CD「昭和の名人」

P1000539 ほとんど同じタイミングで配本されたデアゴスティーニの「落語百選」では、先代の古今亭今輔師匠が登場していましたが、こちらは"とんがり"の林家正蔵[彦六]師匠です。

正蔵師匠が亡くなったのは昭和57年ですから、今輔師匠が没後約6年。寄席で一度だけ聴くことが出来たような気がします。

というより、私にとっての思い出は、落研で最初に貰った噺が「あたま山」で、正蔵師匠の速記をもとにチャレンジした、でも上手くいかなかった(と思っている)ことです。

奇しくも、今回のCDに「あたま山」が入っていますから、初めて"お手本"を聴くことが出来ます。「自分の頭に身を投げた・・・」って・・・。

   ◇ 中村仲蔵     林家正蔵

   ◇ 鰍沢        林家正蔵

   ◇ あたま山     林家正蔵

o(*^▽^*)o 寄席でも落語会でも、故人となった師匠の話題で一番多く登場するのは、彦六師匠ではないでしょうか。一門のお弟子さんに限らず、別の流派の噺家さんも真似をしています。

稲荷町の師匠の長屋で振舞われる肉丼には、多くの噺家さんが集まったそうです。

(*^.^*) 「餅がカビるのは、早く食わねえからだ」とか「お稲荷さんの鳥居が赤いのは、塗ったからだ」なんていうのは、どうやら実話のようです。最高ですね。

ヽ(´▽`)/ 私は、孫弟子にあたる春風亭一朝師匠がマクラで、「アーモンドチョコレートを口の中でモゴモゴ言って食べた後で、『種が出て来た』といってアーモンドを吐き出した」という話が好きですね。

(≧m≦) それから、片方の膝が痛いので病院へ行くと、お医者さんから「師匠、お年だから痛むのは仕方ありませんよ」と言われて、「先生、(痛くない)もう片一方の膝も同い年なんですが」・・・。

独演会後日談

P1000552 先週末の三遊亭圓窓独演会で、師匠は「甲府ぃ」をお演りになりましたが、ちょっと気になった点があったので、閉演後の師匠に直接訊いてみることにしました。

「師匠、『甲府ぃ』をお演りの時、手拭いはお使いになりませんでしたよね。」

         ⇒ (^-^; 「・・うん、忘れたよ。」 (^-^; 

師匠、やはり高座に持って上がるのを忘れたようで・・w(゚o゚)w

    

DNA鑑定

DNA鑑定の導入で、高い精度で個人が特定出来るようになり、犯人逮捕などにも有効に繋げられるようになって来ました。

しかもその技術の向上は急速で、ほんの数年前は精度はせいぜい800〜900人に1人ぐらいだったそうです。

それでも物凄いと思いますが、安いロッカーや机の合鍵ぐらいの確率では、たった1人の犯人を"推定・想定"はできても"特定・確定"するのには、やや乱暴かもしれません。

「足利事件」で改めて行ったDNA鑑定で、同一性が否定されたそうです。

現在の技術では、何と4兆人超に1人まで識別できるそうですから、またまた驚きです。
全世界の人口が65億人ぐらいだとすれば、世界中に1人だけを探し出せる訳ですね。
マクロもミクロも科学は壮大なものですね。

「寝ているのは確かに俺だけど、抱いている俺はいったいだれだろう?」ということもなくなりますか・・・

デアゴスティーニ「落語百選」

P1000538 デアゴスティーニ「落語百選」≪16≫が配本されました。

DVDは爆笑タイプの二人の登場です。

 ◇ 長屋の花見 瀧川鯉昇

 ◇ 死神     柳家権太楼

週末は、独演会・稽古と、圓窓師匠一色だったので、まだ視聴していません。でもとても楽しみです。

P1000548 そして、「噺家列伝」は先代の古今亭今輔師匠。

ご逝去が昭和51年12月ということですから、私は最晩年の1年余、ヘッドスライディング・セーフで、ラジオで聴くことができました。

良く言われる訛りというより、ダミ声で、「おじいしゃん、おどれぇたよう~」などという「おばあさん落語」を聴きました。

「青空おばあさん」「ラーメン屋」などの新作落語と、「塩原多助一代記~青との別れ」などが印象に残っています。

偶然、落語っ子連の稽古の時に、金語楼師匠や今輔師匠の新作落語の話題になりました。

それにしても、米丸師匠・圓右師匠を育てるとともに、夢楽師匠には古典落語をやらせるために、可楽師匠の門下にさせるなど、彦六の正蔵師匠と頑固を競ったりしたようですが、弟子への対応などは、ある意味で現代風な師匠だったようですね。

圓朝師匠の芸の流れを汲む、芸の上で大きな影響を受けた晩年の三遊一朝じいさんの面倒を見た話は、人情噺そのままのようです。

明治人ですね。

2009年5月10日 (日)

立川志ら乃さんの葉書

P1000537j 立川志ら乃さんから、毎回案内葉書が届きます。

3年前に落研主催の落語会に来てもらった縁から、何度か独演会に行っています。

が、残念ながら、最近ちょっとご無沙汰気味になっています。

先月、久しぶりに聴くことができましたが、ちょっと雰囲気が変わった感じがしました。

生れながらにセンスを持った噺家さんだと思いますので、大きな噺家になって欲しいと思います。

相撲と落語

櫓太鼓が墨田の川にぃ~

今日から両国国技館では「大相撲夏場所」が始まりました。

P1000543 日本経済新聞の27面で、「相撲と落語ーー金原亭馬生師匠に聞く」と題する特集が掲載されていました。

落語にも、「花筏」「阿武松」「佐野山」「大安売り」「千早ふる」「半分垢」など、相撲に関係する噺も多く、太鼓や幟や文字などにも似たような部分が多くあります。

お相撲さんの稽古帰りの乱れ髪には女性が憧れ、噺家さんの稽古帰りの間抜け面には愛想をつかされるという、雲泥の部分もあります・・・。噺家さん、そんなに卑下しなくても良いのにと思いますが。

師匠の新刊本

P1000541 圓窓師匠の著書「日本人が忘れちゃいけないこの落語」(KKベストセラーズ・ベスト新書・900円)が5月9日頃に店頭にでると聞いていたので、稽古の帰りに新宿で途中下車をして紀伊國屋書店で探しましたが、残念ながら見つけられませんでした。
「週明けかな」と思いつつも、上野駅ビル"アトレ"内の明正堂書店を覗いたら・・。ありました!ありました

前から「流三さん、三方一両損のオチのことも書かせてもらったよ」と言われていたので、すぐに買いました。
またまたありました、ありました 「流三」が108ページに確かに登場しています。
何かくすぐったい感じがするものです。

まだ全部読み終えていませんが、前半に、「止め名になった三遊亭圓生」という部分がありますが、稽古の時などに直接お聞きした内容ですし、文中に「仕事先で・・」というくだりは、私も同席させていただいていた、某落語会後の懇親会の席でのことでしたから、ぐっと臨場感が強くなります。

それにしても、この部分は、それまでの筆致とは異なり、師匠の心の痛みのようなものが伝わって来るようです。

本の内容は、師匠が普段から実践されていることや、稽古や落語会でのマクラやブログなどで仰っていることがストレートに表現されていて、物凄く太い柱に支えられた言葉ばかりで、面白く、納得しながら読み進んでいるところです。

P1000542 この本には、幻の名演《替わり目》と称するミニCDが付いています。30~40年前の音源だそうで、日時・場所不詳なのだそうです。

ところで、師匠がかつて「笑点」にご出演だった頃、「幻の噺家」というキャッチフレーズをお使いではなかったかと・・・。別の噺家さんだったかなぁ、うろ覚えなのですが・・・。

稽古のあと

P1000540_2 稽古のあとは、いつもの手打ち蕎麦の店「岳人」で蕎麦をたぐりながら。

師匠から、裁判員制度スタートに合わせて、リーガルな観点から落語のネタで事件性のあるものを探して纏めたらというアイディアが披露されました。

「あなたならどう裁く?」みたいな・・・?
ただ、「落語は講談などと違って、事件性のあるものが少なくて・・」と嘆いていました。面白そうですね。

それから、「落研50周年記念誌の原稿は今夜メールで送るよ」と言われたので、添付する写真に、落語っ子連のチラシに使った、横浜での落語会の時の写真を使わせてもらうこともご了解いただきました。偶然その写真を撮影したまど女さんも隣に座っていたので、同時に使用許可がもらえました。

5e69c8816e697a5e5908de4babae4bc9a20 「流三さん。今度の朝日名人会は来てくれるの?」と尋ねられ、「師匠すみません。チケットは買ったのですが、急に仕事が入ってしまい、友人に譲りました。」

先日と本日放映された東京落語会での「水神」の反響が大きく、来週の朝日名人会も力が入っているようです。会場の有楽町朝日ホールは舞台も大きく、緞帳が左右に分かれるタイプで、昇降タイプではないので、オチの仕種や演出を考えているようでした。プロデュースしている京須さんとも相談されるようです。

・・こういう話を聞いてしまうと、ますます行きたくなります。友人には、よぉーーーーく鑑賞して来るように言っておかなくては・・。

落語っ子連稽古

(*^-^) 今日は阿佐ヶ谷で、落語っ子連「へ組」の稽古日です。「ん組」の私は、気楽なオブザーバー参加?を決め込みました。

(゚ー゚)まずは、まど深さんが次回のネタ「千早ふる」の通し稽古。
3年前の発表会で演る予定が、仕事の都合で出来ず、今回再チャレンジなんだそうで、さすがに全体を捉えられていてお見事。(*゚▽゚)ノ

(o^-^o)ネタ未定のびす太さんには、師匠から聞かせ稽古。演題は「松竹梅」。
この噺にも師匠の工夫があり、周到な仕込みが施されています。そして今では分かりづらい"亡者"をはずしたり・・。
まど女さんとまど舞さんは、まだ決まらず。江戸っ子が出て、おかみさんがしっかりしていて、仕草の多い噺をやりたいとか。

「へ組」と「ん組」の発表会を、11月下旬か2月下旬頃に、土日連日で開催する方向で進めて行くことになりました。
場所は3月の発表会と同じGGサロンで。

無弦さんによると、GGサロンでのイベントの入場者としては、"記録的"な人数だったそうで、関係者の間で話題になったとか

結構、結構・・・。

まど女さんのネタの話題から、柳家金語楼師匠の話題となり、圓窓師匠から興味深い話が聞けました。金語楼師匠だけでなく、手塚治虫さんなど、新しいことを考える人のパワーと着眼点など、共通点はあるのでしょう。 しまった。今日はオブザーバーの気楽さでもデジタルレコーダーを忘れてしまいました・・・・。

圓窓「珈琲小咄」

P1000535 圓窓師匠が、コーヒーに関する小咄を創り続けて物凄い数になり、それが「圓窓五百珈琲小咄を読む本」という文庫本になっています。

富士コーヒーという会社の広報誌「富士コーヒーニュース」に掲載されていて、圓窓一門を応援する「窓門会」の会員には、それが定期的に送られて来ます。

文庫本も、昭和54年から平成13年の間に広報誌に掲載された小咄が纏められたものですが、ページ数は550ページを超えますから、500題以上の小咄が収められています。

独演会の会場で、この本と、そのCDバージョンも売っていた。本は持っていますが、CDは持っていないので、購入しました。500円でしたから・・。

小咄のCDって、かなり珍しいと思うのですが・・・。

新型インフルエンザ

( ̄Д ̄;; とうとう帰国者から、新型インフルエンザ感染者が出たようです。
とにかく、敵は姿・形が見えない厄介なものですから、慎重に対応して行かざるを得ないでしょう。
放っておいたり、いい加減な対応をすると、最悪、"今"の前提が崩壊してしまうことにもなりかねませんから、広く・高い視野で対応することが大切でしょう。
破壊消防みたいなものかも。

ブログ

200706171357000 別に隠していた訳ではありませんが、師匠にはブログのことはお話ししていませんでした。

が、師匠が「水神」に関するメールやブログを確認していた時に、このブログにもヒットしたようで、とうとう師匠の知るところとなりました。

師匠からのメールで、こんなコメントを頂戴しました。「水神の整理をしていたら、「乱志&流三の落語徘徊」のブログが出て来ましたよ。(笑い) 質は高そうだね。いいことだ。」

いやいや、おそれ入谷の鬼子母神です・・。

独演会の帰りの車の中で、師匠から「ところで、流三は分かるが、乱志は誰?」という質問を受けました。

Cimg05581 「流三は師匠からいただいた名前、乱志は落研時代の名前です。」と答えると、「あ~ぁ、そういうことか。二人いるんじゃなくて・・・・。」と、ご納得いただきました。

師匠は、パソコン通信の頃から、こういう類のものは熟知されていますから、「積み重ねが貴重な資料や財産になる」と仰ってくださいました。

2009年5月 9日 (土)

独演会のあと

P1000529 神奈川県民ホールでの独演会の後、ロビーにいた窓輝さんに、この間の(池袋演芸場の)独演会に行くことが出来なかったことをお詫びしたり、一緒に鑑賞した落語っ子連のメンバーと雑談しながら師匠を待って、近くの「味奈都庵」という蕎麦屋で打ち上げ。
"打ち上げ"と言っても、私は聴いていただけですが。

「猫定」のオチのことなど、とても面白い話を師匠からお聞きすることができました。

P1000526j 落語っ子連の窓蕗さんとびす太さんは、この店の特大大盛り「富士山盛り」に挑戦。二人とも見事に"完食"しました。

しばし雑談の後、師匠を送るまど音さんのプジョーに、私も図々しく同乗させてもらい、後席に師匠と並んで座り、ご自宅の近くまで、車内で盛り上がりました。

天気と同様、とても清々しい一日になりました。

横浜「開国博Y+150」

P1000532 横浜開港150周年を記念する「開国博Y+150」が開かれています。

様々なイベントや展示、グッズや特産品の販売など、普段の休日でも賑わう街が、この数か月は開港150周年に沸くことになります。

落語っ子連のメンバーのまど女さんとまど深さんは、二人とも横浜在住で、一連の記念イベントの一環で、圓窓師匠の独演会・落語の授業を企画しています。

8月29日の午後の予定で、その時はボランティアとしてお手伝いすることになっています。今日も、独演会の終わった師匠と打ち合わせをしていました。

師匠は、横浜にちなんだ創作落語と子供にも参加してもらって落語の授業を考えておられるようで、今からとても楽しみです。P1000533

三遊亭圓窓独演会

P1000317浜の「ごらく茶屋」主催の「県民ホール寄席・三遊亭圓窓独演会」。

落語っ子連のまど女さんがチケットを確保してくれました。

P1000523 久しぶりの神奈川県民ホールです。

  ◆ 武助馬  三遊亭窓輝

 ◆ 猫定                      三遊亭圓窓

   ◆  甲府ぃ                   三遊亭圓窓

P1000530 

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独演会ならでは、マクラがたっぷり、最初の噺は軽目のものと思いきや、長講「猫定」。その時点で30分近く経っていたのではと・・?
圓生師匠ぐらいしか演らなかった噺で、圓窓師匠は、前半は地の部分(説明)を入れず、全て会話でストーリーを組み立てて行きます。後半の陰湿・凄惨な場面は抑え気味に、そして「猫塚のいわれの一席でございます」とせずにオチをいれて等々・・。
仲入り後は、圓生師匠が演らなかった噺ということで、十八番の「甲府ぃ」。

P1000527 この噺は、春風亭柳枝師匠がお得意の噺だったので、奇しくも圓窓師匠の二人の師匠直伝の噺を聴くことができました。
これも独演会ならではです。
師匠のたっぷり・じっくりの熱演で、終演は5時近くになっていました。

みなと横浜

P1000512 4ヶ月ぶりの横浜です。
昨日までの雨が嘘のようです。
前回は、圓窓師匠の会。

今回も師匠の独演会を聴きに山下公園の前の神奈川県民ホールへ向かいます。

途中、まず"勝烈庵"のカツレツで腹ごしらえ。

P1000528この味は忘れられませんね。

みなとみらいのベイエリアは、横浜開港150周年のイベントで、いつもとは違った賑わいぶり。

P1000515でも、ランドマークタワーも、汽車道も、象の鼻も、クイーンも、赤い靴の女の子像も、マリンタワーも、そして氷川丸も、古きも新しきも、変わらぬ姿で迎えてくれました。

   

P1000518 P1000520 

P1000521

残念無念

5e69c8816e697a5e5908de4babae4bc9a20 楽しみにしていた「朝日名人会」に行くことが出来なくなってしまいました。
当日(16日)は終日仕事をしなければならず・・。

もともと友人と二人で行く予定だったので、別の共通の友人を誘って、行ってもらうことにしたので、チケットが無駄にならずにすみましたが、聴くことが出来なくて残念です。

ひぐらし寄席

P1000510_2 隅田川馬石さんから「ひぐらし寄席」の案内葉書が届きました。

・・が、残念・・。またまた仕事の都合で行くことが出来ません。

ずっと続き物で演って来ている「お富与三郎」から「島抜け」です。

馬石さんごめんなさい。先月鈴本のトリを聴きに行ったので、とりあえず許して下さい。(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

2009年5月 8日 (金)

懐かしいこと

(o^-^o) 最近は少なくなりましたが、以前は各社に襟章(バッヂ)があり、サラリーマンは誇らしげにスーツの襟に付けていたものです。
(;ω;) が、どの業界でも再編の嵐が吹きすさび、服装もカジュアル化が進み、社員証もICカード化するなどで、最近は襟章のない会社も多く、私も付けていませんでした。

昨日、新しい会社の襟章をもらいました。
しかも、合併や統合を経て、今はなくなった前の会社の社章と色違いではありますが、同じデザインのものです。

懐かしいやら、嬉しいやら、ちょっと身が引き締まる思いがするやら。
昨日集まった昔の仲間たちも懐かしがり、羨ましがられました。
o(*^▽^*)o  郷愁もあって、やはりみんな昔の会社が好きだったんですね。

年金手帳?

P1000509j

仕事が変わることに伴って、様々な手続きが必要になるようです。
税金、健康保険、年金、企業年金、保険・・と、何がなんだか分かりません。

年金手帳というのがあります。以前は会社で保管していたのだと思いますが、10年ぐらい前だったか、自分で保管するようになっていたはずで、家内に聞いてみると、自分のはあるが、私のは知らないと・・。

同僚に聞くと、やはり自分で保管しているはずだとのこと。

万が一見当たらなかったら、再発行してもらえるのでしょうが、相手が社会保険庁ですから、私は死んだことになっていたり、年金手帳でなく母子手帳を交付したりではと、心配です。

家内に再捜索を頼むと、幸いにも、家族全員のパスポートの間に隠れていたのが見つかりました。

あぁ、社会保険庁に頭を下げずにすんで良かったぁ・・。

三遊亭竜楽さんから葉書

P1000508 「三遊亭竜楽独演会」の案内葉書。(*^-^)

5月19日(火)いつもの内幸町ホール・・・・・、

演目「浜野矩随」・・・・・・浜野・・・(^-^;

行きたい聴きたい

w(゚o゚)w ところが当日は「月例三三独演」、既にチケット購入済・・・ (。>0<。)

(ノ_≦。)・・・・残念 竜楽さん、ごめんなさい

2009年5月 7日 (木)

昔の仲間たち

G611604v 今から23年前、同じ会社で新しい営業拠点を立ち上げた同年輩の仲間7人が、久しぶりに集いました。

G611604pm3_6 場所は、当時からお付き合いくださっていた会社が経営する店の日比谷店。「霜降り和牛のせいろ蒸しコース」で舌鼓を打ちました。

あの時君は若かった~ぁ って、23年前は、みんな若かったですが、今は、ちょうど私と同じように、今までの会社を離れた(間もなく離れる)者ばかりで、何とも心強さを感じるものです。

中でも、「Wさん」「Yさん」は、時々このブログを覗いてくれているようで、嬉しいやら、でも少し恥ずかしいやら・・・。しかし、この文もいずれ読んでくれるでしょうから、やや緊張して。

拠点を開設したのが7月7日だったので、「七夕会」と言いますが、また近いうちに集まろうと約束しました。恐らくその時は、今夜の7人のほとんどが、別の会社の名刺で挨拶をすることでしょう。

    光陰矢のごとし・・・・ 

東京新聞のCM

Default ボーッとテレビを見ていると、見たことのある建物と落語家の高座姿が映っていました。
あれっ? これは「お江戸日本橋亭」? 噺家は新真打の桂枝太郎さん

・・この映像は、東京新聞のテレビCM「寄席編」でした。
東京らしさの一風景として、寄席・落語が採り上げられたということでしょうか。
なかなか良い雰囲気のCMだと思います。

それにしても、映像では、お江戸日本橋亭が物凄く大きくて立派に見えます。

2009年5月 6日 (水)

「落語藝談」

P1000491 小学館ライブラリーの「落語藝談」は、昭和46年に刊行された「落語藝談」を加筆訂正し、平成10年に文庫化されたものです。

著者の暉峻康隆(てるおかやすたか)先生は、早稲田大学落語研究会のOB、早稲田大学の名誉教授になった方で、私の学生時代のゼミレポートの参考文献に、先生の著書「落語の年輪」を使わせていただきました。(最近文庫化されて刊行されました。)

「落語藝談」は、桂文楽・古今亭志ん生・三遊亭圓生・林家正蔵・柳家小さんという昭和の名人との対談で、当時の落語界の様子や、各師匠の考え方なども伝わって来るものです。

「落語研究会 桂文楽全集」を購入したタイミングに、とりあえず、黒門町の師匠との対談を読み返してみようという訳です。

昔読んだことがある本なので、思い出しながらというところですが、当時と違っているのは、私も相応に齢を重ねていて、当時は恐らく理解できなかった(素通りしてしまった)であろう暉峻先生とのやりとりでも、「あ~ぁ、そういうことか」という点が多くあることです。

それにしても、私のおじいちゃんの世代(明治)は、まだ世の中の古い仕組が残っていて、今では考えられない波乱万丈な人生が、決して特別ではなかったような気がします。身に降りかかる様々な出来事や縁を受け入れながら、バラエティに富んだ人生を歩んでいるような・・・。

良くも悪くも、一定のレールが敷かれた上をひたすら走る我々の世代には、恐ろしいような、羨ましいような・・・。

「日本人が忘れちゃいけないこの落語」

020701 今月中旬頃に、圓窓師匠の本「日本人が忘れちゃいけないこの落語」がKKベストセラーズから出版されるそうです。

師匠の落語CD「替わり目」付きで定価900円だそうですから楽しみです。

動く文楽師匠

P1000509_2 桂文楽師匠のDVDを視聴していて、明治生まれの昭和の噺家さんと、昭和生まれの平成の噺家さんとの違いに気がつきます。時代背景や属人的な要因などもありますが、面白い点がいくつかあります。

まずは仕草。高座に上がる時のしなやかさと"品"は、現在の噺家さんは誰も真似できないでしょう。高座に向かってしずしずと歩く姿が何とも言えません。ただし、お辞儀の仕方などは、指をそろえたりしている訳ではなく、特別ビシッとしてはいません。扇子と手拭いの持ち方や置き方も、それほど気を使っているようには思えません。むしろ、扇子を前に丁寧に置いてから深々とお辞儀をする、林家正蔵さんや隅田川馬石さんの方がきっちりしています。

4133qkw5kvl__sl500_aa240_ 次は表情。高齢になってからの映像だからかもしれませんが、表情は現在の噺家さんの方が明るく、多彩だと思います。

そしてリズムやテンポ。やはり年齢や時代もあり、全体的にゆっくりした感じです。安定感のある太くて力強い流れに乗って噺が進んで行く感じがします。これは過去・現在ではなく、芸の年輪でしょうか。

文楽師匠は、手拭い(時には白いハンカチ)と扇子を無造作に前に置いて、やや指を開き気味にして、手は揃えず肩幅ぐらいに手をついてお辞儀をします。お辞儀の後は、右側の湯呑みの位置を整えながら、「ようこそのお運びでございまして・・・、間へ挟まりまして・・・申し上げることにいたします」と定番のご挨拶。扇子を広げたり閉じたり、パチンと音を鳴らしたりしながら噺を進めて行きます。現在の噺家さんは、あまりやらない気がします。

Smile 吉田茂元首相などに呼ばれてお座敷で落語を演ることの多い時代、寄席のキャパシティもそれほど大きくない時代、マイクなどを使う機会が少ない時代・・・・。近景で聴く落語と遠景で見る落語の違いなのかもしれません。

そんなシチュエーションの違いが、人物描写や仕草などリアリズムの表現の違いになって来るのでしょう。

・・・しかし、何やかや言いますが、私にとっては、文楽師匠や圓生師匠というのは、ちょうど"おじいちゃん"の世代で、"おじいちゃん子"で育った私には、理屈抜きに郷愁を感じる気がするのです。

2009年5月 5日 (火)

「片棒」のネタ本

P1000507 「片棒」のネタ本、やっとマクラの小噺まで来ました。

さん喬師匠は、語りに物凄くメリハリがありますので、文字だけで表現することの難しさを改めて実感しています。

という訳で、この噺のポイントのお囃子の音は、どのように表現したら良いのやら・・? 「ちひぃ~りひゃらいり、てけてんてん、あ~りゃ~めでた~、わっそうわっそう・・・」とでも書くのでしょうか・・・?

尤も、要は噺を上手く喋ることができるかということですから、そんなこと(ネタ本の書き方)はどうでもよいのでしょう・・・。

ところで、落語っ子連の稽古は、師匠から「必ず全員が何か喋るように」との指示がありましたので、今月の稽古日はどうしようかなと・・・・・・。

「片棒」はとても人に聴いてもらえるところまで行かないし・・・。思い切って、去年の落研のOB会でやった「ねずみ」を演ってみようかとも思います。「ねずみ」は師匠に稽古をつけていただいていないので、まずいかなぁ・・・。

でも、今月「ねずみ」にチャレンジするとなれば、「片棒」はさておき、「ねずみ」をおさらいしないといけない・・・。

く、苦しい・・・・、でも、ちょっと楽しい・・・・。

日本の話芸「水神」

P1000513 NHK教育テレビ「日本の話芸」は、三遊亭圓窓師匠の「水神」。2月の東京落語会の録画です。

この「水神」は、戦後まもなくに大ヒットしたという「君の名は」の作者菊田一夫さんが、三遊亭圓生師匠のために書き下ろした作品だそうです。

P1000519 圓窓師匠は、特にオチに工夫を加えて、圓生師匠とは異なる演出にしたと仰っていました。

トリなので、最後の「おこう~ぉ」と言いながら、膝を立てて遠くを見るところで緞帳をさげるという・・・。

P1000523今月の「朝日名人会」でもトリで「水神」を演るそうです。

最後のシーンでは、夕焼けに向かって飛んで行くところなので、客席の壁を赤くできないかなぁ、と仰ってましたが、さて・・・。

黒門町の動く姿

P1000505 「落語研究会 八代目桂文楽全集」のDVDが届きました。

早速開封して聴いたのが、現在も続いている「第5次落語研究会」の第1回目(昭和43年3月)の時の「明烏」です。

モノクロ画面の中で、"黒門町"が活き活きと動いています。上品で風格がありますね。

・・・「弁慶と 小町は馬鹿だ なぁ 嬶ぁ」って、こんな表情で言っていたんですねぇ。

今まで録音だけで聴いていると、「パチン」という音が頻繁に入っていて、何だか不思議に思っていたのですが、持っている扇子をたたむ音だということが分かりました。噺の途中の"地"の部分でも、扇子を持って喋っています。これでリズムを取っているのでしょう。

P1000506 それから、私の想像力不足もあって、音だけだと、笑い声や仕草だけの部分の"間"に違和感があったのですが、映像で見ると見事な"間"だということが分かります。

P1000509 それにしても、師匠の高座姿もさることながら、観客の行儀の良さも新鮮です。録画前にいろいろ言われてはいるのでしょうが、それにしても・・・です。

昭和43年・・・・。もう40年以上も昔になりますね。

2009年5月 4日 (月)

三匹の子ぶた

20090327_1 昭和35年9月から昭和42年3月までの6年半、NHK総合テレビで「おかあさんといっしょ」という番組で「三匹の子ぶた」というぬいぐるみ人形劇を放映していました。

私はリアルタイムで見ていましたよ。

P1000503 今夜8時半頃、何気なくNHK教育テレビにチャンネルを合わせると、「三匹の子ぶた」の最終回の映像が放映されていて、しばし釘付けになってしまいました。

この番組(別名『ブーフーウー』)は、イギリスの童話「三匹の子ぶた」の後日談として、個性豊かな子ぶたたちといじわるオオカミが繰り広げる物語で、子どもたちの間で大ヒットとなったものです。

三匹の子ぶたの兄弟の声の出演が、ブー~大山のぶ代・フー~三輪勝恵・ウー~黒柳徹子と"超"豪華版で、夢のような番組でした。

幼い頃、この「三匹の子ぶた」と、夕方放映されていた「チロリン村とくるみの木」とその後番組の「ひょっこりひょうたん島」など、楽しみにしていたものでした・・・・。

「銀座山野亭」

P1000492 銀座の「山野楽器」の落語関連商品売場は、「銀座山野亭」という名前がついていて、中身も充実しています。

当然、市馬さんの「片棒」が収録されたDVD「ワザオギ落語会Vol.3」もありました。

P1000493 驚くのは、落語情報誌「銀座山野亭」という月刊のフリーペーパー(チラシ?)があることです。落語の人気が定着しているということでしょうか。
今月号の「皐月号」は、5月20日発売のCDなどが数多く紹介されています。

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定番?の故人となった噺家さんだけでなく、林家たい平さん・古今亭菊之丞さん・桂平治さんらのCDが発売されるようです。

P1000495 中で耳寄りな情報がありました。
7月18日(土)〜20日(祝)で「プチ銀座落語祭」開催が決まったとのこと。
「大銀座落語祭」は昨年で終わったので、ポスト「大銀座・・」という訳でしょうか。詳細のリリースが楽しみです。

日産ギャラリーで、気になる車のひとつ「スカイライン クーペ」の展示車の運転席に座って来ました。
車も欲しいなぁ・・。

忘れえぬ落語家たち

P1000497 興津要先生の「忘れえぬ落語家たち」。興津先生の著書を再編集し、昨年文庫で出版された、20人の寄席芸人との思い出を語っているものです。

四代目柳家小さんと八代目桂文楽を読み終えたところ。

実物?は見ていなくても、顔は知っている芸人(噺家)さんのありし日の姿を想像するのも楽しいものです。

口内炎

私は"口内炎"がよくできます。

ちょっと疲れたなと思う時や連日でお酒を飲んだ時などには"てきめん"です。

口内炎とは、口腔粘膜(口の中の表面)に発症する、炎症による病変全てを表わす病状のことですが、通常は、突然2mm程度の大きさで、円形の小潰瘍(傷)のことで、アフタ性潰瘍、あるいは、単にアフタといわれているもののようです。

口内炎の原因は多岐にわたってい.るようで、①細菌やウィルスへの感染 ②口内を傷つける ③栄養バランスの偏り ④口内の乾燥 ⑤ストレス ⑥病気の一症状 など様々なのだそうです。

私の場合は、②と③と⑤の複合要因だと思われます。特に、あまり歯並びがよくないので、不正咬合などによって頬が傷つけられたりすることも多い気がします。

P1000490 今回も、環境が変わるという精神的なストレス?からか、恒例の口内炎ができました。酷くさせたくないので、以前知人から薦められて使ったことのある「ケナログ」という軟膏薬を買おうとすると、薬屋さんが「この薬はステロイド系なので、使用者の氏名を控えさせてもらうようになった」とのこと。そこまではと思ったので、そんな手続きが不要なものを買いました。

ビタミンをしっかり摂って、規則正しい生活をすることですね。

落語研究会 桂文楽全集

41841rj4epl__sl500_aa240_ 「落語研究会八代目桂文楽全集」のDVDを"Amazon"で購入することにしました。

"黒門町"には間に合わなかった世代ですから、テープやCDでは聴いてはいますが、動いている姿を見たことがないということで。

文楽師匠の映像に比べて、古今亭志ん生師匠の映像はほとんど残っていないそうで、以前テレビでモノクロ画面で不鮮明な「風呂敷」を見たことがある程度です。

亡くなったのは志ん生師匠の方が後でしたが、高座に上がらなくなっていた一方、文楽師匠は絶句して「勉強しなおしてまいります」の言葉を残して高座を降りるまでは現役でしたから、この数年の差が、後年に映像が残るボーダーラインになったのかもしれません。

この秋には、やはり落語研究会の映像で、「三遊亭圓生全集」も発売されるようですから、楽しみにしたいと思います。

2009年5月 3日 (日)

ネタ本作り

P1000462 そろそろ「片棒」のネタ本作りを始めないと・・・。

ということで、柳家さん喬師匠の音源を参考させていただくことにして、遅まきながら着手しました。

休日農園

"アラフォー"ならぬ"アラフィフ"や"アラ還"のオジさんたちは、GWや余暇をどう過ごすのか・・・。

P1000486 "家庭の粗大不燃非資源ゴミ"化しないために、ゴルフ・山登り・ハイキング・ウォーキングなどを"趣味"と称して無理やり夫婦でやっている人がいるようです。中には、奥さんの同意が得られずに"一人趣味"に走る人も多いようです。"落語徘徊"をしている私も、その中の一人です。

P1000489 前の会社の先輩で、月に最低一度の頻度で落語に誘っているHIさんは、数年前から我孫子市内の自宅近くの農家から土地を借りて、"休日農園"をやっています。

P1000488 今日は「玉葱を穫りに来い」と言われたので出かけました。

いつもは車で30~40分のところ、GWゆえか水戸街道が渋滞していて、倍の時間がかかってしまいました。

P1000487 "農園"は利根川の堤防沿いにあるので、川風も爽やかでした。

玉葱とエンドウ豆と葱とエシャレットを貰って来ました。今日は、枝豆とトマトの苗植えをするんだそうです。

八十八夜

立春からかぞえて八十八日目にあたる「八十八夜」。

八十八夜は、二十四節気以外に、季節の変化の目安とする特定の日の総称である雑節のひとつだそうです。(節分・入梅・半夏生・二百十日・土用・彼岸なども雑節のひとつ?)

八十八夜は春から夏に移る節目の日、夏への準備をする決まりの日、縁起のいい日とされてきました。
また、八十八夜の別れ霜というように、この頃から霜もなく安定した気候となり、茶摘み、苗代のもみまき、蚕のはきたてなど一般に農作業の目安とされています。

P1000418_2 郷里のお茶畑も、一番茶の摘み頃になっていることでしょう。

夏も近づく八十八夜  野にも山にも若葉が繁る・・・  

という文部省唱歌が有名ですが、NSPというグループが歌っていた「八十八夜」という歌が大好きです。

 ひきだしの中からあの人の写真 みんな捨ててしまったはずなのに・・・・ もうすぐ八十八夜 もうすぐ暖かくなる・・・・

確か、昭和50年代にヒットした歌です・・・。

忌野清志郎さんの訃報

2009050200000525sanspoentthum000 忌野清志郎さんが2日午前0時51分、癌性リンパ管症のため死去したとのこと。享年58歳。

私は特別ファンという訳ではもなく、「RCサクセション」のボーカルとして「雨上がりの夜空に」などのヒット曲を生んだ程度ぐらいしか知りませんが・・・・夭逝ですね。

2009年5月 2日 (土)

柳家さん喬独演会

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いつもは深川江戸資料館で開催されていた「柳家さん喬独演会」、今回は門前仲町の「古石場文化センター」での開催。

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整理券を配布を開始する20分前に会場に着くと、既に整理券を受け取るための行列が出来ていました。それにしても大変な人気です。

整理券の番号は、「107」と「108」でした。

午後5時過ぎに、一緒に聴く予定の友人と待ち合わせて、5時35分頃に空いている席を見つけて着席し、ひと安心。

       ◆ 仏馬       柳家喬之進

P1000482_2 ◆ 徳ちゃん    柳家さん喬

  ◆ 三枚起請    柳家さん喬

 ◆  髪結新三    柳家さん喬

喬之進さんの「仏馬」は初めて聴く噺で、実は題名も帰ってから調べて知りました。

さん喬師匠は、マクラだと言って得意の「徳ちゃん」を演り、そのまま「三枚起請」へ。

P1000481 そして、仲入り後は今日のお目当て「髪結新三」の通し。

※通称「髪結新三」・本題「梅雨小袖昔八丈」あらすじ~繁昌していた材木商の白子屋は、主人の死でいまや倒産寸前。その一人娘お熊は手代の忠七と恋仲なのに、家運を盛りかえすために他家から持参金つきの聟ををとらねばならず悩んでいた。これを知った上総無宿の小悪党、髪結の新三は、忠七にけしかけて駆け落ちさせ、欺いてお熊だけを誘拐、駕籠で深川の自分の長屋へ運び、押し入れにとじこめる。
 新三の住居。景気よく有り金をはたいて、振り売りの初鰹を買う新三。そこへ、白子屋に頼まれた老侠客の弥太五郎源七が、お熊を取りもどしにくる。だがあべこべに源七は、示談金のつりあげを狙う若造の新三に高飛車にののしられ、啖呵をあびせられて、無念をこらえて帰っていった。
 次第を聞いた家主の長兵衛がのりこむ。老獪で強欲な家主に歯がたたない新三。お熊とひきかえに受け取った身代金の半金十五両と、せっかくの初鰹の半身まで巻きあげられ…。

先日、柳家三三さんでも聴いていて、筋の不条理さが厭だったのですが、二度目ともなると、かなり冷静に?聴くことができました。

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上野から深川へ

「柳家さん喬独演会」を目指して、上野駅から門前仲町の会場まで歩くことにしました。

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御徒町から佐竹、鳥越神社に立ち寄り、蔵前橋の西詰で首尾の松の碑を横に見てから隅田川を渡って清澄通りを南下。

両国・本所・森下・清澄白河、途中芭蕉庵跡を脇目にして門前仲町。

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いつもの?深川不動の参道を歩き、永代通りを横切ると会場へ。
P1000480_2天気も良かったし、爽やかな下町散歩になりました。

「黄金週間連続独演会」

Yose090129 以前案内された、鈴々舎馬桜師匠のお江戸日本橋亭での「黄金週間連続独演会」(3日~6日)に行こうか、どうしようかと・・・。

 毎年続けられて、もう14回目となる今回は、正午開演の第1部と午後3時開演の第2部で合わせて16席を披露するとのこと。

中でも第1部は三遊亭圓生師匠、古今亭志ん生師匠、桂文楽師匠、柳家小さん師匠と、昭和の名人たちの得意ネタを日替わりで演るそうです。

Nihonbashi31 馬桜師匠は、この名人の師匠たちに楽屋で接することができた最後の世代で、名人たちのネタを後世に伝えようと、見聞きした楽屋などでのエピソードもたっぷり語るつもりだそうです。

第1部の演目は、以下の内容です。・・どれかには行こう・・。

  ◇ 3日   「円生に挑む」    三十石・ねずみ穴

  ◇ 4日   「志ん生に挑む」   火焔太鼓・黄金餅

  ◇ 5日   「文楽に挑む」    心眼・明烏・馬のす

  ◇ 6日   「小さんに挑む」   粗忽長屋・禁酒番屋・道灌

「片棒」聴き比べ

今日は「片棒」の聴き比べ。

200901171604000_2◇ 片棒  柳家さん喬

◇ 片棒  古今亭志ん輔

◇ 片棒  春風亭一朝

◇ 片棒  古今亭菊之丞

◇ 片棒  柳家喜多八

(写真は学士会落語会での喜多八師匠の高座)

この噺のポイントは、次男の銀次郎の場面だと思います。木遣りやお囃子や山車の人形の仕草、笛や太鼓の鳴り物など、しゃべり・仕草・のど(声)を総動員しないと出来ませんから・・・。

それぞれ甲乙つけがたい個性のある演出で、葬式の話題なのに基本的にはバカに明るい噺なので楽しめます。

・・・・さぁ、ネタ作りはどうしようかと・・・。

2009年5月 1日 (金)

通勤定期券

世の中とても便利になりました。

P1000476 通勤定期券も自動販売機(っていうのかな)で、しかもクレジットカードを使って購入できます。   (誰でも知っている?)

「Suica」も使い勝手が良いし。

いろいろ迷いましたが、「松戸~(上野)~虎ノ門」というルートに決めました。

勿論コスト面はありますが、何と言っても、このルートならば、「鈴本演芸場」「上野広小路亭」「お江戸日本橋亭」などの寄席、「日本橋劇場」「有楽町朝日ホール」「よみうりホール」「ニッショーホール」「内幸町ホール」「ルテアトル銀座」などなど、多くの会場への立ち寄りが便利ですから。

今までは定期的に転勤があり、都度ルートが変わりましたが、今回のルートは長く利用することになりそうです。

新しい船出

200pxsekientakarabune1 「宝船」はお正月のものですが、私にとっては今日が元旦とも言えますので・・・、漕ぎ出した船が宝船でありますようにということで・・・・。

新しい気持ちで飛び込みました。 

庶務手続きと会社概要などの研修など、初日の日程が無事に終わり、主要なメンバーの方々が歓迎会を開いてくださいました。
全く知らない分野・世界ですから、不安もありますが、期待・楽しみも多くあります。今までと違って"長距離走"になりますから、早く"巡航速度"に持って行きたいと思います。

(^-^;さすがにちょっと疲れたかな・・・・。明日からは5連休です。(゚ー゚;

寄席落語会記録2009

P1000442あっと言う間に"皐月"を迎えてしまいました。

従来から、"徘徊"した寄席や落語会の記録をEXCELで表を作っていたのですが、このブログを始めてから、ややサボり気味になっていました。

一念発起、今までの記録やメモをひっくり返しながら、今年初めから4月末までの51回の徘徊の全てをキャッチアップし、リストにまとめることが出来ました。

出来上がったリストを俯瞰していると、その時々の印象に残る噺家さんや噺が思い出されて来るものです。

6ヶ月経過したら、噺家別・演題別・落語会別・会場別などの分類・分析をしてみて、徘徊の法則性を確認してみようと思います。ホリケンさんみたいですが・・・。

P1000266 4月末の段階での"徘徊"の回数は、一昨年は42回、昨年は63回、今年は51回。ペースとしては、こんなものでしょうか・・・。

ただ、職場の環境が変わったこと、去年までの大銀座落語祭やビクター落語会などがなくなったことなどから、ペースアップが難しいとは思いますが、徘徊の幅を広げる工夫が必要だと思います。

鈴本演芸場などには行き易くなる・・・?

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