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2009年1月 3日 (土)

乱志と流三

このブログの名前を、落研時代の芸名と圓窓師匠からいただいた落語っ子連での名前にしているが、この二人?のキャラクターを分けてみるのも一興かもしれない。例えば、ジキル・ハイド、漫才のボケ・ツッコミ、気の長短、ご隠居・八つぁん、なんていう。       

夜中に、去年NHKのBSで放映された、「談志たっぷり10時間」とかいう番組の再編集版を、総合テレビで放映していた。深夜だし、疲れてもいたので、最初の部分を見ただけだが、やはり、個人的にはどうしても好きになれない噺家だと思う。

落語に対する姿勢や理論などについては、内容はともかく評価に値するかもしれないが、周囲の極端に高い評価や媚び諂いとも思えるような姿を見ると、不快感さえ感じる。芸人だからということで、一般人よりは許される蛮行や愚行はあるかもしれないが、それにも限度というものがあるだろう。桂春団治や世界は違うが横山やすしも、その素質が評価される一方で、周囲にどれだけ迷惑をかけたか・・・。                

よく、大衆やファンは、自分が出来ないことをやってくれる痛快さに拍手を送る、と分析されることがある。確かにそれは否定しないが、その愚かで曖昧な期待に蛮行を持って応えようとしているとしているならば、とても馬鹿馬鹿しく、悲しいことだと思う。とはいえ、「芸術家(芸人)肌」の存在があってこそ、その分野も広がり発展して行くということであるなら、彼の存在は認められると思うが、私は支持をしたいとは思わない。

「家元、家元」と崇めたり、頭を下げてまで聴きたいとは思わない。求道的なものであれば小三治がいる。新しい落語を牽引するのなら圓丈や小朝がいる。落語を楽しむのであれば、さん喬や権太楼がいる。それに皮肉なことに愛弟子の志の輔や談春もいる。

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