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2009年1月 6日 (火)

落語と眼鏡

今年の年賀状に、昨年の「文落連」の時の写真を印刷して出したところ、月に一度落語に一緒に行っている友人のIさんから、「あれは本当のお前の顔じゃない。眼鏡をかけてや演れ。」と言われました。
いつも眼鏡をかけている顔しか見せていませんから、非常に違和感があるようです。Iさんには、私の生の落語を聴いてもらったことがなく、いつも「勿体ぶらずに、俺に聴かせろ。」と、うるさいのです。

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落研では、先輩から眼鏡ははずして演れと言われていました。
その理由は、恐らく以下の3点からだったと思っています。
①古典落語の時代(舞台)には眼鏡はなかった。
②落語は眼で語るもの。眼鏡をかけていると、眼の動きや表情が見えない。
③会場がよく見えるとあがってしまうから、見えない方が良い。

圓歌・圓蔵・川柳・圓丈・勢朝あたり、芸協では昇太が高座で眼鏡をかけて演っています。
新作ならば、上記①は問題なく、プロならば③も理由にはなりません。
結局、眼鏡(レンズ)が照明に反射したり、眼鏡そのものが表情を隠してしまうという②をどう捉えるかということですね。

私は・・・、やはり眼鏡なしで演った方が良いと思います。

この素晴らしい落語原理主義は、当時の先輩方の教育の賜物です。
それにしても、素直な従順な後輩だったこと・・・。
あの可愛かった乱志②も、こんなに生意気になりました。尤も、その素質は当時も十分あったかもしれません・・・。

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