« 落語徘徊の道具 | トップページ | 紀伊國屋寄席 »

2009年2月 9日 (月)

落語の"絶対音階"

200706171357000 "天狗連"の私に最も欠けているのが、稽古や知識を吸収する(した)時間の絶対的な量と長さ(期間)の不足・欠落だと思います。

music歌手の長淵剛さんが理想とする声というのは、アメ横の売り子のお兄さんたちの、あのドスの利いた、年季の入った、浪花節のような声なのだそうです。こういう声は、俄かに喉をつぶすような付け焼刃では出ず、長い間繰り返して大声を出して来た積み重ねの賜物で、一朝一夕では到底出せるものではありません。

despairこれと同様、落語に関していえば、私は30年近く何もしないで(離れて)いましたから、愚直なまでに積み上げた稽古や研究の蓄積がありません。従って、時間が作り上げる、声の大きさ・質・艶・色・表情というものがありません。

catface師匠から稽古をつけていただいて、悔しく・情けなく思うのは、芸(とまでいえないもの)の拙さに加えて、私には"落語の絶対音階"とでも言うべきものがないということです。

karaoke絶対音階がないから、根幹になる語りの音(声色)が定まりません。カラオケで歌い出しのキーが拾えないような・・。

think失われた(過ぎ去った)時間は、どんなにお金を積んでも買えるものではありませんから、取り返すことができないのですが、今より少しでもましにする努力、今のレベルでも聴かせることのできる声の工夫が必要なのでしょう。

プロの落語を聴けば聴くほど、陥るジレンマです。

« 落語徘徊の道具 | トップページ | 紀伊國屋寄席 »

徒然」カテゴリの記事